第9回Salon de 修猷の報告(平成27年9月12日開催)

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『ココロの動かし方』

ゲスト:髙崎卓馬(昭和63年卒)
        電通エクゼクティブ・クリエイティブディレクター

 第9回 Salon de 修猷が、9月12日(土)午後12時30分より、学士会館で開催されました。昨年を大きく上回る総勢110名の館友の皆様にご参加いただき、大変賑わった雰囲気でのSalon de 修猷となりました。
 講師は昭和63年卒の髙崎卓馬(たかさき・たくま)さん、『ココロの動かし方』と題して講演していただいた後、会の後半には会場の皆さまにもご参加いただくワークショップ形式となりました。

【髙崎卓馬氏講演】

 私がこの仕事を始める時に、最初に師匠からきつく言われたことがあります。それは「CMというものはもともとは要らないもので、突然他人の世界に入ってきて自分の話をする失礼な存在だから、そのことをきちんと理解したうえでつくれ」ということです。
 ですから面白くなければいけないのです。
 私は最初にそのことを意識させられて、それからいろいろな苦労をしながら自分の中でCMのスタイルをつくってきました。

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■CMづくり

 私が手掛けているオランジーナのCMは、「ムッシュはつらいよ」というシリーズで山田洋次監督と一緒にずっとつくっています。もともと原作者の山田洋次さんは寅さんのリメイクは許さないというので有名だったのですが、外国版寅さんをつくるという企画に非常に興味をもってもらえてお会いすることができました。でもキャストは難航しました。僕がどうしてもリチャード・ギアで寅さんをやりたいと言うと最初監督は「リチャード・ギアはフーテンをやるには上品過ぎる」と言うんですね。僕もそこはひけないので一生懸命説得しました。説得しようとすると逆効果だったりするんですが。でも僕がかなりしつこかったんだと思いますが、最後は根負けしてくださいました。「その代り寅さんのキャラクターを自分でちゃんとリチャード・ギアに説明してきなさい」と言われて。ニューヨークにあるリチャード・ギアの家まで行って寅さんの説明をしたんです。でも今度はリチャード・ギアが私のシナリオを見て「下品すぎる」と言いだす。完全に板挟みでした(笑い)
 それからすぐシナリオも書き直して説得してリチャード・ギアも何とかやるという話にはなったのですが、最後に一つだけ「ジャケットをはおるのはダサい。ジャケットは袖を通して着たい」と要求されました。でもジャケットを肩に背負ってないと寅さんではない。私はそれだけは絶対に嫌だと今度はリチャード・ギアに土下座の勢いでお願いしたら彼も根負けしてくれました。もう根性だけでなんとかしてますね。でも僕の必死さが面白かったんだと思いますが、実際の撮影になると、現場に入る度にリチャード・ギアはわざわざジャケットの袖を通して来るんです。もう勘弁してくれ、と。その度にその袖を外しに行くというのがその時の私の仕事でした。
 そして出来上がったリチャード・ギアのフィルムを山田さんに見せに行ったら、山田さんが「ちゃんと寅さんに見える。よくやった」とおっしゃってくれました。そして「もしかすると渥美清さんというのは上品な人だったのかもしれない。上品な人がフーテンをやっていたからよかったのかもしれない。チャップリンも多分そうで、この寅さんもリチャード・ギアみたいな上品な人がやるからいいのかもしれない」と。私はちょっと感動して、それまでの板挟みの苦労とか袖を外しに行った苦労とかが走馬灯のように浮かんでいい涙を流しました。
 今はチームとして出来上がっていてリチャード・ギアも袖を通すこともなくやってくれています。ちなみにそこに出てくる男の子は佐藤蛾次郎さんのやっていた源公という役をやらせたいと思い、源公の頭のかつらにしています。

