第609回二木会講演会記録

『辞書に映った漢字のかたち』

講師:武田 京 氏(昭和58年卒)

■講師紹介

○林 私たちは昭和58年に修猷を卒業しました。実は私たちが在学していた時にモーカリが廃止されました。私たちはモーカリ復活を願った映画をつくって文化祭で発表して、それが西日本新聞に取り上げられたりしたのですが、復活は実現しませんでした。京くんと私は3年生の時に一緒のクラスでしたが、彼はその後、修猷の伝統を守り、修猷に入学して4年目の春に慶應義塾大学に入りました。
 彼は辞書の編集者という仕事をしながら、木曜日の晩にはミュージシャンに変身します。大学で西洋史学を学んだということからでしょうか、ケルト音楽のバンドを主催しています。また休みの日には家族のために寿司を握るというマルチなところもあります。

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■武田京氏講演

○武田 同級生の冬彦くんより過分なご紹介を頂戴しました。明らかに私より話が上手なので緊張しましたが、「京くん」という当時の呼び名を言っていただき、少し落ち着きました。「京」という名前ですので、小学校では「京ちゃん」、高校で「京くん」、大学で「京さん」となり、少しずつ変化はしていますが、友人みんなには名前で呼んでいただくことができました。、両親が付けてくれたこの名前を大切に思っています。

■はじめに

 本日は「辞書に映った漢字のかたち」としてお話しをいたします。 日本には出版社が4,000社ぐらいありますが、その中でも辞書を刊行することができる出版社は数十程度で、幸いなことに三省堂はその中の一つです。その辞書の編集者となると、数百人いるかどうかだと思います。そして私が主に担当している漢和辞典・漢字辞典は、全部で80から100ぐらい刊行されていますが、きちんと改訂している辞典は10あるかないかくらいですから、その編集者は数十人いるかどうかということになります。日本国民が1億3,000万人だとすると、そのうちの数十人ということですので、これはもう絶滅危惧種と言えるかもしれません。そうならないように日々務めているところです。
 一口に辞書といってもいろいろあります。日本では、英和辞典が300点くらい、その他の外国語辞典が240点くらい刊行されています。国語辞典だけでも100点はあり、ことわざ辞典は170点くらいあります。古語辞典が40点くらい、漢和・漢字関係の辞典も80点以上はあります。単純に計算すると、全部で1,000点に近い辞典が刊行されています。これは大変多いもので、日本は辞書出版が盛んな国であると言えます。そして、それらの辞書は頻繁に改訂されていますので辞書の内容も変わってきています。ぜひ「辞書なんて皆同じでしょう!?」とは思わずに、新しい辞書が書店に並んでいたら手に取って見ていただきたいと思います。

■修猷館から三省堂へ

 私は修猷館を卒業して、今は三省堂に勤務しています。「館」から「お堂」へという人生です。修猷館では4年制ということを前提に青春を謳歌していました。3年間を通して演劇部でしたが、今振り返ってみても、高校時代のあの時ほど楽しい時期はありませんでした。当時、混クラ(こんくら)で、男子は36人の同級生がいたのですが、そのまま現役で大学に行かれた立派な方は3人だったと記憶しています(笑い)。私もその次のグループにいて、1年浪人して慶應義塾大学に入りました。文学部史学科西洋史学を専攻し、こちらでも4年間楽しく過ごしました。
 就職の際には出版業界を希望していましたが、出版社の求人数は多くなく、たまたま映画会社東宝に入りました。映画でも良いかと思ったのですが、実際の業務は映画をつくる仕事ではなかったということもあり、出版に対する思いが募ってきました。東宝は現在も銀座にありますが、当時はバブル景気に沸く時代で、5時を過ぎると周辺は大変な騒ぎでした。そのような派手やかな生活の中で、これではいかんと思いながら勤めた3年9カ月でした。
 そのような日々の中で、たまたま三省堂が編集者の募集をしていて、それを機会に転職しました。東宝に入社した時も倍率が100倍ぐらいでしたが、三省堂の時も300人応募して3人しか採用されませんでした。そのように、私が今ここにいる背後には、それだけの多くのライバルの姿があります。自分の今の仕事はきちんとしていかなければと思い、日々過ごしています。

