第662回二木会講演会記録

「日本の漁業の復活を目指して!」

講師:神谷崇さん(昭和56年卒)
開催日時:令和4年2月10日(木) 19:00-20:00

○田中(司会) 本日の二木会は、水産庁長官、昭和56年卒の神谷崇(こうやたかし)さんに「日本の漁業の復活を目指して!」と題してご講演をいただきます。
 神谷さんは、昭和60年に九州大学農学部水産学科をご卒業後、農林水産省に入省されました。その後、水産庁資源管理部国際課漁業交渉官、水産庁資源管理部漁業調整課首席漁業調整官、水産庁資源管理部参事官、水産庁増殖推進部漁場資源課長、水産庁資源管理部長、水産庁次長などを歴任され、令和3年7月より水産庁長官に就任されています。
 ここで平成12年卒の田上航さんより講師紹介をしていだきます。田上さんは、神谷さんと同じく水産庁の方で、現在、在ロシアの日本国大使館に勤務されています。本日の便で勤務地のモスクワに戻られるとのことですので、ビデオメッセージをいただいています。

■講師紹介

○田上 平成12年卒の田上と申します。今は日本に一時帰国中なのですが、2月10日の便で赴任先のモスクワに戻りますので、今回は録画での紹介とさせていただきます。
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 神谷さんと私は、修猷館高校から、九州大学農学部水産学科、アメリカのワシントン大学海洋学部まで、先輩・後輩の関係です。修猷館高校では、平成12年卒と昭和56年卒で離れた世代なのですが、昭和56年卒の先輩というと、私の高校時代の担任だった糸山先生、私が所属していた野球部顧問の新谷先生、体育教官だった岡本先生がいらっしゃり、ご縁を感じている世代です。
 そして、神谷さんも私も、農林水産省の中の水産庁に水産業の専門職として採用されました。歴代で、水産業の専門家からトップの水産庁長官にまで登った人は、今の制度になって2人しかいません。実は、神谷さんの前の長官も修猷館の昭和55年卒の山口英彰先輩ですので、水産庁は2代続けて修猷出身の長官となっています。
 神谷さんと私は、今でも、広い意味での上司・部下の関係ではあるのですが、10年以上前、4年間ほど、みっちりと一緒に仕事をしてご指導いただきました。当時、われわれは太平洋のマグロの漁獲量のルールをつくる国際交渉を担当していました。いろいろなことがありましたが、辛いことしかなかったというのが正直なところです。
 ただ、そこで、私は神谷さんからその後の役人人生の模範を示していただいたと思っています。国際交渉のうまさも、神谷さんは他の人にはないユニークな能力を持っておられますが、何よりも私が感じていたのは、神谷さんの水産業の専門職としての責任感、プライドです。水産業はこうあるべきという強い思いで真っすぐに立ち向かい、ものすごい推進力でそれを進めていく姿、自分のキャリアの最初から最後まで水産業と付き合っていく姿勢を見て、私はたくさんのことを学ばせていただいたと思っています。
 振り返ると、今の私は、初めてお会いした当時の神谷さんの年齢に近付きつつあり、比べてみると、己の小ささを感じる次第です。
 今回の講演は、私も後日、何らかのかたちで拝見させていただいて、明日の仕事へのモチベーションとさせていただきたいと思っています。

■神谷氏講演

○神谷 田上くんから紹介がありましたように、彼は修猷の後輩であり、大学の農学部水産学科、さらに職場でも直の部下でした。そして、留学先は彼が自分で決めたのですが、蓋を開けてみると、留学先も、そして主任教官まで私と一緒でした。その私から紹介を頼まれれば、彼としても私を褒めるしかないのでしょうが、そつなくミッションをクリアしていただき、今はモスクワ行きの飛行機の中だと思います。

■はじめに

 田上くんからの紹介にもありましたように、私の前任も昭和55年卒の山口先輩です。今日は大それたテーマで講演させていただきますが、実は山口先輩が引いた路線を引き継いで、私が上澄みを説明している部分も多々あります。今回の資料のかなりの部分も、私の前任の昭和55年卒の山口先輩がつくられたものを引用させていただいていますので、今日は、山口先輩から引き継いだ路線を私が紹介するということでお聞きいただければと思います。

