『人生の終末期をどう生きる?-逝く人に学ぶ』
講師:後藤 勝彌氏(昭和35年卒)
■講師紹介
○岡村 後藤さんは昭和16年に長崎でお生まれですが、長崎に原子爆弾が落ちた8月9日の直前にお父様が軍隊に入られ、ご家族は田舎に疎開されていて難を逃れたと聞いています。終戦後に復員されたお父様が最初になさったことは、ご家族を連れて長崎の爆心地を見て回ることだったそうです。ちょうど4歳ぐらいというのは記憶が始まるころで、後藤さんの最初の記憶がそれだったそうです。後藤さんは『長崎飛翔』という小説をお書きになって出版されていますが、それは後藤さんのその原風景から生まれた本だと思われます。
昭和27年、小学校5年生の時に福岡に転居なさっています。そして中学高校の時に、尊敬していたお友達のお父様がお医者さんで、その友達もお医者さんになると決めていて、彼もその時、医学部に行くことを決めたそうです。
今日の話はひとごとではありません。彼の著書『逝くひとに学ぶ』は、私は原稿の段階から見せていただいていますが、たくさんの人に読んでもらいたいと思っています。
■講演
〇後藤 おこがましくも思いますが、今日の私の話を頭の片隅にでも入れていただき、それが私の館友愛と思っていただけるとありがたいです。
■はじめに
今日のテーマは、人生の終末期をどう生きるかということです。対象となるのは、今は元気な自分も「死すべき定めにある」と悟った人たちと、終末期の友人やご家族を抱えて悩んでいる人たちです。終末期にある人たちの思いをくんでやり葛藤を克服させるにはどうしたらいいのか、頑張れ!頑張れ!だけでいいのかということです。
日本人の死生観は変化しています。かつては大家族制で、生まれるのも死ぬのも自宅でしたので、死は生の一部という感覚が自然に育っていました。現代は生まれるのも死ぬのも病院のベッドの上です。その結果、人が死ぬのを見たこともない子が親の看取りをしています。そもそもわが国では、死についての教育はほとんど行われていません。必然的に死は恐ろしい避けたいものになりました。大部分の人は無宗教を自認し、死について語ることを避ける傾向にあります。
■私とホーム・ホスピス(在宅療養)
(1)略歴
私は修猷館を昭和35年に卒業後、九大医学部と関連病院で神経内科と放射線科を修め、脳卒中学を専門に始めたのですが、当時の医学は全く無力で目の前で枯れていく患者さんをじっと見ておくしかありませんでした。そこで脳血管内治療の開拓・普及に取り組みました。そして麻生飯塚病院にわが国初の脳血管内外科を創設してもらい、UCLAと北大の客員教授、九大の非常勤講師を務めて、6年前に博多に戻り、在宅医療のパイオニア、二ノ坂先生のクリニックで働いています。だんだん博多の人が近しい存在になってきているところです。
(2)脳血管内治療
脳血管内治療というのは、カテーテルを太ももの動脈から入れて病変にアプローチします。メスで切らない脳外科手術とも言われていて、手術できない脳・脊髄の血管病変に有効です。近年は脳卒中治療の有力な手段として広まってきています。
この治療は心臓内科の20年遅れで進んでいて、脳は最後のフロンティアと言われていました。そのフロンティアを突破するのを可能にしたのは、細くて長いマイクロ・カテーテルです。これはハイテクの塊で、先端を頭の中の病変にまで挿入できます。かつては1時間半かかっていたのが、今は5分で頭の中まで進めるようになりました。例えば、くも膜下出血の脳動脈瘤の治療法でカテーテルを用いるコイル塞栓術というのがあります。これを始めた当時は、同僚の脳外科医からは、ただでさえ破れやすいものにこのようなカテーテルを進めるのはとんでもないと言われたものでした。
この脳血管内治療に励んだおかげで、日米の学会から2回賞を受け、世界脳神経血管内治療学会の設立に関与していくつかの役員を務め、マスコミにも取り上げられるようになりました。
(3)心のケアへ
そのように脳血管内治療に燃えていた私が、なぜ心のケアにシフトしたかということです。血管内治療は最先端治療を用いて病気を制圧するもので、完全治癒は勝利で死は敗北という単純な価値観に支配された世界です。ハイリスク・ハイリターンの世界です。劇的な成功と大惨事が背中合わせで、医師と患者の関係は病院内に留まっていました。私は学会長時代に、同僚の燃え尽き・悲哀の調査を行い、心のケアこそがこれからの私の仕事と定めました。そしてこれからは老いと死を知ることをきちんとやらなければと悟り、終末期医療に取り組むことにしました。
これは、行け行けドンドンの往きの医療から、還りの医療への転換です。
