第582回二木会講演会記録

『放射能汚染と子ども:「フクシマ症候群」への対策は万全か?』

講師:中川原 章 氏 (昭和41年卒)

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582_1.JPG ○稲葉 神奈川県の血液センターの稲葉です。昭和41年卒は「よいよい会」と言います。これは「いいかげんくたびれている」ということだと思うのですが、中川原くんは去年からここに参加してくれるようになりました。
 私は学生のころは彼のことは全然知りませんでしたが、後輩が私の医局に入ってきていつの間にか彼の奥さんになったということから彼を知るようになりました。彼の専門は小児外科で、小児がんの診断法で画期的なものを見つけ、「高松宮妃癌研究基金学術賞」をもらい、世界を代表するがん研究者になりました。
 今は、クラウドというスーパーコンピューターでがんの薬を考えるとか、キッコーマンと連携して、がん治療で味覚が変わっても普通に食べられる食事を開発したりしているそうです。そして、一昨年ぐらいからロシアのがんの専門家たちと行き来が始まって、ロシアの小児がん専門病院の研究所に特別に招かれたそうです。

■中川原章氏講演

○中川原 私は修猷館昭和41年卒業ですが、担任は3年間ずっと金山先生でした。当時の私は小説を読むのが唯一の楽しみで、ロマン・ローランの『ジャン・クリストフ』を読みふけってしまい、3年の初めごろ「やはり芸術家にならないとだめだ」と変なことを思って、質屋からバイオリンを買ってきて芸大の試験問題集などで勉強していたこともあります。
 ちょうどそのころ笠信太郎先輩と福岡でお会いする機会があり、私はおやじががんで死んでいたので、笠先生から「初心貫徹でがんを克服するような勉強をやりなさい」と言われました。それで気持ちを切り替えて医学部の入学試験の勉強をしたのを覚えています。やはり修猷館の先輩・後輩はとても大事だなと思いました。

■はじめに
 私の専門は小児がんで、学生時代に、小児がんの中でも自然退縮する神経芽腫の研究をライフワークにしようと決めました。そして43歳のときに一念発起してアメリカに行き、5年間、遺伝子、ゲノムの研究をしてきました。

■福島とチェルノブイリ
 去年の3月11日は、私は東京で会議に出ていましたが、途中で揺れてその会議が中止になりました。そのとき、関東大震災で唯一インタクトだったのは帝国ホテルだったと昔から聞いていましたので、私は何も考えずに帝国ホテルまで歩いていきました。
 大震災では地震と津波だけではなく福島の問題が起こって、日本は大きな負の遺産を抱えることになってしまいました。私のいる千葉県がんセンターでもアイソトープ、ヨードの測定を毎日やりましたが、明確に汚染が確認されています。福島の放射能は千葉県まで来ているのです。
 福島の事故からちょうど1年がたとうとしていますが、今でも放射能が漏れ続けています。福島の場合はまだ1年ですが、ロシアのチェルノブイリの原発事故からは25年半たっています。ここでもいまだに放射能が出続けている状況ですが、まだたくさんの方がそこで被曝しながら生活をされているというのが現状だそうです。
 チェルノブイリと福島はよく比較されますが、似ているようでかなり違っています。福島の場合は海岸にありますので、大量の放射能は太平洋にだいぶ流れて、陸地のほうは風の影響で飯舘村辺りがホットスポットになっています。チェルノブイリは大陸のど真ん中にあったために周辺が広範に汚染されました。また放出された放射能の量は、数値としては福島のほうが圧倒的に多く、福島とチェルノブイリの放射能の状況は必ずしも同じではないということです。