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■「伝える」ということ

 CMで自分のことだけを言って商品が売れるのでしたら苦労はありません。 「伝える」と「伝わる」の違いは本当に大きい。僕たちがつくるのは「伝わる」という結果です。15秒の中で「オランジーナ」と20回言ってみんなが買ってくれるのでしたらいいのですが、そうはいきません。飲みたいという気持ちになる、好きと思う、そのジュースを持っている自分が悪くないと思うような空気をつくっていかないといけないのです。
 広告の考え方というのは、今どき出す人はあまりいないと思いますが、ラブレターみたいなものだと思っています。あなたのことが好きですという気持ちを相手に伝えるのに「好きだ」と言ったらそれが伝わるというものではありません。そのときに「好きだ」とは言わずにその気持ちを相手に伝えることが表現だと思います。相手には条件があります。例えば相手には他に好きな人がいるということもあります。オランジーナの商品でしたら、その時に、ファンタを飲んでいる人とか別に好きなものがある人はたくさんいます。その中に割って入って自分が「好きだ」という気持ちを相手に伝えて相手が「好きだ」と応えてくれる環境をつくらないといけないのです。その工夫をしていくことが「伝える」ということなのです。
 それは広告やラブレターに限ったことではなく全てがそうなのだと思います。自分がこうしてほしいと思っていることを相手に「こうしてください」と言えばしてくれるわけではありません。相手がそうすることをいいことだと思えるように相手に伝えなければなりません。そこから豊かな関係が生まれるのです。そのときに一番大事なのは伝えたい相手、この商品は誰が使ってくれるのかというターゲットをきちんと自分の中にイメージすることです
 アップルをつくったスティーブ・ジョブズがiPodという革命的なミュージックプレーヤーをつくりましたが、そのつくり方というのは技術を詰めて設計図をつくっていくのではなくて、いきなり「電車の中で音楽を聞いている青年のイメージ」をつくって、それを実現するにはどうするかということから始めたらしいです。
 私たちも基本的には同じです。例えば新しいビールが出たときに、そのビールを誰がどういうときにどういう場所で飲むのかをイメージします。相手をイメージすることはとても大事なことです。
 最近感じるのは、この数年でフェイスブックとかツイッターでのクレームの数がとても増えたということです。最近はちょっと気に入らないとか自分の価値観には合わないとか、いろんな誤解もあると思いますが、何か違和感を「感じる」とすぐにそれが言葉になってその人から離れていき、それが世の中の流れをつくっています。
 昔の手紙のスピードはよかったなと思います。SNSと手紙のスピードは根本的に違っています。ラブレターを書いても、大体うまく書けていないと思って書き直します。書き直していると自信がなくなってきて出すのをやめたりまたもう一回書き直したりします。手紙は自分の感情が相手にきちんと伝わるかどうかを検証するプロセスがたくさんあったのです。今は一時の感情で書いてすぐに投稿しますから、30分後にその感情がなくなっていてもその時の乱暴な言葉だけが独り歩きしてそれが誤解を生むというのがとても多いです。
 やはり相手を想像する時間がきちんとあるほうがコミュニケーションとしては豊かです。私たちが広告をつくるときは1カ月ぐらいかけて関係者と検討します。そこには考えが相手に伝わるかどうかを検証するプロセスがたくさんあります。その中で少しずつそれを磨いていきます。自分の持っているものをそのまま出すといいものが出来そうな気がするのですが、意外とそうではありません。他人の目で磨かれていくことが表現を良くしていく最大のプロセスなのです。それは私たちが生きていくときも全部一緒だと思います。普段の生活で言うと、何か投稿したいと思ったら翌日投稿するというスピード感で生きていくみたいなことを世の中全体がやるようにしたら世界は今よりずっと柔らかいものになるのかも知れないと思ったりします。
