『ソニー復活に向けて歩んできたこの10年』
講師:ソニー(株) 常務 昭和56年卒 河野弘さん
開催日時:令和5年10月12日(木) (講演:19:00-20:00)
〇司会(古賀) 本日の二木会は、昭和56年卒の河野弘(かわのひろし)さんに「ソニー復活に向けて歩んできたこの10年」をテーマにご講演いただきます。
河野さんは、慶應義塾大学法学部をご卒業後、1985年にソニー(株)に入社されました。経営企画本部、社長室室長などを経て、2010年には(株)ソニー・コンピュータエンタテインメントジャパン・アジアのプレジデントに就任され、2012年からはソニーマーケティング(株)の代表取締役社長を兼務されました。2018年よりソニーイメージングプロダクツ&ソリューションズの代表取締役副社長としてメディアビジネスを担当され、2021年にはソニー(株)の常務兼スポーツエンタテインメント事業部長に就任され、現在はソニー(株)全体の事業の総括をされながら、月の半分をイギリスでの事業運営に充てる忙しい生活を送られています。
前回、2014年2月の二木会でご講演をいただいた際は、ソニーが厳しい経営状況に直面していた時期でした。それからおよそ10年がたち、近年ソニーの復活が大きく報道されています。今回の講演では、劇的な復活を遂げたソニーで、この間に実行されたさまざまな改革やチャレンジ、その成果などについてお話をいただきます。
■講師紹介
〇田中 昭和56年卒、すごろく会の田中昭人です。河野くんとは2年生の時に同じクラスだったと思います。当時、名物の白木体育では、最初に必ず鋼鉄棒渡りとか、腕立て50回、腹筋50回、そして、肩車や手押し車で運動場にあった闘魂碑を往復するような準備運動をしていました。そして校庭の外周を3周、大体1,500m走っていましたが、その時に河野くんが広いストライドで足が速かったのを覚えています。
彼は野球部にいて慶應の野球部に憧れがあり、推薦のお願いを担任の藤山先生にしたそうですが、成績が伴ってなくて駄目だったそうです。彼はそこから一念発起して現役で慶應の法学部に入って野球部に入りました。ただ、先程聞いたところ、慶應に合格したのはよかったものの、実は高校自体の卒業がけっこう危なかったらしいです。
彼はソニーに入社後は、東ヨーロッパで命の危険もあったなど、すごい経歴をいろいろ持っています。10年前の二木会の時はちょうど50歳でしたが、その時も私が紹介者で話をしました。その時、彼は、あと5年ぐらいで会社を辞めて、福岡に帰って少年野球の指導をしたいと話していましたが、いまだにソニーから抜けられないようです。
彼は、今はスポーツ関係を多くやっています。去年の1月、ソニーオープン・イン・ハワイで、松山英樹がプレーオフで優勝しました。テレビを見ていたら、その松山英樹の後ろに彼が歩いていました。ここのところ毎年、ソニーオープン・イン・ハワイでソニーの関係者として現地でいろいろやっているのだそうです。そのテレビをスマホで撮ってFacebookでみんなに回しました。
彼は10年前はソニー・コンピュータエンタテインメントのCEOをやっていて、「プレイステーション 河野弘」と入れてググれば彼の顔がたくさん出てきて、プレステのプレゼンテーションを格好良くやっていました。
今のヒルトン、当時のシーホークで去年行われた還暦同窓会で、彼の仕事の話を聞きましたが、かなり面白い仕事をしているようです。日本のプロ野球のチームなどとも関係があるようで、今日は面白い話になると思います。期待してご静聴ください
■河野氏講演
〇河野 今日はこのような機会をいただきありがたく思っています。大げさなタイトルにしてしまいましたが、前回ここでお話をさせていただいた約10年前からどんなことがソニーの中で起きていたのかと、私がその後チャンスをいただいたいろいろな仕事について、今日はお話させていただきます。
私は昭和56年に修猷を卒業して慶應に入りました。現役で入ったのは素晴らしく見えますが、修猷の卒業が本当に危うくて、恩師の藤山先生にはずっと頭が上がらないでいました。野球をやるために慶應に行き、大学では体育会の野球部に入って4年間野球漬けの生活をしていました。幸い神宮でプレーするチャンスももらい、野球はそれでおしまいにして、1985年にソニーに入りました。