病院でのありふれた光景に、たくさんのチューブ等が身体を覆っている重症患者のスパゲティ症候群というのがあります。どうしてこのように人生が味気なくなってしまったのでしょうか。20世紀後半に怒涛のような革新技術の導入がありましたが、その結果、医学が全能ではないかという幻想まで生まれました。医師の養成課程から死を学ぶ機会が拭い去られ、医師の使命は命を救うこととだけ教えられるのです。そこで、手術を繰り返し、耐えられる限り聞いたこともない新しい治療を次々に勧める医師が誕生しています。患者さんの側にも問題があり、いつまでも医学的な奇跡を望む傾向があります。一体、人の死をコントロールできるものなのでしょうか。人の死の決定因子は物理学と生物学そして偶然だけと思われますが、それ以上に大切なことがあります。それは、人生の最終章を書き換える機会が存在することです。
ピーク・エンドの法則というのがあります。アメリカでベストセラーになった、アトール・ガワンデというハーバードの若い外科医が書いた『死すべき定め』という本によると、人間の記憶は、苦痛が最強の瞬間(ピーク)と終了時(エンド)の感覚とで判定する傾向があるということなのです。このことから、終末期に本人の意思を尊重する意義が生まれてきます。
もう一つ大事なことは、人間は加齢につれて不幸になってしまうのではなく、よりポジティブな感情を抱くということが分かりました。人間は不安やうつ、怒りを感じにくくなっていき、年齢を重ねるにつれて生きることにより感情的に満足し、落ち着いた経験をするようになるということです。これはローラ・カーステンセンというスタンフォード大学の教授が行った画期的な調査の結果です。
(4)在宅療養への移行
在宅療養への移行は一種の諦めではないかとよく言われますが、実際には必須ではない検査や治療をやめるだけのことです。それはなぜかというと、終末期には医療の目的が変化するからで、その人の主体的な生き方中心のケアに切り替えるだけのことなのです。命が尽きていく日々が際限ない治療に乗っ取られているのが現実です。医療の限界を認め患者を慰め支えることが、われわれの責務ではないでしょうか。
医療の手が尽きても、終わりではありません。それは生命・生活の質を最優先する在宅療養があるからです。これは、生身の人間同士が今使用できる医療資源を最大限に活用して行う一回限りの創造的な仕事です。
それはいろいろな人々のネットワークに支えられています。在宅でできることは限られているように思われますが、大抵のことは科学技術の進歩でできるようになってきています。疼痛(とうつう)管理、栄養管理、呼吸管理、排せつの管理、たまった水を抜く、褥瘡(じょくそう)の処置とか、在宅でできる医療行為は多くあります。うちの院長は外科医出身なので、ちょこちょこっと患者さんのお宅で簡単な手術までやってしまいます。
(5)訪問診療(往診)の意味と実際
定期的な診察で体調変化を逐一把握します。そして、予測し得る状態変化やそのときの対処法も家族に伝えます。そして24時間対応の訪問看護ステーションから随時看護師が急行します。要すればわれわれも夜中でも出かけていきます。そして複数の病院とも連携しています。患者さんが逃げ出してきた病院でも、画像診断が必要になることもありますし、ちょっとした手術が必要になることもあります。それから長い療養期間中には、ご家族の休養のために患者さんを一時期預かってもらうこともやっています。もちろんクリニックやホスピスや調剤薬局とも連携しています。ボランティアや市民グループも大活躍しています。電子機器の存在も大きいです。
■著作紹介
院長が「赤ひげ大賞」というのをもらいましたので、それを記念して、『逝くひとに学ぶ』という本を1年前に書きました。クリニックで20年間に看取った800人の中から四十数例を選び、彼らの終末期を経時的に呈示しました。高度先進医療に翻弄された人々が自宅に帰るまでにどのような困難に遭遇し、ついには家族やコミュニティーの力を認識して、その人がどのように全体性を取り戻したか、そしてどのように心からの願いを残して逝ったかに注目しました。
もうそろそろ逝きたいと繰り返しおっしゃっていた98歳の元小学校の先生がいらっしゃいました。もう読む本もなくなったというので、「今、私が書いている本ができるまで死んではいけませんよ」と言って、原稿が出来上がったら走って持っていきました。そうしたら何とこの原稿を3日間で読破してくれて、一言「序・破・急があってよろしい」と言ってくれました。私はこれで報われたと思いました。彼女はそれから食べることをやめられて、10日後に旅立たれました。
■病院から在宅へ移る過程で
ポイントが幾つかあります。まず、「家族に迷惑を掛けるのであれば入院かな」とか、「私が施設にいるのはいいことだろう」という患者さんの遠慮があるということです。
もう一つは、いまだにわが国では「うちに帰りたい」と言えば病院の医師から罵詈雑言を浴びせられたり、「することはない」とか、「もう来なくていい」とか憎々しげに言われたりすることがあるということです。これは、もうお役に立てないという非力さを自覚して、プロとしてのidentity crisisにさらされている哀れな人の言うことだと思って対処してください。
