第585回二木会講演会記録

『日本の重工業産業の新たな挑戦』

講師:加藤 泰彦 氏 (昭和38年入学)

○鳥巣 加藤くんは修猷館高校の卒業生ではありません。でも彼はかつての同級生たちの変わらぬ友情に包まれている人物であります。中学1年のときにお父様の転勤で福岡の百道中学校に転校してきて、昭和38年に私たちと一緒に修猷館高校に進学しました。担任は数学の金山先生でした。しかし翌年昭和39年4月にまたお父様の転勤で東京の日比谷高校に転校されています。

585_3.JPG  修猷館高校、日比谷高校を通じて、彼は、和弓、合唱、硬式テニス、そして物理や化学の研究会、それから体育祭や文化祭の実行委員会と多彩に活躍されています。高校卒業後は早稲田大学に進学し工学部機械工学科の修士課程を終了しています。そして三井造船に入社し一貫して商船の設計に従事していました。平成13年にはMitsui Zosen Europe Ltd.社長、平成16年にはMitsui Babcock Energy Ltd.社長、そして平成19年には三井造船株式会社の社長になられました。
 経営陣に加わるまでの彼の商船設計における最大のプロジェクトはLNG船(液化天然ガス)の設計でした。それは船上に並ぶ幾つもの巨大な球形タンクに零下160度で液化したLNGを満たして赤道を越えて運んでくる大型船なのですが、外気温は40度にもなりますから200度もの温度ギャップがあって高度の断熱をしなければならず、しかも船は波浪を受けて揺動し、タンク内のLNGも大きく波打つ、という非常に困難な技術的課題を孕んだプロジェクトだったのです。彼は若干30歳で枢要部分のタンクシステムの設計を任され見事にそれを成し遂げています。彼がその後会社のリーダーシップを任されたのは、このような大きな優れた実績を積まれた方だからだと思います。

■加藤泰彦氏講演

○加藤 紹介にもありましたように私は修猷館を卒業していませんので最初はこのお話を辞退申し上げていたのですが、中川会長から、今は大変な重工業界で頑張っている姿を見せてほしいというお言葉があり、会長からお願いされたらには仕方ないと腹をくくり、今日は空(から)元気で皆さんにお話をさせていただきます。

■はじめに
 今日は私共の重工業のグローバル展開というところに焦点を当ててお話しさせていただきます。三井造船の企業活動の紹介を通してのご説明になりますが、変化する市場環境への対応は他の重工業各社さんでも同じように直面している問題だと思います。

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■造船事業のグローバル戦略
1.造船事業の特徴
 電車や自動車やオートバイと違って、海はどこまでも続いていますので船はどこへでも自力で走っていけるという大変ユニークな特徴があります。そして造船契約の引き渡し条件はほとんどが造船所岸壁渡しの契約になっていて、お客様が工場まで製品を取りに来ます。これは船主さんが船員さんを新しい船に早く慣れさせるために造船所に派遣して、トレーニングを兼ねて初めての荷物を積む港まで行くのです。売るほうは製品である船の物流の心配はしなくて済み、買うほうにも船員訓練というメリットがあるということです。
 造船事業の製品のユーザーである海運のマーケットは、国と国を結ぶ外交海運ということで言えば世界単一のマーケットです。七つの海はすべてつながっていて世界中に港があり積荷もあります。どこの国の船も世界のどこかの港で荷物を下ろしてまたその近くで次に積む荷物を探して行きます。
 しかしいくら七つの海がつながっていても関税などの貿易障壁があって市場が分断されていれば単一のマーケットとは言えないのですが、船には昔から「便宜置籍(Flag of convenience)」というシステムがあります。これは船に掛かる税金を安くしたり手続きを簡素化することで外国船籍の船を勧誘する制度で、パナマ、リベリアの他にいくつかの小国がこの制度を取っています。これは造船業にとってもメリットがあります。お客さんが船の輸入関税や非関税障壁を課す国の会社であっても、便宜置籍を受け入れる国に子会社をつくってもらいその会社に船を売れば世界中同じ条件で船を売ることができるようになり、造船市場に国境なしということが言えるようになるわけです。
 このように、造船のマーケットは世界単一でグローバルなのですが、一方、船を造る過程はとてもローカルな活動です。船は非常に重い材料を使います。生産の三要素は材料・設備・労働力と言われていますが、材料は重くてかさばり、設備はいったん造ると壊せないということで、労働力にも根っこが生え、生産活動は狭い範囲の中で行われてきています。

