第573回二木会講演会記録

『我が経営(三菱マテリアル)を通しての資源問題』
講 師:井手 明彦(いで あきひこ)氏(昭和35年卒)


573-1.jpg 573-2.jpg○中川 彼の修猷館時代は、勉強よりは山登りが中心でした。大学卒業後は、当時の三菱金属鉱業に入社されましたが、山に登りたいからという大変不謹慎な動機でこの会社に入ったそうです。彼の新婚旅行は、上高地に直行して奥様と一緒に山登りをしたそうで、これは大変すばらしいことだと思います。今は彼が足を悪くしていることもあり、奥様のほうが山歩きは上手になったようです。
 今からお話があると思いますが、会社に入られてからは大変苦労されました。北ボルネオの鉱山開発に派遣され、一から全部やり、やっと銅を日本に輸出できるようになったら石油ショックが起こり、今度は「この鉱山をたため」と言われたそうです。そういう中で経営の非情さをよく学んだとおっしゃっています。その後、経営の非情さを学び過ぎて、ついに社長になられましたが、今は社長を退かれて少しは楽なようです。

 

■井手明彦氏講演

○井手 私たち35年卒の三五会は、昨年、卒業50周年を迎え、11月に福岡で前福岡市長の山崎広太郎くんが実行委員長になり、約120名が出席して盛大な同窓会があったそうです。また、同級生450名のうち既に53名が物故者になられていて、感慨深いものがあります。

■私の鉱山現場経験
 
 そもそもは、山に行けるからというかなり単純な動機で、当時は鉱山会社だった三菱金属鉱業に入り、兵庫県但馬山中の生野鉱山に2年間、それから28歳のときから5年間、北ボルネオのマムート鉱山に現地駐在し、若いころに2回の現地勤務をしました。1984年からの3年間は本社の社長室にいましたが、マムート鉱山の経営を現地マレーシア側に移管する交渉に携わり、それが実現するまでの3年間は日本とマレーシアとの間を何十回も行き来していました。
 そのマムート鉱山ですが、1970年代、当時の三菱金属鉱業が社運を賭けた自主開発による総工費約1億ドルの海外大型プロジェクトでした。1965年の国連による鉱徴発見より10年後の1975年より操業を開始し、1999年の閉山までの24年間、わが国の製錬所に全量の銅の鉱石を送り続けました。このとき、金が44トンと銀が300トン産出され、銅がメインではありましたが、ここは隠れた金銀鉱山でもありました。
 マムート鉱山は赤道直下のボルネオ島北部の熱帯雨林の中にあり、飛行場のあるマレーシア連邦サバ州の州都コタキナバルより北西に130キロメートルのところですが、私が赴任した当初は、途中から満足な道路もなく、ジープで片道4時間はかかっていました。年間降雨量が4,000ミリを超える地域ですので、工事は雨との戦いでした。
 私とこのマムート鉱山とのかかわりは2回ありました。1回目は開発当初、事務屋の1期生として現地に赴任した1971年ですが、当時は三菱金属が銅鉱山開発の中核となることが決定し、日本側幹事会社として大規模鉱山開発の意気と希望に燃えていた時代でした。赴任時はまだ28歳の若輩でしたが、2階級特進したような権限と責任を与えられ、対マレーシア連邦政府やサバ州政府、あるいは地元との用地買収等の折衝等で数々の貴重な経験ができ、それがその後の会社生活での大きな自信と財産になりました。
 現地には5年間家族同伴で駐在しましたので、次男はボルネオで生まれましたし、また、好きな山登りもでき、キナバル山には3度登頂することができました。ここはプライベートでも思い出深い場所となっています。
 2回目のかかわりは、本社社長室勤務の課長時代です。マムート鉱山事業も1980年代中ごろになると、銅価の長期低迷で、毎月1億円以上の赤字を出し、またオイルショック等に伴う追加融資も重なり、日本側にとって多大な重荷となっていました。当社主体で経営を続けた場合の損失補填(ほてん)の継続と、閉山時に予測される膨大な閉山費用等を勘案し、後に日経連の会長になられた永野健社長の下で、現地マレーシア側への経営移管実行の決断が下されました。そして私を含む関係者の丸3年がかりの国内外関係先との粘り強い折衝により、1987年に経営の現地マレーシア化がようやく実現しました。
 この現地経営移管には、紆余曲折、多くの関係者の大変な努力と苦労があり、海外での鉱山開発事業の難しさを痛感させられました。このときの三菱金属の負担を考えると、マムート事業を海外プロジェクトの成功例と呼ぶにはちゅうちょがありますが、それでも、現地化後も銅鉱山の鉱石は全量が日本に送られ、鉱石の安定供給面でそれなりの貢献を果たしたことや、また、現地で多くの雇用機会をつくることができたこと、そして多くの人材育成のフィールドとなったこと等々を考えると、いろいろ割り引いても、数々の教訓を与えてくれた貴重なプロジェクトだったと思っています。
 このプロジェクトの経験から学んだことは、海外事業成功のためには、現地に溶け込みその事業のために一命をなげうつ気概を持った人材と、永野社長のように時代と共に変化するプロジェクトの本質と状況を冷徹に見極め、全社経営の立場から改善策を果敢に実行する人材と、相反する局面に立たされる2種類の人材が必要なのだということです。