 それから私は全ての人の心の中に、常に揺れている感情の振り子があると思っています。その振り子はずっと揺れているのですが、泣く瞬間とか笑う瞬間にはそれが大きく揺れているのです。その大きく揺れた瞬間に人というのは感情や心を動かして笑ったり泣いたりしているのだと思います。その瞬間をつくることが私たちの大事なステップなのです。
 泣いたり笑ったりしてこの振り子が大きく振れるときに一つ共通して大事なことは驚きです。驚かないと人というのは絶対に笑いません。驚かないと人というのは泣きません。それは鉄則です。笑う直前は一瞬びっくりしています。「えっ」となってから笑っています。泣く瞬間も同じです。ドラマのシナリオの構造はそのようにできています。コントにも、そうなると思わなかったという驚きや裏切りが必ずあります。人は何でも頭の中でこの話はこうなるのではないかと想像しながら見ていると思うのですが、それを上手に裏切るのです。上手に裏切るとこの振り子が大きく動いて泣けたり笑えたりする状態ができるのです。
 それから、情報というのは欠けているほうが意外と強かったりします。言いたいことを全部言うほうがいいと思いがちですが、情報を受け取った側がその欠けている部分を埋めるとかそれに疑問を持つとかすると、そこに広がっていく力が出てきます。人が人に話したくなる何かを持っているということが大事なのです。
 何かを伝えたいときに、それが説明だけだと人の気持ちというのはなかなか動きません。「ああ、そうですね」で終わりです。それは左脳に情報としては入るけれども心の中には伝わっていません。それを右脳に触ってちょっと感心してもらうとか共感してもらって心を動かさないと言いたいことは伝わりません。相手の心が動く状態をつくれば伝えたいことが届くのだと思います。
 テレビでつまらないCMだなと思うのはほとんどが説明で終わっているものなのです。洗剤を使うと白くなるとか、これは炭酸が強くなったから刺激が強いとか、その説明を面白おかしく言っているCMというのは、流れている間は覚えていますが流れ終わった後は忘れてしまいます。でも心に触れたものは時間を超える作用があると思います。私はそういうものを作りたいと思ってずっとやっています。古い映画や小説や音楽でも本当にいいものは時を超えてひとの胸の奥にある心に届く。同じことが僕たちがつくる広告という映像でもできるんじゃないかと思っています。青臭いですけど。
 CMというのは見ていない人が多いです。見ていない人も見る状態をつくるのにCMの工夫のしどころが一つあります。それは音です。音の設計はとても大事です。最初にちょっと気になる始まり方をすると見ます。最初のせりふが普通に「今日は天気が良かった」で始まるよりも、「お父さん!あの雲面白いよ!」と言われたほうがぐっと見る力が大きくなると思います。
 それから私が一番大事に考えているのは、CMは映画のようにお金を払って見るものではなく、急に流れてくるものですから、やはりそれを見た人がその瞬間にどこか小さな幸せな気持ちを持ってもらえるようにしたいということです。例えばウイスキーのコマーシャルをつくっても、小学生とか独り暮らしの女性とかウイスキーを飲まない人もそのCMを見ます。そういう人たちが、ウイスキーは買わないけれどもそのウイスキーのCMは好きになるとか、ウイスキーを飲んでいる人のことは悪くないと思ったり、誰かを好きになることはいいことなのだと思ってくれたり、誰かに優しくしたいと思うこともできると思うのです。「商品を買ってください」、「ありがとうございます」という関係だけではなくて、その周辺で「生きていてよかった」という気持ちを小さくつくるとか、その商品を手にすることで幸せになれるかもしれないという気持ちをつくるとか、その広告があることで何かこの世界の空気がちょっといい方向に行っているかもしれないと思ってもらえるようなものを目指してつくっています。ポジティブなオーラを持っているものをつくりたいと思っています。

