『何故福岡に肝がんが多いのか?~肝がん撲滅への取組み~』
講師:溝上 雅史 氏(昭和42年卒)
■講師紹介
○伊藤 彼とは生徒会の執行部で一緒でした。先月、彼から電話があって今日の紹介をするように頼まれました。私は彼が今何をされているのかは詳しくは知りませんでしたので、高校時代の話でもしようかと思っていたら、その翌日に偶然にBS日テレで「夢のメディ神殿2016年スペシャル」というのがあって、ノーベル賞を取られた大村智さんに匹敵するような素晴らしい仕事をした人がいるという紹介があり、そこに彼が出てきてびっくりしました。
執行部の仕事は前期でしたから、文化祭が中心でした。文化祭で売るジュースはそれまで売店の取り扱いだったのですが、生徒会で発売して利益を生徒会費にしようとなりました。その時に彼が交渉して、売店よりもはるかに安い値段で仕入れてきました。売る値段もまた安くしてわずかな利益でしたが、私の記憶では2日間で2万数千本売れ、大変なお金になりました。
私は財務で各クラブの次年度の予算を決めていたのですが、少し余裕がありましたので復活折衝をやっていました。それを彼が「俺もやりたい」と言うのです。部長と会計が女子だった華道部と茶道部の復活折衝の交渉をしたかったのです。私は「おまえは甘くなるから駄目だ」と言ったのですが、「ちゃんとやる」と言いましたので彼に任せました。その後、そのお二人の部長さんが私のところに「本当にあれでよかったのですか」と確認に来られました。その時、彼はあまり信用されていなかったのかなと思いました。
3年生の運動会では彼は騎馬戦の大将をしました。大将戦の時の馬は今福岡の古賀市長をしている中村隆象くんだったのですが、残念ながら彼がころんで上の大将がもんどり落ちてしまったこともありました。思い出すと楽しいエピソードがいろいろと出てきます。
■溝上氏講演
○溝上 日本における肝がんの死亡率は先進国の中ではずば抜けて多く、男の第3位、女性の第5位となっています。肝がんの中では、肝細胞がんが94%を占めています。その肝細胞がんの中でHCV(C型肝炎ウイルス)に関係しているものが、現在では8割を超えています。肝炎ウイルスはABCDEと五つあるのですが、HCVが一番多いです。これは感染しても2、3割の方は自然に治りますが、残りの方は10年、20年、30年とたって慢性肝炎から肝硬変そして肝臓がんに進んでいきます。HCVに感染しても肝硬変、肝がんになるまで自覚症状が出ませんので、私たちは検査の必要性を訴えてきています。
■HCV(C型肝炎ウイルス)の感染
このHCVは、日常生活の中での感染はまずありません。これは血液を介して感染しますので、入れ墨や静脈注射で多く感染します。静脈注射で一番多いのは覚せい剤です。それから輸血ではほぼうつります。
日本のHCV感染の状況を解明するのに、遺伝子の変化を調べて計算する分子進化学という学問があり、その中の分子時計という手法を初めて臨床に応用してHCVの広がりを研究しました。するとHCVが日本に入ってきたのが1880年、広がり始めたのが1920年、そして拡散が停止したのが1989年というのが分かりました。
1988年に拡散が止まったというのは、この時にHCVが見つかり、1989年からは検査試薬を導入してウイルスに感染したものは、輸血に使わないようになったからです。ですから1989年以前に輸血をしたことがある人は、必ず検査を受けてください。万が一HCVに感染していても今は99%の確率で治りますし、2015年からはこの新しい治療薬に保険が適用されました。1988年のHCVの発見は、これで安全に輸血ができるというノーベル賞に値する大発見でしたが、発見した人はそれを論文にはせずに、最初に特許を取りベンチャー企業の利益としましたので、ノーベル賞にならなかった次第です。
昭和天皇は1989年にお亡くなりになりました。1988年の9月19日に吐血され、その後111日の間大量の輸血が行われました。自衛隊の元気な者の血液が輸血されました。その時にアメリカのキットでHCVのスクリーニングをやり、それで黄疸(おうだん)にはなりませんでした。輸血によるHCV感染がブロックできるということが実証された第一例が、この時だったのです。
