第563回二木会講演会(平成22年2月10日)
テーマ:『スポーツ医学で腰痛予防!』
~五輪選手サポートから中高齢者の腰痛・膝痛対策まで~
講 師:金岡 恒治氏(昭和56年卒)
○紹介者 椋田 浩之氏 私は金岡先輩の一つ下の昭和57年卒です。金岡先輩が修猷館高校に入学した昭和53年は、福岡は5月から異常渇水で、7月ぐらいからはプールの水の入れ替えができなくなりプールが深緑色になった中で練習をしたそうですが、結局その年は高体連の大会が流れてしまいました。私が入部した当時の水泳部は、2年生の先輩は金岡先輩をはじめ5人ぐらいの小さな部でした。そのときの男性先輩4人は、今は医学界、マスコミやビジネスの世界で頑張っておられ、女性1人は『ズームイン!!朝!』等に出ておられる「のんちゃん」こと堤信子さんで、すばらしい先輩方でした。私が1年のとき、フリーリレー、メドレーリレーを金岡先輩とご一緒したことはいい思い出になっています。
■金岡恒治氏講演
私は修猷を卒業して1年浪人後、スポーツ医学を志し医学部と体育学部筑波大学医学専門学群に入学しました。卒後は迷わず整形外科を選択し、脊椎外科医として病院で診療する一方で水泳を中心としたスポーツ医学にも関わっており日本代表チームの帯同ドクターも努めてきました。医師になって20年弱たった3年前、スポーツ医学に軸足を置いた活動を行うことを決め、早稲田大学のスポーツ科学学術院に移籍し現在に至っております。
■はじめに
スポーツ医学には、トップアスリートを診療する役割と、スポーツ医学的知識を応用して膝痛や腰痛などの整形外科的疾患をマネジメントするという二つの側面があります。整形外科の外来では腰痛患者さんに対して腰痛を抑えるための痛み止めを処方することが多いのですが、一時的に痛みを取るだけではなく運動療法によって腰痛を元から治す方法を研究・実践しています。
■骨の構造
背骨は、頸椎(けいつい)、胸椎、腰椎とあり、今日は腰椎を主にお話しします。ここの前のほうは臼状の骨が椎間板という軟骨でつながっています。後ろ側には左右に椎間関節があり、上から見ると体重は椎間板と左右の椎間関節の3点で受け止めています。立っているときには椎間板が前の力を受け止め、後ろの力は左右の椎間関節が支えているという構造です。この体重を支える役割分担は姿勢によります。反った腰の人は後ろ側の椎間関節の負担が増え、逆に前かがみ気味の姿勢の人は椎間板のほうに負担が掛かるという単純な理論です。
椎間板の中は、プロテオグリカンが多く含まれる髄核という軟骨の周りを繊維輪という繊維が覆っています。タイヤの構造に例えると、中の空気が髄核でタイヤのゴム部分が繊維輪です。髄核に多く含まれているプロテオグリカンは水分を保持し衝撃を吸収する大事な働きがあり、その元になっているのがコンドロイチン硫酸やヒアルロン酸などです。これらはサプリメントで売られていますのでよく名前を聞くかもしれません。
■関節の老化
椎間板の老化のことを「椎間板の変性」と言い、椎間板変性は椎間板のなかのプロテオグリカンが減ってくるところから始まります。すると衝撃吸収能力が落ちて骨に余計なストレスが加わるようになります。すると人間の修復能力としてそれを修復しようと働き、そこの骨が増殖してそこを支えようとするのです。そのとき最前線に物資を送り込むようなかたちで栄養を送り込むための血管が神経とともに入ってきます。椎間板の中には本来神経や血管は全くありませんが、そこに神経が入り込んでしまうのです。つまり椎間板の中に痛みを感じることのできる地雷が埋め込まれてしまうことになり、強い力が加わると痛みが出ます。痛みが出るのは、骨を一生懸命修復しているのでそこにそれ以上余計な力を加えないで休めてくれというシグナルを脳に送っている大事な働きなのですが、現実的には痛みは困るので疾患として扱われてしまいます。
■どのスポーツが椎間板に悪い?
