『ミクロの世界の3体問題へのいざない~私はこうして研究者になった~』
講師:肥山詠美子 氏(平成元年卒)
■講師紹介
○西村 修猷館時代の肥山さんは、先生に当てられても蚊の鳴くようなか細い声で答えていたので、内気な大人しい人だと思っていました。でも親しくなると全くの正反対で、とてもパワフルなお喋りで、仲間内では「歩く拡声器」と呼ばれるほどでした。今でもそのパワーに変わりはなく、会うといつもこちらが元気を貰っています。3年生の時の運動会では執行部員としてブロックごとに点数を計算して順位を決めるという大役を務め上げ、その時の経験がグループリーダーをなさっている今に繋がっているように思います。
○大野 2年生の時に、「週に1回お菓子が食べられる」と誘われて茶道部に入りました。茶道部自体も楽しかったのですが、その後、畳の上でくつろいでたくさんお喋りをしたのが、更に楽しかったのを覚えています。私は大学も一緒で同じ女子寮で仲良くしていただきました。彼女はお酒がとても強くて、仲間内で一品料理を持ち寄って飲み会をやったりしたのが楽しい思い出です。
■肥山詠美子氏講演
○肥山 今日はこのような栄えある場所で講演をさせていただけるというので、わくわくしています。今日はお招きいただきありがとうございました。
■はじめに
今私が在籍しています理研は、七つの支所があり、私が働いているのは池袋近くの和光という所です。そこに理研の本所があり、私はそこの研究所で働いています。
私の研究室には今6人の研究員と5人の学生さんがいます。学生は日本人の他、ドイツ人と韓国人がいます。そして同時に私は大岡山にある東工大の理学研究科の連携准教授を務めているので、私の研究室の学生さんはここから連れてきています。
■私の研究
まず人間社会や自然界で考えてみると、ある構成員が集まって集団ができますが、この構成員の相互作用が積み重なって集団全体としての性格や行動がつくられていきます。そこで、そのダイナミクスを明らかにすることが基本的な課題の一つになります。そのために必要な研究手法をつくること、そしてそれをさまざまな課題に応用することが私の現在の研究目的の一つです。
物理学では、この構成員とその間の相互作用から出発して集団全体の性格や行動を議論していくのを「多体問題」と呼びます。そして一番小さなケースの「3体問題」がその出発点になります。それでも問題は難しそうです。
まず人間社会の2体問題で考えてみると、1対1の人間関係は比較的簡単だと思います。ところがそこにもう1人が入るとちょっと複雑になります。更にもう1人入ると、ますます複雑になります。
これをマクロな天体力学の世界で考えてみると、例えば太陽と二つの惑星の問題を3体問題と言います。ここには力としては万有引力が働き、それが働くニュートン方程式の3体問題を精密に解くことは実際問題として困難です。
では目に見えないミクロの世界はどうなのかということを、私は今やっているのです。原子というのは原子核と電子でできていますが、例えば原子の世界では、原子核と二つの電子を3体問題として解きます。
原子核というのは中性子と陽子でできています。例えば陽子1個と中性子2個のものを三重水素と言いますが、これが典型的な3体問題です。また陽子二つと中性子二つのものをヘリウム4と言い、これが典型的な原子核の4体問題です。ミクロの原子核の世界でも3体問題、4体問題を精密に解くのは大変なことです。
このように「多体問題を解く」ということは、人間社会からマクロの自然界、そして目に見えないミクロの自然界まで、いろいろな場面に現れていて、この問題を解くのは非常に大変です。
■なぜ物理を選んだの?
私は高校に入学した時から九大に行くのが当たり前のようになっていて、学部は高3の冬までは医学部をぼんやりと考えていました。
ところが人生が変わりました。高3の12月の受験前、物理の授業で原子核の講義がありました。その時の木村先生は教え方がとてもお上手で、今思うとだまされた感があります。目に見えていた世界の現象と違って、目に見えない世界の現象がどうして数式で表わされるのかが不思議で、それを木村先生に質問したら、「入試まで時間がないから、分からなくても問題を解けるように訓練して頑張れ。原子核のことを詳しく知りたければ理学部の物理学科に行って勉強しなさい」と言われたので決めました。
人生というのはそんなもので、それだけで進路を理学部の物理学科に決めました。
■なぜ原子核物理学を選んだの?
