『新しい国家・行政の在り方とは~140万ダウンロードの若手官僚提言ペーパーの反響~』
講師:河野 孝史氏(平成13年卒)
■講師紹介
○石橋 私は平成16年卒で先輩が13年卒ですので、高校時代は接点がなかったのですが、2003年に私が運動会の運営委員長に決まった時、担任の瀬尾先生から「河野に会うべき」と助言をいただいたことで先輩を知りました。女性初の運営委員長ということで、周囲のご懸念の声もあると聞いていましたので、どんなことでも取り入れたいという思いから、先輩に会うためだけに夏休みに上京しました。初対面の河野先輩の印象はドラえもんの出木杉くんそのもので、運動会に対する思いや、やってこられたことについて熱く語ってくださり、感銘を受けて帰福したのを覚えています。
その後、私も大学を卒業して外資系の金融機関に勤め始めましたが、時はリーマンショックの2008年で、100億円で販売した商品が1カ月後には100万円だったりゼロ円だったりする中で、業界の存在意義が分からなくなっていた時に先輩とお茶をしました。昔と変わらない真っすぐな目で、「役人は周りから批判されることも多いけど、国を良くするために俺たちは頑張っている」とおっしゃって、私は大変感動しました。
今年の春、経産省の若手官僚のコラボレーションレポートが出たと聞いた時には、いの一番に河野先輩の顔を思い出し、実際にそのレポートに携わっていらっしゃると知って、「やっぱり」とうれしく思いました。
■講演
○河野 過分な紹介をしていただきました。石橋さんについては、先生から、運動会の運営委員長になった女の子がいるからよろしくと突然連絡があり驚きました。史上初というのはいろいろな壁があると思うのですが、それも切り拓いて乗り越えていかれた石橋さんは素敵だなと思って、今日は紹介役をお願いしました。この場での、私の次の若手講演者は、石橋さんになると勝手に期待しています。
■自己紹介
私は大学で環境やエネルギーを専攻していました。そのような外部不経済的なものを扱っていると、どうしても、「政治」、「政策」、「中長期」、「国家」などの観点に関心が出てきますので、就職先の候補として自然と役所が挙がりました。最終的に希望が叶い、経産省に入ることができました。震災の時は石油の安定供給を担当しており、被災地にどうやって石油を届けるかなどの切迫した政策課題について、1カ月ぐらいは役所に泊まり込むような生活が続きました。その後、気候変動問題を担当し、京都議定書の次の枠組みを巡る国際交渉などに尽力しました。その後、カリフォルニアに2年間留学し、国際関係論を修めました。
現在は、AI、IoTなどの産業政策を担当しており、スタートアップ支援なども含め、政策面から日本経済に対して何ができるかを日々考えています。そうした、ルールづくりなど制度設計への高い関心は、修猷館での運動会運営委員長の経験が基礎となっているように思います。
■次官・若手プロジェクト
私が留学から帰ってまもなく、経済産業省の中で、今回のプロジェクトの募集のメールが回ってきました。BCCだったので誰に対して募集がされているのかは分からなかったのですが、結果として集まったのが20代、30代の若手30人でした。
目の前の担当業務が忙しく、入省した時の中長期的な日本をどうしていくかという発想がなかなか発露しないというのが、若手行政官が日々抱えている悩みでもあるのですが、今回のプロジェクトは、菅原前事務次官のリーダーシップの下で、そこをうまく拾い集めて整理し表に出そうと企画された会です。菅原前次官の人脈も含め、著名な研究者の方々と定期的な意見交換をしながらこのレポートをまとめていきました。8月ぐらいから立ち上がって10カ月弱ぐらいのプロジェクトでした。私の参加した作業グループは、国富の定義やその創造・分配の在り方を議論するチームだったのですが、毎週水曜の昼休みに定期的な会合を設置しました。2、3人しか集まらない時もありましたが、何とか継続させていって、今回のレポートの素案をつくっていきました。
1.液状化する社会と不安な個人
役所のレポートで「液状化する社会」といった抽象的な言葉を書くと違和感をもたれることが多いのですが、今回は敢えて印象に残る言葉で分かりやすいレポートにしようと工夫しました。かつて日本人の人生には、目指すべきモデル・正解の人生・100点のルートがありました。しかし今、情報が異常に溢れる中で、一体どのような人生が100点なのか、何に拠り所を見出せば良いかがよく分からないという個人の不安があります。それをこのまま放置すると社会が不安定化するのではないかという問題意識を、この言葉により投げかけています。