■日本におけるHCVの拡散要因
1880年ごろに日本にHCVが入ってきた要因は、有名なシーボルト達によってもたらされた西洋医学です。それまでの医療は草の根を煎じて飲むぐらいだったのですが、西洋医学の外科的手術が入ってきて、しかし当時の消毒というのは焼酎を掛けるぐらいのものだったため感染を許したと考えられます。
その後1920年ごろから増え始めていますが、その要因は、日本住血吸虫に対する静脈注射の特効薬が開発された時です。この住血吸虫の3大流行地は筑後川流域、甲府盆地、広島の片山地区と言われています。今から100年前ですので当然ディスポの注射器はありません。患者さんの中に1人でもHCVの感染者がいると、その後に注射を受けた何人かには当然感染していたと考えられ、このことで住血吸虫は治りましたが、HCV感染者は広がったという図式になります。住血吸虫では40歳代で死亡していました。HVCに感染してからがんになるのに30年かかります。70歳まで生きるようになったら今度は肝がんが出てきたということです。ここ20年の日本の肝がん死亡率を見ると佐賀県と福岡県がずっとトップ2に入っていて、ベスト20を見ると山梨県を除いて全部西日本です。これらの事実は、日本住血吸虫の流行地はそれに対する静脈特効薬の使用が大きく関与していることを強く示唆しています。 その後もHCVの感染者は増えていきました。その原因はヒロポンです。第二次大戦時に軍需工場の夜間増産のための眠気覚ましと、もう一つは特攻隊で戦意高揚目的で使用した事実が大きいと思われます。戦後は、ヒロポンを納めた軍がなくなり自由に売られたわけですが、その後中毒による弊害が社会問題となり取り締まられるようになりました。われわれが小学校のころの昭和30年は、ヒロポンを使ったことがある人が200万人いたという時代でした。そのころは注射器の使い捨てはない状態ですので、当然拡散していったのです。
一方、昭和24年には占領軍から命じられて血液銀行ができました。これは朝鮮戦争の時に兵隊さん用の輸血用血液を確保するためだったのです。それは商業銀行でしたから売血です。そこに感染した人が売血に行って、そこでまた感染を拡げたということになりました。
■日本における輸血制度の変遷
昭和39年に駐米大使のライシャワーさんが刺されて大出血を起こし、虎の門病院で何とか命を取り留めましたが、あの時は約10,000ccの輸血をしたと言われています。当時は売血がまだ行われていて、それだけの輸血をすれば確実に感染し、約20年位前に肝がんでお亡くなりになりました。
同時に金銭のために過度の売血を繰り返していた人の「黄色い血」が社会問題となりました。そして昭和43年には売血中止になり、50年にはWHOから無償の献血推進の勧告が出ましたが、HCVはまだ発見されていませんでした。1988年にHCVが発見され、1989年日本が世界で一番早く献血にHCV検査を導入しました。その結果、1989年以降に輸血した人は大丈夫です。
1960年代までは売血時代で、輸血した人の2人に1人は黄色い血でしたが、それがどんどん減ってきて、今や日本の血が世界で一番きれいになっています。これには大変なお金をかけています。 輸血が原因で肝炎が発症した例の有名人のお一人はライシャワー大使です。ライシャワー大使は20年ぐらい前に輸血が原因の肝がんでお亡くなりになりましたが、その時に白人が肝がんになるなんて珍しいと言われました。もう一人の有名人が寅さんの渥美清さんです。彼は若い時の結核の手術で輸血をして、そして十何年前にお亡くなりになっています。
皆さんやお知り合いの方で1990年以前に輸血なり手術をした方がいらっしゃったら必ず検査をしてください。今は手続きさえすればどこでも無料でやってくれます。HCVに感染して肝がんになるというのは、患者さん個人の問題ではなく、社会全体、国全体の問題として捉えてほしいと思っています。
