第641回二木会講演会記録

「テレビ政治からネット政治へ?~どうなるどうする日本政治~」

講師:逢坂巌氏(昭和59年卒)

◆講師紹介

○服部 逢坂君とは3年生の時に同じクラスでした。強烈な個性の男連中が集まったクラスでしたが、その中でも彼はひと際目立った存在でした。
 高校を卒業してしばらく疎遠になっていたのですが、私が社会人になって東京に出てきてまた付き合いが復活しました。結婚もされてお子さんも生まれて、これで落ち着くのかなと思っていましたら、急に「俺は東大を受ける」と言い出して、28歳で東大に入り直しました。
 彼は一体何を目指しているのかなと心配をしていたのですが、政治学者として着実にステップアップして幅広く活躍し、ビッグになったなと思っています。今でもときどき彼と会いますが、バカチンな話ばかりして仕事の話は全くしません。そのような昔ながらの逢坂君と、メディアを通して見る逢坂君のギャップが自分の中ではあまりに激しすぎるので、今日は彼の口から真面目な話を聞いて、そのギャップを埋めることができればと思っています。

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■逢坂氏講演

 今日はお招きいただきありがとうございます。私は現在、駒澤大学で日本政治を政治コミュニケーションという角度から研究しています。政治や行政、そしてメディアに関しては、ここにいらっしゃる皆さまのほうが現場でのいろいろなご経験をお持ちだと思いますが、本日は研究者としての引いた立場から日本政治が、特に政治コミュニケーションという文脈からどのように見えるか、3つの観点からお話をさせていただきたく思っております。

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■はじめに

 第1の観点は「政治のメディア化」です。近年、メディアが政治に大きな影響を与えている、政治がメディア化しているという議論が世界中でなされています。90年代以降、日本でもメディアの政治的影響力は急速に高まりました。第1次安倍政権や福田康夫政権、そして麻生太郎政権などがテレビに批判されて退陣していったのはご記憶の通りです。一方で、政権復帰後の安倍政権はメディアを脅しているなどとも言われますが、これら「政治のメディア化」をめぐる現状について、まずお話をさせていただきたく思います。
 第2の観点は「逆もののけ姫の波」と「しょうがないデモクラシー」です。近年、県知事選挙や市長選挙などの首長選や衆参両院の国政選挙の際に、候補者のみなさんに集まってもらって公開の場で議論をしていただく「公開討論会」が各地で行われるようになりました。私も2003年からお手伝いさせてもらっていて、北は秋田から南は高知まで15年間で50回ほど、各地での討論にコーディネーターとして舞台上で立ち会ってきました。その中で、日本各地は猛烈な「逆もののけ姫の波」に襲われていて、多くの地域は「もののけ」たちに降伏しつつあることを実感してきました。とはいえ、「しょうがないから、みんなで知恵を出して立ち向かおうか」という動きも各地に出てきております。東京にいると、そして日本のマスメディアの報道体制の中では、なかなか見えにくい市町村レベルの政治で何が起こっているのか。実はそこが日本政治の最先端だと思いますが、そのあたりのところをお話させていただきます。
 3番目の観点は、「インターネットと政治コミュニケーションの変容」です。この4月から毎日新聞で「平成ネット政治史」という連載を持たせてもらい、ネットと政治にかかわるいろいろな人にインタビューしておりますが、その途中報告というかたちでお話をさせていただきます。