例えば、「権威への回帰」か「秩序ある自由」のどちらなのか、という問い。かつては、宗教・メディア・政府・企業・民族というような、拠り所となる団体、集合体の中に規律やルールがあり、そのルールに従えば100点が目指せる人生でした。ところが、デジタル化とグローバル化によって情報が氾濫し、一体何を信じたらいいのか、何を根拠に判断したらいいのかが分からなくなってきているのではないかということです。
それによって、例えばトランプ現象やBrexitのような「権威への回帰」が顕在化しつつあると指摘しています。そのような中で、個人が思い切った選択ができる「秩序ある自由」と言えるような別の将来を描くべきではないか、今まさにその分岐点に立っているのではないかという問題意識で議論をスタートしました。
2.政府は個人の人生の選択を支えられているか?
(1)個人の選択をゆがめている我が国の社会システム
それだけ社会が液状化し個人の生活の自由度が高まっている中で、社会のシステムは依然として標準的・昭和的な人生モデルを基盤とし過ぎているのではないかという指摘をしています。そこからあぶれた人に対して、政策として、仕組みとして、社会として何ら支援ができていないのではないかという問題意識を、五つのファクトから示しています。
一つ目は「居場所のない定年後」です。60代半ばで急に社会とのつながりが失われますが、日本の場合はその後の健康寿命を全うするまで9.9年あります。その間、6割以上の人は働きたいと言っています。それは多分、お金のためより、社会とのつながりや、やりがいといった理由だと思います。しかし、実際には地域の活動にも従事してないという高齢者が7割ぐらいおり、日がなテレビをみて過ごす生活をしているという現状があります。
二つ目は「望んだものと違う人生の終末」です。6割ぐらいの人が自分の家で最期を迎えたいと思っている一方で、自宅で亡くなる人は減ってきています。そして国の医療費の23%の9.2兆円が、80歳以上の人たちに充てられています。良いか悪いかという判断の前に、我々はこの問題をどう考えるべきか、という問題提起です。
三つ目は「母子家庭の貧困」です。日本は母子家庭の貧困率がOECDでダントツトップです。再分配所得を高齢者世帯と母子世帯で比べてみると、高齢者世帯は当初所得から再分配後の所得が増えていて、国から250万円ぐらいもらっています。他方、母子世帯は、プラス40万円ぐらいで、比較的少額の支援となっています。
四つ目は「非正規雇用・教育格差と貧困の連鎖」です。貧困が連鎖・固定化する構造があります。中卒、高卒の約半数は非正規雇用になっていて、非正規雇用の年収は正規の3分の1ぐらいです。教育資金は親の年収に比例していますので、親の年収が低いと子供は大学に行けずに中卒、高卒になってしまい、またその半数が非正規雇用になってしまうという循環になっています。大学に行くことができるかできないかで、その後の収入が決まってしまっているという問題意識です。
五つ目は「活躍の場がない若者」です。自国が好きという若者の率は先進国の中でも日本は高いのですが、仕事で社会貢献を考えている若者の比率は低いのです。若者は仕事を通じた社会貢献を諦めており、仕事はただ収入によって楽な生活を求める手段ととらえているのではないかと推測されます。
(2)多様な人生に当てはまる共通目標を示すことができない政府
ここから、政府の役割とは一体何かという議論を展開しています。個々人があまりに多様化し、皆の共通の目標となるようなビジョンを政府が示すことができなくなっているという問題意識を示しています。これは私が今いる経済産業省の役割が時代とともに少しずつ変わってきていることと近い話だと思います。戦後は、通産省が日本の経済を豊かにするために経済をリードしてきたのですが、今は、その指標であるGDPが上がっても生活満足度との間に乖離(かいり)ができてしまっているという現実があります。豊かさに占めるGDPの割合は、2005年を100としたときに今は78。そして幸福度の要素として、「つながり」や「健康寿命」が重要になってきていて、幸せの尺度は一つではない時代になってきています。政府としては「個人の選択を支え、不安を軽減するための柔軟な制度設計」が大事なのではないかということです。
(3)自分で選択しているつもりが誰かに操作されている?
