『日本の医療制度について』
講師:横倉 義武 氏 (昭和38年卒)
■講師紹介
○渡辺 私は横倉くんと昭和37年4月に3年1組の小柳陽太郎先生のクラスで一緒でした。そのときからちょうど50年後の昨年の4月に横倉くんが日本医師会長に当選しました。私は新聞の道を歩んでずっと医療を担当してきましたので、その奇遇に大変驚きました。
日本医師会の初代会長は北里柴三郎先生で、その後、昭和32年から昭和57年まで会長をお務めになった武見太郎先生のときから日本医師会は政治的にも大変な力を持ってきました。その日本医師会長に九州から初めてなったのが横倉くんです。
■横倉義武氏講演
修猷館時代は、軟式テニス部で名手の野原くんの横でボール拾いをしているような、のんびりと楽しい高校生活を送っていました。
■日本医師会とは
戦前の医師会はすべての医師の加入が義務付けられていました。そして第二次世界大戦中は国家統制の下に置かれた官製医師会でしたが、終戦後の昭和22年にアメリカ駐留軍の指示によって新生「日本医師会」として再スタートしました。同じころにできた弁護士会は全員加入ですが、医師会のほうはGHQのサムスという局長の指示で任意参加になりました。
現在、全国で約29万人の医師がいますが、そのうち約6割弱が医師会員です。医師会員が全くいない医療機関は全体の1割弱ですので多くの医療機関には医師会員がいます。国立病院の院長先生たちもほぼ医師会の会員です。会員の内訳は開業医と勤務医の先生がほぼ半分半分です。
医師会の活動の目的は「国民医療体制の確立」、「安全な医療提供の確立」、「保健活動を通じた国民の健康への働き」、「会員医療機関の経営の安定」の四つです。そして日本医師会の政策の判断基準は「国民の安全な医療に資する政策か」ということと「公的医療保険による国民皆保険が維持できる政策か」という2点に置いています。
医師会の大きな役割の一つに、行政のカウンターパートナーとしての機能があります。医師は地域の健康診断や予防接種、また学校医としての生徒さんたちの健康管理等々に協力しています。
日本医師会には常勤の役員が14名おり、いろいろな官公庁審議会や委員会に出て、医療の現場から意見を述べています。圧力団体という表現がよくされますが、実際は自分たちのためというよりも国民の健康や医療を守るための政策についての提言をしています。
また医療者と患者さんとの基本的な信頼関係をつくるために「医の倫理綱領」をつくり「医師の職業倫理指針」を策定しています。
一昨年の3月の東日本大震災のときには、8千人近い医療人が被災3県に行きました。私も約1カ月体育館に泊まり込んで支援に入りました。そのとき薬を運ぶすべがなく困っていたのですが、米軍のトモダチ作戦や自衛隊の協力により現地に運ぶことができました。
また日本医師会では国民への医療情報の発信も行っています。ホームページではいろいろな健康情報を出しています。その他新聞広告等でも情報発信をして医療への理解が深まるようにしています。
日本医師会は日本医学会とも一緒に活動しています。国民の健康に関する問題があった場合には、医師会と医学会が一緒になって問題の解決を図る努力をしています。最近では不妊治療の問題について一緒に一つの指針を発表しました。
■我が国の医療と主な問題点
日本の医療は、国民皆保険体制で、何かの健康保険証を持っていれば、多い人でも3割の負担で医療サービスが現物給付で受けられます。また医療機関を自由に選べるフリーアクセスになっています。このようなことは世界ではあまりありません。
医師は「ヒポクラテスの誓い」をベースにして善意で医療を行うことを基本に置いています。また杉田玄白の残した言葉の精神も大切に考えています。
国民の医療に関する調査によると、受けた医療の満足度は近年徐々に上がってきています。その中で満足していない理由は、医療費の負担が大きすぎるという経済的な話が1番に出てきています。国民が望む医療は「夜間や休日の診療や救急医療体制の整備」と、「高齢者などが長期入院するための入院施設や介護老人保健施設の整備」の二つが上位を占めています。
