第599回二木会講演会記録

「ソニーでの挑戦」

講師:河野 弘 氏(昭和56年卒)
日時:平成26年2月13日(木)19:00~

◆講師紹介

○田中昭人氏 河野くんと私は高校2年のときに同じクラスでした。彼は野球部で私は帰宅部であり、あまり接点はなかったのですが、唯一鮮明に記憶に残っていることは河野くんの足が速かったということです。その頃の白木先生という名物の体育の先生の授業では、準備運動として必ずグランドの外周を3周するのですが、そのときにうちのクラスで常に先頭を走っていたのが彼でした。彼についての思い出はこれぐらいしかありません。(笑)
 まことに寂しいことながら紹介になりませんので、野球部の同級生にちょっと話を聞いてきました。彼は中学校から野球をやっていて、当時からリーダーシップがあり当然のようにキャプテンで野球漬けの毎日であり、学業のほうはおろそかだったようです。彼自身に言わせると、毎年ぎりぎりの成績で進学していたそうです。それでも彼はどうしても慶應の野球部に入りたいという希望があり、慶應の法学部への推薦を3年のときの担任にお願いしても相手にされなかったけれども、受験して見事に合格し、そして無事に野球部にも入部しました。
 私は早稲田に入り、当時はあまり接点がなかったのですが、その後彼がソニーに入り、海外から日本に戻ってきてから親しくなり、飲み会やゴルフを一緒にしています。

■河野弘氏講演

 今、私は二つの仕事をしています。一つは、プレイステーションというゲームビジネスをやっているソニー・コンピュータエンタテインメントという会社の日本とアジアの責任者をしています。もう一つはソニーマーケティングという会社でAV商品やIT商品のエレクトロニクス関係の国内のビジネスの総括をしています。今はこの二つを半日ずつ行ったり来たりしています。

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■自己紹介

 実は私の第一希望の高校は修猷館ではなく土佐高校でした。城南中学から土佐高校で野球をしたくて受験に行きましたが落ちました。中3のときは、野球部が終わった後に「陸上部に入れ」と言われて、中3の12月まで部活をやり最後は駅伝大会の県大会まで行きましたが、そこからの受験勉強でしたので結局私立は受かりませんでした。
 それで何とか修猷館高校に入学し、高3の夏にセレクションで慶應大学の野球部の練習に参加して「この大学しかない」と思って、大学は慶應大学の法学部政治学科一つしか受けませんでした。英語と世界史か日本史の選択で、あとは小論文だけでした。英語が倍の配点でしたので英語を集中してやり何とか本当に奇跡的に合格をしましたが、あろうことか高校が卒業できないかもしれないと先生に言われて追試を受けました。それが一応オッケーとなり、現役で高校を卒業して現役で大学に入りました。
 大学時代はセカンドをやっていました。私はもともとショートだったのですが、同期に巨人に入った上田というのがショートで出ていましたのでセカンドになりました。4年のときには選手兼新人監督として1年2年の選手の兄貴分のようなこともやっていました。野球部合宿所の生活で、学校にも行かず、朝は6時起床で門限9時の本当に野球に明け暮れた4年間でした。
 私は当時アメリカに行きたくて、いろんなことをやらせてくれそうな会社ということで、85年にソニーに入りました。すぐに秋葉原に配属になり週末はほとんどお店に立っていました。物を売ることの難しさを身にしみて感じたのはこの時期でした。ここに2年半ほどいました。
 89年にベルリンの壁が壊れて共産主義が崩壊しました。当時私はアメリカに行く研修を受けていましたが、当時の大賀社長はベルリンにいた経験があって、東欧でビジネスを立ち上げようと、「若くて、体力があって、あまり頭が良くない奴」という条件を満たしている私が呼ばれました。
 そこで約5年過ごしました。信じられないかもしれませんが、誘拐のリスクがあったり、カーチェイスになったりのかなり危ない目にも遭いました。現地でいろんな人がアプローチをしてきますが、やはり利権が絡むことが多くて、その人たちの半分ぐらいがマフィア系だったりしました。1人で何でもやらざるをえない立場に送り込まれたことで、トータルで考える癖がつきました。そして自分で自分の身を守ることもこの時期に真剣に考えるようになりました。最終的には、会社の体をなして、大体600億ぐらいのビジネスになって日本に帰ってきました。
 今度は本社で、全く私にとっては畑違いのCFOのスタッフをやるように言われて、経営企画、事業計画等々の業務をやりました。そして2000年に安藤社長になったときに、社長のアシスタントを、かばん持ちも含めて、3年ほどやりました。大変な仕事でしたが勉強になりました。
 2003年に晴れてアメリカに行きました。「仕事は自分で決めてきなさい」と言われて送り込まれました。日本人が赴任すると本社とやり取りするアメリカの本社に行くことが多いのですが、私は現地のお客様に一番近いところで仕事をしたいということもあってブランチに行きました。日本人である必要は全くないところで、当然日本人は私しかいませんでしたが、そこでの経験が先々役に立ちました。バージニア州リッチモンドから、その後はサンディエゴに移って8年ほどアメリカにいました。
 アメリカから帰ってくるつもりはなかったのですが、4年前の2010年に帰国して、ソニーコンピューターエンターテイメントでゲームビジネスをやることになりました。しかしゲーム業界は、メンタリティーもビジネスモデルも関係者の考え方も全くそれまでとは違うと感じ、半端な気持ちでやっても駄目だと思いましたので、ソニーを辞めてゲーム会社に1年毎の契約してもらいました。そのぐらいしないとゲームビジネスはやっていけないだろうと思ったのです。それ以来ゲーム業界の皆さんとは本当に密にやらせていただいていて、もう今はゲーム業界にどっぷりと漬かっています。
 そうして2年後の2012年にソニーマーケティングの社長としてエレクトロニクスに戻ってくるように言われて、今は両方をやらせていただいています。両方をやっている意味はかなりあります。ソニーの中もセグメント別に組織が分かれていますが、ゲームとエレキのビジネスをやれば大体半分以上をやることになりますから、絶好のチャンスだと思い、私は今それを喜んでやらせていただいています。