私の経歴の中で一番の軸になっているのは、入社してすぐに秋葉原の営業になったことです。秋葉原の営業の最前線で、お客さま目線で考えることを、この最初の2年で徹底的にたたき込まれました。その経験が私にはずっと生きています。中の視点ではなく外からどう見られるのかという顧客視点が、どこでどんな仕事をしていても、常に軸になっています。
私は、先程お話が出たソニーオープン・イン・ハワイの担当役員ですが、このゴルフの大会は、収益は全部ハワイのコミュニティーに還元するというチャリティーのイベントで、プロの方々にもたくさん協力していただいています。見事に優勝された松山選手とは東北福祉大学の時から関係があり、アマチュアで世界一になってマスターズの招待状が来た際に、いきなりマスターズの舞台は荷が重いのでソニーオープン・イン・ハワイで練習してみるかという話にになって出場してもらいました。予選落ちでしたが、彼はいまだにそれを覚えていてくれて、恩があるといってソニーオープン・イン・ハワイではいろいろなサポートをいただいています。
10年前にここで話をさせていただいた時、当時の中川会長のごあいさつの第一声は「リストラ策が発表されたり大赤字という中で、こういうところに出てきて話をしてくださいというのですから、頼むほうもどうかしていると思います」というものでした。講演終了後、「元気が出そうな話だった。頑張ってくれ」と言っていただき、そのお言葉がとても後押しになりました。
■10年前に起きていたこと
10年前に私が講演させていただいた日のソニーの株価の終値は1,780円でした。ソニーのピークの時から88%も下落していたのです。メディアからは、「凋落するSONY帝国」とか、バッシングに近いかたちでいろいろ言われました。私は2010年に、その後社長に就任する平井から、日本に帰ってきてプレイステーションのビジネスをやってくれと言われ、急きょアメリカから帰国しました。2014年に講演した時は、私はプレイステーションのビジネスとソニーマーケティングというエレクトロニクスの国内のビジネスの両方をやっていましたが、当時の全体の経営は迷走していた感じもあり、かなり厳しい状況でした。
そして、ソニー全体として、ポートフォリオの見直しやVAIOの事業の売却、リチウムイオン事業の売却、そして工場の集約・閉鎖を行い、また一部の総務系の業務も外部の会社に引き受けていただいたりしました。本社発祥の地である御殿山の本社ビルも売却するなど、非常に厳しい構造改革アクションを取りました。
それぞれの事業について、ポートフォリオの視点から、また社会的価値、社会的意義の視点から、「やりたいというパッションが本当にあるのか?」、そして「やれるのか?」「勝てるのか?」「本当にうちにコアコンピテンシーがあるのか?」を全ての事業に問い掛け、そして誰がオーナーシップを取ってやるのかを明確にしながら、棚卸しをしていきました。当時ソニーの中は、良くも悪くも、効率よりも自主性を尊重する風土があったのですが、それが全体の効率を落とし、そこからほころびが出てきたりしていて、甘ったるい経営は通用しないという教訓を得ました。皆さんが想像されている以上に、社内は厳しい状況でした。
■構造改革と中期事業計画の実行
そのような中で、中期経営計画が策定されました。第一次中期経営計画は2012年から2014年、そして第二次、第三次と続き、今、第四次中期経営計画の最終年にあります。
第一次中期経営計画では「ソニーの変革」をテーマとして掲げ、危機感を社内全社で共有して進めてはいたのですが、数値目標には全然到達せずに結果が出ませんでした。第二次中期経営計画では、「利益創出と成長投資」をテーマとして、相当きつく各事業の分社化がされました。生き残るために自立と責任を課すということです。危機感の最大化というかたちで、社内がぴしっと締まった時期でした。第三次中期経営計画では、「持続的な高収益創出」というテーマを掲げました。
