第7回Salon de 修猷の報告(平成25年9月21日開催)

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ゲスト: 広渡 敬雄 (昭和45年卒)
松隈  剛 (昭和61年卒)
入江 信吾 (平成7年卒)

平成25年9月21日(土)、残暑がまだ残る午後に、94名もの館友ならびに、そのご家族、ご友人の皆様にご参加いただきまして、第7回「Salon de 修猷」が学士会館にて開催されました。我々にとっては、二木会ですっかりおなじみの学士会館ですが、今年は、話題の人気テレビドラマの撮影場所ということもあり、会館内を興味深く、見学される方々も多数おられました。

さて、今回で第7回目を迎えます「Salon de 修猷」は、趣向を変え、ご出席者全員に参加していただくスタイルで、『ことばをつむぐ』と題し、二部構成にて皆様にお楽しみいただきました。

まずは、食事を楽しんでいただきながらの第一部。
各業界でご活躍の『ことば』のスペシャリスト、昭和45年卒の俳人 広渡敬雄さん、昭和61年卒のコピーライター 松隈剛さん、平成7年卒の脚本家 入江信吾さんという豪華メンバーをお招きしてのディスカッション。当初、昭和61年卒の松尾潔さんにご登壇いただく予定でしたが、急遽、仕事の関係でご登壇がかなわないというアクシデントがあり、入江さんにご登壇をお願いいたしましたところ、"先輩後輩のために"と、快諾していただきました。 強いご縁で集まった達人3名に、『ことば』にかける、それぞれの熱き想いを語っていただきました。モデレーターは昭和61年卒の中川美穂さんです。

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【ディスカッション】

○中川 : これから第一部のディスカッションを始めたいと思います。まず、御三方の紹介から始めます。

○広渡 : 昭和45年に修猷館を卒業し、九大から富士銀行(現みずほ銀行)に入行しました。私の時代は高度成長期でしたので本当にセブンイレブン(7時出社11時退社)の生活でしたが、その中で、俳句と山登りで何とか自己表現を支えてきました。

○松隈 : 昭和61年卒業の松隈です。私は修猷館を出た後、ちゃんと浪人して早稲田に行き、その後、電通でコピーライターとして広告活動の仕事をさせていただいています。高校のときはプールの下の映画研究部で、くすぶっていました。

○入江 : 平成7年卒の入江と申します。脚本家をしています。松隈さんとは奇しくも同じ映画研究部の先輩と後輩ということが、この会を機に判明しました。僕より9年上の映画研究部の部長だったということです。

○中川 : 今日の御三方それぞれは、『ことば』を巧みにあやつっていらっしゃいますが、それぞれの業界には違う制約や決まりがあると思いますので、それをお聞きします。

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○広渡 : 日本人にとって五七五の韻律というのは自然に入っていけるものだと思いますので、俳句といってもそれほどの違和感はないと思います。一方、コピーライターや脚本の方、そして今日は欠席の松尾くんの作詞なんかは"すごいな!"という感じがすると思います。ただ俳句は五七五という制約の中で『ことば』を削りに削ります。その限られた中で、いかに『ことば』を光らせるかということが大切になってきます。それから、俳人の場合は著作権で守られるというのはありません。その辺りが他の皆様とは少し違うと思います。

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○松隈 : コピーライターは、企業活動の中で商品・サービスをきちんと世の中に分からせ、それを世の中にお届けするというのが仕事です。そして、その商品・サービスが世の中にあって"よかったな"という幸せな感じを、どう共有できるかというところで『ことば』を選ぶ作業をしています。同じ時代に生きている者同士で、『ことば』で通じ合うということに価値があると思っています。  私は高校2年の夏に突然、1週間で14冊ぐらい新潮文庫を映画研究部の部室とかで読み、そのころに『ことば』をやりたいと思いました。修猷館という場が"そうさせたのかな?"と今日改めて思いました。

○入江 : 脚本は基本的には、「セリフ」と「ト書き」でできているもので、書こうと思えばどなたでも書くことができ、『ことば』一つ一つよりも、むしろ話の流れや展開の方が重要視されています。そして大事なのは脚本それ単体では成立せず、それを演じてくださる俳優さんや、これを撮ってくださる監督さんとかがいて初めて成立するものなので、私にとっては設計図のような気持ちで書いています。

