第663回二木会講演会記録

「アフター東京パラの今こそ知ろう!~視覚障害とロービジョンケア~」

講師:清水朋美さん(昭和60年卒)
開催日時:令和4年3月10日(木) 19:00-20:00

○田中(司会) 清水さんは、平成3年に愛媛大学医学部をご卒業後、平成7年に横浜市立大学大学院医学研究科を修了され、平成8年に米国ハーバード大学医学部スケペンス眼研究所に留学されました。帰国後は横浜市立大学医学部眼科学講座助手、平成17年に聖隷横浜病院眼科主任医長、平成21年に国立障害者リハビリテーションセンター病院第二診療部眼科医長を経て、平成29年に同病院第二診療部長に就任され、ロービジョンケアを中心に眼科医として活躍されています。
 そして、平成23年から国際パラリンピック委員会・国際視覚障がい者スポーツ連盟公認の視覚障がい国際クラシファイアを務めておられます。また、清水さんは、他の修猷のOB・OGの方々と一緒に、東京パラリンピック競技・柔道男子66㎏級で銅メダルを獲得した館友の瀬戸勇次郎選手がパラ柔道を始めるきっかけをつくられました。
 今回の講演では眼科医、また視覚障がい国際クラシファイアとしても活躍されている清水さんに、視覚障害とロービジョンケアについてお話を伺い、東京パラリンピックが終わった今こそ、大会の基本コンセプトの一つである「多様性と調和」への理解を深める機会にしたいと思います。
 ここで、講師と同期の昭和60年卒の高木信明さんから、また、ビデオメッセージで瀬戸勇次郎さんから、それぞれ講師紹介をしていただきます。

■講師紹介

○高木 清水さんと同期の高木です。清水さんと本当にお会いするのは十何年ぶりです。3年のクラスで一緒だったのですが、卒業後の同期会とか飲み会ではお会いすることがありませんでした。私は幹事をしていましたが、必ず丁寧に「欠席します」という返事をいただいていましたので、印象に残っています。総会の学年幹事の時には再会できたのですが、やはりお忙しく、その後の同期の会でもなかなかお会いできずに現在に至っています。
 彼女が執筆された本には、今の職業を選択されたきっかけなども記載されていますが、目的を持って仕事に就かれ、そして活動をさらに広げて、パラリンピックに携わられているということは素晴らしいと思います。清水さんとは、同級生として話はしたことがありますが、眼科医としての話を彼女から直接聞くのは初めてですので、楽しみにしています。
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○瀬戸 平成30年卒、福岡教育大学4年の瀬戸勇次郎です。昨年の東京パラリンピックでは、柔道男子66㎏級で銅メダルを獲得することができました。たくさんの応援をいただき、ありがとうございました。

 私は生まれつきの視覚障害があります。視覚障害と言っても、私のように、多少見える弱視やロービジョンと呼ばれる人たちも多くいて、その見え方は多様です。私の場合は、視力を矯正しても0.1に届かないため、遠くの物を見るのが苦手です。また色の判別やまぶしさが苦手で、日中外を歩くときはサングラスが必要です。しかし、一人でどこへでも出かけますし、自転車に乗ることもできます。視覚障害者は、多くの場面で困難がありますが、できることもたくさんあります。
 清水先生には、私も視覚障害者柔道を競技するに当たって大変お世話になっています。今日のこの会で、ロービジョンや視覚障害についての理解が深まり、パラスポーツにも興味を持っていただければと思っています。 nimoku663_02.jpg

■清水氏講演

○清水 本日はこのような貴重な機会をいただき、ありがとうございました。私は、埼玉県所沢市にある国立障害者リハビリテーションセンターでロービジョンケアが専門の眼科医をしています。