2.造船事業の競争力とは
 船舶は国際商品で世界一物一価で、世界で通用する性能、品質を有することが求められます。その競争力の第1の要素は「価格競争力」です。それは製造コスト、オファーする船価、支払い条件、資金力です。最も影響が大きいものは製造コストです。
 競争力の第2の要素は「非価格競争力」です。これは、技術力、品質、納期、アフターサービスというもので、これらはお客様のオペレーションコストに跳ね返ってきます。この中で一番影響力が大きいのは技術力、特に船の性能です。この部分については当社も日本の他の造船所も大いに力を入れています。
 そしてその他の競争力の要素としては、顧客との信頼関係、日本の海運業の存在、舶用関連工業の存在、政府の規則・制度、為替レートが挙げられます。日本の造船業にとって日本海運業の存在は非常に大きなものがあります。そして日本国内には船舶用の関連工業や材料メーカーが揃っていますし、金融、保険や商社など海事関係の産業が集まっていて互いに良い影響を及ぼしながら活動しています。これを海事クラスターと言い、日本海事産業の強みの源泉と考えられます。
 2011年までのここ22、3年間の世界全体の竣工量の推移を地域別で見ると、日本も徐々に竣工量を増やしていますが、韓国は2000年ぐらいから急激に竣工量を増やしており、またそれ以上のスピードで中国がここ数年で急激に竣工量を伸ばしています。そしてこの数年間で需要の先取りが起こっています。2000年代に入ってからの世界受注量の大幅の伸びと発注残の累積、それに伴う中国、韓国の生産能力の急激な拡張、そしてリーマンショックによって受注量の激減という事態に至っていて、世界の造船業はいまだかつてない大競争時代に突入しています。

3.これからの日本造船業の戦略
 この大競争時代に日本の造船業が勝ち残っていくための一つ目の戦略は日本造船業の強みである「技術開発力による差別化」です。地球温暖化が大きな問題となっている中で船舶も環境対応技術で競争力強化につなげていくのが大事で、日本の造船業にとっては大きなビジネスチャンスだと考えています。
 それから船舶安全に対しての国際規則がいろいろ出されていて、それに的確に対応するということも造船業界には求められています。当然ながら将来のニーズを的確に把握して、安全、省エネなどに対応した技術開発も日本の得意分野で競争力強化につながっていくと考えます。更には日本の鉄鋼、舶用機器メーカーと連携して研究開発を行うことも大事なことだと思っています。
 二つ目の戦略は造船業の「集約・再編・アライアンス・海外展開」です。合併して規模を大きくすることでバーゲニングパワーを発揮し、技術・研究開発の増強が図られ、また工場が担当する船種を分けるなどして生産性を向上することも可能になります。ただ造船工場というのは地域性があり地域の雇用を支えているという制約があって、この問題を解決するのは難しい面もあります。また海外展開については、そのための材料の輸送コストや国内の雇用確保の問題、また鋼材・機材の調達の問題の解決が必要になってきます。また既にある海外の造船所への技術支援、資本参加というやり方もあると思います。
 そして三つ目の戦略は「人材戦略」です。世代の交代に伴って技術技能の伝承、若手の早期育成、戦力化、そして優秀な人材の確保を急がなければなりません。人材の確保については造船が魅力的な産業であり続けることが必要になります。
 四つ目は「研究基盤の再構築」です。技術を支える研究基盤を再度しっかり構築することも課題になります。日本は海運、造船、舶用工業、そして大学も揃っていて、総合的な研究開発をもっと活発化していくことが必要だと思います。

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■重工業のグローバル展開
1.重工業会社としての三井造船の特徴
 当社ビジネスは「受注産業」です。受注産業というのはお客様から受注があってから生産を始めるものです。造船、建設、産業機械などが代表的な例です。同じタイプの船でも細かな仕様はお客様によって異なりますので受注するごとに個別の船の設計が必要になります。
 もう一つの特徴は当社事業は、日本の工場で製造したものを海外に輸出するスタイルを取っていてそれが中心だということです。