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■二つの字

 はじめに、この二つの字を見ていただきましょう。「猷」(「酋」の上部が「八」の字)と「」(「酋」の上部が「ソ」の字)です。この字を採り上げるのに、今日の二木会ほど相応しい場はないでしょう。
この二つの「猷」ですが、どちらの字を使うのが正しいのでしょうか。結論から申し上げれば、どちらも正しい字です。ただし、活字としては「八」の「猷」の字体を使う、ということになります。一方、現在の修猷館の正面玄関に飾ってある扁額を見ると、こちらは「ソ」の「」が示されています。つまり、手書きの場合は「ソ」の字体で書くのが一般的であったようです。東京修猷会の会報は箱島元会長の書ですが、そちらもこの「ソ」の字体だったと思います。手で書く場合は「ソ」の「」でもいいということです。(注:どちらの字体も正しい「猷」の字ですので、活字で「ソ」の字体を用いても、手書きで「八」の字を用いても、ともに誤りではありません)
 このようなことがわかるのが漢和辞典であるわけですが、では、漢和辞典について見て行きたいと思います。

■漢和辞典を知る

(1)漢和辞典とは?

 日本語の現代語を調べるための日本語の辞典は、「国語辞典」ですね。日本語の古語を調べるための日本語の辞典は、「古語辞典」です。中国語の現代語を調べるための日本語の辞典は、「中国語辞典」とか「中日辞典」ということになります。そうすると、中国語の古語である漢文を日本語で調べる辞典が「漢和辞典」ということになります。そして現代では、漢和辞典の守備範囲は広まってきていて、漢籍・漢文に由来する伝統的な漢字情報と、現代日本語としての漢字情報という二つの方向性を兼ね備えて、漢字に関するあらゆる情報を収録することが求められてきています。

(2)漢和辞典の歴史

 中国で現存する最古の漢字辞典は、後漢時代につくられた『説文解字(せつもんかいじ)』です。これは540の部首に分かれていて、いわゆる形声とか会意といった六書(りくしょ)の概念を初めて示したものです。今に伝わっているという意味で重要な辞書です。続いて時代が下って清代の1716年に、『康熙字典(こうきじてん)』という字書がつくられました。これは清朝の康熙帝の勅命でつくられた辞典です。部首はだいぶ整理されて214になっています。以来多くの辞書がこの康熙字典式の部首を使っていて、今の日本でも尊重されています。そしてそこにはきれいな活字体が示されていて、その字体は今の日本でも非常に参考にされています。
 日本で残っている最古の字書は平安時代の『新撰字鏡』で、その後、江戸時代まで脈々と漢字の辞典・国語辞典をつくる伝統が受け継がれてきています。そして、明治36(1903)年に『漢和大辞典』が刊行されました。実は史上初めて漢字の辞典に「漢和」の名称を付けたのがこの辞典です。すでに明治の初めに英和辞典が刊行されていますが、この「英和」を「漢和」に置き換えたものが漢和辞典なのです。英語を日本語で読むための辞典が英和辞典だとすると、漢文を日本語で読むための辞典が漢和辞典だということです。この『漢和大字典』は三省堂から刊行されていて、当時大変人気を博したと聞いています。今でも使われている漢和辞典の漢字見出しの字のかっこの形(【】)は、この『漢和大辞典』が初めて使いました。そしてここでは親字の意味だけではなく、さらに熟語もまとめられています。ただし熟語の並び方は現在の漢和辞典とは違って、見出しの漢字が2文字目に来る熟語がまとめられています。不思議な気がしますが、これは漢詩をつくるための構成だと聞いています。
 昭和49年には『新明解漢和辞典』が三省堂から刊行されています。基本的な解説方法は『漢和大辞典』とさほど変わりませんが、この辞典では長澤規矩也先生が考案された独自の部首で編集されています。
 そして『漢辞海』が平成12(2000)年に刊行されました。ここでは、「名詞」「動詞」といった品詞、また漢文の用例とその現代日本語訳・書き下し文が示されています。ここまで丁寧に解説した漢和辞典は従来他にはありません。英和辞典や古語辞典ではそれが当然ですが、漢和辞典もようやくそのようになったということです。そして、現代日本の国語施策にも対応していて、常用漢字表・漢字コード・筆順・名前の読み方など、現代の漢字情報も押さえています。この『漢辞海』を私が担当しました。