■はじめに

 パラリンピックがオリンピックと一番違うところは、クラス分けがあることだと思います。例えば、柔道の井上前監督と小学生が組んでも競技が成り立ちません。できるだけ状態が近い人同士での競技環境が必要なのです。視覚障害と言っても、全盲の人から部分的に見えている人まで幅が広く、そこをクラス分け、クラシフィケーションするという仕事が、クラシファイアの仕事になります。
 私は、IPC(国際パラリンピック委員会)と、IBSA(国際視覚障がい者スポーツ連盟)の視覚障がい(VI=Visual Impairment)国際クラシファイアとして活動しています。私は、2011年と2019年に、IPCのメインオフィスがあるドイツのボンであったIPCとIBSAの視覚障がい国際クラシファイア養成講習会に参加しました。今、このVIの視覚障害の国際クラシファイアは世界に50人いて、日本には私を含めて2人います。
 今はコロナでだいぶ減っていますが、大会があるたびに、どの大会に行けるか事前に聞かれます。大会は、日本国内も海外もあり、そして規模もまちまちです。

■障害者にとってのスポーツ

 障害者にとってのスポーツとは、その個人の、健康・体力・満足感に大きく貢献し、そこから人との交流が生まれ、社会参加につながります。既に障害をお持ちでも、それよりも重くしないという点で、疾病予防、悪化予防につながります。障害者にとってのスポーツは、必要不可欠なものと位置付けられていて、このことは、障害者スポーツの基本的な教科書みたいなものの冒頭に近い章のところに、しっかりと書かれています。
 スイスのハインツ・フライという車いすの選手がいます。この方は今はもう60歳前半ぐらいですが、今も現役で、多くのメダルを獲得しています。彼は、「自分は障害者という気がしない。なぜなら自分の人生を自分でコントロールできているからだ」とおっしゃっています。そしてまた、彼の「障害のない人はスポーツをしたほうがよいが、障害がある人はスポーツをしなければならない」という言葉は、障害者スポーツの理念として教科書に必ず書かれています。

■東京パラ 2021年8月24日~9月4日

 昨年、東京パラが開催されました。パラリンピックのシンボルのスリーアギトスは、世界の国旗で一番多く使われているという、赤・青・緑の3色の曲線を組み合わせたものです。アギトというのは、ラテン語で「私は動く」という意味で、困難があってもあきらめずに限界に挑戦し続けるパラアスリートを表現しているとされています。
 東京パラでは合計22競技が行われ、視覚障害の選手が出場できた競技は9競技でした。その中で、日本人が視覚障害で出場していないのは、馬術だけだと思います。目が見えない人の馬術は想像ができないかもしれませんが、パラリンピックとは別に、全盲の方でも、普通に乗馬クラブの馬場で走って、ホースセラピーにつながっているという方もいらっしゃいます。馬術という選択肢も大いにあると思います。
 私は、結局は、この東京パラでは、視覚障害の国際クラス分けのお仕事はやらなかったのですが、選手村の中で、別のお手伝いの仕事をさせていただき、貴重な経験をすることができました。
 オリンピックとパラリンピックは、当然、同じ選手村、同じ総合診療所を使います。パラリンピックで総合診療所を統括しているリハビリテーション科のドクターから「自分はリハビリテーション科が専門で、視覚障害の方々にとってのいい環境のイメージが湧かない」と言われ、私がアドバイスをさせていただきました。また、トレーニングルームも、視覚障害の人に分かりやすいようにしようと、ユニバーサルデザインのコンセプトに基づいてのアドバイスをさせていただきました。また、放射線の検査技師の方たちに、視覚障害の人に対するお声掛けや誘導の仕方をアドバイスしましたら、大変感謝されました。そのような経験を通じて、視覚障害の世界はまだ知られてないと痛感する機会にもなりました。

■瀬戸勇次郎選手

 2017年7月22日の西日本新聞に、高校3年の時の瀬戸選手のことが出ていて、「弱視の副将、古豪背負う」と書いてありました。私はこれを、昭和60年卒、猷馬会のFacebookの中で知り、すごい方がいるのだな、もしかしてパラリンピックに出られるのかなと思っていました。
 ちょうどこの翌月に、福岡で視覚障害者の国際ボウリング大会があり、修猷館の近くにある福岡記念病院でクラス分けの仕事をさせてもらいました。そこに私と同じ眼科医の武末佳子先生という昭和56年卒の先輩が当時勤務をされていました。その時の懇親会に保健師さんでパラ水泳の仕事に携わっていた平成18年卒の村山かおりさんが参加され、瀬戸選手の話になりました。そして、クラス分け業務が終わった後、村山さんのお口添えもあり、私は武末先生と一緒に修猷館に行ってみました。あいにく瀬戸選手は不在で、私はその後、埼玉に帰ったのですが、後日、村山さんが視覚障害者柔道連盟の方と一緒に、改めて修猷館に行って瀬戸選手と話をしてくださいました。そこから瀬戸選手とのつながりが生まれたのです。
 瀬戸選手に叱られるかもしれないのですが、瀬戸選手からいただいた年賀状をご紹介します。日本パラリンピアンズ協会が主催している、大学生対象のネクストパラアスリートスカラーシップという奨学金制度を、私から瀬戸選手にご紹介していたところ、応募されたようで、丁寧に「選出されました」という報告を書いていただいたのです。その後の瀬戸選手のご活躍は皆さまご存じのとおりです。