最初に血液による感染症で問題になったのはエイズです。1986年にエイズが問題になった後に、私が今います国立国際医療研究センターにエイズセンターがつくられました。そして2008年に肝炎の撲滅を目的に肝炎・免疫研究センターがつくられて、私がそこに来て今に至っています。
■米国におけるHCV拡散要因
アメリカには1900年ぐらいにHCVが入ってきているようです。1900年にランドシュタイナーという人がABOの血液型を見つけています。これによって安全に輸血ができるようになり、外科の手術が急速に進みました。そのアメリカでHCVが広がったのは1960年頃、ベトナム戦争の時です。ベトナムのすぐ隣には、当時世界の麻薬の大半を作っていたゴールデントライアングル、ラオス、タイ、ミャンマーがあり、そこで安価で買えたのです。そして麻薬中毒の人たちがベトナム戦争から帰還して、お金欲しさに売血に回りました。
本来なら取り締まりをきちんとしていればここで止まらないといけないのですが、それでも広がったのです。それは1970年代に血液製剤の大量生産が可能になり、それに売血の血液を使ったからです。生産過程でアルコール100%の中に入れるものは全部死ぬと誰もがは思っていたのですが、殻をかぶったウイルスは死ななかったのです。HCVの拡散第3要因として血液製剤があって、血友病の血液製剤でエイズも問題になりました。
アメリカのHCVの拡散要因は、輸血、血液型、ベトナム戦争、ヘロイン、売血というものだったということです。ただアメリカのHCV感染者は減っていません。日本と違って増えていますが、これは他の社会状況と大きく関与していると考えるべきでしょう。
■世界各国におけるHCV拡散時期とその社会的要因
モンゴルやエジプトでは、人口の10%以上の感染者がいるというのが報告され驚きました。私は1995年にモンゴルに行き、国立がんセンターの肝がん病棟に行きました。100床のベッドは全部肝がんでした。そしてその病棟に注射器が2本しかないのです。これでは病院にいくと感染することになります。
私はロンドンに1988年から1991年まで留学していましたが、そこは大英帝国の名残りで世界中の金持ちがたくさん来ていました。イギリス人の医者はイギリス人を診ても国民皆保険で安いですからお金になりませんが、世界各国から来た金持ちを診ると15分3万円とっていました。そこに来た世界中の人たちはほとんど英語をしゃべれますから、私はその人たちから血液を採って、手術や輸血の経歴を全部聞きました。
そして、他の国から来ている同僚にもそれぞれの国に帰ってC型肝炎とB型肝炎の血液を集めてほしいと頼みました。当時はドライアイスを入れた魚釣りのクーラーボックスに人間の血液を入れて飛行機で持ってきても、何も言われませんでした。それで集めた血液が実は伊藤君が説明したテレビの基になっている"ねた"だったのです。
そのようにして世界中の血液を調べたら、日本の次に拡散していたのはスペインでした。ヨーロッパも南に行けばいくほど肝がんが多く、東に行けば行くほど多いです。西に行けば行くほど少ないです。ですから、その当時イギリス人のHCV患者はいませんでした。少なくとも白人はいませんでした。黒人ばかりでした。
アフリカではエジプトが一番多かったです。エジプトにもマンソン住血吸虫というのがあり、日本と同じような状況がありました。
モンゴルや南アフリカにも拡散しています。それからシベリア、ロシア、アフガニスタン、ウズベキスタンにも見られます。アフガン戦争でシベリアの若い兵隊がアフガンに連れていかれたことが関係しているようです。今、麻薬はほとんどがアフガンとコロンビアでできると聞いています。アメリカのベトナム戦争の時と全く同じ状況で、そこでも彼らが麻薬を注射器で打つことで広まっています。
■肝炎対策
