東京修猷会 会長・副会長の挨拶

aisatsu_osuga.jpg大須賀 賴彦(おおすが よりひこ)
(昭和37年卒)

東京修猷会 会長就任挨拶

2014年7月1日

このたび東京修猷会の会長を務めることになりました昭和37年卒の大須賀でございます。「東京修猷会」は福岡に本部を置く「修猷館同窓会」の東京支部になりますので、私はその支部長ということになります。

私は、2007年から箱島会長(S31卒)の下で4年、2011年から中川会長(S35卒)の下で3年と、7年間副会長を務めてまいりましたが、「東京修猷会」の歴史と伝統、また、この会に対する館友皆さんの想いを知るだけに、その立場の重さに改めて大きな責務を感じている次第です。

およそ「同窓会」と称する組織は全国に何万、何千あると思いますが、そのなかでも「東京修猷会」の存在は、私たち関東にいる修猷館卒業生にとっては格別のものがあります。
まず、母校に本部を置く「修猷館同窓会」の先駆けが、広田弘毅先輩(M31卒)ら在京卒業生による明治32年の学寮「浩々居」の創設や、同35年の同窓会雑誌の発行ということで、修猷館同窓会は東京をその起源としているということです。そして何といっても他にない大きな存在意義は、昭和27年頃から続く月例の講演会「二木会」の存在でしょう。

この「二木会」の圧巻は、やはり多種多様な演題と、多彩な講師諸氏の存在です。昭和64年正月発行の会報創刊号にある向野元生先輩(T9卒)の「東京修猷二木会を顧みて―その小史と意義―」によれば、発足のころは正午から1時間ほど、飲食を共にして館友講師の時局談など各分野の話を聞き歓談するという勉強会で、会費は昭和32年当時で2百円だったそうです。平日(木曜日)のお昼にアルコールも入っての懇談で、会費が今に直すと5千円くらいでしょうか、となると、やはり出席者の大半は第一線を退かれた長老の皆さんだったと思います。ただ、「学生は無料」とあるのは受講だけなのか食事も提供されたのか、何れにしても規約で会の目的に謳う、「後進の誘掖に資する」会合だったことは確かです。

その「二木会」も今年3月に第600回という大きな節目を迎え、経済同友会代表幹事で武田薬品工業の長谷川閑史社長(S40卒)の講演と記念パーティーで、大いに賑わったことは記憶に新しいところです。

さて、私の最初の「東京修猷会」との接点は、前にも何かに書きましたが、昭和40年頃の椿山荘での「総会」です。土曜の昼下がり、学生は無料との誘いに惹かれて仲間と出かけ、庭園の芝生に学生十数名が車座となり、安川第五郎先輩(M39卒)のお話を聴き、最後に一緒に写真を撮っていただいたことです。

ところで、昭和の時代と比べますと、最近の「東京修猷会」はどの催しにも若い世代の人たちの参加が多くなってきています。
6月の総会とその年の10月から1年間の二木会を担当する幹事学年として、卒業後25年目に在京の皆さんが集まり、一緒になって企画と運営に体と頭を使っている姿は、正に修猷生の時に運動会をつくり上げていく様子にそっくりです。各学年ともそれ以降、「東京修猷会」への関心と、同期の結びつきが一段と強まっていることは間違いありません。
また、近年は大学生や社会人になったばかりの二十代の館友の参加も増えてきていますが、これは東京で「修猷」という絆を求める気持ちや、就職活動への一助としての期待もあるのでしょうが、これも嬉しいことです。

私は、こういう皆さんの想いや期待というものをしっかりと受け止め、出来るだけ多くの館友に「修猷」あるいは「修猷館」という響きを心に感じていただくことで、東京修猷会がますます充実、発展しますよう、清田 瞭副会長(S39卒)、新任の伊藤哲朗副会長(S42卒)とともに、相談役はじめ役員の皆さん、そして幹事団、さらには各年次の学年幹事の皆さんのお力を借りて務めてまいりたいと思っていますので、どうかよろしくお願いいたします。

aisatsu_kiyota.jpg東京修猷会副会長
清田 瞭(きよた あきら)
(昭和39年卒)

このたび、3年間お世話になった中川会長が退任され、大須賀新会長が引き継がれることになりましたが、私は引き続き大須賀新会長の下、副会長を務めさせていただきます。

昭和39年卒の私たちにとっては、今年は修猷館卒業後丁度50年になりますが、「光陰矢の如し」とはよく言ったものだと、最近は自らの来し方を思い、行く末を考えることが多くなりました。その中で毎回出席とは行きませんが東京修猷会の二木会や常任幹事会、そして年次総会などで多くの先輩や後輩の皆様の元気な姿や前向きにチャレンジしているエネルギーに触れられることは大きな喜びとなっています。

今年の総会も福岡から同窓会長の久保田さんや、修猷館長の奥山先生、そして国語の佐々木先生にもお出で頂き、修猷館に対する深い愛着や思い入れと共に、現役生徒たちの活躍(もちろん、文武両道の)ぶりを聞きながら、改めて修猷館の卒業生である幸せを感じました。

アベノミクスの第3の矢"成長戦略"の第2弾が発表され、法人税の20%台への引き下げや岩盤規制と言われてきた農業、労働、医療分野の規制改革に加え、女性の活躍推進を掲げるなど我が国もようやく自ら変革をしようという機運が高まり、少子高齢化に打ちひしがれた閉塞感を打ち破ろうとしています。我々修猷館の同窓生も政府の「産業競争力会議」の民間メンバーになるなど大活躍をしていますが、修猷館卒の若い方たちもこれからの21世紀の日本を担って行かねばなりません。大きな夢を持って羽ばたいて欲しいと期待しています。

aisatsu_ito.jpg東京修猷会副会長
伊藤 哲朗(いとう てつろう)
(昭和42年卒)

この度東京修猷会の副会長として大須賀新会長のもと、東京修猷会のお手伝いをすることとなりました昭和42年卒の伊藤です。

昭和42年卒は、丁度、五十年前の昭和39年に修猷館の門をくぐった年次ですが、その年は、東京オリンピックが開催された年でもありました。今般、再びオリンピックが東京で開催されることとなったことは、修猷の生徒であった当時を鮮明に思い出させることでもありました。当時は、聖火リレーランナーだった修猷の三年生の先輩の姿を皆で県庁前に見に行ったり、大会閉幕後に、オリンピックの旗が修猷館に寄贈されることとなり、その寄贈式典に参加したりするなど修猷館での出来事にも多くのオリンピックの思い出があります。

修猷卒業生の胸には、在学したその時代毎に、学校での思い出の中に時代を反映した出来事の思い出が詰まっていることと思いますが、きっと変わらぬ思い出は、館歌を大きな声で歌った思い出とその歌詞の中にある「皇国のために世のために」役立つ人物になろうと決意した思い出ではないでしょうか。

故郷の地を離れ、東京に出て来た修猷卒業生が、その決意を胸に各界で元気に活躍していますが、そうした卒業生が当時を語りあい、また、学年は異なろうとも修猷の卒業生と言うだけでたちまち打ち解けて話すことが出来るのも、修猷で学んだ日々が、思い出多き、大人への出発点として学ぶことの多かった日々だったからだと思います。

東京修猷会は、そうした良き伝統を受け継ぐ先輩、後輩が世代を超えて互いに交わり、切磋琢磨できる場でもあると思います。二木会での講話や総会での交流等がそうした力を発揮できるよう、微力ながら努力してまいりたいと思いますのでよろしくお願い致します。