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■メディア化した政治

 政治のメディア化、もしくはメディア化した政治というのは、影響力が増大したマスメディアを気にかけ、それに合わせようとする政治を意味します。
 1965年生まれの私は、小学校の時は田中角栄と三木武夫、中学は大平正芳と福田赳夫、高校が鈴木善幸と中曽根康弘政権という派閥政治の全盛期に育ちました。そのころの政治は、自民党内で派閥と個人後援会がしのぎを削る世界でした。政治の中心的なアクターは農業団体や建設業界といった利益団体で、そこに公共事業などを通じて利益を分配していく利益団体政治―それを実際に回していたのが霞が関の官僚たち―というのが政治の印象であり実態でもありました。
 このような理解は、学問の世界でも正当化されおり、私は1994年に大学に入り直し政治学を学び始めたのですが、「多元主義」とか「ネオ・コーポラティズム(新団体主義)」といった、団体を軸として政治を捉えるという理論を1年生の政治学などで学んだのを記憶しています。
 しかしながら、これらの派閥政治、利益集団政治、そして官主導の政治体制に対しては、リクルート事件を契機に批判が高まり、一連の改革が行われます。具体的には94年の政治資金規正法の改正や小選挙区制の導入などによって金権政治と派閥政治への対応がおこなわれ、90年代末の橋本行革で内閣総理大臣の権限強化などが行われました。これによって、日本政治は政治や官邸が主導する新しい政治へと変化していきます。
 一方、この間、人口は都市に集中して日本人の生活も大きく変わります。選挙でも農業や土建業が基幹産業となった「田舎」の比重が減少し、都市部の住民が大きなマーケットになっていきます。特に94年の自社さ政権成立を期に無党派層が有権者の5割を超える状況になりました(時事通信世論調査)。
ここに小選挙区という新たな制度の中、候補者や政党は都市部の無党派層にアピールする必要が出てきたわけです。しかし、この間、選挙期間はどんどんと短くされる一方、選挙における戸別訪問は相変わらず禁止されたままで、政党が都市や無党派の人たちとリアルにコミュニケーションを行う回路が細くなるばかりでした。
 そのなかで注目されたのがテレビです。当時、多くの人がテレビでニュースをみるようになり、リクルート事件や政治改革にもテレビが大きな影響を与えました。このように影響力を強めていたテレビを使って、政党も宣伝やコミュニケーションをしようというわけです。ここからテレビでのイメージを気にする「政治のメディア化」が日本でも本格化していきます。
 ところで、テレビは長々とした話や複雑なニュアンスを好みません。忙しい視聴者の耳目には届かないからです。逆に好まれるのは、敵味方がはっきりした二項対立、わかりやすく楽しいキャラクター、そしてなにより印象的な絵(イメージ)です。テレビでコミュニケーションをとるためには、これらのテレビの「文法」に従うことが大切ですが、テレビで有権者とコミュニケーションを取ろうとする政治に、このテレビの「文法」が浸透します。分かりやすいキャラやキャッチフレーズを表現できることが、政治や政治家にとっても重要なものになり、海部俊樹さんや細川護煕さんなどのテレビ政治家が登場してきます。
 記憶に新しいのは小泉純一郎さんです。2001年から5年間の長期にわたる政権運営で何が一番の彼の力になったかというと、「自民党をぶっ壊す!」「郵政民営化を国民に問いたい!」と短いキャッチフレーズを絶叫する、テレビが伝える小泉さんのイメージです。多くの国民がテレビの中の小泉さんに喝采をおくり、それが彼の政治的な力となりました。
一方、テレビの「文法」に合わせられない政治家、すなわち「政治のメディア化」に対応できないリーダーは、いくら派閥政治的な力を持っていても政権を維持できなくなりました。小泉さんの前に首相を務めた森喜朗さんなどはその象徴です。森さんは派閥政治的には人の和や長幼の序を重視するとてもいい人とのことですが、政治のメディア化が進んでいる状況で、わざわざ番記者と対立してみたり、「嘘を言っていいのだろう」「日本は天皇を中心とする神の国だ」というような失言を繰り返したりして権力を失います。
