第673回二木会講演会・新入会員歓迎会記録

「国際化社会をどう生き残るか ~修猷館卒業生の特性を踏まえて~」

講師:西日本フィナンシャルホールディングス会長 久保田勇夫さん(昭和36年卒)
開催日時:令和5年4月13日(木) (講演 18:30-19:30)

〇澁田(司会) 本日は、昭和36年ご卒業の久保田勇夫(くぼたいさお)さんに、「国際化社会をどう生きるか~修猷館卒業生の特性を踏まえて~」をテーマにご講演いただきます。

 久保田さんは東京大学法学部をご卒業後、大蔵省へ入省され、オックスフォード大学にて経済学修士号を取得後、国際金融局次長、関税局長、国土庁長官官房長等を歴任され、国土事務次官を務められました。平成12年に退官された後は、都市基盤整備公団副総裁、ローンスタージャパン会長、西日本シティ銀行頭取としてご活躍され、現在は同銀行の持株会社である西日本ファイナンシャルホールディングスの代表取締役会長を務められています。また平成24年から平成29年まで修猷館同窓会会長を務められ、現在は相談役でいらっしゃいます。

 今回の講演では、国際的に日本の金融力がピークであった1980年代、90年代に、東京サミット、先進国5カ国大蔵大臣会合、日米金融協議など多くの国際交渉を手掛け、政・官・学界に幅広く接してこられた久保田さんが、現代社会において、また国際化の中でどのように対応していくべきか等について、具体的事例を交えながら、新しく大学生となる皆さんや、若手社会人の皆さんの今後の活躍のためにも有益となるお話をいただく予定です。また「霞が関修友会」を含め、各界で活躍される修猷館人脈についても触れていただきます。

■久保田氏講演
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〇久保田 本日は気楽にお話ししますので、皆さん方もぜひ気楽に聞いていただきたいと思います。本日は久しぶりに多くの親しい人にお会いすることができて、私も大変嬉しく思っています。

■修猷館同窓会との関わり

 私は高校時代は生徒会活動も何もしていなくて、図書館で好きな本を読んだりしていましたので、同窓会にかかわるとは思ってもいませんでした。私と同窓会との関係は、昭和62年の東京修猷会の実行委員長を引き受けたのが始まりで、その後、東京修猷会の副会長を2年間やり、そして福岡に帰って、出光さんが修猷会の会長の時に副会長を5年間やりました。その後、会長を5年間やって川崎さんに引き継ぎました。川崎さんが津田さんに引き継ぐことになったところで、川崎さんが亡くなりました。私は、同窓会の会長を辞めた2017年からは相談役を引き受けました。相談は何もないのですが、いずれにしても20年間ぐらい同窓会にかかわってきたことになります。

■各界で活躍する修猷館卒業生

 私が修猷館に入学したのは昭和33年ですが、その時に、勧められて「修猷通信」編の『緒方竹虎』という本を買いました。それは緒方竹虎さんが亡くなられた直後に出た本でした。緒方竹虎さんは、亡くなる前に、修猷館創立70周年記念式典でお話をされています。当時副総理でしたが、すぐ総理になることが確実視されていました。そこで、修猷館の諸君に、日本再建のためにぜひ憲法改正をやってほしいと話されたそうです。どのように改正しろとは書いてありませんでしたが、日本国の憲法はアメリカに押し付けられたもので、それは独立にかかわるということなのです。緒方竹虎さんはそれを言うために修猷館に帰ってこられたのです。彼は、それから間もなくに亡くなられました。余談ですが、それを聞いて山崎拓さんは政治家になったということです。

 これも私が在学中ですが、木村健康という修猷館出身の優秀な経済学者で東京大学教授であった人が、『中央公論』に、イギリスのパブリックスクールのイートン校とオックスフォードに行った時、そこで修猷館と同じ空気を感じたことが印象的だったと書いていました。昭和10年代に自分たちが学んだ修猷館は、プライドも高いし生徒たちが自信に満ちている立派な学校だが、イギリスへの出張の際に行ったパブリックスクールのイートン校やオックスフォードも、修猷館と同じように生徒たちが自信満々だった、という記事でした。私はそれを修猷館の時に読んで、少し大げさに思ったのですが、私もオックスフォードに留学した時に、それと同じ感想を持ちました。自分で考えるということと、思ったことをしっかりやるということが共通項だったと思います。