■視覚障害とロービジョンケア

 目の病気には、治って落ち着いても見え方そのものは改善されない場合が結構多いです。元通りになるのは白内障と結膜炎ぐらいかもしれません。そんなときこそ、ロービジョンケアというものがあることをぜひ知っていただきたいと思います。
 見えにくいと思ったら、眼鏡屋さんに行くのではなく、まずは眼科で診てもらい、病気があるかどうかをきちんとチェックすることが大切です。そして治療すべき病気だったら治療し、必要だったら正しい度数の眼鏡を合わせるということがポイントです。
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 視力は、裸眼視力と矯正視力の二つの表現があります。私も近視があります。眼鏡を取ったら0.1ありませんので、それこそパラリンピックに出られるぐらいです。でも眼鏡を使った矯正視力は1.2ですので、パラリンピックには出られません。矯正視力というのがとても大事になってきます。今日のお話は、眼鏡を使っても見えにくい人のことがテーマです。
 瀬戸選手もおっしゃっていましたが、見えにくさというのは本当に千差万別です。視覚障害とは、何も見えないと思われてしまうことが多いのですが、10人の視覚障害の方の中で、全盲の方というのは1人いるかどうかぐらいです。残りの9人は、部分的に見える、いわゆるロービジョンの状態の人たちです。このような人たちは、自分の見え方を第三者に説明するのがとても難しいし、なかなか理解してもらえないという悩みがあります。
 全盲かロービジョンかというのは、ロービジョンケアを進める場合の考え方なのですが、ロービジョンというのは、自分が持っている保有視機能が使える状態。全盲というのは、もう視覚が使えない状態です。ロービジョンの場合は、そこにあるものが何かは見て分かるのですが、詳細が分かりにくい状態だと思っていただければいいと思います。
 このことは、手近なもので疑似体験ができます。ジップロックや使い古したクリアファイルを目に当てると、大体0.1から0.3ぐらいの見え方の感じになります。それから、トイレットペーパーの芯のようなものでのぞいてみると、視野が狭い方に近い状態になります。そのようなことで、見えにくさを体験していただけると少し理解していただけるかもしれません。
 視覚障害のことを考える際のもう一つのポイントは、いつからその視覚障害があるのかということです。先天の方というのは、見えている生活を経験されていませんので、身動きがけっこう早いです。でも、一度見えている生活を経験なさっている方だと、かつては見えていた分、歩くのに足がなかなか前に出ないとか、心理的にも落ち込みが大きかったりします。
 ですから、どのぐらい見えているのか、いつから見えにくいのか、そして、今、見えている力を使っているかどうかというところが、ロービジョンケアでのポイントになります。