○中川 : それぞれが自発的に"書きたい!"と思うのは、どういう時なのでしょうか。

○広渡 : 俳句は、なかなかそう簡単にはひらめきません。ですから常に意識をしておいて俳句手帳に書き留めます。一冊の手帳で700句書けるものが、今、143冊になっています。仕事をしている時などの論理的思考では左の脳を使いますが、絵画や俳句や音楽のような芸術作品では右の脳を使います。サラリーマン生活では、いかに左の脳から右の脳にスイッチするかというのが課題ですが、私は帰りの電車の中でそれをやっています。書く時は、やはり自分の意志が必要です。夜間でも浮かんだ『ことば』を書きますが、それでものにできるのは100のうちに大体2つか3つです。

○松隈 : 私も眠っている時にコピーを書くのは、よくやります。広渡先輩は書きたいから眠っている時も書くと思うのですが、私の場合は追い詰められているので眠っていても書くのです。『ことば』については、例えばメーカーの技術者の方とかにお話を直接伺って、その中から『ことば』を見つけ出すことも多いですし、日常会話の中に『ことば』を探すこともあります。そして奇をてらわなければならない時もあれば、誰にでも分からなければいけない時もあります。もう20年ぐらい使ってもらっていますが、【マナーもいっしょに携帯しましょう】というコピーがあります。このように、それで笑いもしないしブームにもなりませんが、誰にでも分かってもらえる普通の『ことば』を、ドンと真ん中に置いていく作業もあります。また、月まで行った【かぐや】という探査機のネーミングがありましたが、そのように、誰でもがそれであるイメージを連想させるという『ことば』もあります。

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○中川 : 一般の皆さんより、物事を少し斜めから見たり、視点を変えて見ることがあるのですね。

○松隈 : 社会人になったころは「いつまでも純粋な少年で生きていけると思うな。もうちょっと斜に構えてものを見ろ」とさんざん言われたので、ちょっと構え過ぎているかもしれません。

○広渡 : 俳句も詩もそうだと思うのですが、詩人の高橋睦郎さんが、"自分の心の中に書きたいという鬼みたいなもの業みたいなものがあって、書くことによって、それらを解放する"ということを書いていましたが、そういうところがあるかもしれません。文章にこだわる人というのは、やはり何か書きたい!そして書いたものを誰かに見てもらい、評価してもらいたい!という業みたいなものがあるのかなと思います。

○入江 : 私は刑事ものばかりやっているのですが、【相棒】を例にとると、"右京さんと薫ちゃんが活躍する刑事ものです"という設定だけが枠としてあって、各話は、それぞれのシナリオライターがゼロからオリジナルで考えてローテーションで書くことになっています。それでいつも殺人のトリックだとか、ここに毒が入っていたらとか、そういうことばかりを考えていて、どんどん目つきが悪くなってきています。

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○中川 : 世の中を"斜"に見るところが似ていますね。

○入江 : まさにそうです。世の中を常に疑って見ているということです。

○広渡 : それは俳句にもあります。俳句は普通、俳句を「書く」とか、俳句を「作る」とは言いません。俳句を「捻る」と言います。

○中川 : 「ひねる」は頭を捻ると同じ意味ですか。

○広渡 : 頭を捻るし、少し斜に構えて見るということです。少しはひねくれるというところもあります。まともな、きちんとした俳句はあまり喜ばれません。川柳ほどではありませんが、ちょっとしたシニカルな面があるのも評価されます。

○中川 : では、達成感のある瞬間というのは、どのような時ですか。

○広渡 : 褒められる句というのは、先程申し上げた手帳では隅っこにちょっと書いてあるものなのです。自分で自信がある句は別に書き抜いているのですが、そういう句は駄目なのです。よくありますが、あまり力が入り過ぎているものは駄目ですね。

○中川 : 松隈さんは、どんな時に達成感がありますか。

○松隈 : 企業活動の一環としてやっていますから、その商品が売れるということだろうと思います。そんな中でコピーが心に響いて買ったとか、会話の端々にちょんちょんと人の心の波打ち際に『ことば』が、ちゃんとたどり着いているのが確認できたら、それは嬉しいですね。

