『負けじ魂〜北京オリンピックスタジアムの屋根材等を勝ち取ってきた戦略と覚悟』
講師:庄野直之氏(昭和50年卒)
■講師紹介
○高西 私も2年前にこの二木会でロボットの話をさせていただきました。高校時代はお互いに別のバンドで活動していました。私たちは昭和31年生まれですが、あの頃は洋楽のロックは大人の人には嫌われていたと思います。文化祭に出られるバンドは先生が審査をするのですが、私たちは一生懸命に練習したのに落とされ、逆にうまくマーケティングをやった庄野君たちは通ったということがありました。
彼とは同じ大学で、私は理工で彼は政経です。一緒に一浪で入り東京に来ました。そして学部を1980年に卒業しましたが、私はそのまま早稲田に残りました。お互いに文系と理系で分野が違いますが、いろいろ交流があります。今は高校も理系・文系で分かれていると聞きました。受験を考えてのことでしょうが、一生の友達というのは理系も文系も関係なく、人生を豊かにするという意味では分かれていないほうが良かったと思います。
奥様は稲尾監督のお嬢様ですが、私の妻も奥様と同じ中学・高校で、同窓会でご縁があるそうで、夫婦でお世話になっています。
■庄野氏講演
〇庄野 今日は偉そうなタイトルを付けて、自分でもしまったと思っています。しかも、昔の同級生も来てくれていてとてもやりにくく感じています。
■フッ素樹脂
通称はテフロンという名前で知られていますが、この名前はデュポンという会社が商標としていまだに持っています。蛍石(フッ化カルシウム)を原料にして作ります。汎用プラスチックは世界で毎年3億トンぐらい作られていますが、このフッ素樹脂はその0.1%ぐらいの30万トンで、汎用性は低いのですが有能なプラスチックです。
耐熱、耐寒、耐紫外線としては非常に強いです。耐薬液についても、塩酸や硫酸をかけても溶けません。そして離型性があります。これはテフロンのフライパンで分かると思います。くっ付かずにつるつるに滑り、氷並みの摩擦係数です。誘電率とか誘電正接とかの電気的な特性もありますので、通信用の器材にも使われたりします。それから、うまく延ばすと細かい穴が開きます。これを使った材料がゴアテックスです。これは汗や水蒸気は外に出ますが水は通りません。この特性を生かして、例えば、自動車のヘッドライトカバーの経年ひび割れを防ぐために、ゴアテックスもどきの延伸したフッ素樹脂の材料をヘッドライトの後方につけて、通気を確保しています。これは車の寿命と同じくらい長持ちする便利な材料です。
一方便利で丈夫ということは、言うことを聞いてくれないということです。溶けないし、どんな液をかけても柔らかくなりません。他にも、膨張係数が大きいとか、扱いにくい要素がたくさんあります。加工するのが難しいというのがフッ素樹脂の特徴ですが、逆に腕の見せ所ということにもなります。
■中興化成工業の紹介
<会社の概要>
創業は1963年です。ちょうどエネルギーが石炭から石油にシフトしていた時代です。会社の前身は九州の炭鉱ですが、石炭業が立ち行かなくなり、他の事業への転換を検討せざるを得ない状況になり、当時の創業一族のオーナーが模索して、様々な事業にチャレンジしました。因みにこの創業家は大相撲九州場所を招致したり、古賀カントリーゴルフ場を作ったりしています。その中で、フッ素樹脂に挑戦したのです。トン単位でしかものを考えられない石炭屋のラフな人たちが、キログラム単位に挑戦したということだけでも大変なことだったと思います。ですから最初は失敗の連続だったと聞いています。
それが成長を果たすことが出来、現在工場は、長崎の松浦にF1からF5まで五つの工場があります。Fというのは、フロロポリマーのFとかファクトリーのFです。松浦にはもう一つSC工場があり、ここではエアバッグのコーティングを主にやっています。それから、中国の常熟にもプラントがあります。
現在の従業員は500名弱です。
<粘着テープ>
現在の主力商品の一つが、フッ素樹脂でできた粘着テープです。おかきの袋などビニール袋を閉じる工程で使われています。世界の熱板とか包装パッケージがあるところには、ほぼこのフッ素樹脂のテープが使われています。
<屋根材>
それからドームの屋根があります。フッ素樹脂の耐紫外線、耐候性、数十年の耐久性の他、離型性で全ての汚れが雨で流れ、東京ドームは真っ白のままです。南アフリカのネルソン・マンデラ・ベイ・スタジアムの屋根も東京ドームとほぼ同じ材料を使っています。また、上海では新交通システムの駅で使われています。東京では東急線の各駅のホームとか、東京駅のグランルーフとか上野駅とか、九州の佐世保とか長崎とか鹿児島とか、最近はスタジアムだけではなく駅関係施設も多いです。バンコクの飛行場の屋根も手掛けました。この屋根の材料はぺらぺらしていますが実は優秀な材料で、汚れません。そして燃えません。
