第612回二木会講演会記録

『ビールのアート&サイエンス ~麦とホップが生み出すおいしさの秘密~』

講師:渡 淳二 氏(昭和49年卒)

■講師紹介

○山本 渡さんは高校1年の2学期に鹿児島の鶴丸高校から転校されてきました。その時の彼は詰め襟に革靴で、われわれよりははるかに都会っぽい印象でした。そしていきなりいい成績を取られたことを覚えています。
 私とは1年と3年の時、そして修猷学館でも一緒でした。学生時代は哲学や文学を大いに議論したと言いたいところですが、議事録には載せにくいような自由な高校時代を送りました。
 示し合わせて一緒に下駄履きで登校したり、西新界隈の本屋に行ったり、銀色の玉をはじきに行ったり、もう少し大きいガラス製の玉をはじきに行ったり、ラーメンを食べに行ったり、ラーメン屋の裏手にあった映画館で背伸びした映画を見たりしました。それ以外にも天神付近で色々大人の世界の雰囲気を垣間見たりと、自由な青春を謳歌させていただきました。
 彼はサッポロビールに入社されましたが、若いころはサッポロビールだったら飲んだだけでどこの工場で造ったかが分かると豪語されていました。

■渡淳二氏講演

○渡 私はもともと博多の出身なのですが、父が九州電力勤務でしたので九州を転々としました。生まれたのは長崎で、2歳か3歳の時から小学校6年の1学期までは博多でした。それから鹿児島に行って鶴丸高校1年の時に編入試験を受けて修猷館に転校してきました。

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 鶴丸高校は名門の品格高い高校でしたが校風はとても厳格で、逆に修猷館は全く自己責任の元の自由放任でこの校風の格差には驚きました。高校卒業後は多くの皆様方と同様、隣の修猷学館経由で人生勉強後、大学(京都)に行きました。
 そして東京でサッポロビール(株)に就職し、その後静岡の焼津にある研究所勤務や、海外ではフィンランドのヘルシンキの国立研究所に1年弱滞在、それから川口と名古屋市内の工場でビール製造に携わりました。静岡には研究や商品開発業務で長くいましたが今は本社務めで目黒に住んでいます。

■はじめに

 私は農学部で発酵や微生物関係をやりましたので、就職は食べ物関係、中でもお酒はいいなと思っていました。
 私は食とお酒を通じて、「乾杯」、「元気」、「笑顔」の世界に貢献したいとずっと考えてきました。乾杯の時はみんないい顔をしています。特にビールの場合は会話が弾み楽しい世界が広がります。

■サッポログループ

 サッポロビールは日本でも一番古いビール会社だと思います。明治2年にできた北海道開拓使の黒田清隆長官の時代に、日本の殖産興業を考える際に、ビール事業を日本人の手でやろうと考え、明治9年(1876年)に開拓使麦酒醸造場というのを札幌につくりました。これがサッポロビールの前身です。その時にドイツで修行した日本で初めてのブラウマイスター(ビール職人)の中川清兵衛をここの醸造技師に迎えました。
 今私がいるのはサッポロホールディングス(株)という会社ですが、ここでは「食品価値創造」事業と「快適空間創造」事業を展開しています。傘下の事業会社には国内酒類事業の「サッポロビール(株)」、国際酒類事業は「サッポロインターナショナル(株)」、食品・飲料事業は「ポッカサッポロフード&ビバレッジ(株)」、外食事業が「株式会社サッポロライオン」、そして恵比寿ガーデンプレイスやサッポロファクトリー等の不動産事業の「サッポロ不動産開発(株)」があります。