■日本の視覚障害

 日本の視覚障害の方の状況です。「盲」というのは、良いほうの目の矯正視力が0.1以下、「ロービジョン」というのは、良いほうの目の矯正視力が0.1を超えるが0.5未満としています。これは当時のアメリカの基準に沿って検討したものです。日本には164万人の視覚障害の方がいて、このうち「盲」に該当する人が、約19万人です。
 一方、厚生労働省のデータによると、視覚障害で身体障害者手帳を持っている人は、約31万人となっています。基準が違うとはいえ、数字に大きな開きがあります。その理由の一つは、患者さん側が手帳取得を固辞されるケースがあります。もう一つは、これは残念なことですが、眼科医の中で、視覚障害で手帳を取るという発想がまだ定着しきれていないということもあります。
 厚生労働省の資料では、視覚障害者数は、全体の中では一番少ない障害となっていますが、私の感覚では、実際は厚生労働省の数字よりは多いのではないかと思っています。
 日本の視覚障害の原因の1位は緑内障、第2位が網膜色素変性症、第3位が糖尿病網膜症となっています。世界全体で見ると、視覚障害の第1位は、白内障と屈折異常です。日本では信じられないのですが、白内障の手術といっても、そもそも眼科医がそんなにいないという国もたくさんあり、眼鏡一つ十分にないという国もまだまだたくさんあるというのが世界の実情です。
 今、世界緑内障週間の真っただ中です。ライトアップinグリーン運動ということで、今、いろいろなところを緑色に照らして、緑内障の啓発活動が展開されています。岐阜県の多治見市で、多治見スタディという世界的には高い評価が得られた疫学調査がありますが、40歳以上が20人いたら、1人は緑内障と言われています。緑内障というのは、最初はあまり症状がありませんので、40歳を過ぎたら、ぜひ一度眼科に行って、きちんと眼底を診断してもらうことをお勧めします。

■視覚障害者が困ること

 視覚障害ということは、情報障害であり移動障害と言われます。私たちは、8割は視覚から情報を得ているのですが、見えにくいと、移動することが難しくなり、そしてコミュニケーションに支障が出ます。お話はできても表情は伝わりません。また知人にあいさつをされても無視してしまうとか、読んだり書いたりが難しくなるということが生じてきます。
 見えにくい人の心理反応というのがよく言われます。目が悪くなると、「否認」、「悲嘆」、「怒り」、「抑うつ」、そして最終的に「受容」という段階があります。この各段階を行ったり来たりというのが普通で、ひとたび「受容」になっても何かの拍子で「怒り」に戻ったりということもあります。いろいろなアドバイスを最も受け入れやすいのは、「受容」の時期で、途中のステージでも、いろいろな介入によって、早く「受容」に至ることもあるとされています。

■ロービジョンケア

 見えないことで何もできないということではありません。見えなくても、工夫次第で多くのことにチャレンジ可能であって、全てをあきらめる必要はないというのが正解だと思います。そのためには、ロービジョンケアが必要不可欠ということです。
 見えにくい人が少しでも生活しやすくなるように、できる治療をやってサポートを行い、また、できる治療を行っても視覚に支障があるようであれば、補助具や工夫とかで視機能を補っています。これは、単に機械的に行うのではなく、ロービジョンケアマインドが大事だという意識で行っています。
 例えば、白いご飯が見えにくいときに、黒っぽいお茶碗を使うとコントラストが高まり見やすくなります。書類にサインが難しいときは、タイポスコープやサインガイドを使うことで見やすくなります。これは黒い画用紙で簡単に作れるもので、ちょっとした工夫が大事だということです。このように手軽にできるロービジョンケアを、最近では、クイック・ロービジョンケアと呼んでいます。これでも十分に患者さんが笑顔になれます。患者さんが笑顔になってくれれば医療者にとってもHappyということになります。
 また、本格的にロービジョンケアをやろうとすると、眼科医、看護師さん、視能訓練士(視力検査や視野検査などを行う国家資格)だけでなく、福祉関係や教育関係の人とかに入っていただくことが多く、その中での連携や情報提供も大切です。そして、街のクリニックの先生方たちにも、このクイック・ロービジョンケアに取り組んでいただくことが大事になってきます。
 眼科の中でのロービジョンケアというのは、まだ発展途上です。眼科医自体にまだ浸透していない部分がありますので、小さなことからでも取り組んでもらえるようにしていきたいと思っているところです。本格的にやろうと思うと、多職種で連携していくことになりますが、「つなぐ」ノウハウさえあれば、どのような環境下でもできるので、今後定着させていく必要があります。
 最近の問題としては、就労世代の問題があります。見えなくて仕事にならないと、周りの人たちの理解が得られないままに仕事を辞めてから、私どものロービジョンクリニックに来られる方が時にいらっしゃいますが、辞める前にぜひ来ていただきたいといつも思っています。一度辞めてしまうと、元に戻ることはとてもハードルが高いです。辞める前でしたら、何かしらの訓練で、何とか就労継続をしていただくことも可能です。全盲の方でも、トレーニングは必要ですが、音声で、Microsoftオフィスは一通り操作できますし、インターネットもメールも行うことができます。そのような事実もぜひ知っていただきたいと思います。最近では、就労継続をして元の職場に戻っていかれる患者さんも多くなりましたが、皆さんやっぱり活き活きとしていらっしゃいます。やはり患者さんの笑顔が医療者にとってもうれしいことです。
 具体的には、まず、眼科医が、見え方の状態を職場の上司や人事担当の方と、また場合によっては産業医の方とかに説明して理解をしてもらいます。そして職場の中でできる仕事を探してもらい、訓練のための時間が確保できるように職場と調整をして、それからパソコンとか歩行訓練を重ねます。就労計画に必要な環境調整は本格的なロービジョンケアにおける眼科医の主要な仕事ということになります。

