第597回二木会講演会記録

『東西文明の融合と日本の役割――最近のアジア太平洋情勢を含めて』

講師:井尻秀憲 氏 (昭和45年卒)

■講師紹介

○土肥研一氏 私と井尻先輩とは二つほど接点があります。一つは、井尻さんは野球部の1年先輩で、当時は手堅い守りの二塁手でした。いつも静かに皆の話を聞いてもらっていた先輩でした。

 もう一つは、私が就職してソウルの延世大学に留学していたとき、知り合いの朝鮮研究者が井尻さんの先輩でした。ある日「これから金浦空港に人を迎えに行くけれども、どうやらおまえの修猷館の先輩のようだから付いてこい」と言われました。驚いて名前を聞くと「井尻さん」ということでした。その晩は遅くまで一緒に食事をして飲みました。井尻さんは東京外大の中国語科をご卒業ののち、三井銀行にしばらく就職され、それから外大に戻られ、さらにバークレーの博士課程に入るため、ソウル経由で現地に行かれた、ちょうどその瞬間にお目にかかったというわけです。

 本日はたっぷり、ご専門の台湾や李登輝さんのことを中心に、お話しいただきます

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■井尻秀憲氏講演

○井尻 演題が「東西文明の融合と日本の役割」だけだと哲学、思想の話になって難しすぎると思いましたので、最近のアジア太平洋情勢も含めてお話ししたいと思います。

■李登輝の思想と実践

 強調すべきは「実践」です。これがないとだめです。実践しなければ意味がありません。ただ思想だけであれば、それはただ「思想がある」というに過ぎません。

 李登輝さんは「台湾経験」という言葉を使われます。これは西田幾多郎の『善の研究』という本の中にある「純粋経験」から来ています。どの国・地域なのかという「場所の論理」が重要で、台湾というのは非常に特殊な地域だということが「台湾経験」の言葉につながると言っていました。

 私は遅くになってから『善の研究』を読みましたが、これは明らかに弁証法です。Aがあり、これに対立するBがあって、それがCに揚るということです。この揚ることを弁証法ではアウフヘーベン、止揚(しよう)あるいは揚棄(ようき)と言います。これだと到達点が分かるのですが、近年言われるポストモダンは揚がらないで、そのままのスパイラルの状態です。毛沢東の「連続革命」も同じで、どこに行くかが分からないのです。李登輝さんはこの西田幾多郎の哲学を随分研究されています。

 また李登輝さんはクリスチャンですが、彼の思想のバックボーンには、トーマス・カーライルとかゲーテとか仏教とかの宗教や日本精神への理解があります。まさに「東西文明の融合」がそこにあるのです。そして彼が何よりも強調するのは「実践」です。ただ思想があるだけで「実践」がなければ何も意味がないということです。 

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■東西文明の融合と日本の役割

 李登輝さんは沖縄で講演したときに福沢諭吉の『学問のすすめ』に触れています。日本が近代化に成功したのは自由民主の貫徹で、世襲制度、階級制度を廃棄して、魯迅が批判した中国の「輪廻芝居」を変えなければならないということです。漱石の『私の個人主義』や『学問のすすめ』にある、つまり民間こそが手本になるということです。

 中国がどう発展し、衰退してきたかを考えると、中国は歴代王朝が常に「一つの中国」の伝統を持ち、それを繰り返してきました。その伝統の中で、前の王朝の歴史は後の王朝の人たちが記録するのです。そのような中華の立場からすると、台湾は「化外の地」つまり野蛮人の地域ということになり、大した意味合いを持ちえません。場所の発想でいくとそういうことになります。

 ところが、李登輝さんに言わせれば、今の「台湾」の正式名称は「中華民国」ですが、ここから抜け出せば台湾は変わりうる。つまり中華民国から台湾に変わるということです。李登輝はそのようなことをやろうとして、一番大事なのは教育ということで、李登輝学校をつくりエリート教育をしています。若い人を育てることが一番の基礎です。

 日本の場合、今は第3の開国と考えています。第1の開国は明治維新、第2の開国は戦後の高度経済成長、そして今、第3の開国の時期を迎えています。ようやく今「失われた20年」の不況から脱出しようかというところですけれども、アベノミクスへの評価は、二つに割れています。

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■指導者の条件

 李登輝さんは『奥の細道』を歩いています。そして指導者は、品格と価値が大切だと言っています。また意思決定をするときは段階を踏んでいったほうがいい、段階を踏まずに真っすぐに走ると革命になってしまう。だから注意すべきということです。また日本文化は、高い精神性と高尚な「情緒の形」を持っているともおっしゃっています。剣道とか茶道とか華道とかすべてが「道」であり、生活の中に自然とその「道」が入っている、それが日本の精神文化の特徴なのだということです。

 そのことにも通じるのですが、また彼は「誠実と自然」を理念としています。これは武士道の中に昔からあるものです。日本はこれまで外国文化やいろいろなものが入ってきても、それにのみ込まれることなく、日本独特の伝統を継承して日本の文化を入念につくり上げてきました。そこに価値があるというのです。

 私が『李登輝の実践哲学』を書いたときに、総統に「総統が一番重要と思われるところはどこですか」と聞きました。総統は「東西文明の融合と日台(にちたい)の心と心の絆」と言われました。私も全く同じように思っています。「実践」重視、宗教を信じ、そして国を愛することがいわゆる東西文明の融合であり、そして日台の関係を「心と心の絆」で結び付けるということです。