 私は大蔵省に入って2年目にオックスフォードに行くことになりましたが、その時の春休みに修猷館に行ったら、3年生の時の担任だった石田先生から、生徒に何か話をしろと言われて、新しく3年生及び2年生になる生徒たちの希望者に話をしました。当時の修猷館では理科系が多かったのですが、文科系に向いている人は文科系に行ったらいいし、成績を基準にするよりも自分の行きたい大学に行ったらいいということを話しました。そしてもう一つ、当時の修猷館はもっぱら在野の精神、早稲田、朝日新聞みたいな感じがありましたが、役人に向いている人はぜひ役人になってほしいということも話しました。その時の私の話は、福岡市教育長をやった植木とみ子さん、警視総監や内閣危機管理監を務められ現在東京修猷会会長の伊藤哲朗さん、それから亡くなった福岡県知事だった小川洋さんも聞いてくれていたらしいです。修猷館というのは、こうして人のつながりが生まれてきているのです。

 このような物理的な人のつながりもありますが、知的なつながりも多くあります。私は東京大学で英米法のゼミを取りましたが、その時の田中英夫教授も修猷館の先輩でした。私がオックスフォードに行った時に、先生の役に立つかと手紙を送ったら、先生から、「きみが言っていることは正しいし、役に立つけれども、イギリスの社会というのはそこだけではありません。きみのいるところはエリートだけのところで、イギリス全体というのは複雑なところがあるのです。」と懇切丁寧なお手紙をいただきました。私はその後、大蔵省で日米交渉の中枢に身を置いていたのですが、その時に、田中先生の英米法のお話が大変役に立ちました。田中先生はその後『実定法学入門』という法律の教科書を書かれました。これは非常にユニークな教科書で、修猷館らしいと思いました。普通の先生は理論だけを書くのですが、田中先生の本は、理論もあるし、実務もあるし、裁判についてまで書いてあります。修猷館の人との物理的なつながりを超えた知的なつながりを感じました。

 修猷館の知的な貢献について、もう一つお話をします。漢文の文章にはそれでは分からないことがありました。例えば孫子の「彼を知り、己を知れば百戦殆からず」というのがありますが、それは、現実に敵を知っているからそうなるのか、もし敵を知っていればそうなるのかということです。英語で言えば、"As we know the opponents, we can win." なのか、"If we know the opponents, we can win." なのかということです。それについて修猷館の先輩の興膳宏さんという京都大学の教授が、「漢文でそのことを確定するのは無理で、助詞を付けるか説明するものがないとわからない」と明快に書いていて、それを読んだ私は、やはり修猷館の人との知的つながりを感じました。

■修猷館の「人」の特性

 同窓会の会長になって、修猷館の位置付けについて考えました。雑誌で高校特集があると修猷館は必ず出てきます。ダイヤモンド社はときどき高校の特集をしていて、修猷館については、「政官財に人脈を連ねる地方名門修猷館の知られざる結束力」と書いてあります。また、2019年に出た中央公論新社の『名門高校はここが違う』の中には、「藩校の流れを汲む、古き良き蓄積」と書いてあります。それからもう一つ、世界思想社から出ている『日本のエリート高校』という黄順姫という韓国の方が書いたものもあり、日本のエリート校として、修猷館について重点的に調査して社会学的考察をしています。エリート育成の母体は同窓会、要するに修猷館の人をつくるのは同窓会だと書いてあります。

 それらをまとめると、修猷館は、特色があり目立つ高校でユニークな学校だという位置付けのようで、特色として「伝統」、「人脈」、「結束力」などを挙げています。われわれから見ると過大評価もありますが、他方では、気が付かれていないところもあるような気もします。それは、やはり「人」だと思うのです。私の一つの結論は、人の特性にユニークなものがあり、それは修猷館の強さであり、また逆に言うと、弱さでもあると思います。そこには、修猷館の後輩諸君がこれからどのように育っていくべきかについてのヒントがあるようにも思います。