○入江 : 私はテレビの仕事をしていますので、視聴者の反応は気になり、やはり数字が良ければ単純に嬉しいです。でもそれ以上に、あまりないのですが、役者さんから「いい本をありがとうございました」とか言ってもらえることがあり、そういう『ことば』は大きな支えになります。

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○中川 : それぞれ、俳句やコピーや脚本を書くことは続けていかれると思うのですが、最近では"活字ばなれ"と言われながらも、ツイッターとかブログとか、やはり『ことば』というものを捨てきれないでいる私たちの日常生活があります。『ことば』の可能性は、今後、どうなっていくのでしょうか。

○広渡 : 俳句というのはコピーや脚本と違って、映像も音楽もない、五七五の文字だけのものです。ですから、ひとつの『ことば』で、どれほど読者が想像を広げてくれるかというところが大切になってきます。当然それは読者の読む力もあるのですが、それをいかに難しくない『ことば』で大きく広がるようにするかということが基本だと思います。『ことば』というものは受け渡すものだと思っていますから、自分が皆さんに伝えたい、例えば愛だとか慈しみとか、場合によっては憎しみとか、そういうものを、磨いたり、削りに削った『ことば』で何とか皆さんにボールを投げたいと思って作品をつくっています。

○松隈 : 先輩のおっしゃるとおりだと思います。こんなつもりで書いた、こんなつもりで『ことば』を選んだというのは、お構いなしに、受け取った人がそう思ったらもうそういうものなのです。『ことば』は受け取った人のものだなと、常々それは痛感しています。  『ことば』の可能性という意味では、やはり人を人たらしめているのは『ことば』なんだろうな、と思います。ネアンデルタール人は『ことば』をうまく使えないので滅んだという話があります。「あそこに獲物がいるぞ」と言えなかったために食糧を調達できなくて衰退していったということで、人を人たらしめて、かつ生存を守っているのは『ことば』かな、と思っています。

○入江 : フィクションにくくって言うと、世の中にいろいろな考えや価値観の人がいるのですが、ただ単に「戦争はだめだ」とか、正論だけを主張しても伝わらない人には伝わりません。けれどもフィクションにして人間の心を描くことによって、どんな主義主張の人にも訴え掛けることができるのではないかな、と。やはりフィクションは、どの時代にも必要なものなのだなと思ってやっています。

○中川 : 明るい未来をそういうところで確立させていかれると思うのですが、御三方にとって、『ことば』とは何でしょうか。

○広渡 : 私は山登りをやっていますので、自然と人間のかかわりの中の微妙なお互いの温情というか慈しみの思いをいろいろな人に何とか伝えるものだと思っています。

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○松隈 : 私は、痛くもかゆくも辛くも悲しくも、やはり自分を自分たらしめている何か一心同体みたいなものだと思っています。

○入江 : 『ことば』は使う人によって毒にも薬にもなるという、ある意味、危険性みたいなものを自覚しつつ書くようにはしています。

【質疑応答】

○有江 : 入江さんに質問です。俳句とかコピーを書かれている方は短い『ことば』で勝負されるのですが、脚本では、セリフの短いものと長いもので思い入れの違いというのはあるのでしょうか。

○入江 : ケース・バイ・ケースですが、必ずしも長いセリフでいろんなことが伝えられるということではありません。短いセリフにも万感の思いが込められますし、むしろそうでなければ格好が悪いと思っています。一言にいろんな思いがこもっているように感じられるような構成を心掛けています。一番大事なことは、なるべく言わないように、察してもらうような書き方をするということです。

○有江 : それはコピーを書く場合も同じですか。

○松隈 : 広告の場合はデザインというのが一緒にあり、特にグラフィックなんかでは、空間の中でその『ことば』がどう思われるかということになります。そういう意味では、私たちはアートディレクターと一緒によくやりますから、入江さんのおっしゃった全体の構成の中で『ことば』を生かすことが大事になり、少し似ているかなと思いました。

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○有江 : 広渡先輩は、この辺のお話は参考になられましたか。

○広渡 : 長い、短いということですと、俳句にも、例えば高浜虚子の「凡そ天下に去来程の小さき墓に詣でけり」という、ものすごく長い句あります。またそれと反対側に自由律俳句があり、例えば尾崎放哉という人の、「咳をしても一人」という句もあります。