 また、小泉さんを継いだ現総理の安倍晋三さんも第1次政権ではマスメディアとの関係で苦労しました。安倍さんは今でこそ「史上最強の総理」(週刊ポスト)などと言われていますが、第1次政権においては「KY=空気が読めない」とテレビや新聞、そしてネットでバカにされ退陣に追い込まれました。
 今から考えればどうしてこんなことが問題になったのかと思いますが、赤城徳彦農相が記者会見で絆創膏を貼っている姿がテレビで報じられて、政権の支持率が下がるなど、テレビが伝える政権のイメージによって政治がコントロールされていました。
 その後に続いた福田康夫さんも上から目線で偉そうだと批判されて退陣し、続く麻生太郎さんも「KY=解散やらない・漢字が読めない」と揶揄されて総選挙で敗北します。
 その後、民主党に政権が変わっても鳩山由紀夫さんは普天間移転が議論になった際にテレビでからかわれて退陣していきましたし、次の菅直人さんや野田佳彦さんも1年しか持たない短期政権が続きました。いずれも、首相のイメージが支持率に反映し、その支持率を巡って党内が政局化するなかでの退陣でした。小泉さん以降の5政権は、「政治のメディア化」への対応に失敗し続けました。
 そのような中、安倍さんが2012年に政権に復帰します。安倍さんが首相に戻ってきた時に、ジャーナリズムの方々は「どうせまた腹が痛くなって辞めるのだろう」などと言っていました。私は「いじめられっ子はいじめっ子のことは絶対に忘れないから気を付けた方がいい」などと思いましたが、当時のマスメディアは「どうせまた俺らが首を取るよ」みたいな雰囲気が強かったと記憶しています。
 しかし、「メディア政治」で挫折を味わった仲間たちを引き連れて官邸に帰ってきた安倍さんはとてもクールで強くなっていました。この強いのがジャーナリズムにとっていいのかどうかは別にして、例えば、NHKの経営委員や放送を所轄する総務大臣に自らに近い人物たちを任命してマスメディアに睨みをきかせたり、自由化した首相記者会見では自分の好きなメディアに好きなタイミングで「宣伝」をおこなわせたりしています。一方、自分に「敵対的」な報道に対してはFacebookやツイッターなどを使って批判を加え、テレビ出演の際にもキャスターらとの議論を厭いません。また、選挙時には自民党から公正中立な報道を求める文書をテレビ局に出しました。このようなことは、昔は目立たなくやっていたものですが、それをわざわざ表に出すことで「政治のメディア化」に対応しています。
 政策面においても、第1次政権では憲法改正や景気回復や教育改革など、様々なことを一挙に同時にやろうとして国民世論との乖離を招きました。しかし、第2次政権ではいろいろではなく、デフレ脱却・景気回復という経済政策を第一に、史上最大級の金融緩和によって目に見える形で株価を上げ、政策の効果を可視化します。加えて、「三本の矢」「一億総活躍社会」といったキーワードを次々に出してイメージが演出されています。
 以上のような手法によって、かつては敗北を喫した「メディア政治」にリベンジをし、成功を得ているというのが現在の安倍政権だと思います。
 とはいえ、根っこの問題に対処できたかというとそうではないように思えます。それは依然として無党派層が多いということです。政党の足腰は脆弱なままで、先の都議選や衆院選での小池ブームのように「風」が依然大きな課題となっています。だから、政権や政党としては「風」を起こしうるマスメディアやジャーナリズムに対抗的にならざるをえないのでしょうが、自由なジャーナリズムによる環境監視と政権監視はデモクラシーのもっとも大切な部分です。ジャーナリズムを窮屈にするのではなく、政党をもっと国民のなかに根付かせることで「メディア政治」に対抗し、安定した政治をつくることが求められていると思います。