 これからがメインになるのですが、修猷館の人の特性とは何だろうということです。修猷館の人は、間違いなく立派で誠実な人が多く、そして自分で考えます。自分で考え、自分の主張を表現します。もう一つは、自らをおごりません。自分はこんなことをしたということを言いません。それは、人間としては非常にいいことなのですが、放っておくと、今の社会では、世間からは過小評価されることになりかねません。立派ではありますが、そのような齟齬(そご)があるように思われ、プラスとマイナスの両面を感じます。それでもやはり皆から尊敬されるような人が多いです。それは、世の中が平成のときより、特に乱世に評価されます。

 それからさらに言えば、基本的に性善説なのです。相手は立派な人であるはず、人はみんな誠実であるはずという前提が刷り込まれています。ですから、人の策略を見破ることがなかなかできませんし、その推定すらできていないこともあり、そのようなことに引っ掛かる恐れが結構あります。この点は修猷館の人間は少し考えないといけない点だと思います。

 そのような世界を見抜けないというのは、特に日本でマイナスになります。海外では、これはあまり問題になりません。ヨーロッパやアメリカでの人の評価は日本と少し違うところがあります。結論が違うからといって「あいつはけしからん」とか言う世界はありません。意見が違っていても、論理的にしっかりしていてなるほどと思わせることを言えば、評価されます。それはある意味で、修猷館の特性につながると思います。意見が違っていても結論は賛成できなくても、考え方は分かるということで尊敬してくれます。修猷館には国際的な仕事でよくやっている人がたくさんいますが、その辺が評価されているのだと思います。特にアメリカ人はその辺ははっきりしています。敵であっても、reliable というか credible というか、その点が尊敬されて評価されます。

 私は比較的早い時期に、世の中には悪い人がいるということに気が付きました。私は大蔵省に入る前から本を乱読していて、特に吉川英治については『三国志』を始め熱心に読みました。その中では曹操や劉備玄徳について、日本人には想像もできないような残酷な内容の話もあります。私はひどい話だと思いましたが、そのようなこともあるということは学んでいたように思います。また、東京に出てきてからは、大学で所属していたESSや大蔵省でいろいろな経験をして、世の中にはいろいろな人がいる、悪い人もいるということを学びました。

 マキャベリの『君主論』の内容に由来する「マキャベリズム」という言葉があり、策略主義のような言われ方をしていますが、そうではありません。君主というのは、立派な人でなければならないけれども、悪いことを見抜くだけの力を持っていなければならないということです。悪いことの想定ができないといけないということです。修猷館の人の中で話をすると、必ずその分野の専門家がいるので気を付けないといけないのですが、この私の理解は、多分間違いはないと思います。

■後輩の皆さんへ

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 修猷館の後輩の皆さん、特に在校生また卒業すぐの人に言いたいことは、世の中には悪い人もいるというのを知り、それについての理解がないと相応の成果を得られないだけではなく、悪い計画の中で犠牲になるということです。

 ここからは私の全くの独断と偏見で申し上げますが、その典型は広田弘毅だと思うのです。彼はもともと外交官なのですが、いろいろな経緯があって外務大臣になって総理大臣になりました。彼も役人の世界にいましたから、何かあったら「あの広田が悪い」とみんなが振り付けたような気がしています。不当に責任を押し付けられたところがあるのではないかということです。その辺は、私のように公務員をやった人には分かるような気がします。絞首刑にされた7人の中で、文官は広田弘毅1人でした。残りの6人はみんな陸軍の人たちで、海軍の人は1人もいませんでした。それについてはNHKのテレビで放送されていますが、終戦直後に海軍の幹部たちが集まって、海軍の幹部は誰も殺されないようにしようと裁判対策を行ったのです。そのような社会だったということです。

 修猷館の人たちはその辺りが危ないというか気を付けないといけない部分だと思います。修猷館出身の公務員は、政治との間で不当な扱いを受けることが多くあり、ときどきひどい目に遭ったり亡くなったりもしています。それは、本当のこと正しいことを言うからです。

 政治家というのはなかなかのものです。大蔵省に、昭和39年、40年、41年に入省した3学年の会というのがあって、年に1回集まっていました。その仲間には政治家になりたい人もけっこういるのですが、ある時、渡辺ミッチー(渡辺美智雄)がそこに来て、「政治家になるならよほどの覚悟が要る。人殺し以外は何でもやる覚悟でなければいけない」と言いました。政治家というのは、いざとなったら人殺し以外は何でもやるという属性を持った人でなければいけないというのです。そのような人ばかりではありませんが、そのような人にときどき修猷館の人が引っ掛かります。私も引っ掛かりそうになったこともありますし、それで昇進のコースから外された人もいます。