第二次中期経営計画の時、私はプレイステーションをやっていました。今はソニーの中で安定した収益を上げていますが、当時は、ハードを売り出せば急に売上が上がりその後は急に下がる、そしてソフトが売り出されると、急に上がるけれどもまた下がる、そして季節的にも、クリスマスの前は上がるけれどもその後はまた冷え込むという、ジェットコースターのような経営でした。これではサステイナブルではないというので、ビジネスモデルを変えようという議論を徹底的に行い、プレイステーションネットワークというオンラインでのサービスをローンチして、オンラインでのゲーム体験を最高にする環境を整え、それに対してプレーフィーを払っていただくようにしました。チャレンジは、お客様がお金を払ってでも遊ぶという体験に価値を見出していただけるかどうかでしたが、そのためにいろいろな努力をして、今、有料会員が5千万人ぐらいいます。1人が年間1万円ぐらい払ってくれていますので、そこだけで5千億円のビジネスになっています。サブスクリプションを入れて持続的に安定的に収入が得られるようにして、その上でのアップダウンの売上となり、ビジネスモデルが大きく変わりました。PS5も同じような施策を取っています。この安定したビジネスモデルを一番評価していただいたのは投資家の方々で、株価も含めたソニーのその後に大きな貢献をした一つの事例です。
もう一つは、グループのアーキテクチャーを大幅に変えました。もともとソニー本社の中には、祖業のエレクトロニクス事業がありましたが、それも例外なく切り離しました。本社は本社とし、アクティブインベスターのように各事業を評価して投資をするということです。大きな投資が伴う半導体の事業は独立させて、半導体は半導体でアグレッシブに成長をするような施策が取られました。こうして、自立経営でかつ機動的で長期的な事業運営ができる体制になり、つぶれるも伸びるもその個社の責任として、それぞれの経営力を問われるような状態でみんなが頑張り始めました。
今は第四次計画の最終年ですが、結果も出てきています。私たちは、多様な事業ドメインを持っていますので、ソニーだからこそできる事業をもっとやっていこうとかなり連携が進んできています。コンテンツ・IPに対する投資やDTC(Direct to Consumer)のビジネスをしっかり立ち上げること、そしてテクノロジーへの投資、この辺りを意識しています。
BUNGIEという会社を買収しましたが、これは、プレイステーションのソフトのほか、オープンでスマホ向けやeスポーツなども取り扱っている会社です。この会社には、今のプレイステーション固有のプラットフォームから、将来のゲーミングインダストリーとしてどのように広げていくのかということを一つの命題として、戦略的に、ソニーの中では史上3番目の額である約5千億円の投資をしました。
それぞれが自立した運営の、映画、音楽、ゲームの世界にブリッジを架けることも相当意識してやってきていて、プレイステーションのゲームを映画化して、一つのIPを2次的、3次的に収入を上げていく活動を行い、『THE LAST OF US』とか『UNCHARTED』とか『GRAN TURISMO』などがヒットしました。『鬼滅の刃』も、ソニーグループが非常に力を入れて出したIPですが、これもアニメや音楽、そして食品・お菓子、文房具などのグッズを含めてのマーチャンダイジングなど、IPを軸にいろいろ活性化していく発想を会社の中で広げていきました。
もちろん技術の貢献も大きく、『TOP GUN MAVERICK』に関し、トム・クルーズさんがうちのカメラがあったからあの撮影ができたと言ってくれるなど、技術力がどんどん上がっています。カメラについては、キヤノンさんやニコンさんの牙城は誰も崩せないと言われていましたが、半導体のイメージセンサーの強みを生かしながら、ミノルタさんからテイクオーバーしたブランドの『α(アルファ)』というカメラがカメラの世界を変えて、私たちがいいポジションにいます。