小児科医の不足の問題があります。昔は内科の先生が小児科も一緒に診ることが多かったのですが、最近の親御さんは小児科の専門の先生に診てほしいという方が多いのです。しかし地方で小児科専門の先生の24時間対応体制をつくるのは難しいので、内科の先生に小児科の研修をしてもらって対応しようとしています。
私共はかかりつけの医師を持ちましょうと呼び掛けてきています。かかりつけ医師とは「なんでも相談できる上、最新の医療情報を熟知して、必要な時には専門医、専門医療機関を紹介でき、身近で頼りになる『地域医療、保健、福祉を担う幅広い能力を有する医師』」ということです。
国民すべてが健康保険に入るという国民皆保険の体制ができたのが昭和36年です。そのときの日本は終戦後16年目で、まだ発展途上国ぐらいのGNPでしたが、この国民皆保険を達成することで平均寿命も大変伸びていきました。そして経済もこの後急速に伸びていきます。一定の負担で必要な医療が受けられるという国民の安心感があることが、社会の活性化につながっていくのだと思います。この国民皆保険をつくった人たちの英断はすごいと思います。現在この国民皆保険がこれだけ充実している国は世界でも日本がトップです。
我が国の医療制度は、被保険者が保険者に保険料を支払い、医療提供者との間では一部負担で、ある程度の医療が受けられる仕組みになっています。医療財源は、保険料と税金と自己負担の3本の柱で成り立っていますが、組合健保の保険料は組合ごとに保険料が違っていて、かなり大きな差がありますのでこの辺の平準化をしていく必要があると思っています。
日本の場合は、貧富の格差を表すジニ係数が少しずつ拡大しています。所得再分配をして何とか改善が図られているのですが、社会保障による改善度と税による改善度を見てみると、社会保障による改善度のほうが大きくなっています。所得の格差が大きくなると社会の不安定要因になりますので、この辺はしっかり考えておかなければならないと思っています。
日本の医療費は高いと言われることがありますが、対GDP総医療費はOECD加盟31カ国中の22位ですので、それ程高い医療費ではないと言えます。世界の医療の評価表で日本はほとんどの項目がAランクになっています。
日本の医療制度は、それ程高い医療費ではなく、いいパフォーマンスをしていると言えます。
■過度な規制緩和の問題点
経済格差が原因で必要な医療が受けられないことがあってはならないと思っています。私は大牟田のそばの農村で育ちましたが、私が修猷館に入る頃は国民皆保険が始まる前で、医療費が払えないために医者にかかれない人がたくさんいました。私の父親も必要な医療が施せないと残念がっていました。そのような経験があるので、なお更、経済格差が医療格差につながらないように強く思っています。
明日TPPの交渉への参加が発表されることになりますが、私共が心配していることの一つには薬の値段があります。今の中医協での薬価決定プロセスにアメリカの大きな製薬メーカーが参入してくると、先発医薬品の値段が上がったり、ジェネリック薬品の市場参入を阻害する可能性があります。もう一つは、公的医療保険の範囲が縮小して私的医療保険が拡大するのではないかという心配もあります。
中曽根内閣のMOSS協議以降、毎年アメリカから医療の市場開放についていろいろな要求がされています。これらの心配される悪影響が現実にならないように国民皆保険を守っていかなければならないと強く思っています。そのためには「公的な医療給付範囲を将来にわたって維持すること」、「混合診療を全面解禁しないこと」、「営利企業を医療機関経営に参入させないこと」の三つを重要課題として守っていかなければならないと考えています。
この混合診療というのは、公的医療保険に採用されていない部分を自費で払うということです。それは現在一部で解禁されており、一定の安全性・有効性が確認された先進医療については保険外併用が認められているということで、全面解禁ではありません。それを認めてほしいという議論があるのですが安全性の問題があり、その結果、公的医療保険制度全体に対する信頼性が損なわれることから、全面解禁には反対しています。
■地域医療の再興
これからの高齢化による人口構造の変化を予測して医療の質を上げる努力をし、地域間での医療格差をなくすために関係者の間で地域連携を議論しています。また介護については、介護保険サービスの充実と、医療と介護のきちんとした連携ができるような仕組みづくりを目指しています。認知症高齢者支援体制についても努力をしています。