■漢和辞典を使う

 では、実際に漢和辞典を使って漢字を見てみましょう。

(1)「修猷」を読む

 「修猷」の典拠となった『書経』の『微子之命』の全文を見ると、中に「踐脩厥猷」の句があります。この『書経』というのは、中国歴代の帝王の言行録のようなものです。周の成王の父の武王が、周の前の殷を滅ぼしました。その殷の最後の王は暴虐な政治を行った紂(ちゅう)という王でしたが、その兄の微子は人望があり、その微子に対して成王が使命を与えているものがこの「微子之命」です。その中に「践修厥猷」という言葉があります。これを『漢辞海』を使って読んでみます。
 『漢辞海』で「践」の解説を見てみると、「践修(せんしゅう)」という全く同じ句があり、「実行する」とあります。そこに「書・微子之命」と出典がありますので、まさにこの部分です。『漢辞海』でそのまま採り上げられていました。続いて「修」の字を見てみます。「修」は「おさめる」ということなのですが、ここに「通」とあって「修」とは別の「脩」の字が示されています。「修猷館」の扁額の字はこちらの「脩」の字です。ですから当時は「修」と「脩」は同じように使われていたということが、この説明から分かります。参考までに、扁額を書いたのは清朝の趙佑(ちょうゆう)という人で、乾隆帝時代の清廉潔白で有名な文人政治家だったようです。そのような貴重な扁額、これからも大切にしていただきたいと思います。次の字は「厥」という字です。これは普段は見ることがない字なので、複雑なニュアンスの字に見えなくもないのですが、単純に「その」と言っているだけの字です。次に「猷」を見てみます。「名詞」の所に「道理。方法。みち」とあります。
 このように、『漢辞海』を見ていただければ、この「践修厥猷」の句もきちんと理解していただけると思います。ちなみにこの「猷」の解説に、「修猷」という言葉を入れてほしいと編者の先生に相談したのですが、残念ながら採用にはなりませんでした。(笑い)  ということで微子に対して周の王が「あなたの祖先は非常に素晴らしいことをしてきた。たまたま紂という兄弟が暴虐だったけれども、祖先のことをきちんと守ってきたのがあなたである」ということで、「爾惟践修蕨猷」「爾(なんじ)惟(これ)蕨(その)猷(みち)を践修(せんしゅう)す」と言っているわけです。前の王朝の遺族ですが、きちんと土地を与えて祭祀を受け継がせ、「これからもしっかりつとめてほしい」という使命を与えているのです。その意味で、私たちも「猷(みち)を修(おさ)む」ということで、先賢の猷(みち)を常に意識するということになるのだと思います。