 通産省官僚からトヨタ自動車で副社長・副会長を務め、さらに東京修猷会でも会長を務められた中川勝弘さんは、中学・高校と私の1年先輩でした。彼は素晴らしい人間でした。GEのジャック・ウエルチが、年に1回日本に来て、10人ぐらいの日本の有力者を集めて座談会のようなものをやっていたことがありましたが、政府からは、当時国際金融局の次長であった私と、通商産業審議官のナンバー2だった中川さんが出席していました。中川さんは、まさに日本がピークだった時にずっと日米の自動車協議の中核におり、どう見ても私は次官の候補だと思っていましたが、ときの通産大臣と意見が合わないことがあったようです。また、世界各国から代表者が京都に集まって環境基準を決めた京都議定書というのがありましたが、その時の橋本総理から、それをまとめるために日本は大幅に譲歩しようという話があった際、中川氏は「あんたそれでも日本の総理か」と言う趣旨の発言をしたそうです。本人から聞いた話です。それは立派なものだと思いました。

 そのように、修猷館の人間はとてもしっかりしたスタンスを持っています。それだけでは東京とか日本では生きにくいのかもしれません。しかし、国際的には立派に通用すると思います。修猷館には国際的な仕事で活躍している人がたくさんいますが、その辺が評価されているのだと思います。他にも、安川電機の社長を10年近くやった津田純嗣くん、それから、つぶれかけた日商岩井を双日にして立て直したわが同期の西村英俊がいます。また武田薬品を創業家から徹底的に解放して世界の会社にした人間も修猷館です。そのように、国際的にはとても通用する学校であるという気がします。

 今日の話は序の口の序で終わってしまいました。ご清聴ありがとうございました。(拍手)

■質疑応答

〇稲葉 昭和63年卒の稲葉です。修猷生はだまされやすいというお話でしたが、それについては私も共感するところがあります。私もキャリアの中で一度だまされたことがありお金を巻き上げられました。そのような失敗は、社会人になってからのキャリアの中で一度はしておいたほうがいいとお考えでしょうか。特に若い人や大学生はそうでしょうか。

〇久保田 しないに越したことはありません。そのことを予測できれば失敗する可能性は落ちます。そのような世界があることが分かっている人は、その経験は不要です。そのようなことはあり得ないと思っている人がそれを自覚するために経験するのはいいかもしれません。でも、そんなもったいない話はないと思います。

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〇中村 同期の中村です。裏話になると思いますが、ムーミンパパと呼ばれていた武村大臣の時の榊原英資とのいきさつはどうだったのでしょうか。

〇久保田 それは簡単な話です。私は国際金融局長から財務官のコースにいたというか、むしろ準備しなさいと言われていたのですが、榊原さんが足しげく武村さんに通いました。ただそれは、私を落とすというよりは私より前の人間を財務官にしようという話だったようですが、それはできないということになったようです。

 ただ、私は正直なところ、ならなくてよかったと思っています。私はずっと日本にいる国際派でしたので、それの交渉に7年か8年の間、ずっと時差のあるアメリカやヨーロッパに頻繁に行っていました。そのまま局長をやって財務官をやったらあと4年やることになったはずです。そうなっていたら、私はもう70歳代の前に死んでいたと思います。私は今ごろ何とか居士になっていたと思います。そういう意味では天の配剤だったと思います。世の中とはそのようなものなのでしょう。

 そしてあえて言えば、その結果、私は次官になりました。ついでに申し上げれば、次官というのは格別なポストです。例えば、次官の車で左に桜のマークを付けていると、総理官邸でもノーチェックで入れます。それから、私の時は森喜朗が総理でしたが、総理でも次官には配慮するのです。そのようなポストの経験をしましたので、それもまた人生かなと思っています。
 質問者の中村さんは中学時代からの同級生ですので気楽に答えました。

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〇稲葉 平成24年卒の稲葉です。九州産業大学での講演録を一読させていただきました。人生のアドバイスとして、一度は海外に行ったらいいと書いてありました。海外の経験はたくさんおありだと思いますが、お薦めの海外がありますか。