2017年ぐらいから劇的にソニーの状況が変わってきました。売上はあまり伸びていないように見えますが、中身が随分変わり、構造改革をした事業がその中から消え、2021年、2022年ごろからは新しく投資をして立ち上げた事業が上乗せになっています。そして利益については、一次、二次、三次、四次中期計画ときれいに階段状に上がってきています。ここ数年は1兆円を超えるような利益が出るようになりました。これは、社内で相当ディシプリンを持って事業の在り方とかコストの構造とか付加価値の取り方とかに取り組んできた成果が出たのだと思います。「凋落するSony帝国」だとか、厳しいご意見をいただいた時期から見ると、この10年ぐらいで、事業構造から採算構造も含めてかなり変わりました。
■ソニーのパーパス経営
CEOの吉田が、パーパスを大事にしようということを提唱しました。ソニーという会社は、組織力はあまり強くないのですが、個人の思いやパッションが強い会社です。厳しい情勢の中で、自分たちの存在価値が否定されたような時期もありましたが、私たちの存在意義はこうだというものを伝えるために、「パーパス」が策定されました。吟味してつくった言葉は「クリエイティビティとテクノロジーの力で世界を感動で満たす」です。エレキも映画もゲームも、みんな、これが私たちグループの全員の存在価値なのだということを定義して定着させて、組織を立て直そうということです。
■多様な個を活かす人材戦略
この「パーパス」をつくる時に、何が一番大事なのかという議論をマネジメントの中でやりました。ソニーの立て直しをするためには、一人一人の社員がやる気になって燃えていないと、会社の都合で会社のためにみんな我慢してやれと言っても、結果が出ないだろうということです。ソニーとしては個の力を最大限生かすことに集中しようということで、多様な個の成長をグループ全体の成長に結びつけようと、いろいろなアクションをとりました。
ソニーは昔から、「個を求む」、「個性を伸ばす」、「個を活かす」という経営をやっていました。1969年の朝日新聞には、「『出るクイ』を求む!」という広告があります。当時のソニーは、まだ大きな会社ではありませんでしたが、そのころから、このような発想でずっとやってきました。入ってくる人たちも、そのような人たちでした。その人たちに、会社の都合に合わせて頑張ってくれと言っても、頑張ってはくれますが、やはり自分がそこにやりがいを感じる部分がないと原動力にはなりません。私もある意味ではそのような人間です。「英語でタンカをきれる人を求む」とか、「出るクイになってくれ」ということを平気で言っていたような会社なのです。
社内キャリア支援プログラムも、昔から面白いものがたくさんあります。社内募集制度というのでは、社内で求人広告が出て、上司の許可なく応募して、決まったら上司がそれを聞いて驚くという不思議な制度が定着しています。毎年、数百名がこれで移動しています。そのように、個人のやりたいことや自己実現みたいなものが優先される世界があります。それを会社がどのようにうまくマネージするかということです。社内FA制度もそうです。あるレベルを満たした人はFA宣言ができます。それによって他領域への新たなチャレンジを支援しています。文句を言う上司もいますが、上司の中にもそうやって異動した人が多数いるのも面白い事実です。
社外キャリア支援プログラムに関しても、私が見る限り、非常に手厚いです。ここ10年の構造改革時には不本意ながらソニーを去って新しい仕事に就いた人たちはたくさんいると思いますが、その人たちに対しても、できる限りの支援をしてきています。
この「個を伸ばす」、「個を活かす」というのはもともと私たちの創業者の井深・盛田がずっと言い続けていたことで、それを今でも私たちは大事にしているということです。
私は彼らから直接薫陶を受けた最後の世代です。入社の時の面接や入社式の時にも「違うと思ったらすぐに辞めろ」と盛田さんに言われました。また、ことあるごとに「自分の生きる道は自分で決めなさい。自分に最適な道を歩みなさい」と言われてきました。この人たちがつくった企業文化は、私たちの強みであり、今でも大事にしていかないといけないと思っています。