北京オリンピックスタジアムの屋根を手掛けた時は、屋根が透けるようにしてほしいと言われて、ポーラスに穴を開けたりして透けて見えるようにしました。その次は屋根で吸音してくれと言われ、いろいろな吸音試験をやりました。それは屋根が単に雨露を防ぐだけではなく、屋根材に機能性を持たせるきっかけにもなりました。この辺を追求していったおかげで、今、羽田の空港の国際線の新ターミナルでも同じ材料を使ってもらいました。上海浦東空港とか深圳のユニバーシアード会場とかでこの吸音の材料を採用してもらっています。そのようなことで機能材としての目覚めがありました。
<特色ある製品>
屋根以外では、H2ロケットのリテイナーに使われたり、餅のコンベアベルトに使われたりしていて、この面白い材料が何に使えるのだろうと展開していくところがこの仕事の醍醐味で、こういう発想が好きだとこの仕事は面白いです。
他の例ですが、サウジアラビアにハッジ(巡礼)として、300万人ぐらいが訪れます。このとき、決まった場所にテントが用意されていて、教義では巡礼の前にここで一夜明かさないといけないのです。そのテントは、昔は運動会に使うような普通のキャンパス地でできたものだったので、その下で煮炊きをして何回も大火事になっているのです。そこで十数年前に燃えない長持ちする材料に変えようと、ドイツやアメリカのメーカーと分担して一緒に製造したこともあります。
<エアバッグ>
そのような中で、この製造技術を応用した仕事が自動車の側面衝突用のサイド・カーテン・エアバッグです。これはナイロンクロスにシリコン樹脂コーティングをしているものです。10年前にこれの専用の工場を建てました。私が前にいた住友商事と旭化成と住江織物の3社で袋を織る会社を長崎県の松浦につくって、われわれがその表面をシリコンでコーティングするというコンビネーションで今やっています。これも単に「シリコンを塗れ」と言われて塗るだけだったら、単なる下請け仕事です。当時はエアバッグが分厚かったのですが、当社でこれを薄くして、軽量化や省スペース化を実現しました。当時のカーテンエアバッグは大きな車にしか載りませんでしたが、今は小型車に載ります。
<半導体関連>
それ以外の製品では、半導体の部材があります。半導体の製造装置というのは、硝酸、塩酸、フッ酸とかの十数種類の薬液の腐食性の高いものを使います。チューブとかタンクがそれらに侵されたらもう終わりです。ですから、チューブもタンクもフッ素樹脂やガラス石英でできています。これもフッ素樹脂の有名なアプリケーションです。
■日本の強み
皆さんには釈迦に説法ですが、資本主義の世界では利潤は差異性からしか生まれません。昔だと、インドの香辛料を500で仕入れてヨーロッパに2000で売ったというのが地域差異性です。われわれは文化差異性に注目しようと思っています。例えば、訳せない言葉がその国独特の文化だと私は思っています。日本には「気」という言葉がありますが、それは外国語には訳せません。中国語の「気」は、気功とかのパワーとしての「気」ですが、日本で言う「気が合う」とか「気が済む」とか「気が置けない」とか「気が付く」とかの「気」という言葉は外国語にできず、それが日本独特の文化だろうと考えます。でも、それだけでしたら利潤にはなりません。それをどう利潤にしようかということです。
日本人の持っている「気」を契約条件化しようということです。共通言語は数字です。簡単に言えば、ピザのデリバリーが30分遅れたら半額にしますみたいな話です。「気が気でないこと」を保証すれば、それが価値に昇華して初めて海外と差を付けられるということです。
それから、日本には倫理資源がたくさんあるから資源大国です。「人に迷惑を掛けない」というのが一つの倫理だとすれば、日本は資源大国です。これだけの資源に恵まれた国は世界にありません。それをできるだけ使ってやろうと考えています。価格や規模とかの表面上だけのことでは、やはり中国に負けます。
それ以外の特性としては、日本人は工夫好きで親切です。一方、カイゼン、カイゼンで、その欠点を敢えて言えばのろいのです。海外では、カイゼンより早く持ってこいという話もあります。これは最近命取りになっている面もあります。どちらが勝つかということですが、今はスピードのほうが少し勝っています。
■日本の弱いところ
日本の弱いところは、匠を重視しますから普遍化が下手です。これを思い切り感じたのは、東日本大震災の前、私が日本のフッ素樹脂工業会で会長職をやっていた当時、何かで操業ができなくなったらよその会社が代替生産をやりましょうとなりました。今で言うBCP、つまりは火事場泥棒はやめましょうということでもあります。そしてその半年後ぐらいに東日本大震災が起こったのです。即、他社さんがうちに来て、操業ができなくなったので代替でつくってほしいと言われたのですが、普遍化をしていないから作りかけの半製品でもらっても機械に掛からないのです。そこが日本の弱みなのです。