■全体の動向

 1960年から今までの、日本の漁業・養殖業生産量を見てみると、1980年代後半から90年代前半は、日本は世界一の漁業国でした。当時は、領海が3海里でしたので、外国の沿岸の5㎞沖ぐらいまでは漁船が自由に行くことができ、日本の漁業が発展していったのです。
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 それが、沿岸から200海里、つまり360㎞までの水域はその国の許可が必要となりました。最初は順調に許可をもらえていたのですが、そのうちに、お金を払わないといけないとか、自分の国で獲ったほうがいいとなり、追い出されてしまいました。それが90年代以降の流れになって今に至っています。かつて1984年には、1,200万トン以上の漁業生産がありましたが、現在は420万トンしか生産がありません。
 この状況を社会的な背景と照らし合わせてみると、例えば、今のプロ野球球団はIT企業が持つイメージがありますが、かつては、漁業会社がプロ野球球団を持つぐらいの花形産業であり儲かる産業でした。
 また、それぞれが生まれ育った時代で考えてみると、それぞれの見え方があると思います。私の場合は、1962年に生まれ、それから修猷にいるまでの間というのは、漁業が本当に右肩上がりの時代でした。大学で漁業を学んでいる時は、日本が一番ピークだった時です。そして1985年に喜び勇んで水産庁に就職しましたが、そこから一貫して日本の漁業は右肩下がりになっていきました。振り返ってみると、このような結果になったということです。
 それをもう一度右肩上がりになるにはどうしたらいいかという、現状の認識についてのお話をさせていただきます。
 まず、漁業生産が落ちるに従って漁業就業者が減ってきています。私が役所に入ったころには30万人いたのですが、今は15万人しかいません。このままだと、2050年には、7万人ぐらいになると予測されています。日本は高齢化社会で人口が減っていきますけれども、それに輪を掛けた勢いで漁業就業者が減っていくという状況があります。
 そのような中で、私たちは水産物をどのように食べてきたかということです。80年代までは、大体国内の漁業生産で賄われてきましたが、90年代になって国内生産量が頭打ちになると、輸入の増大で賄われるようになりました。2000年代になると、消費は変わらないのですが、国内生産量は減少しています。そのギャップを輸入が埋めていました。ところが2000年代以降は、全体の消費が減少して、国内生産量も輸入量も減少している状況です。
 輸入については、総輸入額が1兆5千億円で、一番多いのがサケ・マスです。それからカツオ、マグロ、エビ、イカ、カニ、タラで、普段食べているものは、けっこう輸入品が多いです。サケ・マスは、チリやノルウェーから、カツオ・マグロは、台湾や中国です。エビはベトナムやインドネシアから入ってきています。
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 近年は、魚の消費が減少してきていますが、日本国民全体がタンパク質を取らなくなったわけではありません。今は、食生活が変化して鶏肉や豚肉の消費が増えてきています。より調理しやすいほうに嗜好が移行してきているのだと思います。
 日本の漁業生産は右肩下がりなのですが、世界の漁業生産は増加し続けています。生産量は90年代から変わっていませんが、養殖がここ何年間かで4倍に伸びています。国別でみると、中国とかいろいろな国が伸びてきていて、世界の漁獲量に占める日本の割合はどんどん小さくなってきています。

