第569回二木会講演会記録

第569回二木会講演会(平成22年10月14日)

『中国の現状と日中関係 』

講 師:宮本 雄二氏(昭和40年)

569-1.JPG○紹介者 筑紫氏(同期) 宮本くんと私は高校の3年4組で一緒でした。彼はその頃から明確な将来像を持っていて、「京大の法学部に行く。そして外務省に入って外交をやりたい。大学での第二外国語は中国語をやる」と言っていました。 569-2.JPG今でこそ中国語は重要ですが、それが何と今から45年前の話です。彼は、一方では穏やかで気配りの人なのですが、他方で非常に豪胆なところがあります。その豪胆さが、この隣のやっかいな国で仕事をするのに非常に役立ち、立派な仕事をされたのではないかなと思っています。

■宮本雄二氏講演

○宮本 今年の4月に北京から帰ってきましたが、考えてみれば、10年を超える北京の勤務になってしまいました。
 最初の勤務は1981年から1983年でした。鄧小平さんの改革開放が1978年に決定されて1979年から実施されましたが、その直後の時期でした。その頃は、まだ古い文革時代の雰囲気を漂わせた中国であり、その後、中国が今日のようになるとは、中国の人たちも含めてだれも考えていなかったと思います。
 2回目は、1997年から2000年でした。天安門事件以後、中国が著しく内向きになっていき、これだと改革開放政策の成果が上がらないと、1992年に鄧小平さんの有名な南巡講話があり、それからふっ切れたように中国経済は今日への驀進(ばくしん)を続けていくのですが、その効果が出始めた時期でした。
 そして今回は、2006年に小泉純一郎内閣総理大臣の指示を受けて中国に参りましたが、1972年の国交回復以来、一番厳しい日中関係の時期でした。
 北京と東京から日中関係を眺めての私の一番大きな感想は、お互いが「理解不足」で、相手の間違ったイメージをそれぞれにつくって、そのイメージに腹を立てて文句を言い合っているということです。これは国益の観念からも著しく理に合いません。ある中国の日本研究の学者が私に「日本の方は隋・唐の時代の中国を思い、中国の人は戦前の日本を思って、それぞれのイメージでお互いに不満を持っている」と言いました。そういうことではないかと思います。

■中国の現状

(1)発展途上の世界大国

 中国の現状を理解するための一つのキーフレーズは「中国は発展途上の世界大国だ」というのです。中国は間違いなく世界大国の段階に達しました。それは、今回の4年間の北京勤務で実感しました。しかし、中国はこれまで世界の中では切り離されてここまで来ました。地域帝国はやったことがあるけれども、世界帝国は経験したことがないのです。そして今、グローバル化が進んだ新しい世界の中に、歴史始まって以来初めて世界大国として登場するのです。しかし、これだけの経済大国になっても、1人当たりのGDPは世界の100番以下です。もちろん沿海地方は大変な勢いで近代化が進んでいますが、内陸の辺ぴなところには貧困地域がまだまだあります。
 一方では、「自分たちは歴史大国だ、中華文明の子孫だ」という誇りをもちながら、同時に「1人当たりのGDPでは世界で100番にも入っていない」という思いの中で、彼らは本気で「開発途上国だ」と言っています。しかし、今は幕下に落ちているのかもしれませんが昔は横綱を張っていたわけですから、生まれたときからの「開発途上国」とは全然違うと思っています。

(2)軍事

 中国にとって、軍事、安全保障の問題は大変大事です。彼らには帝国主義列強に自分たちの国土を蚕食されたということが嫌になるほど刷り込まれていますから、「軍事力を増強して、強くならなければならない」という意識は強くあります。それは、国の歴史から来ています。アメリカでもロシアでも、中国を軍事力で挑発するようなことはないにもかかわらず、彼らはそのような強迫観念を持っています。これは私たちにとっては要注意だと思います。

(3)国の規模の大きさ

 中国を見るときの一つのポイントは、中国の規模の大きさです。これは私の経験から痛感していることです。今回の世界経済危機では、沿海地方は強く影響を受けましたが内陸部はほとんど影響を受けていません。中国はそういう経済の仕組みになっているのです。そのトータルしたものが中国経済です。日本やヨーロッパのように国全体が影響を受けるのではなく、中国は違うものが併存しているのです。規模が大きいのでそういうことになっているのだと思いますが、くれぐれも中国を日本スタンダードで判断しないことが必要です。

(4)教育水準

 もう一つのポイントは、教育水準の高さだと思います。10年前に5%に達しなかった大学進学率は、今や23%です。4人に1人の中国人が大学に行くようになっています。情報を判断する能力のある中国人が、4人に1人になってきているということです。ですから、われわれが想像する以上に中国社会は進歩しています。同時に情報化社会が急速に進展していて、現在の中国のネットユーザーは4億人です。携帯電話は6億人です。携帯があればメールができます。ですからネット上の情報の伝播量は、中国当局が抑えられないぐらい膨大なものになっています。