私が原子核物理学の研究者になる道を選んだきっかけは、大学3年生の時に私の指導教官である上村正康先生の原子核物理学の講義を聞いたことです。
この授業は原子核物理学の基礎的な知識を学ぶものでしたが、この先生は授業中に最前線の研究の話を織り交ぜてくださり、その話がとても印象的でした。
二十数年前、当時の原子核の世界でのホットな課題の一つは、重水素と三重水素とミュー粒子を使った3体問題でした。
ミクロの世界のクーロンが働く3粒子系の運動方程式を精度よく解くことが当時の最前線の課題の一つで、大型計算機を使って7桁の精度でその答えを出すことが望まれていました。その課題の中で、国際会議の同時発表があり、アメリカのある大学と当時のソ連と上村先生との間で答えがまさに7桁まで一致しました。問題は計算時間で、アメリカとソ連はそれぞれ10時間かかったのですが、上村先生は3分でできてしまったのです。これは大変なことだと思いました。
更に先生がおっしゃるには、「九大グループの3体計算理論は、誰でも使いやすい理論なので、この方法をマスターすれば、早くから世界最前線の研究ができる」ということでした。
私には「世界最前線」という言葉がきらきら輝いているように見えたのです。しかも3分という時間も魅力的に感じられて、自分も出来そうな気になってしまいました。その辺りはフィーリングです。というわけで原子核理論を選んで、大学院に入って研究者になることを決めました。
しかし大学院に入って勉強を始めるとすぐに厳しい現実に気が付きました。この九大の計算法は原子核を研究するための基礎知識や特に数学的知識や経験をかなり持っている人にはすぐにマスターできる方法なのですが、その研究の麓までのアプローチがとても長いということに気が付いたのです。先生はその部分をショートカットしてその研究のことだけを話したのです。それに気付いた瞬間は研究者になりたいという志が折れそうになりましたが、気持ちを入れ替えて研究員へのアプローチを短くするための抜け道はないかと考えました。
■数式
ミクロの世界の運動方程式を解くというのは数学的には6変数の2階偏微分方程式の固有値問題を解きます。
九大流計算法に多用される基本的な関数形というのはガウス関数×一見難しそうな球面調和関数です。これは面倒くさいです。そこで左辺を別のかたちで表すことを考えました。少しずらしたガウス関数(ガウスローブ関数)のかたちの重ね合わせで近似的に表すということです。しかし1960年代に既にこのような近似形は量子化学で知られていましたが、近似精度が悪いためにすぐに使われなくなっていました。
そこで考え付いたのはこれを精密な計算に使えるように改良することで、式の中のε(イプシロン)をゼロの極限に取るという「無限小変異ガウスローブ関数」というのを編み出しました。この操作を計算法全体の中で、いつ、どこで、どのように実行するかというのが大問題でしたが、これは修士1年生の私の知識でも容易に解決することができました。
■3体問題・4体問題
計算法の基本的な部分の入れ替えによって、3体問題計算が初心者にとって圧倒的に簡単になりました。ミュオン分子の3体計算を、私も7桁の精度ですぐに解くことができました。そのぐらいパワフルな計算方法でした。そうするともう3体と言わず、4体問題への拡張ということが可能になりました。この重要な点は、この新しい方法は、いろいろな種類の粒子を使う4体問題にもすぐに拡張でき、そのことが次の幸運に繋がりました。
当時の原子核物理で新しく興味を引いている課題のうちの幾つかは4体問題を解く必要があるものでした。そこで自分の計算方法を応用するのに適した面白い課題が目の前にいくつも現れるという幸運に恵まれました。そして自分自身が作った4体問題計算法だからどんな難題にぶつかっても途中で挫折するわけにはいかないという強い気持ちが支えになりました。
■4体問題計算の国際コンテスト
私にとって4体問題研究の出発点になったのは、2001年の4体問題計算の国際コンテストでした。
当時4体問題が解けるグループは世界で七つしかありませんでした。その中の一つがわれわれのグループです。
その七つの理論グループの間で国際テストが行われました。このテストの方法は、問題をそれぞれのグループの独自の理論を用いて解き、解いた答えを2001年2月1日に、ドイツのルール大学のGloeckle教授のもとに一斉にEメールで知らせるというものです。従って、互いに別のグループの答えは分かりません。それぞれの結果は、直ちにGloeckle教授が論文にまとめて『Physical Review』誌に投稿します。その雑誌が刊行されて初めて、七つのグループは同時に他のグループの答えを知ることになるという非常に恐ろしい国際テストです。