■現代日本人の終末期に対する意向
日本人は大部分の人々が自宅での最期を望んでいます。ご家族も大体はそれに沿う意向のようです。ところが実際に自宅で最期を迎えることができた人はほんの一握りにすぎないという寂しい状況です。現実は理想と大きく懸け離れています。それでも諸外国では本人主導が日本の2、3倍あります。看取りの方針を考えるとき、日本人が重視するのは「生存時間」と「家族の意向」ですが、諸外国では逆に「生存時間」より、「尊厳保持」と「生活の質」を重視する傾向があります。
尊厳死の問題があります。尊厳死が制度化されるとそれの乱用が心配され、またもっと恐るべきことは、これが医療行為として認められたときに、社会がこの権利に依存してしまうことです。安易に自然な死への過程を中断させることの意味をしっかり考えなければなりません。随分前からオランダは自殺幇助(ほうじょ)が認められていますが、その結果、緩和医療の発展が遅れているという国際的な非難を浴びています。この制度により医療者が病者の生活改善を怠っているのではないかということです。
日本人は、仏教、神道、アミニズムなどを背負っていますが、多くが無神論者を自認しています。それは、死すべき定めから目を背けて生きているだけなのではないでしょうか。屈辱的な死が避けられなくなったらどうするのでしょうか。どう考えても、リビングウイル法(尊厳死法)の制定が待望される時勢になっていると思います。
■リビングウイル-患者さんの自己決定
今、ドイツでベストセラーになっている『私たちはどんな死に方をしたいのか?』という本があります。この本は、今日会場にお見えの心臓外科のパイオニアの島田先生が翻訳をされている素晴らしい本です。ここに書かれていたことをご紹介します。
リビングウイルは、熟慮、対話、助言がなければ実行可能とはなりません。自分自身に対する責任をしっかりと果たさなければ、恣意(しい)的な横暴なやり方に翻弄されることになりかねません。自己決定は必要条件であって十分条件ではありません。その際のポイントの一つは、自分が死すべき存在であることが本当に分かっているかということです。次に、生きることにどの程度愛着を持っているか、そして生きる執着を手放すための条件は何かということを自分自身との対話から始め、親しい家族ともして、そして信頼おける医師から忠告や啓蒙(けいもう)を受けましょうということです。
ドイツのリビングウイル法というのは、終末期の自己決定権を認めた法案で、2009年に制定されています。患者が後に同意不能になっても、書面に記されたリビングウイルには法的拘束力があり、その実行を拒んだ医師は「故意身体傷害罪」で有罪になります。
在宅ホスピスが目指すのは生命幇助です。それは自殺幇助よりはるかに難しく、それが持つ可能性は、はるかに大きいです。食べなくなってどうするかとなり、胃ろう造設の提案がなされることがあると思いますが、これは一体誰のためのものかということです。食べないから死ぬのではなくて、死の過程に入っているから食べないのです。ここを間違ってはいけません。どうしたらいいかですが、食欲が低下しても極力口から食べさせる努力をしなければならないということだと思います。
死を見つめて生きることは、太陽を見つめることができないのと同じように難しいことですが、信頼できる仲間がいれば最期のパタゴニア・レースを完走できます。パタゴニア・レースというのは、世界で最も過酷だと言われているレースです。このようなことが高齢になって課せられるのです。
患者さんが亡くなると、私たちは事例検討会というのを行います。それも供養の一種だと思っています。最後に母親がいかにして立ち直ったかを語ることもあります。それは同じような遺族にとって力になります。遺族の会では、ご家族の「全ての死が深い意味があることを学んだ」、「死は人間としての全体性回復の機会を与えてくれる」、「死に方が大事な訳は、愛の重要性と関係のありがたさを知る機会を与えてくれるから」というような言葉を耳にしました。
■おわりに
今われわれは科学の範疇(はんちゅう)でしか命を考えられなくなっているのではないでしょうか。しかし、科学では説明できないことが日々起きています。われわれの最大の奉仕は人間の生命力と善良さを強めることです。私たちが謙虚になって初めて、私たちが生に属していることを思い出し、そして人智を超えたものの働きを知ることもできるようになります。
今や終末期の命の担い手の主力は病院からコミュニティーの住民へと移っています。その中にこそ救済力と癒しを見出すことができるのです。