(5)中国社会の問題点

 中国社会の今の一番の問題は、価値観の動揺です。いわゆる孫文さんで始まる国民革命で、中国の伝統的な価値観から脱却しなければならないとしましたが、これは中途半端でした。その後、毛沢東の共産党政権は、徹底的に儒学の思想を停止して新しい時代に入りましたが、それは経済の話で、価値観に関しては何も国民に提供しませんでした。改革開放政策が国民に約束したのは、「経済を発展させて、皆を豊かにしてあげます」ということだけでした。中国共産党は、今はまだ正式に儒学の地位を認めていませんが、論語をテレビで解釈するのはオッケーです。しかし、その論語の解釈もひどいものです。そのように伝統的な価値観を回復しないまま、西洋の物質文明や新しい文化が中国の社会に急速に入り込んでいます。だから中国の世代間のギャップというのは、日本の想像をはるかに超えています。核になるものがないので社会全体が安定しないのです。それを中国共産党という組織で安定させているのですが、その肝心要の国民が情報化社会の進展でいろいろな情報を耳にして、今の共産党の統治に腹を立てています。
 もう一つの問題は、やはり政治であり腐敗です。例えば、国営企業が民営化するときに大規模なリストラをやりますが、そのとき、そのプロセスは公正ではなく必ず腐敗とか人脈とかに関わってきます。そして、そういうのがネットで流れ中国人の不満は大きくなっています。知らなければそれで済むのですが、耳に入ると腹が立ちます。中国共産党はそういう国民を恐れています。私は若いころにソ連共産党と中国共産党の違いを学び、両国の最大の違いは歴史観だなと思いました。ソ連共産党は、人民が立ち上がって共産党を倒すということは想像さえしていません。しかし中国の歴代王朝は必ず農民一揆で交代していますから、人口が多いということもありますが、基本的に巨大な数の農民に対する恐怖心というのを持っています。力で抑えつけるのには限度があるということが歴史からわかっているのです。

(6)世論

569-3.JPG 中国では世論が大きな意味を持っています。これは社会の雰囲気と言ってもいいと思います。雰囲気が一つ定まると、それと違うことは口に出せません。出さないほうが安全です。中国の人たちはしゃべるのは上手ですが、いったん社会の雰囲気ができるとしゃべりません。それが世論です。現在の指導者にとって、中国共産党の中央委員会のトップやリタイアしたかつての指導者グループの人たちの考えというのは、とても大きな意味があります。彼らが胡錦濤や温家宝に対して、対日関係についてぼやき始めると、それが空気になるのです。そうすると、胡錦濤や温家宝は、違うことをやるのは大変難しくなります。そしてネットでも批判されれば、われわれの想像以上にインパクトは大きく、それを気にします。
 外交関係では、今回の尖閣問題もそうですが、中国外交部は外国に対して世論より更に厳しいところで発言をして国民の反発が外交部及び中国政府に対して直接向かわないようにするのです。だから世論が「尖閣問題では日本はけしからん」となりかかったときには、その少し先で日本に厳しく言っておかないと国内的に持たないので強く言います。しかし強く言うと相手との関係もまずくなりますから、軌道修正するような材料をマスコミで流し始めます。そして世の中のみんなが「そうだな。中国は感情的に少し出過ぎたな」と思ったころにその国との関係を修復して元に戻します。ですから今回も、中国にとってマイナスが大きすぎるということで路線を変えてくると思います。
ただ日本との関係は、中国国内で一定の困難を伴っていて、まだ全部が元に戻せない状況です。今、慎重にじわじわやっているところです。

(7)経済

 日本も含めた欧米で勉強してきた中国の人たちは、特に経済分野に多いなと思います。帰ってきて活躍しやすい場でもあるということだと思いますが、相当いい人材がいます。彼らはこの世に起こったすべての問題を徹底的に分析していて、それに対する対応については全部研究済みです。もちろん日本のバブルなんかは徹底的に研究されています。しかし、新しい事態についての対応には限界はあると思いますが、中国共産党は、意思統一が比較的容易になされ、それを末端に浸透させていくのには非常に効果的な組織ですから、経済に関してはそこそこ今の状況が続いていくと思います。

(8)社会

 中国社会をどうまとめるのかというのは本当に難しい問題です。だから日本が悪者にされるのだという話もありますが、日本を悪者にするのはリスクのほうが大きいかもしれません。中国政府は「2005年の反日デモは、結局は反政府デモだった」と結論付けていますので、そのような反日については抑え込みたいのですが、国民が日本問題で騒いでもそれは正義の発言になり、当局は抑え込みにくくなります。政府に対する不平・不満を持つ人たちは、日本問題で騒げば騒ぐほど、今の政府を困らせることができるのです。日本問題というのは大変使い勝手がいいのです。ですから、今の中国の態度は高飛車に見えるかもしれませんが、それは彼らの自信の表れではなく自信のなさの表れだと思います。