今、アメリカではマスメディアの信頼度が下がってきていて、逆にフェイスブック、ツイッターのようなSNSが信頼度を獲得してきています。しかし、そのSNSは、実は自分の近い人との閉じたコミュニケーションを行うツールでしかなく、中立客観的な情報を得るためのものではないことを認識する必要があります。個々人が自由に発信でき、かつ自分の責任で自由な判断ができるような社会になっているかと思いきや、実は自分の近いコミュニティ、自分がそもそも持っているアイデンティティの中でしか情報を得られておらず、偏りがある情報に基づく判断しか実はできていないのではないでしょうか。
3.我々はどうすればいいか
今回の次官・若手プロジェクトの内容は、提言というより、問題提起でしかなく、それがゆえに批判されることもあったのですが、それで世の議論を喚起すること自体が本レポートの目的である点を改めて強調しておきたいと思います。
今ある定年制、医療保険、地方交付税のようなものを支えている価値観を変えない限り、法律や予算の政策議論をしても上澄みの議論にしかなりません。何か新しい根本の価値観の変化がないと、将来制度の大きな転換はないと思います。そうした問題意識の下、三つの方向性を示しています。
一つ目は、高齢者=弱者と一律に年齢で規定するのではなく、高齢者であれ社会とのつながりを増やすべきだし、若年であっても弱者は制度で守るべきではないか、ということです。
二つ目は、子供や教育への投資を最優先に考える必要があるのではないかということです。従来は勤労者が高齢者を支えるという考え方でしたが、発想を転換して子供を大人が支えると考えると日本の将来が明るく感じられ、ポジティブな議論になります。
三つ目は、社会課題への対応は、全て官が担うのではなく、意欲と能力のある個人が担い手になることも考えるべきではないか、ということです。
団塊の世代が75歳を超えるタイミングが2025年で、それまでにどのような対策が必要でしょうか。かつての対団塊世代の少子化対策が後手に回りましたが、同じような失敗、すなわち「2度目の見逃し三振」はもう許されない状況にあります。日本の高齢化はアジア諸国に約20年先行していて、アジア諸国がいずれ直面する課題です。日本がそれをどう乗り越えるかに、各国が興味関心を持っています。日本が成功モデルを提示することが、アジア、ひいては国際社会への貢献にもつながるのではないかと思います。
■最後に
このプロジェクトを発表した5月から半年近く時間がたちましたが、いろいろなところで講演や議論の依頼をいただいています。また、外国のメディアにも取り上げていただいたり、私も初めてテレビの生放送に出させていただいたり、多くの発信の機会にも恵まれました。そうする中で、霞が関が身近に感じられる、若い政策担当者の生の考えが聞ける、などの意見を頂戴することも多く、非常にありがたいと思っています。
今日私が東京修猷会に御招待いただいたのも、まさにこの「不安な個人」の件があったからだと思います。私は、もともとは中長期的な日本のことを考え、それを仕事として正面から果たしていきたいという思いで役所に入りましたが、仕事をしていく中で、役所に対するブラックボックス感を批判されていることを辛く感じることもありました。しかし、今回のこのプロジェクトをきっかけにして、インタラクティブな行政のかたちができることで、それが解消されるのではと考えております。それによって、我々にとっても仕事のやりやすさにつながっていきますし、一般の方々にとっても、霞ヶ関がもう少し手の届きやすいものとして認識していただけるようになってくるのではと思います。
ご清聴ありがとうございました。
■質疑応答
○村瀬(S39年卒) 第4次産業革命の日本の立ち位置をどうご覧になっていらっしゃるのでしょうか。