■次の10年に向かって
10年前には、株価もピーク時から88%も落ちて、株主は怒り心頭、株主総会は荒れまくっていましたが、そこから10年たち、今日(2023年10月12日)の終値は13,105円で、その当時から約7.4倍になりました。数字だけを見るとV字回復になりますが、中にいた私たちから見ると、いろいろなことを経験して学んで、そして改善してやってきた10年でした。
こうなるとメディアはまた「ソニー完全復活」とか記事に書いてくれます。10年前にはあれだけ落としておいていて、メディアの言うことは絶対に信じないぞという感じです。私たちは一喜一憂することなく、今でも社内には危機感があります。大体、褒められているときは悪いことの始まりです。昔、出井さんが会長・社長をやっているころ、ソニーはとてももてはやされていて、そしてどんと落ちましたので、絶対にその轍を踏まないよう、今、社内には大変大きな危機感があります。
「次の成長に向かって」の仕込みを、今、私たちは真剣にやっています。何が私たちのコアコンピタンスなのか、どのようなかたちでお客さまにバリューを届けるのか、そしてそれが一時的なものではなくて、持続的なビジネスとして成り立ち、それがお客さまから見て、普遍的な価値を見出してもらえるのか、ということで第五次中期経営計画がキックオフしたところです。「次に向かって」というのが私たちの大きな命題だと思って取り組んでいるところです。
■ビジネス紹介(バーチャルプロダクション、スポーツテック)
私が、今、担当している事業の一部を紹介します。ここからは、重くなく面白い話になります。
2021年の紅白歌合戦に劇団ひとりさんが登場した際に使われたのが、バーチャルプロダクションです。LEDとインカメラVFXという手法により、CGと実写を組み合わせた様々なバーチャルな映像表現ができるもので、映画やテレビやCM撮影で使われています。最大の価値は、ソニーの技術によって、表現力の向上と効率の向上の両方が実現できることで、雨のシーンも雪のシーンも、夏のシーンも冬のシーンも、同じスタジオで同じ日に、本当にそこに行ってやっているように撮影できます。今、これが大きな注目を浴びていて、私たちは清澄白河に日本で最大のスタジオを持っていますが、ぱんぱんの状態なので第2スタジオをつくろうかという話になっています。スバルのCMでもこの技術が使われており、映像では車が動いているように見えますが、スクリーンの前に車が止まっていて、映像のほうが動いています。今は世界中でこのような手法を使っています。
もう一つがスポーツビジネスで、テクノロジーの力でスポーツの感動を解き放ちたいと思っています。私たちは、UKにスポーツエンタテインメント事業部というのをつくっていますので、私は月の半分はUKにいます。今週の日曜日からまた行きます。そこに、ホークアイ、パルスライブ、ビヨンドスポーツという三つの会社を持っています。そして、メジャーなスポーツ団体と一緒に、スポーツが、「よりフェアに」、「より公平に」、「より安全に」、そして「魅力的に」、「分かりやすく」なるように、スポーツテクノロジーがスポーツを変えるのだという思いでやっています。
サッカーワールドカップでの有名な「三苫の1ミリ」というのがありましたが、あれは私たちの子会社のホークアイのVARの判定支援でした。報知新聞さんが、「ソニーアシスト」と書いてくれました。また、MLBの全球場にはうちのシステムが入っていて、それで打球の速度や距離を算出しています。
ホークアイのテクノロジーは、8台から12台のカメラでスタジアムを囲んで、プレイヤーの29カ所の関節をトラックして、3Dのデータで顔の向きや足の動き、全ての動きを画像化しています。そうすると、自由視点で、さまざまな角度から再生ができます。例えば、あたかも自分がフィールドにいるかのように見ることができますし、また上から見るとか、ゴールの裏から見るというようなこともできます。