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■ビールの原料

 ビール造りに必要な原料は、大麦、麦芽、ホップ、水だけです。そして実際には発酵のための酵母(イースト菌)が必要になります。
 1516年にドイツのバイエルンの王だったウイルヘルム4世が「ビールは、大麦、ホップ、水だけを使って醸造せよ」という「ビール純粋令(Reinheitsgebot)」を公布してビールの造り方を決めたのですが、それが今でも基本的に生きています。
 日本では原料のホップも麦芽も9割は輸入です。大麦には六条大麦と二条大麦があります。穀粒が2列のものが二条大麦で、6列あるのが六条大麦です。二条大麦は六条大麦の4つの列が退化したもので、一つ一つの粒が大きくデンプンに富んでいてビール造りに適しています。麦芽はその大麦を発芽させ乾燥させたものです。そして、ビールになくてはならない苦みを与える原料がホップです。これは非常に苦く、かじると口の中が「いがいが」になります。水については無味無臭・無色透明で、大量に供給できることが必要になります。水の科学が進んでない昔は、その土地の水質がその土地のビールの特徴や品質を決めていました。
 発酵という現象は長い間分からないでいたのですが、19世紀にフランスの科学者パスツールが、発酵は酵母によって行われると発表して、ようやく微生物の存在と活動が分かるようになりました。ビール酵母には「下面発酵酵母」と「上面発酵酵母」があります。われわれが普通飲んでいるビールは、発酵後期に酵母が凝集してタンク底に沈む下面発酵酵母使用のものです。

■ビールの製造過程

 例えば、ワインはブドウを絞って酵母を入れて発酵させれば、ワインになります。原理的には一番簡単です。日本酒の場合は、お米を蒸して麹(こうじ)菌というカビを付けてお米を糖化させて、それに日本酒酵母を入れて発酵させると日本酒になります。ビールの場合は、麦を麦芽にしてその麦芽に酵母を入れて発酵させればビールになります。工程的には、日本酒やビール造りはワインより手が込んでいます。
 酵母が糖を食べることで、エチルアルコールと炭酸ガスが出きるのですが、お酒というのは酵母が食べる砂糖の違いによって造り方が変わります。ワインの場合は、ブドウに含まれるグルコース(ブドウ糖)をそのまま酵母が食べて発酵して、アルコールを造ることができます。ところが日本酒の場合は、米のデンプンに麹菌を掛けてデンプンをグルコース等に分解して糖にして、それを酵母が食べて発酵します。ビールは大麦から麦芽を造る過程で、麦芽の中にデンプン分解酵素(アミラーゼ)ができ、その酵素でデンプンを分解してグルコースやマルトース(麦芽糖)等の糖にして、それを酵母が食べて発酵します。ですから糖化が必要な点では日本酒とビールは同じですが、デンプンの糖化に麹菌を使うか、或いは麦芽の酵素を使うかというところが違います。
 ビール製造の流れは、まず大麦から麦芽を造ります。大麦の種を水に浸すと麦の芽からモヤシのようなものが出ます。一定の度合いまで発芽したらそこで発芽を止めて乾燥させ、そして焙燥して根を除去し麦芽ができます。その麦芽を粉砕してお湯を入れてかき混ぜると麦芽の酵素でデンプンの糖化が進み、日本酒で言えば甘酒みたいな麦の甘い汁ができます。それをろ過したものにホップを加えて煮ます。これは、ビールの苦味をこの麦の甘酒の中に移行させるための工程です。そしてそれを発酵開始温度まで冷やします。麦芽の粉砕からここまでが「仕込」です。「仕込」は大体半日でできます。
 そしてそこに酵母を入れて大体10℃以下で1週間ぐらい発酵させて、その後0℃付近で1-2カ月ぐらいの熟成工程を経て、それをろ過して製品ができます。発酵は酵母の生命維持や代謝現象の中で、アルコールと炭酸ガスを作るだけでなく、香りの成分や味の成分を造り、炭酸ガスを溶け込ませ爽快な風味を出し、ビールの泡にも関与する、一言では言い難い神秘的な現象です。
 熟成が終わったビールを次にろ過します。今はろ過機が発達して熱処理していません。「生ビール」というのは、熱処理しないビールのことを言います。昔は60℃で30分程度の低温殺菌を行いました。今の日本のビールはほとんどが熱処理しないろ過をした生ビールです。
 その後は、瓶、缶、樽に詰めるパッケージングの工程になります。これは今では、ほとんど全自動で機械がやっています。そしてパッケージング後に工場から各流通にお届けします。この時も「防振」「低温」「遮光」に配慮したトラックや輸送法を使い、大事なビールの品質保全に努めています。