筑波大学の運動部の選手たちを対象にどのスポーツ種目が椎間板に悪いのかを調べました。すると野球と競泳の2種目が他の種目と比べて椎間板が傷んでいるという結果が出ましたが、これはあくまでも毎日何千メートルも泳いでいるような競技スポーツ選手たちの変化で、何でもやり過ぎると腰に悪いということです。「スポーツは体にいいのか悪いのか」とよく言いますが、やり過ぎると悪いという量の問題です。薬と一緒で副作用は必ずあるということです。
■柴田亜衣選手
アテネオリンピックで金メダルを取ったときの柴田亜衣選手は本当に人生の中で一番いいタイミングで一番いい体調でレースに出て、800メートルで優勝しました。彼女は徳島の出身で、中学、高校は徳島、大学は鹿児島の鹿屋体育大学に行きました。中学校、高校のときの練習量は、朝練で毎日1,500メートルを4本から6本やり、午後の練習もやって、1日20,000メートルぐらい泳いでいたそうです。大学で田中コーチに出会い、大学3年生ぐらいからオリンピックを目指し更に厳しい練習を始め、それがうまく実って優勝できたわけです。
アテネのときは非常にいい成績で「アテネは天国」だったそうです。しかし2007年の冬に椎間板から来る腰痛が起きてしまい冬の大事な時期に十分な泳ぎ込みができなかったのです。そのため競技力は落ち、北京では「泳ぐのが嫌で初めてレースに出たくないと思った。地獄だった」そうです。
■1980年当時の修猷館水泳部 地獄の夏合宿
多分壊される寸前の写真だと思いますが、修猷館のプールの写真がネットに載っていました。椋田くんが言っていたように、渇水のときにはここは本当に緑色で、もう2メートルぐらい前しか見えず、泳いでいるといきなり壁が出てくるようなひどい環境でした。1980年当時の修猷館の水泳部の恒例行事に地獄の夏合宿がありました。朝起きてすぐ菁莪堂からプールまで歩いてきて、朝の練習は1,500メートル自由形1本でした。亜衣ちゃんは4本から6本だったそうですが、それでも必死で泳いで1日10,000メートルかもう少しやっていたかもしれません。修猷館のプールには強烈な思い出があります。
■腰痛の運動療法の目的
今日の話のメインは腰痛を抑え予防するための運動療法ですが、腰痛の要因は、前かがみになって痛みが出る人と、逆に後ろ側に問題があって後ろに反らすと痛みが出る人の二つに大きく分けられ、痛みの出る場所によって対応が少し変わってきます。
運動療法の目的の一つは、硬い言葉で言うと「安定性の向上」です。そのために今日は特にカラダの深いところにある筋肉、体幹深部筋の強化についてお話しします。また運動療法のもう一つの目的は「正しい姿勢獲得」です。骨の配列、並び具合のことをアライメントと言いますが、脊柱のアライメントをいい状態に持っていくということです。
筋肉の話です。腹筋、背筋の体幹筋には二つの種類があります。一つは腰の骨を安定させるために腰の骨に直接付着して骨と骨をつないでいる筋肉で、これは深いところにあるので、深層筋とかローカル筋と言います。電車のローカル線のイメージで、その代表が腹横筋です。この筋肉が大事です。今日はこの「腹横筋を鍛えましょう」ということを言いたいのです。ローカル筋にはその他、大腰筋や多裂筋があります。これらをまとめてインナーマッスルとかコアマッスルとか言い、これは最近ラジオやテレビでよくお聞きになると思います。
ローカル筋に対してグローバル筋があります。これは胸郭や肋骨から骨盤をつないでいる筋肉で、ローカル線ではなく新幹線のイメージです。グローバル筋である腹直筋は腹筋と考えられている筋肉でお腹の前だけにつながっている筋肉です。
ローカル筋とグローバル筋の二つの共同作用で体幹を安定させると考えられていてどちらも大事ですが、ローカル筋を鍛えるのはなかなか難しいです。
■何が骨盤の傾斜を決めるのか?