ホークアイは、VARのような判定支援の他、パフォーマンス分析にも使われます。例えば、野球で、センターの人がダイビングキャッチをすればファインプレーに見えますが、分析すると、打った瞬間の反応速度が悪いとか走っている方向が最終落下点とは違うとかが分かります。イチロー選手だと、涼しい顔で捕ってファインプレーに見えません。ダイビングキャッチをするとファインプレーに見えますが、実は反応が悪いということもあります。
メディカルでは、衝撃度合をシュミレーションできますので、危険性の判断材料にも使ってもらっています。また、例えば負荷がかかる動きにより肘を壊すことがないようにとの分析など、けがの予防にも使ってもらっています。
メディアについても、楽しくストーリーが語れるようにしたり、ファンが楽しめるようなコンテンツを提供したりしています。
アメリカのスポーツは、MLBでピッチクロックというルールをつくったり、とにかくゲーム時間を短くして若い人たちを飽きさせないようにしようとしており、私たちはMLBにSTATCAST、PITCHCASTという分析ツールを提供しています。マイナーリーグでは、ストライク・ボールの判定をホークアイの仕組みで主審をアシストしていますが、MLBも、ストライク・ボール判定をこのシステムでやりましょうとなってきています。審判の権威みたいなものをどう保ちながらやるかというのが最終のポイントですが、システム的には99%正しいコールができます。テニスでは、うちのシステムでインライン判定をするようになってゲームがスピーディーに動くようになりました。
2021年のプロ野球はヤクルトが優勝しました。NHKの『サンデースポーツ』で紹介してくれましたが、この時、MLBで導入していたホークアイの仕組みを、ヤクルトだけが先に導入して、悪かったチーム防御率が良くなりました。データを使って自分でインプルーブしていくと、その選手の寿命や、選手人生、選手キャリアにも影響してきます。今は全ての日本のプロ野球の球団にもこれが入っています。これから先、このデータを使って野球界をどう盛り上げていくかというのがこれからのテーマです。
サッカーの例では、例えば、シュートが決まった瞬間をいろいろな視点で再現できます。シュートした選手の視点、またゴールキーパーの視点からの映像が、プレーの5秒後ぐらいには再現CGで見ることができます。
2023年10月に、アメリカンフットボールのNFLの試合をロンドンで行うロンドンシリーズがありましたが、その際、『トイストーリー』というアニメとコラボさせています。オランダにあるソニーグループのビヨンドスポーツという会社の技術を使い、本当のシーンを3Dで撮られたデータをCG化して再生しています。NFLのゲームは、通常のスポーツ番組で大人たちに観られましたが、CG版はDisney+とESPN+で92カ国に配信され、リアル版の3倍から5倍の数の人たちに世界中で観られました。主な視聴者は10歳前後ぐらいの子供たちですので、子供たちに受けるような解説・実況をしており、子ども向けのサービスを提供したい会社がスポンサーになったりしています。
これはオルタネイト・ブロードキャストと呼ばれ、本当のゲームの実際の放送に加えて、ゲームをこのようなかたちで面白く再現して、それを新しいメディアに仕立てて、そこでファンを増やし、そこにまた新しいエコノミーをつくろうとしています。スポーツリーグとソニーグループ、そしてIPを持っている、例えばピクサーやディズニーと、また配信をしているESPN+やDisney+などと、新しいエンタテインメントをつくっていこうということです。
私はスポーツを、「スポーツ道」として、真面目にストイックにやっていた世代ですが、子供たちがスポーツに興味を持ってもらって楽しんでもらうということを考えると、面白そうに楽しそうに自分たちに親しみのあるものでやることで、スポーツの展開もいろいろできると思っています。私たちの技術はそのような生かし方もあるということで、今、進化し始めています。
これからのソニーは、新しい挑戦をやって新しいエンタテインメントを生み出せるように進んでいこうとしています。その後ろにあるのは、やはり技術力とクリエイティビティです。そしてそれは、個の人間の多様的な発想だということです。そうやって、また落ち込まないように頑張ろうというのが今のソニーの状況です。