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■小児がん
 小児がんは数が少ないので皆さまはあまりご存じないと思います。子どものがんは大人のがんのわずか1%あるかないぐらいです。日本では、年間に2,000人から2,500人の新しい小児がんの患者さんが出ていますが、その患者さんたちをきちんと治療して救おうと、今、厚生労働省のがん対策基本法の改定作業の中で大きく採り上げられています。
 小児がんは子どもの死亡原因の第2位です。ちなみに1位は事故死です。これは日本のような先進国の話で、途上国は全く違います。発展途上国でも1位は事故死ですが、第2位は感染症です。私は昔パキスタンに行きましたが、公園で子どもがたくさん下痢をしていて、そのまま脱水で亡くなっていました。ですからパキスタンの子どもの病院の外来はいわゆる点滴外来です。今もその状況は変わっていないと思います。
 次に、子どものがんで最も多いのは白血病です。大人の場合は、白血病はそれほど多くはありませんが、子どもの場合は白血病が全体の40%ぐらいです。子どもの白血病は今ではいい施設だと90%ぐらい治ります。
 大人のがんは昔は「不治の病」と言われていましたが、ここ15年で新しい薬が出てきたり診断法や手術のやり方も変わってきて、最近では決して「不治の病」ではなくなってきています。一方、大人のがんが治るようになる15年から20年早く、小児がんは治るがんになっています。今はすべての小児がんの80%が治る時代になっています。しかしこれはあくまでも日本や欧米の先進国の話で、途上国ではいまだにわずか20?30%です。
 子どもの甲状腺がんは適切な治療をすれば治りやすいがんです。チェルノブイリの後25年間で甲状腺がんは8,000人近く出ていますが、そのうちで亡くなった方は約20人と言われています。甲状腺がんというのはきちんと治療すれば治るということです。
 子どものがんも大人のがんと同じでいろいろなところから出ますが、小児がんは大人のがんの1%に過ぎず、その中で甲状腺がんは小児がんのわずか1%というのが通常での話です。それぐらい子どもの甲状腺がんというのはまれなことなのですが、チェルノブイリの後はすごい数の子どもの甲状腺がんが発生しました。

■ロシア国立小児がんセンターとのかかわり
 今日ご紹介しますデータは私のではなくて、たまたま付き合うことになったモスクワにあるロシア国立の小児がんセンター長のアレクサンドラ・ルミャンチェフという方のものです。ここは世界で一番大きい小児がんセンターです。以前は本当にみすぼらしい病院でしたが、去年の6月1日にいきなり世界一大きな小児がんのセンターになりました。そのお披露目の記念式典に招待されて行ったのですが、立派で驚きました。
 この式典ではプーチン首相が講演されました。そのとき招待されたのは海外から50名ぐらいでしたが、アジアからは私1人で、後はドイツから30人ぐらいと、その他のヨーロッパの国からとアメリカから6、7名でした。
 少し横道にそれますが、その式典にドイツから30人も招待されていて驚いたのですが、それには背景があったのです。ベルリンの壁が崩壊したときのソ連邦は、薬や医者が不足していて悲惨な医療状況だったそうです。それで海外に支援を求めたら、本当に来てくれたのはドイツで、献身的にやってくれたのだそうです。ロシアはドイツとは昔は対立していたのですが、そのときのドイツに対する感謝から、今でも医療関係はほとんどドイツと連携してやっていますし、このセンターもドイツの設計でドイツの医療関係がたくさん入っています。人と人の付き合いもそうですが、国と国の付き合いでも、困っているときには助けなければいけません。日本も大震災でいろいろな国から支援を受けましたが、そのようなときに国の間でも助け合うのが大事だということを教えてくれていると思います。
 一昨年までロシアの小児がんの専門のドクターは国際学会にはほとんど来ていなくて、ロシアだけはどうしているのかが分からないというのが私たちの認識でした。ところがロシアはロシアできちんとやっていたのです。来なかった理由は分かりませんが、昨年の6月1日にいきなり世界一の小児がんの施設をつくり、その記念式典にプーチン首相が来て、この日をもってロシアの小児がんの状況がオープンになりました。そしてプーチン首相が国の政策として「この日をもってすべてオープンにして国際的な活動を積極的にやりなさい」という指示を出したそうで、今は自由に交流を持てるようになりました。それがわずか1年前の話です。
 この式典の後にセンター長のルミャンチェフさんから「チェルノブイリのデータは自分の小児がんセンターに集積されている。これまで一般にはオープンにしていなかったが、今はそれを全部オープンにして日本のためにそれを役に立たせてほしい。日本のために貢献したい」という申し入れがありました。
 私は放射線の専門家ではありませんし、このときはどうしようかと少し困りましたが、大変ありがたいお話でしたので、厚生労働省とかと相談して、千葉とモスクワの学術的な交流ということで去年の11月18日に千葉で「チェルノブイリと小児がん?命と絆を守る」という公開シンポジウムをやらせていただきました。このときはルミャンチェフさんを入れて4人の方がロシアから来てくれました。このルミャンチェフさんは、私たちと同じ昭和22年生まれだそうで、気さくな人です。とても貫禄があり、話には迫力がありました。そのときのシンポジウムには稲葉くんをはじめ250人ぐらい来ていただき、たくさんの応援をいただきました。