(2)現代日本の漢字を調べる

 現代の漢字を調べるのに漢和辞典を使うこともできます。平成12年に『漢辞海』の初版が刊行されていますが、これには漢字コードが示されています。常用漢字・人名用漢字・筆順・名前・難読といった現代の日本語で使う漢字の情報も入っています。ここでは「猷」の字に星印が付けられています。これは、当時の国語審議会で議論されていた「表外漢字字体表」の中の、この字については「八」の字の「猷」を使うのがいいのではないか、との見解を反映させたものです。
 平成18(2006)年に刊行されたこの『第二版』では、増補されたJIS漢字がすべて収録されました。それから「表外漢字字体表」について、初版の時は議論中だった「猷」について国語審議会が結論を出しました。そこでは「八」の字の「猷」が示されています。個人的に使う場合は「猷」でも「」でもどちらもいいのですが、公の場で使う場合や、どちらにしようかと考えたときには、「八」の字の「猷」を使うという指針になりましたので、『初版』の「猷」に付いていた星印が、この『第二版』では、「表外漢字字体表」での「印刷標準字体」の「標」という記号に変わっています。また「表外漢字字体表」の指針に伴ってJIS漢字も例示字形を変えましたので、『初版』の「猷」には付いてなかった漢字コードが『第二版』の「猷」には付いています。小さな変化ですが、最新の国語施策を示しているということの一例です。一般の読者の方がこのような変遷を逐一追う必要はありません。しかし、辞典を見た際には安心して調べていただくということが、辞典の使命かと思います。
 そして、『第三版』が平成23(2011)年に刊行されました。ここでは、平成22(2010)年に改定された「常用漢字表」に対応しています。たとえば、それまでの常用漢字では「しんにょう」の点は一つ(辶)でしたが、「遡」「遜」「謎」という「しんにょう」の点が二つの字(辶)が3文字追加されたということがわかります。この背景には「表外漢字字体表」があって、それ以降字体が定着してきたということもあります。国語施策というのは基本的には現状を認める方向で行きますので、「常用漢字表」でもそれを採用せざるをえなかったということです。(注:ここで「しんにょう」の点の数に触れていますが、これも活字の字体の場合です。手で書く場合は、昔から「」のように、点一つでゆすって書くのがふつうです) それから、「十回」と書いて、皆さんは「ジッカイ」とお読みになるでしょうか、それとも「ジュッカイ」とお読みになるでしょうか。「常用漢字表」が平成22年年に改定されるまでは「ジッカイ」が正しいとされていましたが、世の中の大半の方が「ジュッカイ」とも読むようになりましたので、「ジュッ」という読みも認められて「常用漢字表」の中に掲示されるようになりました。『漢辞海』ではそのような内容もきちんと反映しています。
 国語施策は常に変わっていくものですが、現在も文化審議会で、異字同訓の使い方や活字と手書きの字体の差などについて議論が続いています。これらの指針が示されれば、これから編集する『漢辞海第四版』で対応していきたいと思っています。
 このように、漢文の情報と現代日本語の情報、それを常に更新していこうというのが漢和辞典の基本的な編集方針です。

■漢和辞典を編集する

 三浦しをんさんの『舟を編む』という小説が映画になりました。原作も大変面白いものですが、映画もまた辞書編集の姿がリアルに表現されていて、本日私がそれに付け加えることはあまりありません。というのも、劇中の編集室でのシーンで映った辞書や資料類は、三省堂の編集部からお貸しした、実際にわれわれ編集者が使っていたものなのです。ですからリアルなのも当然だと思います。『舟を編む』の編集者と私たち実際の編集者の生活で違うところは、ロマンスがあるかないかだけです。(笑い)
 辞書出版には多額の資本と年月が必要です。『漢辞海』には、都内に一戸建てが買えるぐらいの費用が掛かっています。ですから辞書を出版できる出版社は限られてくるのでしょう。三省堂は幸いなことに明治以来の辞書編集の歴史がありますので、スタイルができてきているということもあり、今日に至っています。しかし一般の出版社ではなかなか難しいことかもしれません。ただ、それでもいろいろな出版社が辞書を刊行しているというのが、日本の素晴らしい姿だと思います。
 辞書は育っていくものです。一般の書籍は、いったん印刷してしまえば後は増刷するだけですが、辞書は改訂されれば内容が改められていきます。ですから、皆様には、辞書は版を重ねるごとに見ていただきたいと思います。
 本日ご紹介してきました『漢辞海』ですが、もちろん編集部だけの力ではできません。漢文や中国語の音韻・日本語漢字情報などの専門家の先生方が最新の研究成果に基づき数万項目に及ぶ原稿をまとめられ、それを出版社の編集部が多くのスタッフとともに現代の国語施策にも対応するようなかたちに整えていくのです。そのような編集委員会のチームワークで出来上がっていきます。それぐらい規模が大きいということもあって、出版できる出版社は限られているのだと思います。
 『舟を編む』の『大渡海』は14年ぐらいであったと思いますが、三省堂の『大辞林』は28年かかったと聞いています。『漢辞海』も8年ぐらいかかっています。原稿を一から書いていって、それを活字のかたちにまとめ、校正を何回も繰り返し、何年も掛けてつくっていくのが辞書です。このように見ていくと、非常に多くの方が関わっています。ただ、私個人としては、読者のためにつくっているということが基本にありますので、読者のご意見は大変ありがたく、一人でも多くの方に『漢辞海』を見ていただき、共に育てていただくことができればと思っています。

