第615回二木会講演会記録

『テレビでは言えない震災報道の真実』

講師:清水 御冬 氏(平成元年卒)

■講師紹介

○中道 私たちは吹奏楽部で一緒で、清水くんはトランペットと学生指揮の担当でした。肝心の勉強のほうは私と共におろそかでしたので一緒に浪人生活を送ると思っていたのですが、何と彼は現役で大学に合格しました。話を聞くと、3年生で引退した後に勉強を始めたら案外面白くて成績が伸びたというのです。私はいまだに「裏切者」と言っています。運動会でも赤ブロックのバック長として活躍されています。
 大学卒業後は2年間ハワイで勤めた後、行方不明になります。福岡の実家に立ち寄ったらしいとか東京のお兄さんの所に現れたらしいとか、そしてその時の格好はヒッピーのようだったとか、そんな話が聞こえてきて私たちの心配の種でした。後で彼に話を聞いても「サイババに会いに行っていた」とか「紅海でダイビングをした」とか「マヤ遺跡のピラミッドの上で一晩寝て過ごした」とか、そんな話ばかりで、まともな社会人になれるのだろうかと思っていました。

○福永 われわれを心配させていた清水くんですが、放浪の旅の最後の数カ月間は内閣府主催の東南アジア青年の船に乗って、そこで撮影係を任されてつくった青年の船のドキュメンタリーのようなものが皆の大喝采を浴びて、これが彼の大きな転機になり、テレビドキュメンタリー制作会社に就職されます。
 その後は精力的に感動的なドキュメンタリー番組を多数制作されて大きな賞も取っておられます。2007年からは独立して自社で制作を始め、最近は内閣府の青年の船の研修スタッフとしても活躍されています。また大学でメディア論について講義を持つこともあります。
 彼の報道のテーマは非行問題やホームレスのようなミニマムなところから、ネパール大地震や原発問題というマクロなところまで多岐にわたっています。そしてそのどれにも共通して見られるのは、彼が自分の目で見て真実に迫るという姿勢と社会の弱者に対する暖かい視線です。でもそれがお涙ちょうだいにはならず、彼の番組には全て独自のユーモアとか優しさが満ち溢れています。

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■清水御冬氏講演

■主な活動

 清水御冬、44歳です。御冬というのは本名です。私はドキュメンタリー制作のディレクターを2001年から始め、主にフジテレビの報道局で多くの番組を制作しています。2005年には総務大臣賞をいただき、その2年後には自分の会社を設立しました。同時に内閣府の委託の仕事もしていて、世界青年の船のファシリテーターや東南アジア青年の船のナショナルリーダーを務めています。
 今までに放送したドキュメンタリー番組は多分100本ぐらいはあると思います。震災の取材もずっと続けています。その他、海外にも取材によく行きます。

■ディレクターの仕事

 ディレクターというのは、日本語では監督ということになり番組の内容の全てを決めます。企画を立てて取材交渉をして、最近はカメラの性能が良くなり経費削減ということもあってディレクターが撮影をすることも多くなりました。そしていろいろな現場に行きます。ニューヨークに行ったり、警察に密着したり、一晩中パトカーの後ろを追い掛けたり、ドクターヘリに密着したりもしました。そして例えばドクターヘリの時は、1台のカメラで、患者を撮るのか救出している医師を撮るのか、またどのような角度で撮るのかとか、いろいろなことを瞬時に判断していきます。それがディレクターです。何をどう捉え表現するかを常に考えています。
 撮影してきたものはパソコンで編集し、ナレーション原稿を書きます。そして局で試写会をします。そこでプロデューサーのチェックが入り、それが終わると、今度はモザイクやテロップを入れ、そして音楽やナレーションも入れます。
 ディレクターはありとあらゆることに気を使います。昔は音楽やテロップなどは全体的に派手目につくることが多かったように思いますが、だんだんとシンプルになってきています。私も大げさなテレビではなく率直なテレビがいいと思っています。そして音楽を付ける音効さんに「もう少し広がりを持って」とか、また効果音についても、「こんなに強い印象ではないものに」と言って変えてもらうことがよくあります。ナレーションも読み方一つで雰囲気が変わってきますので、ナレーターさんに「もっと感情を込めて」とか、「もっとフラットに感情を入れないで」とかいろいろな注文をします。そしてVTRを完成させて放送します。
 一方で生放送もあります。例えば日曜日夜の「Mr.サンデー」は10時からですが、夜8時の段階でまだ編集をしています。それは時間との勝負です。5分ぐらいのVTRを「私が2分担当。きみは1分担当」と三つぐらいに分けて追い込んでいきます。それを送出のサブコントロールという部屋に持っていきます。ここでは「テープはまだか」、「そのテロップ、早く出せ」、「そのカメラ、スタジオの何とかさんを撮れ」などの怒号が飛び交ってまるで戦場です。