■チェルノブイリ事故の小児に対する長期経過の解析
 これからが本論で、ルミャンチェフさんのデータをご紹介します。コホート調査で、チェルノブイリ事故の前に生まれた子どもと、胎児期に放射能に汚染された子ども、それから大きな問題になっているチェルノブイリ事故後の現場除染員の子どもに分けたデータが出ています。それから汚染地域の居住者と半径30?地域からの避難者、そして、事故から25年たっていますから、被曝した親から生まれた子どものデータも今は出てきています。

(1)被曝した子どもの甲状腺がん
 汚染された地区の子どもの甲状腺がんの発生率は高くなっています。当初は白血病が出るだろうと予想していたそうですが、25年たった今、白血病に関しては有意差がなく、有意差があったのは甲状腺がんだけだったというのが結論です。甲状腺がんは事故後5年ぐらいから発生が増加し出し、その後20年ほどで減少という状況になっています。
 日本でも同じような経過で甲状腺がんが出るかもしれません。しかしもちろん出ないかもしれません。それは分かりません。ただ出るかもしれないという現実の恐れはあります。
 それから、甲状腺がんが出た子どもの年齢は、3歳ぐらいまでの小さな子どもと思春期の2つにピークがあります。なぜこのように年齢によって放射能汚染に対する感受性が違うのかという理由は分かっていません。
 また汚染が高かったブリャンスク地域で胎盤の血液と母乳でセシウム137の濃度を測っていますが、やはり正常よりもはるかに高い値になっています。
 それから、甲状腺がんで亡くなった子どもさんと被曝直後に亡くなった大人の方を解剖して、いろんな臓器のセシウムの濃度を測ったデータを見ると、亡くなった子どもの臓器のセシウム濃度の値は大人に比べると圧倒的に高くなっています。代謝の関係で当然そうなのですが、特に甲状腺は、ヨードだけではなくてセシウムも他の臓器に比べると一番蓄積度が高く、ヨードは半減期が短いのですが、半減期が30年というセシウム、あるいはその他の半減期の長いものも甲状腺にかなり高濃度入ってきていることが伺い知れます。

(2)被曝した子どもの染色体異常
 染色体異常も調べています。2万人ぐらいいる除染従事者の子どもと、被曝したけれども30?の汚染区域外に避難した子ども、それからいまだに汚染区域に住んでいる子どもの三つに分けて見ると、除染作業をした作業員から生まれた子どもに染色体異常が一番強く見られたというデータになっています。放射能の内部被曝なのか外部被曝なのかは分かりませんが、いずれにしても染色体レベルでの異常が一部では起きていることが明らかになっています。

(3)体内被曝と活性酸素
 日本でも老化予防で活性酸素の話がよく出てきますが、活性酸素は常に体内でできていてそれが私たちの体を守っているのです。ただ普通は、活性酸素を消去する系と活性酸素をつくる系のバランスが取れているのですが、そこにセシウムとかが入ると余分に活性酸素ができ、活性酸素の消去系が追い付かなくなり、その余分な活性酸素がいろいろな病気を起こすのです。この活性酸素関係のものをフリーラジカルと言うのですが、それが長期にわたって微量ではあるけれども体に蓄積していき、いろいろな体の障害を起こしていることを25年間の研究のデータで出しています。特に子どもは細胞レベルでいろいろな障害が起こってきています。子どものリンパ節が腫れる原因の一つにもなっていて、それから貧血もこれが関係しているようだということです。それから、筋肉や心臓、腎臓などのいろいろな臓器に沈着して、それが結局は心臓や腎臓にダメージを与えて障害が起きてきています。
 それから活性酸素は体の臓器だけではなく神経そのものにも影響を及ぼして、ホルモンのアンバランスが起きてきます。すると普通の精神的なストレスと重なり合って心身症みたいなものが起こってきます。頻繁には報道されていませんが、チェルノブイリのあの地域に住んでいる人やそこから避難した人の中には、ものすごく複雑な精神的異常を起こしている人がいて、これは普通の精神的な病気では説明がつかない心身症になっているということです。