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■「逆もののけ姫の波」

 もう一つ私が現場と関わり合いながら感じていることが、「逆もののけ姫の波」と「しょうがないデモクラシー」です。
 私は公開討論会のお手伝いを15年ほどやっています。公開討論会というのは、選挙に際し候補者たちが集まって討論をおこなう会のことです。昔は公選法に基づいた公営の立会演説会というのがあったのですが、動員がかかって大変だとか、やじが激しいとの理由で廃止されました。しかし、やはり議論が必要だとの思いから、1990年代から市民団体を中心に公開討論会を開く動きが各地で出てきました。当初は、候補者にお願いにいくと「どうしてみんなの前で政策を議論する必要があるのか」などと断られてばかりで、開催はとても困難でした。中選挙区制の利益団体政治の時代、票は団体が持っており、無党派もまだ少なかったことから、保守系の候補者は「『一般の人』の票なんていらない。ましてやみんなの前での政策議論なんてとんでもない」と考えていたのでしょう。しかしながら、前述のような政治環境の変化のなか、自民党も2000年代になると公開討論会に前向きになってきます。
 私は公開討論会を支援するリンカーンフォーラムというNPO(現:一社)の公認コーディネーターとなり、この15年ほど各地で討論会のお手伝いをしてきました。公開討論会の「面白さ」は、なんといっても選挙という戦いの中、リアルな政治の姿を直接に味わえるということです。それは候補者が火花を散らす舞台の上だけではありません。個人的に印象的だったのが、10年ほど前の関東のある地域で、公開討論会を主催する青年会議所の方に現地を下見させてもらった車中での会話です。山道を走る中、彼から「この地域の対立ってどこにあるか分かりますか」と尋ねられました。右とか左とか、そのような感じの対立かなあと言葉を濁していましたら、「違いますよ。この町の対立は世代なんです。僕らと親父・爺さんの世代間の構造的な対立なんです」と言うのです。
 「逢坂さんは、青年会議所というとナントカ銀座で浮かれているようなボンボングループだと思っているかも知れませんが、この地域は人口もだんだん減ってきてナントカ銀座はすでにありません。もしかすると、地域自体が20年後、30年後にはなくなるかもしれない。そういう危機感のなか、月々1万円の会費を払い、忙しい中で時間をつくって、すこしでも地域がよくなるようにと青年会議所の活動をしています。私たちは地元の自営業や経営者の若手ですから、これからも地域が存続してくれないと困る。そのなかで、地域をよくしたいと取り組むのですが、何かやろうとすると行政から横やりが入るんです。そこで行政のどこが反対しているかと目をこらすと、首長の横にいて反対しているのが僕らの親父や爺さんたちだということ見えてきたのです。彼らは高度成長期のマインドのまま生きていて、変わらずに現状維持のまま勝ち逃げしようとしている。一方、僕らは未来のために変えていきたい。これが構造的な対立なんです。」というのです。
 当時はまだ「パイプがあるから投票してください」と公開討論会でも発言する候補者がたくさんいましたから、とても新鮮に感じました。ただ、小泉政権以降、公共事業が絞られていく中でパイプはだんだん細くなり、ここで聞いた「対立構造」は全国へと広がっていきます。そのような状況を各地で目にしつつ、日本政治の一番大きな変化は「逆もののけ姫の波」だと思うようになりました。
 映画『もののけ姫』は皆さんご存じだと思います。日本の中世を舞台に「もののけ」たちと人間たちの攻防を描いた宮崎駿監督の映画です。自然と人間界の境界で猪神や犬神とかデイダラボッチという自然を象徴する神々を、人間たちが倒し、自然界を我がものにするという物語ですが、公開討論会で地域を回っていると、この「もののけ」と人間とのリベンジマッチがいろいろなところで起こっているということに気づきます。
 つい先日も東京の立川で鹿が住宅地に出たというのがありましたが、2000年代の初めぐらいから人間の世界が「もののけ」と接し始めています。映画では人間が自然界を侵略しましたが、今回は自然界が人間界に迫る「逆もののけ姫の波」が迫っているのです。この「もののけ」と人間との新たな戦い。昔は若者が自然界に攻め入ったのですが、21世紀のいまはお爺さんとお婆さんが網の中に入って電気銃をポンポン打つなどして寂しく防衛戦を戦っているのが現状です。
 問題はこの波が各地に広がっていることで、関東近辺でも波に飲み込まれつつある地域が増えています。関東圏も例外でなく、去年公開討論会をやった横須賀でも、今年公開討論会をおこなった日光でも、一番の問題は人口減少でした。東のほうでは柏市とか、西のほうでは私の住んでいる高尾なども危ういです。東京の中心にいるとなかなか気づかないですが、日本橋から40㎞とか30㎞圏外では、どんどんと「もののけ」の手に落ちつつあるというのが日本の深刻な実態ではないでしょうか。
 しかし、そのようななか、先の車中で会話をした若い人のように、「ここまで来たらしょうがないから、みんなで考えようか」といった動き-「しょうがないデモクラシー」と呼んでいますが-も現れてきています。人口減少に襲われている地域の最後の決意であり、最後の戦いです。ただ、その戦いの中でいい戦いができているところ、悪い戦いになっているところがあって、そこにはどういう首長さんが選ばれているかによって違いがあるように感じます。悪い首長さんがいると、「もののけ」に負けて地域が消滅しますが、いい首長さんだとどうにかなりそうです。これも東京にいるとなかなか気づかないことなのですが、新しい政治コミュニケーションを伴いながら、どのように地域をつくっていくのかというのが日本各地の大きな政治テーマになっています。
 今後の日本社会というのは全体として急速に人口を失っていくわけでして、現在の「もののけ」に襲われている地域が経験していることやチャレンジしていることは、最先端の事例なわけです。そういう中で、私は若い人たちに、もうそろそろ辛抱するのはやめてけんかを仕掛けたほうがいいよと言っています。その地域から若い人が出ていくとその地域はなくなります。各地域にとっては、若い人たちにいかに居続けてもらうのかというのが、実は大きな課題で、それをテコに若い人たちが積極的に「脅して」、地域や人口の「再生産」がうまく回る仕組みをつくっていければと思います。また、人口減少は今後世界各地で起こっていくことでもあり、現在の各地の体験は人類の将来にとって貴重な財産です。学者やジャーナリズムもしっかり記録しておく必要があると思います。この辺も今後の日本政治を考える際に大きなポイントになるのかなと感じている次第です。