■最後に
『中央公論』2月号に「同窓会であの日に帰る」という特集があり、母校の修猷館のことを載せていただきました。
■質疑応答
○オノザキ NHKで医療報道をやらせていただいています。ご自分の任期の中で「横倉先生の時代に医師会はこれをやった」ということを残すためには何に重点を置かれておやりになりますか。
○横倉 一つは、医師会員の方々にしっかりとした研修をしてもらうということです。二つ目は、善意の医療を行って医療事故が起きたときに刑事罰を科せられることがあります。それをなくすために医療事故調査委員会を立ち上げようと準備しています。そして三つ目は、「地域医療の再興」のための仕組みづくりの指標を行政と一緒につくっていこうと思っています。
○宮川 漢方と東洋医学を合併することはできませんか。
○横倉 日本医学会は下部組織に東洋医学会という組織を持っていて、漢方とは既に一緒に活動しています。今、東洋医学は西洋医学と合体していると言っても過言ではないと思います。
○加藤 平成19年卒の加藤と申します。TPPでデメリットもある半面、新しいことが始まってメリットが増えることもあると考えますが、その点について医師会はどのようにお考えでしょうか。
○横倉 医療技術は新しいものを取り入れなければなりません。規制緩和についても、新しい薬や新しい医療機器をつくるという医療周辺のことについては規制を緩和してくれるよう担当大臣にお願いしています。 世界の医師会という組織があり、私はそれに年に2回出席し、世界各国との医療連携をやっていますが、そこでの私の一つの夢は、日本のこのすばらしい国民皆保険体制を東南アジアにぜひ輸出したいということです。
○ナカムラ 昭和25年卒のナカムラです。私はアメリカに7年間駐在していて、アメリカのホームドクターというのはいい制度だと思いましたが、後で高い請求書が来るのではないかという思いもありました。今日のお話のかかりつけの医者の場合、相談したときの費用はどうなのでしょうか。
○横倉 日本の医療保険のいいところで、一部の負担で治療が受けられます。そして日本の場合は一つの診療所に行けば、ある程度のレントゲンも撮ってくれ、診断もやってくれるというレベルの高い診療ができています。アメリカやイギリスの場合は各所でお金が必要になる仕組みになっています。 この日本の医療保険の良さが国民の皆さんに伝わっていなければ、それは我々の広報の下手なところだという反省になります。
○シゲトミ 平成15年卒のシゲトミと申します。インターネット上での薬の販売についてはいろいろなメリット、デメリットがあると思いますが、それに対しての意見、見解をお聞かせください。
○横倉 私共が一番心配しているのは、インターネット販売をやると偽薬が出回るということです。対面販売の良さは、売る人の責任が担保できるわけです。海外では薬のインターネット販売がなされていますが、外国の医師と話すと偽薬が出回って困っていると聞かされます。
○?? 医者の数を増やす問題について、各県1医大構想により70年代以降かなり増えたようですが、その後はむしろ抑制の方向にあるように思います。その現状について医師会はどう考えていらっしゃるのでしょうか。
○横倉 私の世代のときは医者になったのは1年間に4千人前後でしたが、今年の入学定員は9千人ぐらいですから増えています。医師不足が言われて医学部の新設についての議論がありますが、平成17年から入学定員を徐々に増やしてきていて、今は平成17年と比較をすると入学定員を1,400人増やしました。医学部は1学年100人定員が多いので、14の医学部ができたと同じことになります。この人たちが卒業する2、3年後には一気に医師が増えてくると思います。
○森山 日本医師会長としてではなく、高校の先輩としてまた医学の大家として日本の医療の最大の問題点を一つ挙げていただきたいと思います。
○横倉 日本の医療の最大の問題点は、大学の研究費がこの10年ずっと削減されてきており、医学研究を含めてですが、教育・研究の予算が少ないということです。
(終了)