○服部 : 59年卒の服部です。私は音楽が好きなのですが、アーティストで天才と思えるぐらいに神懸かって後から後から出てくるような、湧き上がるようなそういう時期があるらしいとよく聞きます。『ことば』に向かい合っている皆さんも、そのようなことはおありなのでしょうか。

○中川 : 「お、来てるぞ!」ということですね。

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○広渡 : なかなか来ないです(笑)。最近【俳句甲子園】というのがありますが、高校生の感性は私共がかなわないぐらいです。そういう人たちは、どんどん湧いてくると思うのですが、私の場合は、とにかく泉が自分の中に湧いてくるように、常に努力しかないと思っています。

○松隈 : おっしゃるとおりです。生きていくといろんなタイミングがありますから、奮い起こして、散歩するとか、旅に出るとか、映画を見に行くとか、その辺に身を置いて刺激して脳みそや気持ちを活性化することは必要だなと思います。

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○入江 : 筆が乗った時に、いわゆる"ライターズ・ハイ"みたいな状態がたまにありますが、そういう時に書いたものを後で読み返すと、大体成り立ってなかったりします。夜中のラブレターと一緒です。でもたまに、どんな理屈で考えても思いつかないようなセリフがちょっとあったりすることもあって、そういうときは、ニヤッとします。

○広渡 : 俳句の場合は一度に五七五の17文字で作らなくて、気になったり良い『ことば』だと思ったものを手帳に残しておき、後でそれに何かをくっ付けるという作業もあります。

○林 : 62年卒の林と申します。私事ですが、私はいつも上司への報告を失敗します。『ことば』というのは、最初に思い浮かんだ『ことば』が人に共感を与えるのでしょうか、それとも練りに練って考えた『ことば』が人から評価されるのでしょうか。

○広渡 : 難しい質問ですが、五七五で言いますと、?まず出た『ことば』はそのまま書き留め、?そしてその『ことば』を推敲(すいこう)することもあります。しかし場合によっては一字たりとも変えない時もあります。

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○中川 : お相手の出方をうかがいながら臨機応変に!ということで頑張ってください(笑)。
広渡さん!松隈さん!入江さん!楽しいお話をありがとうございました。

【休憩・選句】

第一部の後は、休憩をはさみ、その間に、大須賀副会長とゲスト3名、広渡さん、松隈さん、入江さんの計4名による選句。第二部の句会にて表彰するため、数々の素晴らしい傑作の中から、10句選んでいただきました。

【第二部】

いよいよ第二部です。
広渡さんリードの句会にて、俳句にまつわるエピソードと講評について語っていただきました。

○広渡 : 超特急便で選考させていただきました。皆さんは修猷館高校を出られた秀才ならびに才媛の方ばかりなのですが、俳句の方はちょっと修猷館の横の百道小学校ぐらいの方もいらっしゃいました(笑)。

DPP_0207.JPG  今回も賞品がありますが、江戸時代の小林一茶の頃にも今日と同じように賞品が付いた句会がありました。しかし正岡子規が俳句のレベルが落ちたと後で批判したりしました。全国俳句大会などでも、皆さんから例えば千円ずつ集めて、特賞が30万円みたいなのがあります。
 短歌と俳句は微妙に違います。短歌というのは基本的に自分の気持ちをそのまま詠みますから恋の歌には最高です。私が去年、角川俳句賞を取ったときは61歳でしたが、もうひとつの角川短歌賞の方は23歳でした。短歌は若々しい情熱の方が強いと思いますが、俳句の方はどうしても押さえて削ってというところがありますので、その辺りが技術を要し、ある程度の年齢が必要ということだと思います。
 俳句というのは現実を詠みながら、それより深く読者がイメージしてくれるような広遠な世界がつくれればいいものになります。その辺りが、写生に徹しながら写生ではないということです。写真でも観光地でピースをしている写真とかはそのままですが、土門 拳さんが撮ったものだと、肉薄性というか、撮った人物像から、その人物全部のオーラというのが出てくる作品になっていると思います。俳句も同じだと思います。やはりしっかりした写生でありながら、その奥に何かが生まれてくるというのがいいのだと思います。
 今日は、「天地人」というかたちで選ばせていただきました。「天」というのは私が一番良い句だと思ったものです。それは"モーカリ"の句で、"モーカリ"の句ながら、なかなか深みがある句でした。後は「地」というのが準特選で、「人」が秀逸ということになります。それ以外に佳作とか主賓の方からの顕彰もあり、全部で10あるそうですから、宝くじよりは当たる率は高いです(笑)。