■三菱マテリアルの事業内容

 当社の資源会社としての源流は、三菱の創始者の岩崎彌太郎が明治6年に岡山県の吉岡銅鉱山を買収し、また明治14年に長崎県の高島炭鉱を買収して本格的な非鉄鉱山業と石炭鉱業を開始したところまでさかのぼります。大正7年に三菱鉱業として独立し、その後、平成2年に三菱マテリアルが発足しています。
 当社は四輪駆動収益体制と銘打って、「セメント」、「銅」、「金属加工」、「電子材料」の4コア事業を中核としてそれぞれの事業を強化し、かつこれらのバランスを取ることで全体の収益性と成長性を高めて経営の基本方針としています。これらに加えて、アルミの圧延やアルミ缶製造の「アルミ事業」、原子燃料や地熱発電や石炭の「エネルギー事業」、ジュエリーや金銀製品を扱う「貴金属事業」、その他エンジニアリング、商社、観光などの関連事業を有しています。この中で、平成23年3月期の予想される売上高のうち、メインの銅事業が45%を占めています。
 これまでの業績推移を見ると、平成20年3月期までは、6期連続の増益により経常利益ベースで史上最高益の1,360億円を達成して順調でしたが、平成20年秋以降はリーマンショックの影響をもろに受け、前3月期は巨額の最終損益を出しました。しかし「赤字は1年限り」という合言葉の下、今3月期には確実に黒字浮上できる状況になっています。

■唯一の自給可能資源(石灰石→セメント)

 世界のセメントの消費量を見ると、中国が何と55%を占めています。2位がインド、3位が米国と続きます。日本は、韓国、ベトナムにも抜かれ、世界6位となっています。
 セメントの主原料は石灰石で、鉱物資源の中で唯一、輸入に頼らずに日本国内で100%を調達できる貴重な資源です。日本の石灰石は、年間約1億7,000万トン生産され、可採埋蔵鉱量が約250億トンと推定され、あと150年分は大丈夫と言われています。また品質的にも、中国や韓国のそれに比べて高品質と高品位を誇っています。資源の乏しいわが国にとって、唯一の国産資源と言えるこの良質な石灰石の有効活用をこれからも図らなければならないと思っていますが、鳩山前政権下の「コンクリートから人へ」という1産業を名指し標的にしたネガティブフレーズには、セメント・コンクリート業界挙げて憤りを感じます。
 その需要がピーク時の半分まで減ってきた日本のセメント業界で、いまだ17社のセメント会社がどうして生き残っているのかをご説明します。
 全般的に言えることは、超高温での焼成というセメント製造プロセスの特性を最大限に生かして、廃タイヤ、廃プラスチック、下水汚泥等、通常の処理では困難な産業廃棄物を有償で処理し、セメントの原料や石炭等の代替燃料として再利用することで生産コストの引き下げを図っていることが挙げられます。当社でも、セメント事業の収益向上に加えて資源循環型社会の構築という観点からも、この環境リサイクル事業の強化に努めています。その処理量は年々増加していて、現状では使用する原燃料の25%強をこれら産業廃棄物が占めています。
 もう1点は、セメントの消費量は国内では減っていますが、世界的には新興国を中心に増えていて、この新興国や人口増加地域である米国西海岸での海外事業で何とか利益を上げているということです。当社の場合、「環太平洋ポートフォリオ経営」と銘打って、日本の4工場に加え、米国カリフォルニア州、中国の山東省、そしてベトナムと環太平洋の4カ国にて事業を展開しています。