○河野 第3次産業革命という言い方もされていますIT革命については、経済産業省としても、日本はアメリカに負けたと考えておりますが、第4次産業革命時代では、「ものづくり」や「イノベーティブな個人」など我が国の強みを最大限生かしていく必要があると考えています。AIやIoTという最新のテクノロジーを駆使する個人と、ものづくり、ロボティクス等の重要な分野を、いかに結び付けていくかが、日本の勝ち筋ではないかと思っています。経済産業省としては、それを「コネクテッドインダストリーズ」というコンセプトにして発信し、官民の取組を具体化しています。私が今いる情報経済課は、まさにその担当課であり、関連する政策の企画・立案を主導しています。ある種日本が閉じこもっていた系列的・排他的な文化をいかに超えて、企業・産業・国家を超えて、例えば大企業とベンチャー企業をどのようにして結び付けていけるのか、そのために必要となる政策は何なのか、ということを日々検討しています。
○森下(S57年卒) 今日は広島から来ました。広島で経営者の勉強会をこの資料でやったらものすごい反響がありました。
私は役所の補助金を使った設備改修のコンサルをメインでやっています。今、中国地方で一番ニーズが高いのはやはり社会福祉法人の設備更新です。団塊の世代が75歳を超えるタイミングが2025年ということでしたが、今、地方ではそれを狙ったビジネスチャンスで社会福祉法人の設立や増床工事がものすごく増えています。大学は4年とか6年ですが、最後の老人ホームは20年です。私はこのままで世の中がどうなるのかという不安をいつも感じています。その辺をお聞かせください。
○河野 このレポートをつくるにあたって、今いただいたようなお話の実態は、何となく感じてはいました。80歳以上に9.2兆円かかっているというファクトからも、終末医療に対する官民からの多くの投資が行われていることが感じられます。とはいえ、市場原理として当然である部分もあると考えられます。特に問題に感じられる部分が具体的にありましたら、ぜひ教えていただきたいと思います。
○藤(S46年卒) 私は今65歳です。42年間仕事をしてきてこの9月に退任しました。仕事をやり切って、健康だし、設計図どおりに順調に来て、このまま80歳で死ぬところまでは大丈夫かなと思ったら、いきなり人生100年ということです。(笑い)今さら何をしたらいいのかイメージが全く浮かびません。ですから今日のお話を聞いて、これは困ったものだと、違った意味で不安になっています。このような人間もいるということをご理解ください。
○河野 率直なご意見、ありがとうございます。実は、このプロジェクトを対外的に説明し意見交換を進めていく中で、高齢者自身による共助ための組織がいくつか存在することを教えてもらいました。例えば、「日本クールシニア推進機構」は、定年後でも役割を持って社会に貢献することを目指した様々な活動を行われている中で、我々次官・若手プロジェクトとも何度か共同ワークショップを開催いたしました。是非一度、こうした取組を御覧いただくとよいかもしれません。
○松藤(H29年卒) 私は東大の理科Ⅰ類に入っていて、将来、工学系に進みたいと思っています。最後の提言で、今まで公がやってきたことをもっと個人や企業に任せていくという方向性を示しておられましたが、経済産業省として、また河野さんとしてはその動きにどのようにコミットしていきたいとお考えでしょうか。
○河野 卒業したばかりの方に来ていただいてうれしく思います。 私は2年間のアメリカ留学の中で、公共政策の歴史も少しかじりましたが、日本は他の国に比べて政府に対する要求・期待が過剰であるとの説を見たことがあります。しかし資本主義である以上、市場の中で健全な競争が行われながら、需要と供給が自律的にマッチングしていくメカニズムが、経済学的にみた本来のあるべき方向だと思います。したがって、政府が介入すべき箇所はもう少し限定的にできる、あるいはすべきなのかもしれないという発想を、このプロジェクトに参加して以降、改めて強く持つようになりました。