■総括と疑問

 このような右肩下がりの状況を総括して、さらに、ではどうしたらいいかという疑問点をまとめてみました。
 一つは、日本は漁獲量の大幅な減少が見られますが、世界の総漁業生産量は現状を維持しているということです。日本の漁獲量の減少について、遠洋漁業においては外国の水域から締め出され、中国や韓国や台湾という競争相手に敗れてきたわけですが、沿岸・沖合漁業についてはどう考えればいいかということがあります。日本は世界で第6位のEEZ(排他的経済水域)を有するのに漁獲量が減ってきているのです。たくさん獲れていたマイワシが減ったから、工業化によって沿岸の埋め立てが進んだからなどの意見もありますが、それらだけでは説明できません。他の国は自国の水域をどのように管理しているのかという疑問が湧いてきます。ここは解決しなければいけない点です。
 二つ目は、日本の養殖生産量は伸び悩んだままですが、世界の養殖生産量は増大しています。どうして日本は養殖が伸びないのかということです。日本の商社は、外国の養殖には投資をしますが、日本国内の養殖には投資をしません。どうして日本の商社は日本の国内に投資をしないのか、日本でやれば手っ取り早いではないかという疑問が出てきます。
 三つ目に消費量の変化があります。ライフスタイルが変化して魚の消費が減っています。さらに流通形態も変化しています。昔は家で魚をさばいていましたが、今は変わってきていて加工品の割合が増加しています。さらに、食料魚介類に占める国産魚の割合が減少しています。ニーズの変化というのは国産魚では対応できないのか、それとも頑張ればできるのかという疑問が出てきます。
 四つ目に、漁業就業人口が減少しています。このまま減少していくと、右肩上がりの回復、Ⅴ字回復ができるのかという疑問があります。より一層の効率化を図っていくのか、外国人労働者に頼っていくのかという選択も求められています。地方がメインの産業になりますから、このまま人口が減っていくと、地域が存続できるのかという課題も生じています。
 さらにここ2、3年、数年、非常に激しくなってきているのが、トレーサビリティの問題です。資源管理の一環として欧米から開始された水産物のトレーサビリティですが、最近では消費者への安心・安全の提供の重要な手段になってきています。これに、さらに遠洋漁業における奴隷労働などの労働問題も絡めた世界的な動きが加速してきています。
 これらに加えて、気候変動・海洋環境の変化というものが出てきています。サケ・サンマ・イカという、もともと低い温度を好む魚が地球温暖化の影響で最近は急激に獲れなくなってきています。驚かれるかもしれませんが、今はブリが一番獲れるのは北海道になっていて、その代わりに、サケとかが北海道で獲れなくなってきています。そのような海洋環境の変化にどう対応していくかという問題があります。
 最初の疑問点である自国の水域の管理について、ノルウェーと米国と日本で比べてみます。日本の漁業は農林水産省が管轄していますが、ノルウェーの場合は、日本でいう経産省が管轄しています。目的はシンプルで、漁業を外貨獲得の重要手段として捉えているのです。そのために、持続的に最大に稼ぐことが大切になり、魚毎にベストな状態で毎年獲っていい量を決める漁獲量TAC(Total Allowable Catch)を約30の魚種に設定し、それを漁業種類別に、さらには個々の漁業者に配分しています。これは外貨獲得にはいいのですが、そこを極端にまで突き詰めると、効率化が極端に進み、漁業者の数が少なくなってしまいます。
 米国は、岸から3海里までは州政府が管理し、3海里から200海里は連邦政府が管理します。連邦政府は、この3海里から200海里の間の水域に責任を持つという前提で、ノルウェーと同様に国が漁獲量を決めています。米国は環境保護団体の影響が強いので、約400の魚種毎に漁獲量を決めて、これをそれぞれ漁業種類別に配分しています。
 では日本はとなると、明治時代から続いている制度をかなり温存されており、言い方は気を付けないといけないのですが、岸近くは漁業権が設定されていて、ある程度沖合に行くと県知事が漁業を許可し、さらに沖合に行くと大臣が許可するという制度となっています。そして、どこからどこまでが県知事の許可の区域かとか、海域で分けられているわけではなく、それぞれの海域がオーバーラップしています。これまでは漁船の大きさや隻数、操業していい海域とか期間で管理をしてきていたのですが、テクノロジーが発展してくると、魚を獲る能力が大きくなってきていますので、瞬間的には漁獲が上がっても、長期的には乱獲になってしまい、資源が枯渇する状況になります。それにも関わらず、数量管理のTAC魚種は8種類だけだったのです。
 では日本もノルウェーや米国のようにTACだけで管理すればいいかとなると、それではうまくいかない理由があります。全体的に見ると、沖合漁業というのは数少ない漁船で、アジやサバなどの比較的単価の安い魚を機械的に効率的に獲り、少ない人数で従事できます。一方、沿岸漁業というのは、従事者も多い、漁船の隻数も多い、漁獲量は少ないとなります。大臣が許可する沖合漁業は、産業政策としてやっていけるのですが、知事が許可する沿岸漁業は、産業政策に加えて地域政策という観点からも見る必要があるのです。しかもそれがエリア的に若干オーバーラップしていますので、産業政策と地域政策の明確な区分ができないという難しさがあります。例えばノルウェーのように外貨獲得だけを最優先にすれば、8万人いる沿岸漁業者がぐっと減ることになります。日本の漁業の管理は、産業政策に加えて地域政策としての沿岸漁業はどうするのかということも、併せて考えないといけないのです。そのような点については、これまで効果的な政策ができずに、時間の経過と共に右肩下がりになってきたのだろうと思います。