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■修猷館のキャッチコピー

 今日は皆さんで修猷館のキャッチコピーを考えていただきます。最初に秘訣をお教えします。それは、「直接○○と言わずに○○のことを言う」ということです。例えば、しょうゆを「海外に行くとほしくなる」と言うとキャッチコピーになります。iPhoneを「便利なスマートフォン」とするとつまらないですが、「妻より触るもの」となるとキャッチコピーになります。そのように、しょうゆのことをしょうゆと言わずに言い換えてみる、修猷館のことを修猷館と言わずに何と言うかです。
 例えば、オランジーナは「フランスの国民的炭酸」というのがキャッチコピーです。フランスからみんなに愛されているものが入ってきたということです。スマートフォンで映画が見られるサービスのdビデオは「その手に、映画を」というコピーにしました。オールフリーは、「自由っておいしい」です。
 これらはプロの仕事ですのでこのレベルは求めていません。附設に受かっても修猷に行く人を増やすための一言みたいな感じで考えてください。

(休憩)

 あまり期待していなかったのですが、10分ぐらいでこんなに立派なものができるなんて驚きました。皆さんの修猷への愛情が強いからだと思います。

「生まれ変わっても行きたい 修猷館高等学校」
 これは普遍的に強く、言われると嬉しいですね。

「ルーズな校則 タイトな絆 修猷館高等学校」
 これは的確ですね。ふたつの価値観を見事に言い当ててます。見事すぎですが。

「大学より有名な 修猷館高等学校」
 短いけどいろんなことを考えますね。ひとの頭を刺激する言葉は強いんですね。

「我が子を入れたい 修猷館高等学校」
 ほめ方をこういう風に言うと、そこにいろんな情報が生まれますね。

「子供を行かせたくなるには理由がある 修猷館高等学校」
 前の「我が子を入れたい」のほうがシンプルで強いです。「理由がある」と書くと、「理由は何?」と思います。短くて強くて相手に疑念を抱かせないことがコピーで一番大事です。同じことを言うのでも短いほうが強くなるというのがコピーの面白いところです。それから「子供」と言うと一般論ですが「我が子」と言うと、言っている主体が見えて気持ちが強く感じられますね。

「出身校は?と聞かれたら思わず修猷と答えてしまう」
 これも短くしたほうがいいとも思いますが、逆にCMになると思いました。いろいろな大学に行っていても、「出身校は?」と聞かれたら全員が「修猷館です」と答えるシーンを重ねていくだけでCMになりそうです。このコピーはシナリオとして面白くなりそうです。「修猷館を卒業してよかったです」と言わずに別の方法で言っています。これが表現です。

「いくつになってもその名を聞くだけで青春!! 修猷館」
 中学修猷館の人もいるので「高等学校」を消しているそうです。このコピーは強くて熱いです。情熱、ですね。

「一生夏のグラウンドの匂いが忘れられない 修猷館高等学校」
 ここで描かれているのは青春ですが、それを「青春」と言わずに、ここに来ると青春の忘れられない体験ができるということを詞的に表現されていて素晴らしいと思います。

「ぼくたちに卒業はない 修猷館高等学校」
 映画のキャッチコピーのようで素晴らしいです。

「本物しかいらない 修猷館高等学校」
 これは拒絶するという新しい切り口です。強い表現です。ポスターをつくると意外とこのようなキャッチコピーが効いたりします。

「気合い! 修猷館高等学校」
 気合いが苦手な人もいるので新しいスタイルの拒絶です。

「男 修猷館高等学校」
 女性の方が書かれています。ここに何かドラマがありますね。

「それなりに女の子もいる 修猷館高等学校」
 逆に女が少ないということを証明しています。これも女性の作品です。この二つはほぼ同じ意味で違う表現になっているのが面白いです。合体コピーで2枚連貼りのポスターになりますね。

「九州の230才の高校生 修猷館高等学校」
 これも「ぼくたちに卒業はない」と同じ感じですが、考える脳みそが違うといろんなバリエーションが出て面白いです。

「質実 剛健 清楚 そして・・・ 修猷館高等学校」
 「・・・」は各自で考えよということだそうです。

「卒業して解る 修猷館高等学校」
 同窓会モードですね。

「死ぬまで館友 修猷館高等学校」
 「死」という単語は少し思い詰め過ぎかもしれませんが、それだけ強調したいということです。「おいしい」というときに「死ぬほどおいしい」というのもあります。素晴らしい関係の最高の強調が「死ぬ」ということだったのだと思います。