■出版産業の変遷と展望、辞書編集の将来

 出版産業は2兆円を超えるくらいの規模で推移してきましたが、バブルのころをピークとして、以降は縮小に転じ、既に2兆円を切る程度に縮小してきています。その原因の一つは、当然ですが人口減少です。それから、紙からデジタルメディアへという媒体変化があります。紙の出版物の売り上げは縮小してきていますが、媒体がデジタルに置き換わっていますので、全体として見れば縮小しているかどうかは分かりません。今は、電車の中でもみなスマホを見ています。そのように媒体転換は目に見えて進んでいます。辞書も含めて出版界はそのような中にあるということです。
 ただし、当初思われていたほど減ってはいないという感触もあります。これは、紙の本が好きな方とデジタルが好きな方の棲み分けができてきているのだと思います。今後はしばらく併存していく形になるだろうと思います。
 流通では、町の本屋さんは減ってきていますが、アマゾンのようなシステムができてきています。このような流れも宿命なのかもしれません。
 漢和辞典もそのような流れの中にあります。以前とは比較にはなりませんが、それでも、現代においても、学校教育や大学入試で扱われるなど漢文の需要は少なくはありませんが、それだけに特化するわけにもいきません。現代日本の漢字情報も備えていくために、改訂は行う必要があります。「すべては読者のために」ということを踏まえれば、編集方針もおのずと定まっていくものと考えています。

■おわりに

 今日は短い間でしたが、さまざまな漢字を見てきました。漢字にはいろいろな表情、形、姿があるということを感じていただけたかと思います。ただ、本日一番採り上げたかった漢字は、みなさんのもとにあります。どうぞ皆様、それぞれお名前を漢和辞典で見ていただきたいと思います。『漢辞海』だけではなくて他の辞典もぜひお手に取って見ていただければと思います。 本日はありがとうございました。

■質疑応答

○苛原 34年卒の苛原真也です。中国では簡体字が使われています。そのようなことが、国語審議会を含めて検討されているのでしょうか、

○武田 中国は国家施策として簡単な字体にしていこうとしたのです。日本では第二次大戦後すぐにまとめられた「当用漢字表」があり、昭和58年卒のわれわれもその当用漢字で育った世代ですが、その段階においては簡単な字体を採用しています。ですから「体」という字は「體」という旧字体があり、戦前からそれも使っていたのですが、当用漢字が制定されて以降は「体」という字が基本となり、多くの人がごく自然にその字を使うようになりました。これは略字化の一つのかたちだと思います。
 そしてJISも、コンピューターでの漢字コードを決める時にはそのような考え方で簡単な字を導入していきましたが、やはり古いものへの憧れもあるのでしょうか、日本人として字の座りがいいと感じたのでしょうか、2000年に国語審議会から国語施策として出された「表外漢字字体表」での基本的な考え方は、伝統的な難しい字体を使おうということでした。それでJISも、一斉に難しい字に変えました。
 その辺りの流れを踏まえたのが、29年ぶりに改正された2010年の「常用漢字表」です。例えば、その「常用漢字表」では「二点しんにょう(辶)」の字が3文字が入っています。世の中全体が二つの点の「しんにょう」でいいとなったという大前提、背景があり、その「常用漢字表」に、「しんにょう」の点の数が二つの字体も入ることになったのです。
 このような結論が出ましたので、これから先、国語施策の中枢に簡単な字体が位置付けられることはないと思います。個人的に使う分には全然構いませんし、手で書く場合にはいかように書いてもいいのですが、公の文章とか、どちらの字体を使うのかを考えるときにはそこに立ち戻ることになります。今後私たちは伝統的な字体に接していくことになるだろうと思います。