もうどきどきでしたが、7グループの結果が十分よく一致していました。この結果は、われわれのような少数多体系の計算法の開発をしている研究者が互いに厳しく切磋琢磨しているということ、そしてどの計算方法も信用がおけるということを世界中に知らしめました。
このテストでも示されたように、この計算法は精度のいい方法であることが分かりました。またこの計算法の利点は使いやすいこと、また応用範囲が広くて構成する粒子は何でもいいということです。3体問題から4体問題、そして最近は5体問題まで精密に計算することが可能になりました。そうすると一気に研究対象が広がります。
■私の研究戦略
中心に「量子少数多体系の精密計算法」という自分の手法があり、それをさまざまな物理へ適応して、それをまたフィードバックして自分の研究法を発展させ、そして次にまた違った物理にアプライしていくということをここ20年ずっと続けてきています。その中でもメインに行ってきたものは「ハイパー核物理」への適応です。
■宇宙の歴史と元素の生成の歴史
138億年前にビッグバンが起きて3分後までにガスとちりができます。その後10億年たって、太陽質量の8倍を境にして軽い星と重い星になります。軽い星はその後、白色矮星になって燃え尽き、重い星はその後、自分の重力に耐えかねて超新星爆発を起こし、外側はガスとちりになって宇宙に飛び散り、中心部分は中性子星かブラックホールになります。そしてこのガスとちりになったのが数十億年たつとまた重力の隔たりができて軽い星と重い星になって、軽い星は白色矮星、重い星は超新星爆発というサイクルを繰り返します。現在までにこれが7サイクル行なわれてきていると言われています。
その中で、原子核物理としてわれわれの興味があるのは、この中性子星です。これは読んで字のごとく、たくさんの中性子と少しの陽子と少しの電子、それからハイペロンと言われる、地球上には自然には存在しない加速器を使って人工的に生み出すものがあると言われています。この中性子星の内部はどうなっているのかという研究をするためには力の研究が必要になります。力というのは、例えば惑星同士だったら万有引力ですし、プラスとマイナスが引き合う力というのもあります。中性子星内部にももちろん力が働きます。例えば、陽子と中性子をまとめて核子と言いますが、核子と核子の間の力というのは今までの50年間の研究でよく分かっています。
ところが、ハイペロンと核子とか、ハイペロンとハイペロンの間の力がどうなっているのかというのは最近までほとんど分かっていませんでした。しかし中性子星内部の研究のためにはこの力の理解が必要不可欠で、それではどうしたらいいかということです。それならミクロで考えようとなります。細かく見てみようということです。陽子や中性子やハイペロンで構成される原子核をハイパー核と言いますが、それを生成してその構造の研究をすればいいわけです。そして実際に世界中のさまざまな実験施設でハイパー核を生成しようという計画がなされています。このハイパー核の研究は現代のホットな課題の一つです。
■ライバルとの競争
ホットな課題なら当然世界中にライバルがいます。ライバルとは国際会議や論文で世界の最先端を競います。特に国際会議はとても緊張します。
国際会議の発表で大事なことは、参加者に何が問題であり何を明らかにしたのかをしっかりと理解させることです。特に緊張するのが質疑応答の時間です。どんな質問にもおたおたせずにきちんと答えなければなりません。質問のインドなまりの英語がよく分からないという時もありますが、それでもきちんと答えなければなりません。
論文の発表でも世界の最前線をめぐってライバルと競います。論文を『Physical Review』とか『Physical Review Letter』に投稿します。そして審査があって合格すれば掲載されます。
■猿橋賞
ありがたいことに、昨年2013年に猿橋賞を受賞しました。これは、自然科学において顕著な業績を挙げた50歳未満の女性科学者に贈られるものです。
その時はここの学士会館で記者会見をしました。その後は講演依頼や教科書の執筆とかで大変でしたが、それが私に課された義務だと思って淡々とこなしています。しかしこれはノーベル賞ではありませんのでゴールではありません。これは分野の発展や後継者の育成を期待されている賞ですから50歳未満が対象なのです。ですから今後の目標をお話しして今日の私の講演を終わりたいと思います。
■今後の目標
私は理論家なのですがその理論を現実にするのが実験する方々で、この研究を進めるにはどうしても実験の人との共同研究が重要になります。実験だけでも駄目で、実験と理論の協力が必要になります。日本の他、ドイツやアメリカに実験施設があり、実際に今もそこの実験家の方々と共同研究をしています。そのような実験家とのネットワークづくりをしっかりやっていきたいと思っています。