(7)政治

 政治改革は道遠しです。社会の格差と不正と腐敗の問題は、間違いなく中国共産党のアキレス腱です。アキレス腱ではなく、命に別条がある心臓病だと言ったほうがいいかもしれません。中国共産党が生き残る道は、大胆な外科手術しかないと思うのですが、いくら名医でも、自分の体は自分では手術できません。第三者に手術してもらうしかないのです。中国共産党の問題も外の機関に手術させるしかないと思うのです。それでは第三者機関はどうするかということですが、いい知恵がありません。
 現在の中国の財政規模は日本と同じぐらいで、その中で社会保障に充てられている割合も日本とあまり変わりません。しかし中国の人口は日本の10倍ですから、1人がもらっている社会保障は日本の10分の1になります。中国には昔から「大砲かバターか」という問題がありますが、今後、中国共産党が生き残る道は、財政の伸び以上に社会保障の伸びをプラスして再生していくしかないと思います。

■戦略的互恵関係

 2006年の安倍総理の訪中で「戦略的共通利益に基づく互恵関係」という新しい日中関係を構築することが合意され、2008年5月に胡錦濤さんが訪日をされたときに「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」を発出しました。これは非常によくできた共同声明です。ですから、尖閣問題が起こって以来、私はずっとこの共同声明に戻れということを言い続けています。
 このときにいくつかの問題をクリアしました。一つは「世界の平和、安定、発展」ということ、即ち、世界の中の日中関係ということを確認したことです。世界という大きな枠の中で日中関係を考えようということです。もう一つは、2007年、温家宝首相が日本で行った国会演説で「日本政府と日本の指導者は歴史問題について、侵略を公に認め、深い反省とおわびを表明している。これを中国政府と人民は積極的に評価する」と言ったことです。そして更に重要なことは2008年の共同声明で、中国側は戦後日本のことを、日本側の言う「平和国家」と初めて言いました。ですから「戦後のおわびはもうやりました。戦後日本は平和の道を歩んでいますから、世界を舞台にして日本と中国は新しい協力ができます」ということです。
 私はこの「戦略的互恵関係」で21世紀の3分の1はやっていけると思っています。それぐらい新しいコンセプトに基づいて打ち出された日中関係です。それを個別の具体的案件で壊すのはあまりにもったいなく、それでつぶされたのでは、本当に日中の将来はないと思います。

■これからの日中関係

 靖国問題や今回の尖閣問題のように、たった一つの外交案件が国全体を人質に取って両国関係全体を悪くしてはいけません。そうならないようにするのが外交の仕事であり、その外交を指導する政治の仕事だと思います。そして、何があっても高いレベルでの会話は維持しなければなりません。言いたいことはお互いに主張すればいいのです。しかしその後、首脳同士で、「両国関係は大事だから。この問題は平和的な話し合いで解決しましょう」と合意すべきです。合意すれば次の段階に進めます。
 それから、制度化された交流を止めてはいけません。制度化する目的は、途切れさせないためですから、今回、1,000人の日本の若者の中国行きが直前にキャンセルされたというのは、言語道断なことです。これは中国の現場が、批判されないような対応をしたということだと確信しています。
 次に、危機管理のメカニズムの問題があります。これが日中間には著しくありません。よく海上自衛隊と海軍との間の前線で偶発事故があったりしますが、冷戦時代の日本とロシアの場合は、緊急の無線連絡網のような仕組みをつくっていて、日本の海上保安庁とか海上自衛隊の船がソ連と接近しても最後は通信でお互いに連絡し合って、発砲をせずに済むようになっていました。そういうメカニズムはソ連との中にはありましたが、中国とはありません。中国との場合は、中国の主権を守るために命を掛けよとさんざん教育された軍人さんたちがいますので、お互いがぶつかるかもしれないと本当に心配して、東シナ海を平和友好協力の海にしようと、東シナ海の共同開発というのをやりました。なまじっかの交渉でやったのではありません。
 日本の霞が関は、中国の官僚と比べれば可愛いものです。日本の霞が関は純真です。大人と子供の違いがあります。その状況の違いが、中国の外交部との交渉の難しさの原因になっていると思います。
 中国との「相互不理解」を少しでも解消して、よりよい日中関係が築かれることを願っています。ありがとうございました。

 

569-4.JPG■質疑応答

○松尾 28年卒業の松尾と申します。今日は大変有意義な時間でした。
 宮本さんは、本当に百戦錬磨の外交のプロ中のプロだと痛感したのですが、宮本さんの後任の大使は、伊藤忠の商社マンで、大変立派な方だとは思いますが、そういう人で本当に大使が務まるのだろうかと思います。その辺りの率直な感想をお聞かせください。

○宮本 外務省というところは、日本の中では、良くも悪くも欧米の強い影響を受けている組織です。相当個人主義な面があり、個人主義のいい面と悪い面がもろに出ます。個人主義にならざるをえないというのもあります。ですから、外交というのは十人十色で、一つの外交はないということです。人によって外交は違います。それぞれの方の総合的な力は高いと思いますので、自分に合った外交を見つけて頑張っていただきたいと思っています。
(終了)