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広渡さんから、このような有意義なお話をいただきました後は、さあ、いよいよ、表彰です。

<表彰>

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最初に表彰されたのは、【修猷館賞】。受賞されたのは、福本由美子さん(昭和63年卒)
受賞句 : 「"猷を修む" 背筋を伸ばして 前を向く」 
福本さん受賞コメント:「自分の今までの人生の岐路、岐路で、館歌の"猷を修む"という『ことば』に背中を押されてきた感じがあったので、そのことを詠みました。」

講評: 館歌の歌詞を取り入れられた、とても素晴らしい句でした。


続いて【福岡賞】。受賞されたのは、田中 肇さん(昭和45年卒)
受賞句 : 「百道浜 潮のかほりと 汗の珠」 
田中さん受賞コメント:「福岡を離れて何十年もたつのですが、時々ランニングで浜を走らされた青春の時を思い出してみました。」

講評 :今は、埋め立てられてしまい、思い出にしかない百道浜ですが、この句によって、あらためて懐かしい記憶を甦らせてくれた素晴らしい句でした。


【こども賞】に選ばれたのは、橋本 和くん(昭和61年卒 橋本勝郎さん次男)
受賞句 : 「よるごはん ぱくぱくたべる おいしいよ」

講評 :会場の皆様のほんわかとした笑顔を誘ったかわいらしい作品でした。


そして、【大須賀副会長賞】と【各ゲスト賞】です。

【大須賀副会長賞】に選ばれましたのは、大木 一直さん(昭和60年卒 梅木理佳さんご友人)
受賞句 : 「俳句づくり 一句もできず 四句八句」
大須賀副会長より「すばらしいです。最初がまず字余りですから、このセンスでは一句もできないと思いました(笑)。賞品は、"一茶"を勉強して俳句ができるようにと、ロイヤルコペンハーゲンの"紅茶"を用意しました。」というコメントをいただき、会場は大いに沸きました。


次に【広渡賞】に選ばれましたのは、等 健次さん(昭和45年卒)
受賞句 : 「息白し モーカリ板に チョーク持つ師」
広渡さんより「裏の名前は一切見ないで選んでいますが、たまたま開いてみたら同期の等 健次くんでした。 私の世代は"モーカリ板"というのがあって、朝、まずあれを見て1日が始まるという、その"モーカリ板"の思い出は修猷館にしかないと思います。ちゃんと"息白し"という季語も入っていますし、"モーカリ板"という修猷館の『ことば』(館語)も入っていて、リアリティーもあるし情感もあって良い句だと思いました。 賞品は私の短冊を用意しています。「口大きく開けて日本の燕の子」という私の作品で、去年角川俳句賞を取ったときに、選考の先生から、"この作品があったから角川俳句賞を推薦しました"と言われた句です。」というコメントをいただき、同期から同期へ賞品をお渡しいただきました。

等さん受賞コメント :「【ホテさん】とみんなが呼んでいた伊東先生がモーカリの調整をしてくれていました。【ホテさん】の頭の中は本当にすばらしくて、何があってもぱっぱと時間割を変えてくれていて、【ホテさん】に対して"本当にありがたかったな"という思いでつくりました。」


続いて【松隈賞】。受賞されたのは、山形 淳さん(昭和61年卒)です。
受賞句 : 「風すぎて 言の葉つむぐ 星のもと」 
松隈さんからは、「広渡先輩に続き、こちらも同期です(笑)。うかつでした。まさか私も同期を選ぶとは思いませんでした。"風"というのは時代だったり歳月だったりだと思いました。私自身、まさか卒業して六光星のもとで多くの皆さんを前に、『ことば』について話をするようなことがあるとは思いませんでした。こんなにいい日があったということをすっと詠んでもらって、それが嬉しくて選んだら、山形くんでした(笑)。 今、キヤノンさんで「ギャラリーS10周年記念展」というのをやっていて、そこで【時代に応えた写真家たち】というタイトルを考えさせていただきました。僕の大好きな中村征夫先生の水中写真などを収めた図録です。完売しましたので、手に入らないので大事にしてください。」とのコメントをいただきました。