(4)チェルノブイリ事故の影響を受けた子どものリハビリテーション指針
 ルミャンチェフのグループは治療法の指針も挙げています。一番大事なのは「汚染されていない清潔なところに移動させる」こと。それができない場合は、年に数週間とか何カ月か、全く汚染されていないところにキャンプに出して生活をさせると、実際に体内の過酸化脂質が下がっているそうです。
 それからこれも当然ですが、「汚染されてないものを食べさせる」ということです。セシウムとかは実際は排泄されるのです。だから全く汚染されてないところできちんとした生活を送れば少しずつ排泄されて下がっていくということです。実際にそういうデータが出ていて、それは事実のようです。
 ですから、まず体からそれを抜き、新たな放射能を摂らない、そしてたまったものをできるだけ排泄させるというパターンに持っていく指導を子どもにしないといけないということです。

582_3.JPG (5)結論
 まとめると、1番目にチェルノブイリ原発事故によって被曝した子どもからいわゆるフリーラジカルの影響が明確に確認されています。2番目に、子どもの体細胞の病態による全疾患罹患率は、被曝したところの子どもが高かったということです。3番目は、甲状腺がんは5年後から増えて20年でほぼ減少するということ。4番目は、除染作業員の子どももハイリスクであったということです。5番目に、放射線リスク群の中に、頻度は高くはありませんが、染色体レベルで異常が起きて病気が誘起されていることが明確になっています。
 問題はこれからで、チェルノブイリ事故から今まで25年です。子どものときに被曝した人たちが、25年たって今は大人になっています。しかし彼らの人生はこれから何年もあり、それを生き抜かないといけないのです。ロシアは甲状腺がんが出る最初のフェースは終わって次のステップに入っています。低線量被曝を持ち続ける人がどうなるのかはまだ未知の世界です。
 予想されることは、体内に蓄積したセシウム、ストロンチウム、ボロンのようなものからフリーラジカル、活性酸素が常に出ると、いわゆる生活習慣病と言われているものが進行します。そしてもう一つは、活性酸素が常に出ていると、細胞の中の核にあるいわゆるDNAに傷が付きます。私たちの体でも常にDNAに傷が付いているのですが、それは修復されて元に戻っているのです。しかし活性酸素が多すぎると、その傷を治す力が追い付かないのです。そうするとがんになりやすいのです。これが非常に怖いです。
 もう一つは、被曝した人には精神的なストレスがずっと続くということです。そういうことを想定したうえでこれからどうするかというのがロシアの問題です。それらを彼は「チェルノブイリ症候群」と言っています。

■福島のこれから
 福島も、何も起こらないかもしれませんが、しかしチェルノブイリと似たことが起こるかもしれません。その起こる確率はある程度、またもしかしたらかなりあるかもしれません。チェルノブイリが25年先を行っていますので、それを見て私たちはいろんなことを学んでいかなければいけません。「チェルノブイリ症候群」と「フクシマ症候群」は、同じではないかもしれませんが、後者は起こり得るかもしれません。
 チェルノブイリ事故から25年ですが、その子どもたちが今大人になって更にこれから50年以上生き続けるわけです。初期の段階は終わり、この人たちは次のフェースに入っていくということです。
 チェルノブイリがあり、スリーマイル島のこともありましたし、国際的にいろいろな情報が集積されていますので、福島に関しても国際的なプロジェクトチームを立ち上げてやっていくのが大事なことだと思います。今、私たちは経済産業省の関係で、小児がんの全数登録や長期フォローアップのできるシステムをきちんとつくり上げて国際的な信頼を得ようと頑張っています。そして小児がんに関しては、ロシアとか国際的な連携の中で、純粋に学問として、そして社会的な問題として、取り組んでいきたいと思っています。
 最後に、世界では小児がん専門のセンターは二つしかありません。アメリカのセント・ジュード・ホスピタルと、今度ロシアに全面新築された小児がんの専門の病院です。私が最後に言いたかったのは、ぜひ日本にもこの小児がんのセンターをつくってほしいということです。ぜひご支援をお願いいたします。
 チェルノブイリを経験したロシアと、そして日本は福島だけではなく既に広島・長崎を経験していて、更に今度福島なのです。日本は最も放射能の災害を経験している国なので、単に核や放射能のことを責めるだけではなく、先頭に立って積極的にこれからをどうしたらいいかに取り組まないといけません。起こらないと思ってしまえばそれで終わりです。しかしチェルノブイリを見れば起こるかもしれないと考えるのが当たり前で、冷静に考えてきちんとした対策を取っていくべきだと考えます。私は小児がんのことをこれまで40年間やってきましたので、特にこの辺りは思い入れが強く、頑張っていこうと思っています。

(終了)