ご清聴ありがとうございました。10年ぶりに話をさせていただいて本当にありがたく思っています。
■質疑応答
〇斉田 昭和40年卒の斉田です。10年前にも河野さんのお話をお聞きしました。私は40年間、三菱電機で働きました。同じ電気産業の仲間として、ソニーは後発ながらあっぱれな会社という認識はあって、10年前からのV字回復は見事だとは思いますが、大事なハードを捨てて、安全なソフトカンパニーになってしまったように思います。電機産業は、ソニーさんや三菱・日立・東芝・パナソニックが捨てた白物家電を、アイリスオーヤマとかが拾っていてけっこう儲かっています。電機産業の仲間として、ハードを捨ててまで変身して、ちょっと違うのではないかという気もします。そして10年前にも、ゲームなんて亡国の産業だと言いましたが、今でもその気持ちは半分残っています。
〇河野 まず電機産業の中で、いい意味でも別の意味でも、私たちは電機屋だとは思っていません。ソニー電機という名前とすべきだという意見もあった中で、盛田・井深は、あえて電子とか電機の名前は付けませんでした。私たちのドメインは、広げる中でどうなるか分からないからということでした。とはいえ、電機産業の一員であるという自覚は持っています。ただ、カテゴリーが広がり過ぎて、本当に勝てるのかというところに解がないような商品・製品もたくさんありました。カメラやオーディオのヘッドフォンなどは今も私たちの重要な領域ですので、家電系をすべて捨て去ったわけではないのですが、かなり絞り込んだことは事実です。それはやはり経営判断だったと思います。
ゲームについては、功罪あると思いますが、ただゲームが持っている可能性の深さというのはまだ理解されていないように思います。今、ゲームフィケーションという言葉で、ゲーム性を持ったエンタテインメントの取り組みがいろいろ行われています。スポーツの領域も、そのゲームフィケーションが生きてきていて、例えば、この場面でこの選手がこう動いたらどうなるかとか、このときにパスをこっちに出したらどうなったかというのが、データで見せることができるようになっています。ですから、いわゆるトラディショナルなゲームというところから、だんだんとゲーム性のあるエンタテインメントの世界が大きくなってきています。
ただ、やはりエンタテインメントに制御の問題は付き物で、どこかで制御しなければならないところは当然出てきます。そこには、やはりやっている会社の責任が発生するのだろうとは思っています。
〇志賀 平成15年卒の志賀です。私は今、白物家電を売ってしまって、もうすぐ非上場化してしまいそうなとある会社に勤めています。お話は複雑な思いで聞いていました。会社が非上場化したらどうなるのかという中で、私がこれから体験するかもしれないと思いながら聞かせていただいていました。私はまだ役職もありませんし、経営に関われるような立場ではありませんが、私のような一般の社員とか中間管理職の社員に対して、これからの構造改革とか経営が大きく変わってしまうという波の中で、どのような心持ち、姿勢であるべきでしょうか。
〇河野 重たいですね。立場によるので難しいと思います。経営を預かっている人は、その会社の方向性をきちんと見定めて、それに対して正しいアクションを取っていくことになるのだろうと思います。
では一社員としては、結局は、少し突き放した言い方になるかもしれませんが、自分がどうするかは自分で考えるのだと思います。自分の人生ですから。ポジティブな意味で言っています。経営の再建を自分も一緒にやるのだと思うのでしたらそれをやるのがいいですし、自分のキャリアはこうしたいと思うのでしたら転身するのもいいです。最終的には自分で責任を取るしかありません。義務感とかではなくて、自分が本当はどうしたいのかを大切にするのがいいと私は思います。