■最近のアジア太平洋情勢

 尖閣問題は、5年後に日中外相会談をやるということで決着がついたと私は考えています。そうなると次に中国がどうなるかですが、内政に相当苦労すると思います。これからが大変です。天安門で車が炎上した事件がありました。国有企業の改革もやらなければなりません。農村部の2億人ともいわれる潜在的失業者の問題もあります。

 中国は常に「一つの中国」の伝統を持ち、それを繰り返しています。つまり易姓革命、名前を変えるだけの王朝です。そうすると今の中国共産党も一つの王朝に過ぎず、まだ短いですが私は10年で代わると思います。

 今、中国では4カ月に及んだ党内闘争の末、習近平体制になりました。習近平は社会主義イデオロギーだけでなく、中華民族の復興(つまり愛国主義、ナショナリズム)を強調するという側面も持っています。それはある意味弱さの証明です。なかでも一番重要なことは、中国共産党の存続をできるだけ先に引き延ばす、つまり延命です。これが彼に求められている最大の役割です。海洋政策についても先端を近海から遠海へと拡げ、まさに中華帝国の復興を実現しようとしています。彼は胡錦濤のような共産主義青年団で教育されたエリートではありません。一応世襲ですが、小さいころはきちんとした勉強をさせてもらえず、コンプレックスもあります。それから日本に対して強硬に出るべきとも教育されています。

 現在の中国は反地方分権状態ですが、最終的には連邦制とかのかたちになると思います。そこで選挙をやらざるをえなくなるでしょうが、その過程でいろんな混乱が相当出てくると思います。投票箱が紛失したり買収が行われたり、それは大変な混乱になると思います。しかし10年後には政治改革が完了するでしょう。そして、「新・中国共産党」と「新・中国民主党」、または他の政党もできるかもしれません。そうなればそれはもう西欧型の民主主義です。そして同時に、いわゆる「陰の銀行」と言われる地下経済が破綻しますと、日本も巻き込まれます。これは非常に重要です。

 北朝鮮に関しては、安倍総理がモンゴルに行きました。モンゴルというのは一番中国の脅威を感じているところで、同時に北朝鮮情報を得るのに一番適したところなのです。もし拉致問題について何らかの成果が出ると確認したら安倍さんは北朝鮮に飛ぶと思いますが、今の段階ではまだ分かりません。また南北の統一になると韓国経済はもたないと思います。そして核の問題も出てくると思います。「核つきの統一」ということになったら、日本も核武装だという意見が当然出てくるでしょう。だからそのあたりは、少し警戒しないといけないと思っています。

 アメリカとの関係ですが、すでに安倍総理が訪米しました。私はTPPについては前からゴーだと申し上げています。これはもう行かなければいけません。アメリカの自動車と日本の農産物を関税の例外にするというかたちで合意しましたので、それは問題ありません。

 南シナ海では、フィリピンや中国がかなりやり合っています。「行動宣言」はありますが、それをある程度の圧力がかかる「行動規範」にどう変えていくかが難しいところです。

■質疑応答

○福寺 昭和43年卒の福寺です。私は40代始めに台湾に3年駐在していて、李登輝さんともお会いして大変尊敬しています。そして2005年から4年間、中国の子会社の社長をやり復旦大学の先生に1週間に1回、中国のことを教えてもらっていました。今日のお話は私とほとんど同じ認識でした。お話にもありましたが、これから若い世代になって、中国というのはいいほうに変わっていくのかどうかをお聞きしたいと思います。

○井尻 同じ意見とおっしゃっていただいてありがたく思います。中国の今後の可能性ですが、中国は今がピークであり、5年後から衰退過程に入ると考えています。最後の行き着く点はそこですが、それまでの過程で我々の想像のつかないような困難が生じてくるのだろうと思います。10年後には3人の40代の政治家辺りが上がってくるのでしょうが、ソ連のようなクーデターは起きないと思います。ソ連との比較でいえば、ゴルバチョフはもともと上からの政治改革しか考えておらず、下からの民主化は考えていませんでした。だからクーデターが起こりましたが、それは中国では起きません。隣国である日本にとっては、最後の地点に到達してくれればありがたいことだと感じています。

○フカホリ 平成12年卒です。学部大学院時代に国際政治を勉強していて、先生が修猷館のご出身だと知らずにいましたので大変驚いています。尖閣をめぐる騒動に関して、5年後の日中外相会談で終わらせるとのご見解ですが、外相会談を設定すること自体が領土問題として認めてしまうことになるのではとの懸念があります。その終わらせるという意味を教えていただきたいと思います。

○井尻 これは棚上げではありません。立ち話が始まったときに日中双方で考えたことは、いわゆる「領土問題は存在しない、ただ領土問題に関する意見が違っている」ということです。それを前提にして立ち話が始まり、そして日中外相会談にまでいくということです。意見が違っているから会談が必要になるのです。

○高橋 41年卒の高橋です。習近平とナンバー2の李克強の2人が、実際にはどのような役割分担をして、本当に後、5年以上このまま行けるのでしょうか。

○井尻 李克強はあまり人気がありません。しかし何か問題が起きるとやはり首相の立場で彼が動かないといけません。習近平は国家主席ですから、もっと大局でじっとしていていいという面があります。そして、その二人は仲が悪い。そして温家宝は「涙の温家宝」と言われていて、泣くのでみんなが可哀想だと言います。李克強は泣きません。やはりそれなりの人事でやってきたことですから、5年間でそこに亀裂が入るとは思いませんが、現時点では、二人は仲が悪いです。習近平を筆頭とする、ある種の集団指導体制でやっていくのだと思います。

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(終了)