■ビールの歴史

 最初のビール造りの記録は、紀元前5千年ころの古代メソポタミアに残っています。そしてその後のバビロニアやエジプトの遺跡には、ビールの造り方や飲み方の記録がたくさん残っています。基本的には今と変わらない造り方をしていたようですが、ホップはまだ使われていなくて、薬草とかハーブとかでいろいろ試していたようです。当時のビールは、麦の汁が少し発酵したぐらいで精密なろ過もされていないので、糖分、ミネラル、ビタミン、繊維質とかを含んでいて栄養補給や疲労回復に効果がある、ちょっとアルコールが入った栄養ドリンクみたいなものだったと思われます。
 ビールにまつわる壁画はいろいろあります。酔っ払いの絵や、飲み過ぎて担がれているお姫様もいます。また深酒を戒める文章も残っています。
 ヨーロッパでは、ゲルマン人がドイツに行って始まり、そこから近代ビール産業として発達してきました。ゲルマン人の女性は、パン焼きと同じようにビール造りもできないとお嫁に行けないという話もあったようです。中世では修道院で盛んにビールが造られました。
 1516年にドイツのバイエルン君主のウイルヘルム4世が、大麦、ホップ、水だけを使ってビールを造りなさいという品質基準を定めた「ビール純粋令」を発令しました。ホップはビールとは切っても切り離せないのですが、この頃にはそれ以外はだめだというぐらいまで、ホップが浸透していたことになります。
 日本では明治9年に官営ビール工場(現在のサッポロビールの前身)が最初の国営産業として発展し、ドイツのベルリンで修行をして日本人初の資格を取ったブラウマイスターの中川清兵衛をそこに技師として迎えました。
 サッポロビールは星のマークです。修猷館の六光星のマークとは違いますが、個人的には私の人生ずっと星に縁があるなと思っています。

■ビールの分類

 ビールというのは、「発酵方法」と「色」と「造られた土地」の組み合わせで分けて考えるとわかりやすいです。発酵については、上面醗酵と下面発酵、自然発酵があります。色は麦芽による色で、いわゆる黄金色の淡色のビールとか、中間的なブラウン系の中等色、それから真っ黒とか真っ赤とかの濃色です。そして造られた土地の違いがあります。チェコ、ドイツ、ベルギー、アイルランドとかでそれぞれ個性的なビールが造られています。

■日本人のビール消費量

 国別のビール生産量では日本は7位で、これは減る方向にあります。ただし1人当たりの消費量は32位で、まだ余力があります。ただ計算では1人が年間50ℓ飲んでいることになっています。この量はすごいなと思いますが、それでもチェコ人とかに比べるとかなり少ないです。
 生ビールの定義が1979年に公示され、それまで熱処理ビールが主流であったものが、1995年ぐらいには生ビールの割合がほぼ100%になりました。そして昔は瓶ビールが主流でしたが、今は缶ビールの比率がもう5割になっています。瓶ビールはお店以外ではあまり見掛けなくなりましたね。

■クラフトビール

 昨今クラフトビールという言葉を聞くと思います。定義は明確ではないですが、アメリカの定義では小規模で独立していて伝統的であることとなっています。その店でしか飲めないとか、またはその周辺でしか売っていないという感じです。大手と地ビールの違いに注目して、貴重であるとかいろいろなものをたくさん造っているとか、または造り手と飲み手が話しながら飲めるというような定義もあるようです。
 これからのビールの多様化や個性化も日本では益々進んでくると思いますし、街の地ビール屋さん的な感覚で若い人たちが面白がっていろいろなビールを造っていることになると思います。

■銀座ブラウン

 銀座ミツバチプロジェクトと言って、銀座の「紙パルプ会館」の屋上でミツバチを飼育して養蜂を行い、そこで採れたハチミツを使って銀座のデパートやお店で食べ物やケーキや化粧品をつくっている活動があります。元々は、銀座がミツバチも飼育できる自然的にもよい環境であることを示し、より銀座が人に優しい街であることを発信して行きたいということが目的でもあります。そこの田中専務から「サッポロさん、何か一緒にできませんか」と誘われました。もともとサッポロビールの本社は銀座にあったということと、日本最初のビアホールは銀座にあったという歴史的な縁もありましたので、何かできないかと考えました。
 ミツバチは花から蜜を吸ってくるので、その時に多分体に花酵母みたいなものを付けてきて、それをうまく採ることができれば、それでビールができるのではないかと思いました。銀座界隈の2-3㎞以内から蜜が集まるらしいので、銀座周辺の公園や街の花壇や街路樹辺りからいい酵母が採れると面白いかなと思ってやり始めましたが、お酒造りに使える酵母というのがなかなか見つかりませんでした。長丁場の中でうちの研究員をなだめながらやってもらい、2年近くかかってようやくおいしいビールが造れる酵母が採れました。
 これを商品化して「銀座ブラウン」という名前を付けました。これは通称「銀ブラ」と言います。始めてから2年6カ月でようやくお披露目ができました。そして2013年よりネットで販売を始めました。
 このような銀座の活動に対する支援も銀座への恩返しの一つかなと思っています。ミツバチは極めてナイーブな生き物で、ミツバチが住める環境と言うのは自然環境として優れているということです。銀座を微生物的、生物的に見ると、ミツバチはいるし酵母もいて、ビルや雑踏の人為的な世界だけではないという感想です。