573-3.jpg■ベースメタル(銅)

 銅地金の世界の消費量も中国の伸びはすさまじく、今や世界シェア38%にまで増加しています。銅の主な用途は、自動車や住宅・建物、電力、通信のインフラ分野が特に多く、社会、経済の発展高度化に比例して確実に使用量が増えますので、今後も中国の銅の使用量は飛躍的に増えるだろうと言われています。銅の消費の分野でも、セメントと同じことが起ころうとしています。
 銅の価格と在庫の推移については、このところ非鉄金属市況の高騰が続いていて、特に銅や金・銀の分野で顕著です。銅価格は世界的な銅の在庫量とほぼ反比例して高値安定で推移しています。この銅価の今後については、いろいろな見方がありますが、引き続き旺盛な中国やインドの新興国の需要があり、またあまり進まない新規大型鉱山の開発状況と、更には最近では在庫増加と価格上昇が同時に進行する過去にない動きも見られ、銅価が再び元の価格帯に戻ることは考えられず、スーパー高値サイクルが続くとの見方が一般的です。
 このように需要の増える銅ですが、今後、特に伸びが期待できる分野は自動車関連です。現在、世界の銅地金消費量の約1割強が自動車関連分野で使われています、今後の自動車における銅消費量は、CO2削減促進の追い風もあって、ハイブリッドカーや電気自動車などのエコカーへのシフトが鮮明になっていますので、確実に増えていくと見られています。
 現在、中国の銅需要が急激な勢いで伸びており、またインドをはじめアジア各国でも安定的な銅需要の伸びが期待でき、「アジアが銅を待っている」という状況です。このような環境の中で、当社の銅事業は川上の「鉱山」、川中の「製錬」、そして川下の「銅加工」と一気通貫で垂直価値連鎖を形成していますが、収益的に最も期待できるのは川上の鉱山事業です。従って当社としては、優良鉱山からの配当を享受し、かつ鉱石を長期安定的に確保するために、銅鉱山開発にいかに関与していくかが課題となっています。
 地下で確認された銅鉱石のうち、経済性が見込まれる鉱石の量を埋蔵量と言います。1990年と2010年の国別の銅埋蔵量のデータを見ると、世界全体で銅の消費量が増加するのに併せて炭鉱活動が活発に実施された結果、埋蔵量が53%増加しています。このまま現在の銅消費量が続くとすれば、あと30年程度は銅の鉱石は確保されていると言えます。
 一部の研究機関では、需要の増加に開発が追い付かないことを理由に、2050年までに枯渇の恐れがある金属として、銅をはじめとして、鉛、亜鉛そして金・銀を挙げているようです。探査・開発の可能範囲の拡大による埋蔵量自体の増加や、今後はリサイクルによる銅の回収も進んできますので、現実に30年後に銅が枯渇するという事態にはならないと思います。ちなみに私が入社した昭和40年当時、世界の銅の埋蔵量はあと4、50年と言われていましたが、45年を経た現在でも、少なくとも30年分はあると言われています。
 銅鉱石の安定調達のためには、銅鉱山に投資するか融資をして、その見返りに銅鉱石を調達する必要があります。当社で投融資した鉱山から鉱石を調達している比率は、全使用量の60%ですが、安定調達の面からそれを更に高める考えです。鉱山への投資のもう一つの狙いは配当の享受です。銅価が上昇していますので、鉱山が受け取る収入は莫大なものになっています。当社の銅鉱山への投資は環太平洋地域に集中しています。それは、日本の瀬戸内海の直島と福島県小名浜、そしてインドネシアのスラバヤの3カ所にある当社傘下の製錬所にできるだけ運賃をかけずに銅鉱石を供給するためです。
 現在、当社は南太平洋フィジーのナモシにて3社共同で探鉱調査を実施中です。またカナダの西側、ブリティッシュコロンビア州にあるシビルコ鉱山の再開発プロジェクトにも参画しています。それから、世界最大の銅鉱山であるチリのエスコンディーダ鉱山には、昨年、追加出資しています。またチリ・ロスぺランブレス鉱山は当社が10%の権益を有しています。
 以上は、三菱マテリアルが参画している銅鉱山プロジェクトの一部ですが、私どもはこれらのプロジェクトを通じて銅の安定供給に貢献したいと願っています。 

■レアメタル(タングステン)