「卒業しても楽しめる 修猷館高等学校」
 これは優しい表現ですね。

「時がたつホド愛がツノル」
 片仮名にしてありますが、やはりできるだけ普段使っている言葉で素直にシンプルに書くほうが強い表現になります。

「入れば一生モノ 修猷館高等学校」
「一生つながる 修猷館高等学校」
「一生のパートナー見つかります 修猷館高等学校」
 この三つは同じ考え方ですね。

「総理大臣から芸人まで 修猷館高等学校」
 いろんなジャンルの人間がいて幅があるぞということでしょう。

「みんながお山の大将 修猷館高等学校」
 これは修猷館というより福岡の県民気質じゃないかと思いますが、これも名コピーです。

「馬鹿して泣きたいなら 修猷館高等学校」
 これも熱いですね。

「日本のスタンフォード 修猷館高等学校」
 自分で自分を褒めるときに「日本の○○」と言い換えるのは最初のステップとしてはいいと思います。逆に「スタンフォードが世界の修猷」と言うのもいいかもしれませんね。

「High school というより Life school 人生の学校 修猷館高等学校」
 これは全部言わずに、「Life school 人生の学校」のようにばしっと言い当てると面白かったかなと思います。英語があってるかわかりませんけど。

「あの福岡で一番行きたい学校 修猷館高等学校」
 「あの」というのが面白いです。「福岡で一番行きたい学校」では普通ですが、「あの福岡で」となるとどういう意味なんだろうとなります。

 最後に私の中でのベストを二つ選びました。
「ぼくたちに卒業はない修猷館高等学校」
「本物しかいらない修猷館高等学校」

 この二つとも素晴らしい広告がつくれそうな気がします。不思議なのですが文字数が大体同じです。一息でぱっと言える短さがやはりいいコピーだと思います。両方とも「ない」と言っているのが修猷らしいです。

 最初はコピーを書いてもらうという実験はうまくいくか不安だったのですが、 こうしてみてみると本当にどれも面白いです。あらためて思ったのですが、 言葉の良さとか強さというのは、思考の量と比例しているのだと思います。 みなさんが普段から修猷のことを考えているから、これだけ面白いんだと思います。今日は僕もとても勉強になりました。

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■大須賀会長あいさつ

 人の心を動かすとか気持ちを伝えるには相手の立場に立って考えることが大事だということでした。お話にもありましたが、最近ではメールは出しても手紙は書きません。手紙は書いて出すまでの時間に相手のことを考えていますが、メールは打てばすぐ相手に行ってしまいます。最近はそのようにしてだんだん相手のことを考えなくなってきています。
 そして情報は欠けているほうが強いということでした。私は会社でよく一言多いと言われますが、一言足りないぐらいがいいのかもしれません。よく分かりました。
 今日は年に1回のsalon de 修猷の9回目でした。来年は10回目の記念大会になります。そして63年の当番幹事の皆さんは今日が最後でした。来年からは平成元年卒業の幹事になり、また楽しい二木会になっていくと思います。

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■おわりに

 優秀な作品を作られた皆様には、髙崎さんの著書がプレゼントされました。
 講演会は、笑いが溢れ、終始和気あいあいとした雰囲気で盛会のうちにお開きとなりました。
 参加者の皆様には、オランジーナ、キシリッシュ、オールフリー(未成年以外)など等のお土産をお持ち帰り頂きました。この場をお借りしまして、すばらしい賞品の数々をご提供くださいました皆様に厚く御礼申し上げます。

 今回をもちまして私ども睦会の幹事学年としての行事を、全て無事に終えることができました。これも執行部の諸先輩方をはじめ、たくさんの館友の皆様、支えてくださったすべての方々のご支援とご協力があったおかげだと、心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。

昭和63年卒 睦会