〇五嶋 57年卒の五嶋です。学びでも何でも、真面目にやっていても、取り組む姿勢の中にゲームフィケーションの要素があってもいいと私は常々思っていました。例えばホンダさんと組んでいるEVに関しても、ぜひともその要素をたくさん取り入れていただきたいと思っています。医療分野でも、例えば、学生の手術の訓練とかに多分にその要素が取り入れられると思います。そのようなゲームフィケーションの要素でソニーさんらしいものをつくっていただきたいと思っています。
質問ではなくラブコールになってしまいますが、スポーツエンタテインメントに関しては、オールジャパンで取り組まれるとすごいものができるのではないかと思っています。家電メーカーさんも、そのような広い目線で何社かで集約していたら、もしかしたら生き延びられていたかもしれないと、勝手に思っています。何かオールジャパンで行えることがあればいいなと思います。
私は、小学6年生の時のBCL短波のソニースカイセンサーからのソニーファンでしたので、今日は楽しみにご講演を聞かせていただきました。ありがとうございました。
〇河野 オールジャパンというテーマはあるのだろうと思います。どのようにして世の中に新しい技術を出していくかという議論や会話はけっこうしています。
〇高橋 昭和41年卒の高橋です。私が最初にソニーの製品に触れたのは、紙テープのテープレコーダーで、ソニーの最初から2代目だったと思います。中学校の放送部でそれを使っていました。その後、カセットに代わりました。
私は、修猷館を卒業後は東京工業大学に行ったのですが、大学にはほとんど通わずに、半分以上は、当時ソニー厚木工場の小林さんが関係していたアジトみたいなのが五反田にあって、首都圏界隈の学生が集まっていろいろな活動をやっていて、そこで随分お世話になりました。その時は、小林さんの秘書までが無償で数年間そこでの活動を支えてくれました。私たちは、そのお返しみたいにして、ソニーの創造性教育のようなことに協力したりしました。
個の重要性とか、他の井深さんや盛田さんの話などにも全部通じてくるのですが、これからソニーがどう変わっていっても、リスクを避けないで、リスクをあえて拾って、そして慎重に新しい地平線を開いていってほしいと思います。
〇河野 ありがとうございます。最近感じるのは、ソニーの中でも、リスクを取ることに躊躇する若者が増えてきています。昔だったら本当にわがままで言うことを聞かない人がたくさんいましたが、最近はとてもいい子が増えてきています。立派になり過ぎていて、もう少し刺激してもいい、もう少しやんちゃな部分を呼び起こしてもいいのではないかという話はしています。全員がそうなるというよりも、自分がこれをやりたいという人が手を挙げて、それをやらせてみるようなプログラムをもう少しやろうとしています。そんな人はまだいます。個人が考える発想が実現して、その夢がかなうということも重要なポイントだろうと、ちょうど話していたところです。
■会長あいさつ
〇伊藤 今日は、貴重な時間を二木会のために取っていただきありがとうございました。10年前に河野さんのお話を聞いた時は、ソニーという会社がこんなになってしまうのかと暗い気持ちになりました。その時の河野さんのお話は、「このままではいけない。きっとソニーを盛り返していく」という決意を感じるご講演だったと思います。
私が小学校の低学年の時に、家庭用のトランジスターラジオが売り出されました。当時2万円でした。昭和30年代の初頭です。今だと30万円近い値段になります。それがたまたま懸賞に当たってわが家にやってきました。その時、どこにでも持っていけるラジオってすごいなと思いました。
ソニーのここまでの道のりが、わが国の経済界に示したものは大きいと思いました。わが国の経済はまだ難しい状況が続くかもしれませんが、今日のお話は、一つの道しるべとして、各会社の励みになり、わが社ももう一度頑張っていこうという気持ちになったと思います。
また、最新の先端的技術での面白い事業には多くの人が興味を持ち、その事業が拡大していくのだろうと思いながらお話を伺いました。
今日はお忙しい中、貴重な時間を割いて二木会のためにご講演いただきまして、本当にありがとうございました。
(終了)