○松本 平成26年卒の松本です。公の場で何を使うかという議論で、一つは世の中の動きが基準になると思うのですが、それ以外に何かあれば教えてください。

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○武田 私は辞書編集者ですが、国語施策も常に点検してきています。国語施策ではパブリックコメントというのを行い、一般の人から意見を求めることをします。私はそのような時に発言もしてきていますが、原理原則で議論しながらも、あまり極端なことは打ち出さない、どちらかというと現状を受け止めてなるべく違和感のないところに収めていく、というのが国語施策であるという印象があります。現状を尊重するということを優先していると思います。

○岡本 平成24年卒の岡本です。漢和辞書に限ってということでいいのですが、デジタル化すれば、辞書の容量もある程度大きくなっても問題がないと思うのですが、紙は物質なので、情報を多くし過ぎると難しくなると思います。辞書に入れる情報の取捨選択はどのようにされているのでしょうか。

○武田 私は小学生向けの辞書も担当しているのですが、最近「辞書引き学習法」という学習法が小学生の学習でブームになっています。辞書に付箋(ふせん)をべたべた張っていく学習法です。そこでは、小学生の生活語彙はすべて収録しなさいと提唱者の方が言っています。原則としては分かるのですが、では例えば、今の小学生はぐるぐる回るお寿司によく行くと思いますが、そこでのネタ全部を辞書の中に挙げる必要があるのかという議論になります。この辺りの議論はもう編集委員会で妥当なところを探るしかないと思います。紙の辞書のボリュームの問題もありますが、編集方針の枠もありますので、結局は個々の判断になります。一つ方針を決めたら全部に影響します。ですから寿司ネタを入れると決めたら全部入れないといけませんし、寿司ネタは教科書に載っている範囲だけにするとしたらそうなります。その辺は臨機応変になると思います。そのようなところから編集方針を読みとるというのも、読者としてのある種の楽しみかもしれません。

○小野寺 修猷の「猷」という字は、けものへんの中にあるのですか。犬がけものへんということなのでしょうか。

○武田 「猷」の字については犬の部分を持っていますので、けものへんに入っています。犬の部になります。これがなぜ犬の部なのかは申し訳ありませんが分かりません。『漢辞海』では2000年前の『説文解字』に限定して「なりたち」を示しています。それは中国の文化というのは、ここにまでさかのぼることができると考えてその内容を中実に守っているのです。この『説文解字』にあれば『漢辞海』にあるはずですが、現在のところ「猷」には「なりたち」が示されていないですね。『説文解字』に含まれなかった可能性はあります。そうなるとこれ以上の由来は分かりません。それはまた次の宿題とさせていただきたいと思います。『漢辞海第4版』で「なりたち」が示されていれば、その一つの答えになるかと思います。

■大須賀会長あいさつ

 今日は想像以上にたくさんの人にお集まりいただきました。啓蟄(けいちつ)ではありませんが、春めいてきたので虫のように出てこられたのかとも思いますが、そうではなくて講話の内容を「面白そう」と思われたのだと思います。

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 今日のお話で、明治時代に刊行された漢和辞典では親字が2字目に入っている熟語が出ているということでした。これは漢詩をつくるためだったのですね。初めて知りました。また十回の読みは「じっかい」か「じゅっかい」かというお話も興味深いお話でした。最近は本が売れないようになり、特に若い人は本離れと言われています。実は私どもの新宿にある百貨店に入っていました三省堂書店さんも、2月に閉店になりました。最近はみんなの日本語が貧弱になってきているように感じます。そして今はワープロで文章をつくります。本をたくさん読むと同時に、自分の手で文章を書くようにすると、そのときは辞書が参考になります。三省堂の『漢辞海』を用意して正しい美しい日本語を使うようにしたいと思います。今日はありがとうございました。

(終了)