■ソニーという会社について

 今は大変厳しい状況に置かれています。ソニーも60年以上年を取っていますので、ベンチャーの輝いていたころと今のソニーはだいぶ違うところもありますが、当時の盛田さん井深さんのスピリットをそのまま引き継いでいるソニーマンというのがまだ中にはたくさんいます。
 私は年齢的に盛田会長の薫陶を直接受けた最後の世代です。私が東欧のビジネスを立ち上げたときに盛田さんが現地に視察に来てくださいました。私としては何もない大変なところから会社を立ち上げ、現地で採用された人たちはソニースピリットを引き継いで生き生きと働いていましたしビジネスも伸びていましたので、褒めてもらえると思っていたのですが、「ソニーはもともと新しいことにチャレンジする会社なのにここには新しいチャレンジがない。新しいマーケットを担当したのなら、どうして今まで世界中で誰もやっていないようなオペレーションにチャレンジしてみないのだ。1カ国ぐらい売り上げがゼロになってもソニーは全然痛くない」とかなり言われました。
 彼は、人がやっていない何か新しいことをやるところにソニーの意義があるんだと常に言っていました。彼は「学歴無用論」を言い始めて入社志望のエントリーシートに大学の名前を書く欄をなくしました。広告でも「出るクイを求む」とか「英語でタンカが切れる日本人を求む」とかを出す会社でした。そのやり方は私たちにとってはある意味大変でしたが、でもその生き方は本当に尊敬していました。
 亡くなりましたが、アップルのスティーブ・ジョブズは盛田さんが大好きで会社によく来ていました。盛田さんが亡くなられたときに彼は会社のプレゼンテーションで最初に時間を取って盛田さんの追悼をしました。そのくらい日本だけではなく海外のビジネスマンからも愛された盛田さんでした。
 今ソニーは6兆8千億円の売り上げがあります。世界の売り上げ実績推移を地域別で見ると、日本はこれまで増減なく来ていてけっこう踏ん張っています。今厳しいのはアメリカで、約半分になっています。これが今の大きな課題です。
 カテゴリー別売上実績推移を見ると、金融も含めたエンターテインメントはけっこう伸びています。エレクトロニクスは、今は携帯電話が伸びていてホームテレビは落ちています。ゲームは少しシュリンク気味で、ここをどう立て直すかが重要なポイントになります。
 国内のエレクトロニクスビジネスを見ると、テレビの落ち込みが顕著です。エコポイント制度のときに異常に需要がつくられてしまい、生産のコストも物流のコストも全部キャパ以上のことをやってしまい超繁忙をもたらしましたが利益が残らなかったビジネスでした。そして今、テレビは5分の1になっています。