この前、MRJの話が日経新聞に出ていました。ボーイング社からコックピットを共有化したらと持ち掛けられたそうですが、自前主義にこだわり、それを断り、それで開発が遅れたのだそうです。日本人というのは、自分でやらないと不真面目だと思ってしまうのです。得意なところは得意な人にやらせるのがいいと私は思っています。
それから「時間軸の欠如」があります。時間のもったいなさが分かっていません。更に「成功体験」と「夜郎自大」があります。いまだに何かというと「ウオークマン」とか「上を向いて歩こう」とか「ゴジラ」のことを言う人がいます。そんなものは何十年前の話です。
そして「サラリーマン的保身と『削る』勇気のなさ」です。この前たまたまダグラス・ウエーバーという方の話を聞いてきました。この人は最初スティーブ・ジョブズのところでiPodのアルミのケースをつくっていた人ですが、今、糸島の山屋に住んでいます。九大を出ていますから日本語はべらべらです。彼に聞いたら、スティーブ・ジョブズという人は要らないものを捨てる人だそうです。たくさんのアイデアが出てきても、彼は「これは要らない」とやめさせる天才だったそうです。iPodもiPhoneもそうですね。スイッチや説明書が見当たりません。必要な人は探すというのです。普通、技術者は全部盛り込みたいのです。それを捨てる勇気はなかなか持てませんが、製品の最終デザインにはそれらを削る人も必要かなと思います。
■素材産業としての戦い方
<素材産業の特性>
素材産業を「道路を走っている車」に例えると、3台目か4台目です。先頭を走っているのは、自動車メーカーさんだったり家電メーカーさんだったり、最終のアッセンブリー産業です。私ども素材屋はその後ろを走っているのです。先頭は日本のメーカーさんに走ってほしい、つまり日本メーカーにリードして欲しい気持ちはありますが、そうでなければ、やはり外車、つまり外国メーカーの後ろを付いていきます。後ろにしっかり付いて、我々はソリューションを提供します。
他方で辛いのは、景気が悪くなったら、前の車両は100キロを80キロに落として走ります。そうなると、中間在庫を使って製造しますから、後ろの素材メーカーには発注ゼロになります。イメージとしては渋滞と一緒です。そしてまた景気が良くなると、前はひゅっと行き、そのようなときは、垂直立ち上げを要求されて辛いけれども付いていくしかありません。その前を走っている車が外車だと、乱暴な運転をしたりすぐ止まったりしますので、日本メーカーのほうがやりやすいのは事実です。
<企業のVisionとMission>
どんな組織でもそうですが、会社には必ずVisionがあります、Visionの下にMissionがあり、Missionの下に戦略があって、戦略の下に戦術があります。戦術は戦略を実現するためにあり、戦略はMissionを実現するためにあります。MissionはVisionを実現するためにあります。一番上にあることほど、平易で簡単な言葉じゃないと私は駄目だと思います。中興化成のVisionは一つしかありません。つぶれずに発展することです。Visionというのは、あまねく全社員が納得することです。数学で言えば公理みたいなもので、絶対の大前提なのです。公理の下に定理があるように、Visionの下にMissionがあります。
<人を動かすことについて>
例えば、人事Missionで大事なことは、楽観主義を持ち続けさせることだと思います。その楽観主義とは何かというと、ニヒリズムを持たせないということです。私がサラリーマンの時に気に食わなかったのは、人事発令が、それまでの上司から「行ってくれ」と言われることです。それはおかしい、新しい所属先の長から「おまえが来てくれ」と言うのが普通でしょうということです。そうすれば喜んで行きます。ですから、私の会社では来るほうからしか内示しません。ネガティブな言葉もできるだけ廃止しました。例えば、「ここのサイズが分からないと見積もれません」ではなく、「ここのサイズが分かれば見積もれます」と言いなさいということです。また、創意工夫を楽しませるのに、中興マイレージポイントというマイレージカードをつくらせて、何か発想するたびにマイレージポイントを貯めさせています。そして年度末に商品券と交換させています。