第2点は、今や理論的研究は国際的な共同研究というのがもう欠かせません。現在9カ国と共同研究を進めていますが、これからもっと増やす必要があると思っています。
最後に、中心にある自分の計算法の研究を進めて発展させながら新しい分野の開拓ができないかなと思っています。そう考えることは楽しいことです。このようにしてサイエンスの発展に努めていきたいと思っています。
■質疑応答
○財部 今九大で非常勤の客員をやっています。精密計算の部分が肥山先生のオリジナリティーだと思うのですが、どのようなかたちでそのオリジナリティーを守っておられるのでしょうか。その計算手法の公開はしないのでしょうか。
○肥山 計算手法は世界中に既に公開しています。しかも使い方まで懇切丁寧に教えますので誰でもフォローできます。私が言うオリジナリティーは、その手法を使って更に新しいサイエンスを予見することです。その先には「こういう面白い物理がありますよ」ということを話すのがオリジナリティーなのです。夢物語なので、それを見た実験の人が、「では検証しよう」ということで動いたら勝ちなのです。よく私は「予見屋さん」と言われます。私はこれをやると面白いのではないかというアイデアで実験の人をたき付けるのです。
○北野 60年卒の北野です。私は九大医学部に行って医者をやっており、今、がん治療の開発をやっています。先生方とうまくトランスセッションできるような場があればなと思いました。そのような場は可能なのでしょうか。
○肥山 最初の問題は、それぞれ業界の言葉が違うところだと思います。それからサイエンスというのは信頼関係が必要で、盗まれるのが一番怖いので、その辺りも大切なことです。私は物理ですが、最近、化学や生物とも繋がっていることが分かってきています。また金融工学というのがありますが、あれは線形代数を使うのです。そのように実はいろいろなところで繋がりがあるのだと思います。ですから本当に興味をお持ちでしたら、まずセミフォーマルな研究会から始めて下さい。すぐに結果が出なくても10年後とかにふっと花開くということはあると思います。
○泉 52年卒の泉です。物理の現象はたまたま今の定数になっているからこのような世界ができてわれわれが存在しているのだという話を聞いたことがあります。その定数が少し違ったら多分全然違う世界があるはずだということですが、先生はどのようにお考えでしょうか。
○肥山 スターティングポイントが違ったら別の方向に行ってしまうということはよくあると思います。たまたまある特異な数字をインプットとしたために今われわれ人間がこういうところにいて、私もここでなぜか喋っているという、そういうアクシデントがあると思います。
○柴垣 昭和27年卒の柴垣です。いろいろな繋がりの話がありましたが、自然の原理を極めたものとして物理学があり、社会の原理を極める法として経済学があると思います。私の理解では、人間の外にある自然の法則を極めることと、人間自身がつくり出している法則を極める社会科学との間には非常に大きな質的な違いがあると思うのです。その点を自然科学者の方々が必ずしも十分わきまえておられない、あるいは社会科学者自身が自然科学の手法を取り入れることが科学的だと考えているきらいが強いと思うのです。その点を絶えず意識していていただきたいという、これは私の意見です。
○肥山 確かにひとたび分野が変わればいろいろな価値観があります。そこはきっちりとそれらの方々の文化もわきまえた上で研究を進めていくことが重要なのだろうと思います。
■大須賀会長挨拶
肥山さん、ありがとうございました。本当は話の中身に触れながら謝辞を申し上げるのですが、今日のお話の中身に触れるのは難しくて、多分今日は一生懸命に考えて分かりやすくお話しになったと思うのですが、やはりご研究の多体問題は、結局、私もよく分かりませんでした。分かったのは、50億年後には地球が終わってしまうということでした。しかし話全体としては、理論物理学を目指された理由、それから肥山さんが考える科学者とはどうあるべきかというのはよく伝わって来たと思います。
話は変わりますが、先週土曜日に大阪で近畿修猷会の総会があり、行ってきました。その席で奥山館長が挨拶の中で、今年の卒業生の進路はどうも西高東低だということでした。関西の大学が多いそうで、東大より京大が多いということでした。後で「あれはどういう理由ですか」とお聞きしましたら、「それはノーベル賞ですよ」ということでした。ノーベル賞は西が多いですね。修猷生の向学心の一端がそこに見えたかなという感じがしました。そのノーベル賞で今年は日本の3人の方が物理学賞を受賞されました。猿橋賞の延長線上にぜひノーベル賞みたいなものがあればいいなと大いに期待してお礼の言葉にしたいと思います。ありがとうございました。
(終了)