2.グローバル化のキードライバー
 第1に挙げなければならないのが「市場の変遷」です。従来の内需、及び欧米中心の市場がブリックス(BRICs)やネクストイレブン(NEXT11)に代表される新興国、資源国にシフトしています。そして人口の推移や人口構成を見ても、新興国はこれからの国内産業の成長とそれを可能にする労働力が豊富にあることが分かります。
 第2に「韓国・中国企業とのコスト競争の激化」が挙げられます。製品を海外に輸出するスタイルが中心の当社の業績は為替の影響を大きく受けることになり、最近の円高傾向は国際競争の激化に拍車を掛けています。更に近年では中国企業も技術力が付いてきていて、豊富で安価な労働力を武器に攻勢を仕掛けてきています。コスト競争力を強化して勝ち残るためには、今後は、中国や東南アジア新興国での生産を積極的に進めていく必要があります。
 このような市場環境の変化に対応するために、当社では「新興国市場への進出」、「コスト競争力の強化」、「経営基盤の強化」をグローバル戦略の柱として更なる事業拡大のための挑戦を続けています。
 当社の海外ネットワークの現状は、北米、イギリス、デンマーク、スペインの他は中国、東南アジア諸国に集中しています。今後グローバル展開を進めるうえで、これらの子会社、拠点の強化と戦略的な拡充と統廃合、そして各拠点が有機的に結びつくためのネットワーク形成と本社の管理機能の整備などの重要性が増してくると考えています。

3.新興国市場への進出
 まず地域については、アジア新興国が重点地域になると捕えています。そしてそれぞれの地域のニーズをいち早く把握・分析して製品を拡販するための生産戦略、販売戦略を構築して実践していくことが肝要だと思います。
 アジア新興国における日本の重工メーカーが貢献できる分野として、まずは社会インフラ整備があります。道路、橋、港湾、発電設備などの社会インフラはその国の経済が発展していくための必要不可欠なものです。
 日本とアジア新興国各国の電力消費の年間平均成長率は日本や北米は非常に低位にあり、それに対して、ベトナム、マレーシア、インドネシア、インド、中国は高いレベルで電力消費の伸びを示しています。また国民1人当たりの電力消費量は日本が断トツに高位です。しかし今後、新興国も経済成長と工業化に伴ってこの差は次第に縮まってくると考えられます。新興国の経済成長には電力の供給能力の増大が不可欠ですが、先進国並みに供給能力を充実させるにはまだまだ時間をかけて大きな投資が必要です。
 新興国の電力不足の解決に貢献できる当社技術は、一つは総合エンジニアリング企業として長年にわたって培ってきたエンジニアリング技術があります。 二つ目は、新たな電力の供給という視点に立って貴重な電力を有効利用する省エネ技術があります。

585_2.JPG  次に物流インフラの視点で新興国のニーズを見ると、世界のコンテナの荷動き量は2000年から2008年の間に倍増しています。そして地域別のコンテナの取扱量は、中国が断トツで全体の27%を占めていて、それに東アジア、東南アジアの国々を加えると50%以上になります。今後もアジア偏重の傾向は続くことが予想されます。このニーズに対応するため、港湾インフラ、岸壁クレーンなどの拡販、生産体制の強化を図っているところです。
 新造船の国別竣工量シェアを見ると中国は近年大幅にシェアを伸ばしています。当社は中国の成長を取り込んでいこうと、船舶用ディーゼルエンジン事業で、2006年に中国の国営会社との合弁会社、「上海中船三井造船柴油机有限公司」を設立しました。設立して5年たちますが順調に成長しています。このように海外企業との戦略的パートナーシップを通して新たな市場を開拓していくというスタイルも今後は積極的に進める必要があると考えています。
 その中で資源の確保の問題が顕著になってきています。長期的に見ると資源価格の上昇は続くと考えられますので、今までは経済性の観点から開発が行われなかった資源の開発が資源価格の高騰に後押しされるかたちで盛んになってくると予想されます。当社には三井海洋開発(MODEC)という海洋での石油ガス生産設備で世界第2位の子会社があり、エネルギー開発の分野においてもグループ総合力を発揮した取り組みを強化しているところです。