○古田(S49年卒) 私はずっと医療の仕事をしてきています。最近ではゲノム医療が日常治療に入る直前まで来ていて、アメリカのオバマ前大統領が個別化医療の推進を目指すと発表したりして、日本もその問題に直面しつつあります。その中で感じるのが、医療格差が広がってきていて、このままいくと恐ろしいことになるのではないかということです。私は、今、医療面での国際標準化の仕事をしていて、海外でも似たような格差の問題に直面しつつあるようです。私自身は、多様性を確保していくことがキーワードになると思っていますが、ヨーロッパの人と話すと、ベーシックインカムという考え方がときどき出てきます。中央官庁の人たちは、日本においてベーシックインカムにどう対応しようとしていらっしゃるのでしょうか。
○河野 いろいろな議論があると思いますが、私自身の考えとしては、私が行政官になった理由にもつながるのですが、頑張った人が相応に浮かばれるような世の中になるべきと考えております。まさに運動会の運営委員会をやる感覚で、これを一部の人だけのものにすることなく、みんなが一生懸命に元気に楽しく参加できるようなゲームにしたい。つまり、勝者には相応の成果・報酬が与えられる一方で、一時的に敗北した人も次のチャレンジの機会を公平に与えられるような場の設計をやりたいと思ったのです。そのためには、適切な富の還流が必要になってくるわけですが、今の日本は、その還流の仕方が少し歪んでいるのではないかと思います。今日お話ししましたように、一律化され過ぎた還流の仕組みではなく、もう少し個々の状況に応じた還流の仕組みがあるべきではないかと思います。そうした観点の下で、ベーシックインカムについても議論を行う必要があると考えております。
■伊藤副会長あいさつ
○伊藤 今日は、大須賀会長からご指名があり、役人を40年ほどやった私がお話ししたいと思います。
私も、修猷館の館歌にある「皇国のために、世のために」という気持ちで1972年に役所に入り、80年代の警察を考えようと、庁内の若手が集まって勉強会をしました。しかしその後は将来を見据えた計画書とかはつくっていません。確かに、時間外に勉強して議論していくのは大変な時間と労力が要ります。今回、経産省でこのような取り組みがなされ、経産省もいい方向に変わっていくのではないかと期待しています。
今日の河野さんは平成13年卒だそうで、平成2桁の卒業生がこの二木会でお話をするのは恐らく初めてだと思います。このように若い方が、いろんな意味で全体のことに取り組んでいくのはとても有意義なことだろうと思います。一方で、シルバー民主主義というものに鋭い批判がなされているようですが、まだまだ元気な同級生はたくさんいます。そうした人たちが社会に力を尽くしていけるような世の中になっていくことは大変有意義なことだと思います。高齢の人間と若い人間が、この国をいかに良くしていくかを考えることは大いに大事なことだろうと、今日の話を聞いてその意を強くしたところです。
本当に我が国の少子化は深刻な状況です。経済がなかなか伸びないのも、基本的には生産人口が増えないということに大きな原因がありますので、そのような問題を社会全体で考えていくことが大事なことです。高齢者がどう社会に貢献するか、そしてこれからの我が国の少子化をいかに克服して活性できる世の中にしていくかが大切なことだと思います。今日は一人一人がそのような問題を考えるきっかけになったのではないかと思いました。
(終了)