姿勢は骨盤の傾きによって決まります。一般的な姿勢に比べて骨盤が前に傾いている状態では頭を真上に乗せておくために腰の反りが強くなり、後ろに反らした状態になります。逆に骨盤の傾斜が減って水平に近づくと前に向かっている反りが減るようになります。この骨盤の傾斜は、骨盤の周りにある筋肉の強さや緊張が関係してきます。
私たちの研究結果から、骨盤を前傾させる姿勢のときには多裂筋と脊柱起立筋が主に働いています。いわゆる昔の兵隊さんのいい姿勢のときには背筋が働いています。逆に骨盤を後傾させるときに働く筋肉は腹横筋です。このように腹横筋、多裂筋が骨盤の傾きを変えているということになります。
腰を反った状態ですと伸展型の腰痛になります。骨盤の前傾が強いと前弯(ぜんわん)が強くなり腰の反りが強くなって後ろからの痛みが強くなります。逆に骨盤が水平に近く前弯が減ってくると、椎間板から来るような痛みが強くなります。この二つをきちんと線引きするのはなかなか難しいのですが、伸展型腰痛の人は前弯を減らし骨盤を後傾させる体操、つまり腹横筋を強化し大腿四頭筋のストレッチをすることが大事になり、逆に椎間板ヘルニアとか椎間板から来るような前屈型腰痛の人は、骨盤の前傾を保つために背筋を着け、ハムストリングスのストレッチをするといいということになります。
■さまざまな体幹安定化体操
体幹の安定を高めるために腹横筋や多裂筋を鍛えるエクササイズには、スタビライゼーション、ピラティス、コアコンディション、コアセラピー、コアリズム、ヨガ、腹式呼吸、ドローイン、バランスボール、フラダンス、太極拳、などなどいろいろありますが、この筋肉は深いところにあるので意識しにくく、何の体操をやっているのかがわからないところ様なところがあります。
そのためどのエクササイズが腹横筋を一番多く働かせるのか実験したところ、うつぶせで肘とつま先でカラダを支えるエルボートウの姿勢から片手・片足を上げる運動、お腹を丸めるようなへそ覗きのエクササイズ、そして横向きで体を支えるサイドブリッジという方法などがいいとわかりました。
ただこれらの運動は強度が高いので中高齢者には腹横筋の使い方を意識することと使い方の学習から始めるといいでしょう。まず床の上に仰向けに寝転びおへそを床に近づけて背中と床の間の圧力を高めてやるドローインと言われている腹部引き込み運動です。見た目には何をやっているのかがわからない体操ですが、これで筋肉を意識するのがまずは大事です。これはいすに座ったままでもできます。真っすぐ座って、おへそを背中、背もたれのほうに引き込むようにぐっと入れると、この腹横筋が働いています。これは一番簡単なエクササイズで、例えば会議中でも退屈になってきたらちょっとお腹を引っ込めて30秒ぐらい我慢して力を緩めるということでできます。
このような体幹筋トレーニングは、腰痛予防だけではなくスポーツの競技力も高めると考えられていて、浅田真央選手もこれを相当やっていると聞いています。北京オリンピック前の水泳選手の合宿でもこのトレーニングを行いました。
■古橋広之進 水連名誉会長 御逝去
昨年ローマで世界選手権がありましたが、そのときの一番大きな出来事は8月2日に古橋広之進名誉会長が急に亡くなられたことです。前日の夜まではお元気でそんな兆候は全くありませんでした。非常にまじめな方で、周りにはだれもいない炎天下の関係者席で予選からずっと一生懸命試合を見ていらっしゃいました。水泳連盟としては本当に大事な柱を失ったという出来事でした。
■北島選手の栄光と苦悩
北島選手の速さの秘密として、彼の場合はひざが柔らく、仰向けに寝てかかとが上に10センチくらい持ち上がり、膝が反り返ります。これが恐らく彼の平泳ぎのキックの速さの秘密だと思います。しかし平泳ぎの速い選手は足首が柔らかいのですが、彼はいわゆるウンチングスタイル(和式のトイレに座るような姿勢)でかかとが付きません。不思議なことに彼の足首は固いのです。まだまだスポーツには分からないことが多いと思います。
北島選手はアテネオリンピックで有名な「チョー気持ちいい!」という言葉で喜びを表していました。しかし、そのインタビュー直後に選手控室に戻ってきたとき、平井コーチの顔を見て思わず抱き合って泣き崩れていました。マスコミの前では「緊張している」とは言いませんでしたが、やはりそれなりのプレッシャーが掛かっていてそれから解放されて涙が流れたのではないかという感動的な場面でした。
しかしアテネ五輪後は競技へのモチベーションが落ちて競技成績も振るわない時期がありました。そのとき彼が診療に来ていろいろと話を聞いた後に、私はなにげなく「まあそうは言うけど、頑張ろうよ・・・」と言ってしまったのです。そのときの彼の言葉は「もうこれ以上、ガンバレないっすよ・・・」でした。がんばっている選手に頑張れと声を掛けても励ましにならないことを知りました。低迷した彼は日本の代表から落ちることもありました。しかしその後、競技へのモチベーションを取り戻した彼は北京五輪に向かって競技力を上げ、選考会で北京五輪代表選手として復活しました。