4.新興国の次なるニーズに対応
 当社は環境関連の製品についても国内で実績を積み重ねてきています。国内の市場は飽和状態になってきていますが、これからは積極的に中国、その他のアジア新興国で事業展開を図っていきたいと考えています。
 化石燃料がいつかは枯渇するだろう、それからCO2を下げなくてはいけないという問題に対応して、当社ではバイオエタノールの生産技術に力を入れてきています。また太陽熱発電プラントの開発にも力を入れています。

5.グローバル展開のビジョン
 日本の重工業を取り巻く環境が大きく変化してきていて、従来の経験則が成り立たない、過去の成功の延長線上に必ずしも将来の成功は約束されない時代に入ってきています。このような環境では日本の重工業とそこに働く社員一人一人には変わることが求められていると思います。従来の国内生産、輸出中心のスタイルから脱却して国境を越えて進出した地域に根付いてその社会に貢献し、社内の事業部間、部署間の枠を越えて全社総合力を結集すること、様々な既存の境界や枠を柔軟な姿勢で越えていくことによってこれからますますグローバル化が進む世界で当社、更には日本の重工業は活躍の場を広げていけるだろうと信じています。

■質疑応答
○上田 38年卒業の上田茂です。私は船舶と接岸の操船に関して長く研究をしていました。近年、特にコンテナ船の船型の大型化は著しく、港湾サイドでは操船や係留でいろいろ苦労しています。昨年の3月11日の地震のときに八戸港に停泊していた日本海洋研究開発機構の「ちきゅう」号はGPSを使って位置制御するシステムを持っています。このGPSを使って港湾における接岸にうまく活用できないものかと思っています。そのことに関してご意見をいただけましたらありがたいと思います。
○加藤 私は船の構造は得意ですが、操作とか接岸とかは不得意なところでご質問には的確にお答えできませんが、そういうものを船の接岸に使うアイデアはこれから研究すれば確かにうまく使える技術になると私も思います。
ただ、大型船はパイロットが乗ってエスコートするタグボートが岸壁へ接岸させていて水先案内人の既得権益があります。そこに高度なシステムを導入するとそのような職業が奪われるという問題を解決する必要があると思います。

○高橋 41年卒業の高橋です。日本の企業は、状況に応じて思い切った、つまり過去の経験ではない新たなフロンティアを目指しての展開をされていると思うのですが、産学官という面で考えると、最近はその辺りが非常におかしくなっていると思います。日本のこれからの生きるべき道としてどうしたらいいのか。民間が中心になって変えなければならないその辺りのことについての加藤さんの展望をお聞かせください。
○加藤 難しいお話です。今日は海事クラスターのご説明をしましたが、造船、舶用工業、商社、鉄鋼などのいろいろなクラスターがあって、それがしっかりスクラムを組んでやってきたのが日本の海運・造船でした。その中で国も今まで大きく貢献してきていると思います。これからも民間が頑張らなくてはいけませんが、やはり官のほうでも民間をバックアップする政策を積極的に打ち出していって、日本の海運・造船が将来もしっかりした産業としてきちんと生き延びていけるようなスクラム組みはぜひやっていただきたいと思っているところです。

○土肥 46年の土肥です。今の為替の問題を本当に技術力でカバーできるのかということと、それから最近では日本の造船業界もバックログというか、受注残が枯渇しているという話も聞きます。この辺の競争力強化をどうお考えなのか、改善策、対応策をお聞きしたいと思います。
○加藤 技術力で何とか勝負したいとは思っていますが、韓国や中国で作られているものと同じものを造るのであれば今の為替の差を埋めるだけの力はなく、違うものを造ることでその差を埋めるしかないと思っています。違う土俵で違う製品、性能・品質を含めた特徴がある製品で勝負することで勝ち残っていきたいと考えます。後はドル安や韓国ウオン安が戻ってくることに期待するしかありません。

○土肥 日本を離れたところでの生産は無理なのでしょうか。
○加藤 現実にフィリピンや中国での成功例はあります。それを今から同じようにやろうとすると難しい面もありますが、我々もケーススタディをして検討を続けているところです。具体的な話をすればインサイダー情報のリークになりますのでできませんが、それは可能性としてはあると思います。

(終了)