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■取材テーマ

 最初のころは刑務所ばかりを取材していました。ホームレスも興味がありましたのでよく取材しました。またフィリピン・パブで働いているフィリピン女性とかの外国人のこともよく取材しました。不法滞在外国人を早朝に摘発する入管Gメンに密着したりもしました。
 その中で私の大きなテーマになったのが「非行少年と熱血先生」です。非行少年に向き合っている元暴走族総長の伊藤幸宏さんを追ったドキュメンタリーで、総務大臣賞を受賞しました。この伊藤さんとの出会いは私にとってはとても大きなものでした。この熱血先生シリーズはその後「居場所をください」という番組に発展していきます。子供たちの問題、それは家族の問題なのですが、それがずっと私のライフワークになっています。「35歳のひきこもり」というのも同じようなニュアンスです。
 一方で政治家や選挙取材もしてきました。安倍晋三さんの総裁選とか、中川昭一大臣が亡くなられる直前、開票日に北海道の自宅でゆう子夫人の手料理を食べている姿を取材して放送しました。選挙特番は報道局の総力挙げてのお祭りみたいなものです。その後、日曜夜の生放送の番組で初めて殺人事件などの事件取材をしました。この社会部の仕事は貴重な体験でした。

■フジテレビ報道局で培った人脈

 櫻井よしこさん、滝川クリステルさん、安藤優子さん、髙島彩さん(あやぱん)たちと一緒に取材して、ここで初めていろいろな人とのつながりができていきました。安藤優子さんとの取材が一番多いです。彼女とは大震災の取材によく行きました。大震災は私の一つの運命を変えたと思っています。現地に行かれた方はみんな思われると思いますが、テレビだと画面の中だけですが、現場に行くと本当にすさまじいというか、圧倒的に違った印象があります。
 その後、私はフジテレビの中で福島取材の担当になります。この福島での取材が自分にとって重要な意味を持ってきます。福島は原発を中心に半径20キロで区切って警戒区域となっていて、最初はその中の様子は全然分かりませんでした。私はその中の取材の申請を関係各所に出したのですが、その許可がなかなか下りませんでした。当時の行政側は警戒区域の中の様子を見せたくないというニュアンスを感じました。その後、取材で入りましたが、それは大変な取材でした。
 放射線量が高い所には当然だれも住んでいませんが、実際には立入禁止区域にとどまった人たちがいて、その人たちを取材しました。一つの家族は、楢葉町にいる高齢の認知症の女性とその面倒を見ている60歳ぐらいの娘さんです。安藤さんもずっと認知症のお母さんの介護をしていたので、その話に共感したという取材でしたが、非常に難しい話でした。もう1人は、松村直登さんという人で、警戒区域内に残された牛たちが野良牛になったり牛小屋につながれたままそこで餓死しているのを放っておけないと1人で残っているのです。
 福島の高濃度汚染地域では震災直後、昆虫に異常が出た地域もあります。しかし、そのような状況は福島全部ではありません。それほど汚染されていない所はたくさんありますので、そこでつくっている米や果物は大丈夫なのです。福島ということで全部駄目だとは絶対に思わないでほしいのです。検査基準は非常に厳しいです。
 私たちは必死の覚悟で取材していますが、このような番組で視聴率は全く取れません。視聴率が取れないと民放では番組がつくれなくなります。視聴者が見たいものをつくるのがテレビなのです。ですからテレビは社会の鏡なのです。私はちゃんとしたものをつくっているという自負を持ってやっていますが、必ずしもそれが視聴率に跳ね返ってくるわけではないというのが一つのジレンマです。

■視線は世界へ

 私は5年前から内閣府の青年国際交流事業にスタッフとしてかかわっています。世界青年の船というのがあり、世界10カ国ぐらいから青年たちが集まってきて、にっぽん丸という船に乗って国際交流しながら旅をするのです。そこではいろいろなディスカッションコースがあって、私は情報メディアコースのファシリテーターとして彼らにさまざまなメディアの問題点を話し合ってもらいました。
 この国際交流の役をやっていると、お役所の世界とメディアの世界のギャップにあぜんとします。メディアの世界では5分で物事を変えることがあるのですが、内閣府の場合は1年前から決まっていることは変えません。それから公平性の徹底ぶりにも驚きました。ですから、自分の普段生きている世界と外の世界ではいろいろなことが全然違うこと、そしてそれは国によっても当然違うということです。異文化交流というのは全然違った価値観の人と接するので、どんどん自分が変わっていくのを感じます。
 その中で、出会った仲間たちを大切にしたいということを強く思いました。そんな時に出会ったのがガンガン会の人たちです。彼らから総会のために映像をつくってほしいと依頼があってつくったのがWorld Wide館歌でした。これはみんなの総力でできました。本当にやってよかったなと思いました。船に乗って、友達・仲間が大事だと思いましたが、それはガンガン会の仲間も同じで、その思いを強くしました。