明治時代の平均寿命は40歳台、大正時代で50歳台でした。その後昭和になってもっと長寿になってきましたが、それにしても肝がんの死亡数は増えています。1985年以降の統計を見ると50歳台から高齢になるほど数値が高くなっています。その人たちの治療をやらないと、がんは減らないのです。それで2008年から年間で200億円かけて7カ年計画がスタートしました。私はそれがスタートした2008年に今の国立国際医療研究センターに来て、日本中、世界中から優秀な人を集め、また国からは立派な施設を作って貰って研究を始めました。
1992年からは、日本が世界で最初にインターフェロンをHCVの治療に使いましたが、必ずしもうまくいったとは言えない結果でした。そういう中で、2005年に国立感染症研究所の脇田先生によって、―私もその研究チームの一員でしたがー、試験管の中でHCVが自由自在に増やせるようになりました。この結果HCVそのものの解析ができるようになり、同時に新しい薬の開発が急速に進みました。HCVの遺伝子は全部で約9,000あり、それが10個のタンパクに切れていて、そのうちNS3とNS5AとNS5Bという三つが治療のターゲットになりそうだということが、すぐに分かりました。そして2009年にはそれぞれに対応する薬が出来上がりました。しかし安易に抗ウイルス剤を使うと、簡単に耐性が出てくることも分かりました。そして次にそれぞれの薬を一緒に使うカクテル療法というのが考えられました。お互いの耐性株をクロスさせてたたくという考え方です。
これには先鞭(せんべん)があって、エイズではこの方法でうまくいっています。エイズウイルスそのものの完全な排除はできませんが、増やすのを抑えることができるようになり、現在ちゃんと薬を飲んでくれればエイズで死ぬ人はほとんどいない状態になっています。
2012年には、HCVのNS5Aの薬とNS5Bの薬ができて、その配合剤を朝1回1錠12週で飲ませたら、100%の人でHCVを排除出来ました。ただこの薬は1錠8万円と高価ですので、昨年から国の医療費助成対象となっています。ですから手続きさえすれば、月に1万か2万で治療が受けられるようになりました。
今後日本で国民皆保険等の理想的なHCV治療を行えば、2030年にはC型肝炎の患者数が1,000人以下になるだろうと予測されています。
C型肝炎というのは、日本は世界で最初にHCVが拡がった国ですが、それは各種の社会的要因が重なってからです。決して個人的要因で拡がったわけではないのです。それがやっと治るようになりましたので、これからは国全体として対策を進め、HCVを完全に駆除するようにしていかなければならないということをご理解いただければ幸いです。
■質疑応答
○柴垣 27年卒の柴垣です。90年以前に手術をした人は血液検査を受けたほうがいいということでしたが、普通の人間ドックその他の血液検査でいいのでしょうか。
○溝上 普通の人間ドックでC型肝炎検査が入っているところと入ってないところがあります。確認して受けるようにしてください。
○宮本 41年卒の宮本です。日本が症例の多い国であるにもかかわらず、特効薬がアメリカで開発されたということでした。これは薬を商業生産するということの構造的な問題は、アメリカと日本で違いがあるのでしょうか。
○溝上 全くそのとおりでした。いわゆる基礎研究と薬の開発には死の谷、―いわゆるデスバレーと言って、研究のレベルは高いけれども商業的にはうまくいっていないのが日本の現実でした、そこでアベノミクスの一環で、AMED(日本医療研究開発機構)という研究開発の総指揮を取る組織が今年から作られました。今後、基礎研究から薬へ素早く行ける体制になっています。
■大須賀会長あいさつ
○大須賀 今日のお話の題を見て他人事ではないという感じがしました。皆さんもそうだと思います。前半は近代史、現代史を交えながら分かりやすくアプローチをしていただき、後半に入って本題になり、HCVを試験管内で増殖させるというのが新しい薬の開発に大きく貢献したということでした。ご質問にもありましたが、やり方では大変な特許になるということのようで、日本の医療制度も大きく関係していることもよく分かりました。これからもますますご活躍いただき、日本の医療に貢献していただきたいと思います。
(終了)