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■エレクトロニクス事業の競争環境の変化

 まずは「アナログAV時代」があり、次に「デジタル」になってチップに全部収まるようになったときにアップルが相当出てきてサムソンも出てきました。そして「IT化」が進み何でも自分でやるという時代ではなくなり水平分業になっていきました。ですから製造に特化した製造請負会社がどんどん成り上がってきました。そして次は「サービス化」の時代になっていきました。サービスとパッケージになってハードウエアがほとんどただになるようなビジネスモデルが次々に出てきました。そして今「グローバル化」してきて直面しているのが中国の台頭です。技術的にも上がってきている中国はビジネスパートナーでもあり大変なライバルにもなってきています。

■ゲーム市場の発展と変化

 今は任天堂とプレイステーションとマイクロソフトのXBOXの3社がゲーム市場の覇権を争っています。その中でさまざまな変化が起きています。最初はカートリッジだったのがCDのROMになったことで生産のリードタイムが圧倒的に短くなりました。これでプレイステーションが成功したと言っても過言ではないほどです。その後はDVDのプレイステーション2が本当に売れました。これはDVDを再生できるところが大きな強みでした。その後はBlu-ray化、ハイデフィニション(HD)化していく流れになっています。
 そして最近では、お金でメディアを買うのではなく、ゲームをダウンロードして、最初はお金を取らずにまず遊んでいただいてだんだんチャージしていくというビジネスモデルに変わってきています。そして今は、スマートフォンやタブレットでゲームに接する機会が増えていて、そういうところが新規参入チャレンジャーとなり、私たちがディフェンスの立場になっています。もともとソニーは任天堂に対してチャレンジャーだったのですから、もう一回チャレンジする立場に変えていこうと取り組んでいます。
 ゲーム市場というのはハードウエアとソフトウエアのビジネスで成り立っていますが、ハードよりもソフトのほうが大きいマーケットです。コンテンツビジネスというのはこういうものです。そして大きな流れとして、ダウンロードのビジネスが大きくなりつつあり、スマートフォンのゲームの領域が急に伸びてきています。これがいつまでも続くわけではありませんが、2012年はスマートフォンのある意味バブルになりました。

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■ソニーのプレイステーション4について

 来週2月22日の深夜0時に「プレイステーション4」という新しいハードウエアを出します。アメリカ、ヨーロッパではもう既に発売をしていて、戦略的に日本は2月発売になります。1台5万円をお客様が払っていただくと、40万台の販売だとして200億円ぐらいの売り上げになります。これが一晩のうちに起きるのです。これがゲーム業界のダイナミクスです。
 今回のゲームの特徴はもう単なるゲーム機ではなく、もちろん普通にゲームはできるのですが、例えば自分のゲームシーンをライブで配信することができます。外の人は、プレイステーション4や自分のスマホやタブレットの端末からをそれを見ることができるのです。そこで、例えば「頑張れ」とかのコメントを送って、そのコメントが次々に集まってくるとプレイをしている人のパワーが増えて強くなったりするのです。そういうことがゲームの中で起きてきています。
 そしてこのゲームビジネスは徐々にソーシャルネットワークと共存していき、そしてスマホからも、そして携帯のゲーム機からも、例えば私がニューヨークにいたとしても、ニューヨークからWi-Fi(ワイファイ)でつなげて家のゲームを操作することもできるようになります。ものすごい演算処理の速さや、描画能力の高さがあり、中身はもうスーパーコンピュータなのです。こういうものが来週出てきますので楽しみです。