二人続けて、同級生を選んでしまうという、やはり何かの縁を感じた瞬間でした。


さて、【ゲスト賞】最後は、【入江賞】です。

受賞されたのは、土肥研一さん(昭和46年卒) です。
受賞句 :「砂踏みて 古想う 元寇の浜」 
おなじみ、東京修猷会の幹事長です。さすが、われらが幹事長!心に響きました。
入江さんから、「選んだ理由は、"古(いにしえ)を想う"というのと、"元寇の浜"というのは悠久の歴史を感じさせてロマンチックな句だなと思いました。」というコメントとともに、賞品として、入江さんがこれまで携われた【相棒】の作品のノベライズ本が贈られました。


最後に、【天】【地】【人】の発表です。この句会の上位3名に贈られる賞です。
その名誉に輝いたのは、


【人】 を受賞されたのは、広瀬 豊さん(昭和43年卒) 
受賞句 : 「月は東 西のみそらに 六星光」
受賞者コメント :「一昨日は中秋の名月を久し振りに見ました。西の空を見たら星が輝いていたというわけではありませんが、六光星というのが何の星かというと、"西のみそらに"なので宵の明星かなと思います。これは蕪村だったか、"菜の花や 月は東に 日は西に"というのがあり、それからパクりました。」


【地】を受賞されたのは、東京修猷会副会長の大須賀 頼彦さん(昭和37年卒)
受賞句 :  「六十年 光陰重ね 星幾つ?」
受賞者コメント :「ついこの間までは60歳が定年でした。その時になって、それまで光陰を重ね、つまり年月を重ねて生きてきていて、さあ、あなたの人生は星三つだったかな、あるいは一つだったかなという、"星いくつ?"というテレビ番組をまねたところもありますが、そういう句にしました。」


最後に、【天】を受賞なさったのは、小原 淑さん(昭和31年卒)
受賞句 :「モーカリや 猛者するすると 百日紅(さるすべり)」
受賞者コメント :「私が修猷2年のときの教室は、百日紅(さるすべり)があるところでした。その時代の猛者たちは裸足でモーカリのときにさるすべりの窓から逃げて出ていっていました。私も下りてみたかったけど、女の子でしたからできませんでした。」

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小原さんが"百日紅"のくだりをお話になったときには、会場から、"ほぉー"と感嘆のため息がでるほど、皆さんにいろんな想い出を思い起こさせた句でした。

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表彰も全て終わり、最後は参加者全員で写真撮影を行い、終始和やかな、楽しい雰囲気で会を終えました。

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この「Salon de 修猷」を最後に、我々昭和61年卒61会は、幹事学年として全ての行事を無事終えることができました。 執行部の皆様、多くの館友の皆様に支えていただいたおかげです。心から御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

≪受賞 10名≫

【天】 昭和31年卒 小原 淑さん
  「モーカリや 猛者するすると 百日紅(さるすべり)」
【地】 昭和37年卒 大須賀 頼彦さん
  「六十年 光陰重ね 星幾つ?」
【人】 昭和43年卒 広瀬 豊さん
  「月は東 西のみそらに 六星光」
 
【大須賀副会長賞】  大木 一直さん(昭和60年卒 梅木 理佳さんご友人)
  「俳句づくり 一句もできず 四句八句」
【広渡賞】 昭和45年卒 等 健次さん
  「息白し モーカリ板に チョーク持つ師」
【松隈賞】 昭和61年卒 山形 淳さん
  「風すぎて 言の葉つむぐ 星のもと」
【入江賞】 昭和46年卒 土肥 研一さん
  「砂踏みて 古想う 元寇の浜」
 
【修猷賞】 昭和63年卒 福本 由美子さん
  「"猷を修む" 背筋を伸ばして 前を向く」
【福岡賞】 昭和45年卒 田中 肇さん
  「百道浜 潮のかほりと 汗の珠」
【こども賞】 橋本 和くん(昭和61年卒 橋本 勝郎さん次男)
  「よるごはん ぱくぱくたべる おいしいよ」

三島 久美(昭和61年卒 六一会)