■眼科医の役目

 眼科医が治療した後も、少しでも見えない状態が残るようであれば、何らかのロービジョンケアが必要になってきます。そのきっかけをつくるのが眼科医の仕事です。そして、ロービジョンケアは、ロービジョンケアマインドがないとうまく進みません。見えにくい人が少しでも生活しやすくなるように、具体的に考えようとする姿勢です。道具・制度などの利用が効果的なことが多いですが、どのようにしたら生活しやすくなるかなという患者さん側の立ち位置で検討していくことがポイントです。
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 これまで日本では、ロービジョンケアの考え方は、歴史が新しいということもあり、眼科医への教育があまりなされていませんでした。これ以上の治療がないとか、患者さんに手帳の話をして落ち込ませそうとかになると、話を聞くしか出来ないという眼科医側の本音や悩みを聞くことも多いです。眼科医にロービジョンケアの知識が根付いていくと、眼科医と患者さんの双方の悩みが軽くなる可能性が高くなると思います。
 逆に、患者さんから眼科の先生に、読み書きで困っているとか、ロービジョンケアというのを聞いたとか、情緒的にならずに簡潔に聞いていただけると、逆に眼科医側の気付きになるかもしれません。

■修猷館キャリアセミナー

 ここからのお話は、福岡の同窓会総会の幹事学年の時のキャリアセミナーで、私が講師として担当した際にお話した内容です。その時は、修猷館の1年生から3年生までの、将来医学部に行きたいと思われている生徒さんが30人ぐらい来てくれました。
 まず、「見えなくなったら不可能な職業は、医師、弁護士、サッカー選手のどれ?」という質問をしてみました。この質問の答えは全部なれますよということです。
 守田稔先生とおっしゃる精神科のドクターがいらっしゃいます。医学部の5年生の時に病気で失明され、視覚障害者としては日本で初めて医師免許を取得されました。母校の関西医科大学の精神神経科に入局され、同時に、視覚障害を持つ医療従事者の会(ゆいまーる)の代表として活動されています。
 次に、竹下義樹さんという弁護士さんがいらっしゃいます。中学3年生の時にけがが原因で失明なさって、日本で初めての全盲の弁護士さんになられました。点字の六法全書もなくて、点字での司法試験も事実上認められてなかった状況で、最初の合格者となられました。今は事務所の所長を務められていて、日本視覚障害者連合の会長も兼任されています。NHKの「逆転人生」に出ていらっしゃいました。
 また、リカルド・アウベス選手というブラジルのブラインドサッカーの選手は、幼少時から見えないのですが、No.1フットボールプレーヤーと言われています。ブラジルには、ブラインドサッカー選手が500人はいて、プロとして頑張っている人もいると聞いています。彼のシュートは素晴らしいので、よかったらYouTubeでご覧になってみてください。
 このセミナーの後、生徒さんからは、いろいろな感想が寄せられました。「心の持ち方によっていくらでも変われること、失明しても諦めずにすごい努力をしている人がいて刺激になった」「私は今まで失明すると何もできないと思っていたけどその考えが間違っていることに気づいた」などの感想をたくさん頂きました。