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■次世代ゲームの方向性

 ゲームが向かっているのは、まずはサーバーベースでのクラウドでのゲームというかたちです。これは今アメリカでテストを始めていますが、例えばロサンゼルスにあるデータセンターにゲームの基盤が埋め込んであるラックが用意されていて、お客さんはここに通信でつなげてゲームをクラウドベースでやるというものです。つまりもうゲームソフトをお店で買う必要がなくなるということです。そうするとゲーム端末だけではなくテレビにもPCにもタブレットにも付きます。どんなデバイスからもゲームにアクセスできるという時代がすぐ来ます。そうすると今までお皿としてディスクを買ってもらっていたビジネスモデルが、月額いくらとか何時間いくらというビジネスモデルに変わってきます。ここの変化をどうやって先取りをしていくかが私たちのチャレンジになります。
 もう一つは、ゲームがいわゆるゲーム好きな人たちのものだけではなく、最近はゲームの応用をビジネスとして開拓していこうという動きがあります。例えば聴覚障害者用補助としてPCで入力したものが手元の端末で出てくるとか、学習の補助教材とか能力開発や研修系に利用されたりしてきています。予備校も衛星で授業を見ることができる時代ですが、それが個人端末でやれるようになります。ゲーム機というのは誰にでも使えるように極限まで単純にしてあり完成度が高くできています。それを子供や老人の方でも使えることによって脳の活性化とかの使われ方の研究が進んでいます。私はこのような領域でゲームがかなり貢献するのではないかと思っています。

■ソニーの生き残り戦略

 ソニーは厳しい状況にはありますが、世界のかなり最先端を行っている領域もあります。社内にも本当に優秀なエンジニアはまだたくさんいます。彼らに動機付けをして昔のように誰も想像していなかったような商品をつくり出すことをしなければならないと思っています。
 高品質4KTVというきれいなテレビがあり、ソニーは75%のシェアを持っています。値段的にもだいぶ下がってきましたのでこの領域をしっかり育てて、ワールドカップのサッカーはぜひ4Kのテレビで見ましょうというプロモーションも今準備しています。ソニーミュージックは世界中でタレントの発掘とそれを育ててビジネスにしていくモデルがよく回っています。映画もいまだにちゃんと収益に貢献してくれています。そして何といっても日本でユニークなのは金融ビジネスです。ソニー銀行は今ネット専業銀行ではずっと顧客満足度ナンバーワンですばらしい業績を挙げています。ソニー生命も30年以上生命保険業界では契約の純増高ランキングでは常に1位を走っています。カメラの真ん中にあってカメラの画質を決める重要な部品のイメージャーというのがありますが、これはソニーが世界中で1番のシェアを持っています。カメラメーカー以外では初めてカメラグランプリで大賞を取った商品もあります。この辺をてこに強化していくということです。
 課題は家電系です。テレビやパソコンが厳しくなってきています。そしてソニーのエンジニアがサムソンとかに引き抜かれています。これはソニーだけではなくて日本のメーカーは本当に優秀なエンジニアを流出させてしまっています。もちろん報酬も高いですが、チャレンジの場を提供するかどうかというのがエンジニアのモチベーションになりますから、そういうエンジニアをもっと大事にしていかないと将来はないと思っています。