また、「頑張ったらお父さんみたいになれるよ」と言いなさいということです。「頑張らないとお父さんみたいになるよ」という言い方をされたら負けです。父親はイメージで母親は実体だそうです。昔の「おやじ太鼓」で、進藤英太郎が雷おやじで、しっかりしたお母さんが風見章子でした。また、「寺内貫太郎一家」では、雷おやじのお父さんは小林亜星で、お母さんは加藤治子でした。どちらもお母さんは同じパターンです。今は、お母さんは樋口可南子、お父さんは白い犬です。(笑い)お父さんはイメージだと言いたいのです。家族全員で「お父さん」と言っているから、犬でもお父さんに見え、イメージさえつくればいくらでも偉く見えるし、相乗効果で頑張るのです。
私どもの栃木の工場にはクリーンルームを備えているのですが、そこの責任者は、自分の車がきれいな人にやらせるように言っています。車がきれいな人はそのような仕事が好きで向いています。成績の良し悪しは関係ありません。適材適所ということです。
<終わりに・・「われわれが、心すべき言葉」>
戦艦大和が出航する前日昭和20年4月5日の夜、この時、日本の敗戦は分かっていたのですが、臼淵磐大尉が、動揺する艦員を前に「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚める事が最上の道だ。日本は進歩という事を軽んじ過ぎた。私的な潔癖や徳義に拘って、本当の進歩を忘れてきた。敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。今目覚めずしていつ救われるか。俺達はその先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃあないか」と言われたそうです。これが今のわれわれにも当てはまると思うのです。このようなことをわれわれ製造業が考えずにまた同じことを繰り返したら、昭和20年に亡くなった人たちに申し訳ないと思っています。
■質疑応答
〇柴垣 昭和27年卒の柴垣です。ここ数年の一連の日本の製造業のさまざまなリスクについてどうお感じでしょうか。
〇庄野 偽装とかいろいろある問題は、学校のいじめの問題とか官界の天下りの問題と一緒で、そう簡単な問題ではないと思っています。例えば、品質検査の問題がありましたが、昭和40年代の制度がいまだに適応されていて、その制度自体が老朽化していて、だから現場では、こんな検査は必要ないみたいな風潮があったケースもあります。制度自体を時代に合わせなければならない面もあるのでしょうが、悪法もまた法なりで、決められたものはしなければならないという認識もあります。両方の見方があります。制度を変える努力も必要でしょうし、一方では、それを正直に言わせる土壌もつくろうと思うのですが、たやすい敵ではありません。うちの会社ではそんなことはないとは言い切れません。うちの学校ではいじめはありませんというのと一緒です。そこについては心して対峙するつもりでいます。
〇古賀 45年卒の古賀です。稲尾さんのお嬢さんをお嫁さんにされたということなのですが、神様・仏様・稲尾様の稲尾さんはお義父さんとしてはいかがな方だったのでしょうか(笑い)。
〇庄野 私ども家族が一番誇りに思っていることは、実績のことよりも、稲尾が降りたマウンドはとてもきれいだったということです。マウンドを降りるときはくさくさすることもあるでしょうが、稲尾は次のピッチャーのために必ずマウンドをならしていたそうです。家族にとっては何勝したかよりも、その平常心を誇りに思っています。
もう一つは、不条理なことに強いです。本人から聞いたのですが、1試合のうちに3球から4球はどう見てもストライクをボールと言われるそうです。それは不条理なことだけれども、そこで負ける人は、どんなに球が速くても変化球がすごくても、大成しないのだそうです。
〇中塩 平成元年卒の中塩です。技術の伝承についてどのようなプログラムをお持ちでしょうか。
〇庄野 職位が上がっていくと管理職になりますが、私の会社では、その他にエキスパートマイスターというコースがあります。ただし、技術を自分だけで極めるのではなく、それなりの後任を育てるというのがそのマイスターの一つの条件になっています。ただ、技術というのはとてもあいまいで、「技術とは何ぞや」ということを問うても難しいところがありますが、できるだけそのマイスターに対して敬意を持ってきちんとした処遇をやるようにしています。
■会長あいさつ
○大須賀 面白いお話でした。フッ素樹脂は、われわれの生活がもっと豊かになっていく可能性を秘めていると思いました。また、日本の強みは、気遣いがビジネスにつながっているということで、全くそのとおりだと思いました。そして日本の弱みのお話になると、まさに日本文化論になり納得するお話でした。素材産業の話では、経営哲学の話になりました。さすが、日本の誇る商社マンであり、そして修猷人だなと思いました。
最後に思ったのですが、これだけお話がうまいのですから、別業として噺家をされたらいいのではないかと思いました。今日はありがとうございました。
(終了)