一方最大のライバルと言われていた世界記録保持者のアメリカのハンセン選手は米国代表選考会で200m平泳ぎでまさかの代表落ちしてしまいました。このようにハンセン選手は五輪での成績が振るわないのですが、北島選手はオリンピックへぴたりと調子を合わせて持ってくるメンタルの強さは本当にすごいと思います。北京オリンピックでの100メートル平泳ぎのレースの後の写真を見ると、左胸のところが赤くなっています。これはレース前に緊張して胸をたたいたり握ったりしていたかららしいです。口では緊張しないと言っていますが、相当な極限状態で戦っているのだと思います。でも彼はその状態でベストを出せる優れた精神力を持っています。本当に日本の水泳界のリーダーと言えます。彼は北京後しばらく休んでいましたが、今年の日本選手権からまた競技に復帰します。五輪3大会連続2種目制覇というのはあまり期待しないほうがいいかもしれませんが、彼がストレスやプレッシャーを全部引き受けてくれるので、彼がいることによって日本のチームが強くなれます。アテネで柴田選手が優勝できたのも「彼がいたから」と柴田選手本人が言っていました。そういう意味で本当にすばらしいリーダーだと思います。これからも頑張ってくれると思います。
■質疑応答
○Q 水泳の4種目の中で腰に一番悪いのは何でしょうか。
○金岡 よくバタフライが腰の動きが大きいので悪いのではないかと言われていますが、僕たちが調べた専門種目別の椎間板の痛み具合では、種目によっての差はあまりありませんでした。
○Q昨年の11月末に、朝起きたら突然右足に激痛が走り、腰は全く痛くないのですが、病院で「椎間板ヘルニアだ」と言われました。ブロック注射をして神経痛の薬を飲んでいますが、今はしびれがまだ残っています。このままの状態で手術をしないで大丈夫なのでしょうか。先ほどの筋肉の体操を少しずつやり始めています。
○金岡 椎間板ヘルニアは椎間板の中身が神経の方に出てしまいますが、多くの人は出てしまったらそれはだんだんと吸収されて自然にしぼんできます。かなりの方が自然になくなって徐々に治っていきます。ですから、足の痛みさえ治まって日常生活に不自由を感じなければ、手術の必要はないと思います。ただ脊柱管が狭いことで神経の圧迫が相対的に強い場合には手術をしなければならない人もいますから、その辺は症状次第ということにはなります。
それから一つ追加しますが、椎間板ヘルニアは薬も何もしなくても3カ月ぐらいで治ってしまう人がほとんどです。世の中には「うちのこれをやればヘルニアが治ります」という宣伝をする人もいますが、あれはそこで治ったのではなく自然に治った可能性が高いです。
○Q修猷館では柔道をやり早稲田大学でラグビーをやりました。あのころはどんなトレーニングをすればいいかわからなくむちゃくちゃなことをやっていました。10年ぐらい前から2年に1回ぐらい腰が痛くなり、整形外科で6カ所ぐらい注射を打っています。この間、朝日新聞にカテーテルを通してやるような手術の方法があるように出ていましたが、あれは特殊なものだけでしょうか。
○金岡 恐らく内視鏡で管を差し込んでそれで椎間板を減らしたり焼いたり、あるいは一部分をとってきたりという治療法かと思います。最近、低侵襲でヘルニアを治そうという方法がいろいろとできてきていますが、それが効く病態は限られていてすべての腰痛に対して効果的というわけではありません。ですから腰の痛みの原因を探ってそのような治療法が合うかどうかを探る必要があります。注射だけではその場限りですので、先ほど説明しましたお腹を引き込むような運動を試していただいて、骨がだんだんと安定してくれば痛みが出る頻度が、100%なくなるというのは難しいかもしれませんが、恐らく減ってくるのではないかなと思います。
○Q一つは病院の整形外科に行ったらいいのでしょうか。二番目は、私は後ろに倒れるのですが、それはどうなんでしょうか。
○金岡 腰痛の場合は整形外科に行ってください。それから後ろに倒れてしまうのは、足のバランス感覚がうまく調整できなくなっているのかもしれません。一番安全に歩けるのは水中です。プールでは転んでも絶対大丈夫ですので、そういう安全な場所で何らかの運動をするのがいいのではないかと思います。
○司会 箱島会長お願いします。
○箱島 今日はたくさんの人が二木会に来てくださいました。いかに腰痛に悩む人が多いかということの証拠だと思います。お聞きしたいのですが、腰痛というのは人間だけでしょうか。
○金岡 それは非常に鋭い質問ですが、ダックスフントもヘルニアになるなんて言います。
○箱島 人間は2本足で歩くようになったおかげで知恵や文明を手に入れたのですが、そのコストとして腰痛になったのかなという感じがいたします。どうしたら防げるかという今日のお話の中で、反っくり返ってはいけないし平身低頭というかあまり前かがみもいけないということでした。これは非常に含蓄のあるお話だったと思います。どうもありがとうございました。
(終了)