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■約30年を振り返って感じていること

 事業運営に関して感じていることをいくつか挙げてみます。「モノ造り」はすべての分野で共通して大事にすべきだということです。モノ造りに対するこだわりは絶対に失ってはいけないと思います。それから、会社が立派になるとスピード感がなくなるように思います。社内ルールが細かくなってガバナンスは効くのですが、その分、勢いとかスピードがなくなります。バランスは大事ですが、やはり素早い経営判断ができる体質への転換が死活問題だと感じます。それから、幅広いポートフォリオ経営か特定領域への集中戦略かの見極めが大切です。私はソニーの中にいて、少しいろんなことをやり過ぎているきらいも感じます。それから、「内製化orアウトソースの判断基準」の大切さです。アウトソースすることで明らかにノウハウが流出すると、だんだんアウトソースされている会社が強くなって仕事を出しているほうが弱くなり、能力差がついてしまうことがあります。ですからよく考えないといけないと思います。そして「真のグローバル経営のあり方は常に変化している」ということです。会社によって違うと思いますが、ソニーは本当のグローバル経営というのは何なのかを再構築しないといけないと思います。
 個人として感じていることは、「『失敗』とするのか、『Nice try!』とするのか?」です。失敗に対して「nice try」と言うことが次のチャレンジを後押しすると思います。そして「結果に一喜一憂せず、方向性を大事にする」ということ。それから「時間を限って決断をする訓練をする」ということです。タイムマネジメントは大事です。それから「直感を大事にする。しかし『ロジック』も必要」だということです。直感とロジックのコンビネーションが重要だということを感じながら、来週プレイステーション4の発売を控えてほとんど徹夜状態でみんな仕事をしています。そこはパッションに支えられてやっています。それから「『本質』を突く」訓練をしながら、「発想の自由度を確保しておく」ことです。全て疑うということです。私もまだ若いと自負していますが、経験を積んでくるとやはり経験則でものを語り、決まりきった中で判断しがちですので、発想の自由度は確保しておくことを意識しています。あとは、「自分にとって元気が出るルールを持っておく」ことです。私はもともと悩んだり落ち込んだりすることはあまりないのですが、それでも厳しいなと思うことはあります。そういうときにちょっと元気になるような、例えばあめをなめるとか、自分がちょっとふっとできるようなことを持っていると楽だと思います。そして「やってみたいことリストを持つ」ことです。私も仕事とは別にやってみたいことがあって、自分の最終章はそれをやると決めて今はそれは封印して仕事をしています。パーソナルドリームを持ってモチベーションをメインテインしているということです。
 いろんな技術的な問題とか課題とかがあるような気がしますが、一番のベースにあるのは、「できる」と思うメンタルなところが大きいと思います。ソニーの中でも、いい技術や先々有望なことはたくさんあって、今までだったら「やってやるぜ」と言っていたような組織が、やっている人たちにどうも自信がないようなチャレンジを怖がるようなところが今の不振の一端にあるような気がしています。私は現場を預かっているほうですから、ソニーにはたくさんのファンが期待をしていることを彼らに伝えて、「いい商品をつくってくれたらきちんとマーケットで成功させてみせる。大丈夫」と言って元気付けをしています。
 戦後生まれた会社で世界に名が知れ渡ったようなブランドは簡単にはつくれません。マーケットでいろんなイノベーションをやれるようにできる限り取り組んでいきたいと思っています。会社同士のコラボレーションとか、一つの会社が良くなるとまたいろんな会社が元気になったりする連鎖もありますから、誰かに支えてもらいながら、またこちらから貢献できるようなところもあればいいなと思って仕事をさせていただいています。

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■質疑応答

○山崎 昭和52年卒の山崎養世です。私は「山崎通信」という自分のメールマガジンで2005年5月31日に「ソニーよSONY、どこへ行く」を配信して大きな反響がありました。
 現代の主役がどうして、iPod 、iPhone 、iPhoneとなっているのでしょうか。かつてウオークマンが世界を席巻したのは1万円2万円で若者が買えるものだったからなのです。それなのにどうしてクオリアという200万円もするようなオーディオを売ったりするのでしょうか。
 今、ソニーは全部引っ繰り返したほうがいいと思います。そうしないとソニーが復活するとは到底思えません。先輩だからちょっと先輩風を吹かせてしまいましたが、あなたに期待しています。

○河野 ソニーはこれまでエンジニアを大事にしていなかった時期があって、クオリアも本当のビジネスモデルまで落ちていたかというとそうではありませんでした。ですからあれは大変な失敗アクションの一つだったと私は思っています。
 今、エクスぺリアというブランドで巻き返しをしようとしています。事業の枠を超えてのチャレンジをやり始めています。まだまだ課題が多いですが、でも少し踏ん切りみたいなものが付き始めたかなという気がしています。