 レアメタルとは、日本の先端産業のハイテク製品に必要不可欠な、文字どおり貴重な金属のことです。ニッケル、コバルト、タングステンなど比較的よく知られたものから、インジウム、タンタルなど生産量の極めて少ないものまで合計で31種類あります。尖閣問題で話題になったレアアースもレアメタルの1鉱種です。昨今、中国をはじめとする新興国の経済発展に伴い、世界中でレアメタルの争奪戦が繰り広げられていて、日本でもこのレアメタルの安定調達が国家レベルで緊急の問題になっています。その問題に拍車を掛けているのが、レアメタルの資源の偏在です。特にレアアースやタングステンの供給量は、80%から90%以上を中国が占めています。中国のレアメタル資源の存在感は、極めて巨大です。レアメタルの輸入量の大部分を中国に依存している日本にとっては、その供給についての将来の不安は常にあり、日本が入手できる量は今後更に減少すると見られています。
 中でも特に中国依存度が高くまた当社の事業にも影響があるタングステンは、切削工具等の超硬合金製品の主原料ですが、タングステン鉱石の産出は8割が中国で、タングステン市場は中国の寡占状態です。中国が資源政策として輸出数量をコントロールしたり価格をも支配していて、極めてリスクの大きい状況になっています。この中国リスクに対応するために、「リサイクルの強化」、「調達ソースの多様化」、「技術開発」を促進して、現在9割を中国に依存しているタングステン原料の調達を5割程度にまで低下させたいと思っています。

■リサイクル事業(都市鉱山)

 最近、「都市鉱山」アーバンマイン(Urban Mine)という言葉をよく耳にされると思います。これは大量に破棄されている使用済みの電子・電気機器を鉱山資源に見立てたものです。金・銀・銅について、鉱石トン当たりの含有量と、例えば携帯電話トン当たりのそれを比べると、5倍から100倍も含まれているのです。このように使用済みになった電気・電子機器の製品の中には貴重な金属が濃縮されていて、都市に眠る有望な資源ということで都市鉱山(アーバーマイン)と呼ばれています。 
 当社は、セメントと銅事業を相互に連携を保つかたちで廃家電のリサイクル事業を展開し、全国の廃家電の20%をリサイクルしている国内家電リサイクルのトップメーカーです。製錬事業とセメント事業を併せ持つ世界でも唯一の企業である強みを最大限に活用し、多種多様かつ大量の廃棄物に対応して、最終処分場を必要としない資源リサイクルを実現し、国内トップの27種類の元素の資源化を可能にしています。

 

573-4.jpg■まとめ ?資源なき日本の進路?

 資源問題とは、資源需要の増大、採掘条件の悪化、資源の偏在、資源ナショナリズムの台頭等により、資源を保有しない国で資源の入手が困難になってきているということです。資源を持たない日本は、今後、官民挙げて資源の量的確保、長期安定的確保に努めるとともに、限られた資源の有効利用を図っていく必要があります。
 私が考える今後の対応の1番目は「戦略的パートナーシップの構築」です。これについては、国が資源外交を積極的に進め、資源保有国の経済成長に必要な技術や資金を提供しながら関係強化を図っていく必要があります。
 2番目は「技術立国の推進」です。これについては、資源の有効利用を実践するための、資源の使用量を減らしていく(Reduce)、製品・部品を長く使う(Reuse)、材料を何度も使う(Recycle)の3R(スリーアール)と呼ばれている、いわゆる3Rを実践し、レアアース、レアメタルという希少なものを既存のもので代替する(Replace)ことを促進していくことが重要になってきます。これまで技術立国という言葉は、主としてIT技術を中心に使われてきましたが、今後、資源の有効利用の面でも官民挙げた取り組みで技術立国を進めていく必要があります。 
 3番目は「本業で勝ち抜く」ということです。高付加価値製品を持続的に創造していくには、企業が長年培ってきた自社にしかできない技術で勝負していくことが大事だということです。競争の激しい時代に人の物まねでは生き残ってはいけません。自分の土俵、得意分野で勝ち抜くことが一段と必要になります。
 最後は「飽くなきコストダウン」ということで、これについては説明の必要はないと思います。
 三菱マテリアルは、多岐にわたる事業を展開している複合企業体であるために本日は話題がいろいろなところに飛び、大変雑駁(ざっぱく)な話になってしまいました。ご清聴ありがとうございました。
(終了)