■水産政策の改革

 ここからⅤ字回復をするにはかなり思い切ったことをしなければいけないということになります。これについての資料は、山口先輩がつくられたものをそのまま借用しています。
 2018年に漁業法を改正し、数量管理をベースにした新しい資源管理システムをつくろうとしています。沖合漁業については、産業政策で効率化を進めます。また、沿岸漁業については、資源管理に加えて、複雑になってきている漁業制度のプロセスを透明化することで、今やっている人たちの権利は守りながら、外部の人たちも参入しやすいようにしました。そして、漁業の生産が上がった部分で、流通や加工の効率化を図っていこうという観点で、法律改正を行ったところです。
 資源管理については、10年間で下がった漁獲を、次の10年間で回復させる数値の目標を定めて、そのために資源の評価をきちんとやるということです。漁業大国日本と言われていましたが、数年前まで資源評価を行っている魚種は50種だけでしたが、それを200種まで拡大します。さらに、水揚げされたもののデータがすぐに電子媒体で報告できるシステムに改修し、資源評価、資源管理がすぐできるような改革を進めています。
 それまで漁獲可能量(TAC)で管理する魚種が8種だけだったのを、日本全体の漁獲量をベースに8割の魚種はTAC管理していこうとしています。また、大きな船から個々の船にそれぞれ漁獲量を配分しましょうという制度の導入も図りつつあります。
 養殖についても、魚種を戦略的に増やして指定し、今まで外国に投資していた商社の資本を国内にも呼び込めるようにして、大規模化した養殖経営を行えるような改革を行ったところです。
 それらを踏まえて、さらに輸出も増やしていこうと目標を立てています。前の政権の時に、2030年までに農林水産物・食品の輸出額目標5兆円というコミットメントをしています。そのうち、水産物の輸出額目標は1.2兆円となっています。そのために、大規模な沖合養殖を導入して、さらに、資源管理で増大した天然の魚も輸出に回していけるような政策の導入を行っています。
 その改革の成果の例をご紹介します。まず資源管理という点から、スケトウダラの例です。卵は博多明太子の材料になり、肉はかまぼこの材料になります。2015年まで資源は減り続けていました。それまで、資源管理はやっていたのですが、科学的に算出された許容漁獲量(ABC)を超えて漁獲可能量(TAC)が設定されていたのです。科学者が獲っていいよという量以上に獲っていいよというのを政府がお墨付きをあげていたわけです。当然、乱獲が進んで資源が減っていったのです。そこに、ABCの量以上は絶対に獲らないような厳しい規制を入れましたので、今、資源は回復しつつあります。今は6千トンしか獲れていませんが、将来的には4万4千トンぐらいで安定するように回復したいとしています。
 次にクロマグロの例です。これはよくマスコミで報道されていますが、日本がメインで小さいものを獲っていて、乱獲が起こりました。2010年には資源量が1万1千トンにまで減ってしまいましたが、国際会議で厳しい処置を導入しましたので、今は2万8千トンまで資源が回復して漁獲量も増大しています。
 このように、獲り過ぎたものを少し我慢して資源を増やし、資源を増やせば漁獲も増えていくというシステムを、今、われわれは導入しています。
 水産物の輸出についても、養殖ホタテを主体に養殖魚も増えてきました。今まで養殖の輸出の主流は真珠だけだったのですが、それにホタテ貝が加わり、これから先はブリとかタイも養殖を増やしていこうとしています。そのようにして水産業の成長産業化を図っているところです。

■最後に

 漁業に従事する人材をどのように育成するかという問題があります。特に漁業は、田舎で高齢者が多いので、デジタル化が遅れています。どうやって若い世代の漁業の後継者にデジタル化を浸透させて、そして他の産業とのコラボレーションを図っていくかを考える必要があります。さらに最近では、二酸化炭素のゼロエミッションが言われるようになっています。漁業はけっこう石油を使いますので、この点についても、クリーンで将来性のある漁業の発展を目指していきたいと思っています。
 本日は、主な点だけを端折って説明しました。伝えたいことはもっとたくさんありますし、また私の思いが伝わったか不安な点もありますが、私のプレゼンを終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

■会長あいさつ

○伊藤 神谷さんは漁業政策の専門家として、三十数年間、農林水産庁でお仕事をされてきたわけですが、私は、今日初めて、わが国の水産業の現状と過去の経緯を知りました。日本の漁獲量が減っていることは、ニュースとかで聞いて知っていましたが、世界の総数は減っていないということで、わが国がどうしてそうなったかについて、詳しく説明いただき理解できました。また、これからの水産政策の中でどのようにしてこれを拡大していくのかという課題についてお話をいただきました。確かにいろいろな原因があるのでしょうが、その一つ一つを解決しながら、遠大な将来に向けて回復のための政策をなされてきて、そこには大変な思いがあったのだと思います。
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 今日、講師紹介していただいた田上さんがまさに後継者としていらっしゃるということで、その他の方もいらっしゃるのでしょうが、皆さんでわが国の漁業発展のためにまたご尽力を賜りたいと思います。スーパーの魚を見ると、だんだん寂しい状況になっているのは感じていました。皆さん方のこれからのよき政策の立案と実行によって、今後のわが国の水産業が発展していくことを心から希望しています。
 今日は、お忙しい中、神谷さんに詳しいお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。

(終了)