○斉田 昭和40年卒の斉田と申します。話を伺っていると、大学も業界も部門も私と一緒で共通点が多いと思いました。
 2000年ごろの世界の3トップのテレビメーカーは、パナソニック、ソニー、フィリップスと言われていましたが、今はその3社はほとんどテレビの影は失われています。今はそれぞれがカーエレやメディカルエレクトロニクスに向かっています。そんな中、ソニーさんはどうされるのでしょうか。

○河野 私の個人的に思っていることで申し上げます。メディカルに関してはまだこれからだと思います。オリンパスさんとの提携がありますが、本当に限られた内視鏡の部分だけです。本当にメディカルに行くのでしたら、もう一つか二つぐらい何か戦略的な提携とかがないといけないのではないかと思います。
 カーエレクトロニクスに関しては、今のところそこで何かをするという状況は見えていません。基本的にはそこにはリソースは充てていないと思います。それが正しいかどうかは分かりませんが、今はソニーが「カーエレをやるぞ」と言ったところできっとポジティブには取られないと思います。

○中川会長 リストラ策が発表されたり大赤字でという中で、こういうところに出てきて話をしてくださいというのですから、頼む方もどうかしていると思います。(笑い)それにかかわらず今日は河野さんに出てきていただきました。寂しい話ばかりを聞くのかと思っていましたが、元気の出るような話で、やっぱりソニーは日本の企業を代表する大企業の一つだと思いました。
 ソニーは立派な企業ですが、これは別にソニーだけではなくて、大きな企業になると創業時に持っていたバイタリティーとかチャレンジ精神とかいうのがいつの間にか消えてしまうのが常なのですが、はちゃめちゃにやっていた人がちゃんと残ってここまで頑張っているのを見て、ソニーもそう駄目ではなく希望が持てるのかなと思いました。
 さっき「持たない」という会場からの発言もありましたが、やはりこれはソニーだけではなくて、経営のやり方もそうなのですが、新しいことにチャレンジしようとすると、なぜそれをやってはいけないのか、なぜそれができないのかという理由が百ほどあって、ものすごく精密に議論してそんなごちゃごちゃ言わずにやってみろ、やってみて失敗したらそれから新しいものを考えていこうじゃないかという、さっきおっしゃったアメリカ流儀のやり方というのはなかなか日本では採用されません。
 頭のいい人は一生懸命できない理由を考えて、できない理由を考えていくほうが出世していくという会社が多いのですが、ソニーはグローバル経営をやっておられて、そういうアメリカ的というか日本の経営とは違うやり方というのが現にあって、日本の本社の中でそのような日本的な動きの取れない経営とどうやってつじつまを合わせてどうやってグローバルカンパニーになっていくのかなというのを疑問に感じています。今日は私の最後の講評になるのですが、一生懸命今日は説明していただいて大変元気が出ました。プラスの評価をしましたので、最後の質問に一つだけお答えいただければと思います。

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○河野 アメリカでもいろんな会社と付き合いましたが、アメリカもやはり同じで、ベンチャー系の会社と、歴史がある古いタイプの会社とがやはりあって、要はトップの人の時間に対する意識とか何かやってみよう的なある意味では多少楽観的な部分とかによるのかなと思っています。ですから日本の中でも大変スピーディな判断をしてどんどん動いている会社さんもたくさんありますし、そういうところからも実は学ばなければならないなと思っています。
 ただそうは言いながらも、ソニーの中にはまだいいところはたくさんあって、例えばこれだけ現地の言葉をしゃべれる人間を揃えている会社はないのではないかというぐらい、海外のビジネスに絡んでいる人は、英語は当たり前で、例えばイタリアに行ったらイタリア語でビジネスをしていますし、中国で今頑張っている連中はみんな中国語をしゃべります。ラテンに行ったらみんなスペイン語をしゃべるというのは当たり前なのです。若いときから外に出させてもらって現地に根差して、そういう感覚を持っている人がこれだけ集まっている会社なのに、なぜ日本の中ではどよんとしてしまうのかというところが大きな疑問です。
 私を含めて、この年代のそれぞれの部門でリーダーをやっている人たちが変えていく勇気を持たないといけないと思っています。

(終了)