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■今後のプロジェクト

 いろいろな経験をしている中で、少しでも世界を良くしたいと強く思うようになりました。今は日中韓のことに興味があって、どうして韓国・中国の反日感情がつくられてしまうのかを更に深く取材したいと思っています。私たちは彼らのことを何も知らずにただ彼らが反日で騒いでいるというイメージがあると思うのですが、韓国で取材して分かりましたが、彼らには彼らの理由があるのです。その理由が正しいかどうかは分かりませんが、1回ちょっとお互いに頭を冷やしてその理由を聞いてみて、そしてどうしてそうなのかを考えるような番組をつくりたいと思っています。
 もう一つは、社会を良くするための活動をしている人々の奮闘を伝えるドキュメンタリー映画をつくりたいです。この前私はネパールの人身売買の取材をしました。震災があると、ハイチでもそうだったのですが、どこでも混乱に乗じて必ずその後に人身売買とかが横行するのです。ネパールの場合は女の子たちがインドに売られています。それを阻止するための活動している人たちがいます。他にもアフリカやアジアとかで社会を良くするための活動をしている人たちがいます。彼らのドキュメンタリー映画をつくりたいと思っています。テレビでは1回で終わってしまうので、映画にして大学などで自主上映会をしてもらって学生たちに議論してもらいたいと思っています。
 そして大学などでメディアのことを教えたいと思っています。インターネット上でも批判的に情報を読み取れない若者も多いですし、感情的、短絡的な結論に達することも多いので、みんなに少し落ち着いてメディアのことと向き合おうよということを言いたいと思っています。番組制作と共に青年の育成に携わって異文化間の平和構築をしたいというのが究極的な目標です。

■質疑応答

○大園 昭和34年卒の大園です。情報メディアは民度の鏡だということでしたが、逆に民度は情報メディアの鏡でもあると思いますが、どうお考えでしょうか。

○清水 おっしゃるとおりです。卵が先か鶏が先かみたいなことだと思います。例えば韓国の反日感情なんかもメディアがつくっているところがあると思います。反日をやると視聴率が良かったり新聞がよく売れたりするのです。まさにメディアが民度を下げているということです。ですからメディアも人々と作用し合っていることをもう少し追及していきたいと思います。

○稲葉 平成24年卒の稲葉です。私は今大学4年です。周りを見ていると、批判的な視点とかメディアリテラシーの欠如は本当に感じます。テレビを見て、感情的なものの処理ができないでそのまま暴走するという流れが多いと感じます。そこは直していかなければなりませんが、そのことを教えてくれる人もいません。その辺りをメディアのアプローチで手助けができないかなと思います。

○清水 メディアを自分でつくるといろいろなことが見えてきます。私なんかがテレビを見ると、1カット1カット、行間ではありませんがカットの間が見えます。それは多分普通の人は見えないと思います。それが一種のメディアリテラシーの力だと思います。ですから私は大学で、実際にメディアをつくらせていろいろなことを教えていきたいと思っています。

○中川 昭和61年卒の中川です。私はテレビの子供番組の制作側にいて、ほとんど視聴率とは関係がない世界にいます。視聴率に左右されるというお話でしたが、今の私たちは、携帯やパソコンを見たり、それから録画したものを見たりCSを見たりしています。もしかしたらもう視聴率が指針ではなくなってきている現実があるのかもしれません。民放の方たちが視聴率にばかり踊らされることがないよう、その辺をもう少し若い人たちと一緒に清水さんたちがお考えになっていただきたいと思います。

○清水 難しいところです。報道局というのは視聴率だけではないところがあり、「これは視聴率が悪いだろうけれどもやろう」というのもあります。そこが私は好きなところでもあります。今はインターネットの普及でテレビの視聴率が関係なくなってきているのは確かです。
 今私が注目しているのはネットとテレビの融合みたいなものです。私の友人にイエメンの国境なき医師団の看護師がいるのですが、彼女が働いている病院がこの前連合軍に空爆され、空港も封鎖されたりしています。彼女は今まだイエメンにいるので、私は「行って取材したい」と言ったのですが、国内の移動ももう難しくなっていて無理だということでした。それならインターネットで中継できないかとなり、多分来週辺りにイエメンと生中継をします。それは世界に配信できます。今はもう多分そういう時代なのだと思います。
視聴率よりも大事なことを世界に向けて発信する可能性を私も追及していきたいと思います。

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■大須賀会長あいさつ

○大須賀 今日は自分の生き様をストレートに前面に出したお話を聞かせてもらいました。大学卒業後は一時期ヒッピーのような生活をされていたようですが、今は、真実を知りたいそしてその真実を伝えたい、そして少しでも世界を良くしたいという強いお気持ちからお仕事をされていることが感じられ、さすが修猷館だなと嬉しくなりました。最近のテレビ界は少し元気がなくレベルが落ちてきているように思います。まだ44歳とお若いですから、テレビの挽回に尽力していただき、一層のご活躍を期待しています。

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(終了)