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■インターネットと政治コミュニケーションの変容

 3点目は、インターネットと政治コミュニケーションの変容ということです。これに関しては、4月から毎日新聞で「平成ネット政治史」という連載を持たせていただき、様々な人にインタビューをおこなっております。ただ、インターネットは非常に大きな人類史的・文明史的な話でもありますし、個人的にも研究を始めたばかりですから、ここでは中間報告的にポイントだけお話しさせていただきます。
 日本のインターネットは、1989年、まさに平成と共に誕生したメディアです。最初は多くの人間にとってネットはホームページを見るものでした。しかし、2000年代にはいりブログ、YouTube、TwitterやFacebook、LINEといったソーシャルメディアのサービスが始まり、2008年にはスマホが登場して、いつでもどこでも情報が受発信できる最も身近なメディアへと成長しました。
 このような若い新しいメディアに対して、政治家や政党もウェブサイトを作成したりブログやYouTube、TwitterやFacebookなどを利用したりするなどして有権者への宣伝に務めています。また、マスメディアを攻撃する武器としてもソーシャルメディアは使われています。前述のように90年代に「政治のメディア化」が進みましたが、ネット普及する中、マスメディアへの対抗手段を政治家は手にするようになったといえるでしょう。インターネットによって、今までマスメディアの人が握っていた情報発信の力が一般の人たちにも解放されましたが、政治家もその余沢を受けているということです。
 もちろん、インターネット時代の政治コミュニケーションにも闇があります。プロパガンダやフェイクニュースやヘイト情報の拡散、また、皆が自分の好きな情報にしか接しないことで社会が分断されているとも言われています。
 私は基本的にはネット政治に楽観的なのですが、インターネット選挙は解禁されるけれども戸別訪問は駄目だというような、バーチャルな政治コミュニケーションばかりが発展していくのには危惧をいだいています。安倍さんがあれだけメディアやジャーナリズムに対して神経質になるのは、やはり究極的には安定した地盤に支えられていないからだと思います。そして、安定した地盤を築くためには、やはり政党などを通じたフェイスツゥフェイスのリアルなコミュニケーションの蓄積が必要で、そのためには戸別訪問の解禁とか選挙期間を延ばすといった条件整備が大事だと思います。そのリアルなコミュニケーションのなかから、すぐれた政治的リーダーをいかにリクルーティングしていくか、そこが今後の日本政治の大きな課題になると思います。
 また、「逆もののけ姫の波」に関しては、これから人口はますます減っていくわけで、結局は足りない人手をどうしようという話になります。そこで、一つは外国人を入れる、もう一つは女性を活躍させるという話になるのでしょうが、そこにおける問題は我々ミドルやシニアの日本人男性の価値観になるでしょう。私も大学では男女平等が重要なんて言っていますが、家に帰ると妻から「あなたは言っていることとやっていることが違う」と言われます。その点においては、The personal is political.(個人的なことは政治的なこと)などと言いますが、やはり人生観とか人間観の変容が、特に今まで力を持っていた男性やシニアの人たちのそれが、これから必要になってくるということも、実は日本政治の根っこのテーマではないかなと考えます。
 加えて、デモクラシーとリベラリズムとの関係の調整も重要になってくると感じます。「政治のメディア化」にしてもインターネットにしても、「素人」の参入というか、意見が重視される状況になってきています。その意味ではデモクラシー(大衆政治)は進みつつあるのですが、しかしデモクラシーによって個人の自由というものが破壊される可能性もあるのです。デモクラシーが進ませながらも自由というのをいかに大切にしつつ生き生きとした社会をつくっていくのか。そういう意味においては、官邸や霞が関や永田町が問われているということ以上に、われわれ個々人が問われていくというのが、これからの日本政治ではないかとも思います。ご静聴ありがとうございました。