ボランティア活動というのは、単なる暇人の慈善活動ではなく、非常に先端的な活動です。今の医療は人々の手の届かない巨大なシステムによって管理、運営されているのではないでしょうか。今の医療体制に疑問を持っても、無力感や1人では何もできないという焦燥感にとらわれがちです。ボランティアは在宅医療を通じてコミュニティーを強化する具体的で実際的な方法を示しています。
ご清聴ありがとうございました。
■質疑応答
○高橋 平成14年卒の高橋です。私は広島大学の医学部を出て、現在、循環器内科医として働いています。心筋梗塞とか狭心症とかを扱うカテーテルグループに所属していて、やはり命に関わることが多く、心肺停止の患者さんとかを看ることもあります。幸いにして意識が戻って回復されればとてもうれしいのですが、心臓は動いているけど意識が戻らないとなると地域の病院にお願いして看ていただくことになります。そうなるともう私たちの手から離れてしまって、その後のことは私たちの所には一切情報が回ってこないことがほとんどです。先生は、そうなったときの患者さんのご家族にどのようなことをお話しされているのでしょうか。
○後藤 循環器内科というのは大変なお仕事です。非常に難しい問題です。私もそのようなことが知りたくて今の仕事をするようになりました。全く昏睡状態の人は別にして、そのような人たちもうちに帰ると、それなりに周りの状況を感知して安らかに生活していらっしゃいます。人間はやはりどこかで周りの環境が分かるようです。当然われわれの会話にも気を付けなければいけませんし、何よりもその人のことを考えて環境を整えてあげることが重要です。今、この場で言えることはそれぐらいです。
広島でも在宅をやっている優れたドクターがいらっしゃいますので、機会があればそういう方と一緒に家庭訪問されるのもいいと思います。うちのクリニックにも学生さんとか研修医がよく研修に来ます。みんなカルチャーショックを受けて帰ります。
しかし、そのような問題が生じる前に、やはり日本人の死生観を成熟させることが一番大切だと思います。日本は先進国の中でも死生観が未熟だと思います。私が今日ここまで出てきたのも、このようなことを少しでも皆さんの頭の片隅に置いていただきたいと思ったからです。
○本井 亡くなった私の祖父母は、2人とも家で死にたいと言っていました。祖母は運良く福岡の家に帰ることができましたが、祖父は帰るチャンスを失って病院で亡くなりました。自宅に連れて帰るタイミングが素人には難しいと思うのですが、どの辺で踏ん切りをつけたらいいとお考えでしょうか。
○後藤 いいご質問だと思います。日本の病院は帰すのが遅すぎます。最初に予定したことが終われば、さっさと連れて帰り、在宅のことをやっている施設に相談されたらいいと思います。
在宅療養の始め方をご説明します。入院中の場合は、近頃はどこの病院にも連携室というのがあり、そこが行動を開始します。近くにあるクリニックや在宅療養事業所へ連絡をします。そして入院中の病院で、本人、家族、病院スタッフ、在宅療養スタッフが一同に会しての退院前カンファレンスが行われます。病状の把握、在宅療養体制の確認、また入院しなくてはならなくなったときのバックアップ体制とかを話し合います。これは必ず行われます。そして利用するサービス体制をケアマネが調整し、調整が済めば、退院して在宅療養の開始となります。
現在、自宅で生活している場合は、在宅をやっているクリニックに直接相談するか、担当のケアマネジャーに訪問診療を受けたい旨を伝えます。そうすると10人ぐらいが集まって、患者さんの自宅でサービス担当者会議が行われます。それをケアマネジャーが調整します。
今は熱心に活動しているクリニックが全国にあります。そのような施設にコンタクトするには、口コミが一番信頼できるのですが、まずは地方自治体の在宅医療相談室に行くと、介護と医療サービスを提供してくれる所を教えてくれます。それから、「日本ホスピス在宅ケア研究会」のホームページを見ると分かります。
家に帰りたいとおっしゃったら、ちゅうちょせずに、即、行動を起こしてください。お医者さんの言うことを聞いていてはいけません。
■会長あいさつ
○大須賀 今日は100人を超える大勢の方に来ていただきました。35年卒の同期の方に加えて、昭和30年代ご卒業の方たちも多く、身近な問題として関心が高いテーマで、心に重く感じるお話でした。
「病は気から」と言いますが、最期も「気」なんだなと思いました。科学の進歩で、どうしても技術的なことや数字的なことばかりになりがちですが、本当に大事なのはやはり気持ちだということでした。「人生を全うする」と言いますが、最期をどのような気持ちで迎えるかが大事だということを改めて感じました。できるだけ安らかで気持ちよく眠るように死を迎えたいと思いますが、それは、本人の心の持ちようということに加えて、本人を囲む医療関係者とか家族の問題でもあるということを改めて感じました。
(終了)