■最後に

 生きがいが決まると、ゴールが定まって、それに向けたロービジョンケアの内容を具体的に組み立てることができます。スポーツも、まさに生きがいの一つです。
 私の患者さんで、網膜色素変性症という難病で、大学に進学したものの勉強がうまくいかずやめてしまい、自宅に引きこもるようになっていた男性がいました。ご家族と相談の結果、はり・きゅう・あんまマッサージ師の勉強を始めることになったのですが、そこに行き始めたら、同じ視覚障害の水泳の選手に出会い、自分も小さい時に泳いでいたことを思い出して始められました。そうしたら、びっくりするぐらい表情が明るくなっていて、日本で一番大きな競技大会、ジャパンパラ水泳を目指しますということになりました。まさしくこれが「受容」に至るのに時間がかかったケースなのかなと思っています。とても印象深かったケースです。
 今日のお話の内容についての検索キーワードをご紹介しておきます。「ロービジョンケア」とか、東京にいらっしゃる方でしたら「日本点字図書館」とか、お仕事でお困りでしたら「認定NPO法人タートル 就労」とかで検索していただければ、いろいろな情報が出てくると思います。
 それから、視覚障害の方のホーム転落の事故が起きますが、「ホーム転落をなくす会」というのが任意団体であります。ホーム転落をなくす手段として、ホームドアや誘導ブロックなどがありますが、一般人の声かけが一番安価で視覚障害者の理解にもつながると言われています。もし、これのポスターを掲示していただけるところがありましたら、ぜひご協力をいただきたいと思います。
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 ロービジョンケアを知っていれば、不必要な悩みを減らすことができます。見え方で困ったら、また40歳を過ぎたら、まずは眼科受診をしていただいて、それでも改善しないときにはロービジョンケアをお忘れなくということです。これが私の最後のメッセージです。ご清聴ありがとうございました。

(拍手)

■会長あいさつ

〇伊藤 今日は、知らなかったお話がたくさんありました。ロービジョンケア、ロービジョンケアマインドという言葉に象徴される、視覚障害者に向けた考え方というのは、知らない人が多いのではないかと思います。また、視覚障害者の笑顔が医療関係者の喜びでもあるというお話をお聞きして、本当に大事なお話を聞くことができたと思いました。
 それから、スポーツとの関係についても、健常者であればスポーツをやったほうがいいということが、視覚障害者の場合はやらなければいけないものだということでした。なるほどと思いました。今日は、目からうろこのお話をたくさんお聞きすることができました。
 清水先生のこれからのますますのご活躍と、そうした理解が眼科医も含む国民全般に広がっていくことを期待して、私のお礼のごあいさつとしたいと思います。今日はありがとうございました。

(終了)

■チャット機能による講演中の質問と回答

(質問1)ロービジョンの問題は、高齢者に多いのでしょうか。お年寄りには黒いお茶碗を用意してあげたほうが、見えにくい人も食べやすくなって生きる喜びにつながり、良いということでしょうか?
(回答1)はい。その通りです。

(質問2)2003年卒の坪田と申します。今新宿区の病院で眼科をしております。コロナ禍でロービジョンケアが難しくなった点がありましたら教えてください。
(回答2)4つ情報をご提供いたします。
1.眼科ケア
https://store.medica.co.jp/item/130152108
 主にコメディカル向けの眼科雑誌ですが、昨年の8月号のテーマはクイック・ロービジョンケアで、私はコロナ禍におけるロービジョンケアについて執筆しました。
2.全国ロービジョンセミナー
 毎年、行われているセミナーですが、今年度のテーマは『コロナ禍における視覚障害者の生活と職業』でした。
https://www.jvdcb.jp/seminar/lowvision/lowvision2021/
 ご希望があれば、日本視覚障害者職能開発センターにお問合せください。
3.昨年の東京眼科医会報の春号
 私どもは東京都眼科医会が主催をしている視覚障害リハビリテーション講習会で毎年講師を務めておりますが、昨年の春号に当職場のスタッフがコロナ禍で視覚障害の患者さんが困っていること、私たちができることを執筆しています。
4.日本眼科医会のロービジョンケアサイト
 コロナになったばかりのころ、日本眼科医会の役員の方々と情報を少し整理させていただきました。
https://low-vision.jp/

※「国際視覚障がい者スポーツ連盟」、「視覚障がい国際クラシファイア」については、固有名詞になるため、平仮名の「がい」と表記させていただきました。