〇久保田 具体的な国というよりも、とにかく外に出て、日本の国を理解することが大切です。私は、日本の歴史や文化はとても特異な国だと思っています。例えば、万世一系の王朝というのは日本以外にありません。そしてまた、ヨーロッパの帝国主義の中で独立を保ったというのは大変なことなのです。そのようなことの実感はやはり外に出てみないと分かりません。

 日本がそんなに大変な国なのだと分かっている国はインドです。インドはイギリスから徹底的にやられています。ですから、インドのインテリは、例えば高杉晋作とか修猷館の先輩の金子堅太郎とかの名前までも知っています。それは、そういう人達を見て彼らは自分たちもそうなりたいと思って一生懸命にやってきたということなのです。それはアメリカ人になったインド系の人からもそういう話を聞きました。

 ですから、どこの国がいいというよりも、とにかく外に出てみて、日本とはどのような国かということを考えるきっかけになることが大事だと思います。

 さらに言えば、実は日本を恐れています。タイムの記事を読んでいたら、タイムの記者がリー・クアンユーに、「日本があんな体たらくになっていてどう思うか」と聞いたら、彼が「日本はあれくらいでちょうどいいと思っている。あそこが元気になったら何をやるか分からない」と言っていました。けしからんと思いましたが、そのような認識があるのです。

 そこまでたどり着くかどうかは別にして、どこの国がいいというよりも、とにかく外に出てみて日本とはどのような国かということを考えるきっかけになることが大事だと思います。


<新入生歓迎会>

 講演の後は引き続き、令和5年の卒業生を対象とした「新入会員歓迎会」を開催し、23名の新入会員の方々に参加いただきました。会の冒頭で伊藤会長からの歓迎のご挨拶と久保田さんによる乾杯のご発声をいただいた上で、4年ぶりに、会場参加の一般会員の皆さまと新入会員の皆さんとで立食形式による懇親が実施されました。また、原沢幹事長から東京修猷会の紹介が行われるとともに、新入会員の代表者からもフレッシュなスピーチを披露いただいて、盛況のうちに終了いたしました。

■伊藤会長の歓迎のご挨拶

〇伊藤 新入会員の皆さん、ご入学おめでとうございます。東京修猷会では、第2木曜日に、この学士会館で「二木会」という講演会を開いています。そこでは皆さんの先輩に、今日のように、いろいろなお話をしていただいています。

 今日は、久保田さんから、修猷卒業生としての心構えをお話しいただきました。皆さんは福岡から東京に出てこられたわけですが、高校時代までは純朴さだけでやってこられたと思いますが、決してそれだけではいけないということです。東京には純朴な福岡県人とは違う人たちがいます。昔から、生き馬の目を抜く江戸と言われていますが、そのような人たちの中で、皆さん方は修猷館の卒業生として誇りを持って、学生としてしっかり学んで、また社会に出て行かれるわけです。これからの4年間、またはそれ以上、しっかりと勉強してまずは力を着けていただき、そしてさらに社会の中で、修猷館の館歌にありますように、「皇国の為に世の為に」なるような仕事をしていただくことを心からお祈りする次第です。

 久保田さんがオックスフォード大学に行かれる前に、修猷館で生徒を相手に講演をなさったお話がありましたが、その時の数十人の生徒の1人が私です。久保田さんのお話を聞いて、役人の仕事を知りました。私はその後、久保田さんと同じ法学部に入って役人の道を歩んだわけですが、そのような先輩の話を聞いて、いろいろな道があるということを知り、自分もそこで活躍してみたいと思うきっかけになっていたのだと思います。

 皆さんの先輩には、それぞれの分野で立派な業績やユニークな業績を挙げられた方が多くいらっしゃって、二木会でお話をしてくれると思います。そうした中で、自分自身のこれから進む道を探っていくヒントが見つかればと思いますので、できるだけ二木会にご参加いただければと思います。

 6月には総会があります。総会ですから各学年の人たちが集まる大きな会合になります。さらには年末には忘年会もあります。そのような会合にも来ていただいて、できるだけ先輩方のお話を聞く機会をつくっていただければ、皆さんにとっても有意義なものがあると思います。これからは、東京修猷会があることを忘れずに学生生活を過ごしていただきたいと思います。

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