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■質疑応答

○林 逢坂さんとは城南中学で一緒で、そして私自身も今地方議会で政治家をやっていますので、大変興味深く聞かせていただきました。今、逢坂さんが感じておられる既存のマスコミの力、政治に及ぼす力が今後どうなっていくかについてどのように思われていますか。

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○逢坂 私が言い足りなかったところについてのご質問です。ありがとうございます。今年でしたか、新聞購読は電子版が紙を抜くという現象が起きていて、全般的にテレビや新聞のマスメディアの力は減っているとは思います。
 ただ、都知事選の小池ブームでみえてきたように、大きな選挙マーケットというのは60代70代の方々ですので、そこに対するリーチはやはりテレビが効くのかなと思います。一方で、マスメディアの制作者たちはインターネット社会の中にいます。番組やニュースをつくる際、最初にネットで情報検索しますし、番組のオンエアの際にもツイッターやネット掲示板などを見ています。そうすると、そこからネットでの意見や議論がマスメディアに影響するということもすでに生じています。ですから、ネットとマスメディアとの関係を総体としてどのように考えるかという状況にすでに入っているとはいえるでしょう。
 ただ、昭和においても新聞に対抗しながらテレビが力をつけてきたということがありました。やはり時代とともに、力のあるメディアや情報というのは変わっていき、それに対応しなければならないのかなと考えます。

■会長あいさつ

○伊藤 今日はお忙しい中、ありがとうございました。大変興味深いお話でした。私自身も福田政権から野田政権まで5代の総理大臣と共に官邸にいましたので、毎回世論調査があり、官邸のスタッフとそれを見ながらいろいろ議論をしていました。当時、今の福岡県知事の小川さんが内閣の広報官をしていまして、支持率がどんどん下がっていることに対して、内閣広報のやり方が悪いのではないかという思わぬ意見があって、非常に苦慮されていたのを思い出します。それは決して広報の問題ではなくて、まさに先ほどご説明があったような政治自体に問題があったと思うのですが、本当に内閣支持率というものを大変気にして、いつもスタッフで議論していたことを覚えています。
 いわゆる活字の時代から次にテレビが出来た時、本当に大きな意識の変化が起き、そしてインターネットというのが次の時代の変わり目だということで、スマホはその一部だとは思いますが、そのようなものが政治に対する見方を変えてきたなという感じはしています。
 今日はいろいろな資料を見せていただきましたが、内閣支持率はもちろんですが、無党派層というのが増えてきたというのも、社会の安定性という意味では決して安定した社会につながっていかない部分もあるのです。そういったものも今後メディアの変化によってどのように変わっていくのかなと私自身としては危惧しています。安定した社会はもちろん必要ですが、また変革の社会というのもある部分では必要な面もあります。政治とメディアの緊張関係の中で、どうやって変わっていくのかなと思いながら今日のお話を興味深く聞かせていただきました。「逆もののけ」の話にあったように、本当にわが国が少子高齢化の時代になっていて、これが社会的には一番大きな影響を与えると感じていますので、わが国の将来を考えるのに今日はいろいろなことを考えさせられるいいお話が聞けました。

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昭和59年卒(悟空会)の皆さま

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(終了)