■最後に

 ビールを飲むときは、「胸を張って」「背筋を伸ばし」「脇を締めて」、ビールを「喉にがつんと当てて」喉から食道に直線で落とし込むイメージで飲むことが大事です。間違っても舌の上でころがして飲んではいけません。苦いだけです。喉の感覚を鍛えて喉で飲むということが分かり出すと、これほどおいしいものはありません。ビールは苦くてまずいと言っておられる方の大半は、舌の上で飲んでいるのだと思います。正しくビールを味わう飲み方を励行していただきたいと思います。また、お酒は適正飲酒で節度を守り、料理を楽しみ、会話を弾ませながら、スマートで豊かなビールライフをお楽しみ下さいますよう、宜しくお願いします。

■質疑応答

○久保 昭和54年卒、大学も後輩の久保と申します。タンクは年間で何サイクル回っているのでしょうか。生産量の調整をどのくらい前から決めているのでしょうか。

○渡 タンクは発酵タンクと熟成タンクの2種類あります。発酵タンクは大体1週間、熟成タンクは1、2カ月で回転していますが、品質や季節によって違いますので一概には言えません。生産量はまずは年間計画量がありますが、市場での需給をよく見ながら、品種の種類や製造期間を加味して、かなり前から生産計画を立てて対応しなければなりません。

○横大路 41年卒の横大路と言います。今は100%ほとんどろ過で生だということは瓶ビールも生だということなのでしょうか。

○渡 はい。今、中身の液は瓶も缶も樽も皆同じです。それを瓶に詰めるか缶に詰めるか樽に詰めるかだけです。サッポロビールには「サッポロラガー」という赤い星のラベルのビールがあります。これだけは熱処理をする昔風の造り方をしています。これが日本で火入れ(熱処理)されている大手メーカでほぼ唯一のビールです。

○横田 44年卒業の横田です。御社のコマーシャルで「ミュンヘン、サッポロ、ミルウォーキー」という世界の3大ビール産地を取り上げたものがありました。私はその三つの都市がほぼ同じ緯度にあるからおいしいビールができるという意味だと理解していたのですが、今日のお話ですと、ミュンヘンは硬水で、ミルウォーキーは軟水だということです。札幌の話は出ませんでしたが、その辺の背景のお話を聞かせてください。

○渡 札幌は緯度的には少し南かもしれませんが、宣伝ですから大体北緯が同じぐらいの3都市ということだったのかもしれません。世界的なビールの大生産地というのは冷涼な所で、それなりの歴史・文化的ないきさつがある所にあるということです。ミュンヘンはもちろんそうですし、ミルウォーキーはアメリカのドイツ系移民がたくさん入ってきた所です。札幌は冷涼で低温発酵のビールを造るためにいい土地だったということです。
 ビールの水の科学が発展したのは20世紀に入ってからで、それまではよく分かっていませんでしたので、その土地の水質がその土地それぞれの特徴を持ったビールの香味や品質を決めていました。軟水がいいか硬水がいいかとかいう考え方ではなくて、その土地に合ったビールということです。ミュンヘンでは水の硬度が高いので、できたビールは色もやや濃い目で味もしっかりしたものでしたが、ミルウォーキーは軟水ですので、チェコのピルスナータイプのような色はやや薄目で爽快ですっきりした香味のビール造りに向いていたわけです。日本は軟水が多いので、ピルスナータイプのビール造りに向いている所が多いと思います。

■大須賀会長あいさつ

○大須賀 日本で一番飲まれているビールは、サッポロでもアサヒでもキリンでもなくて「とりあえずビール」だという笑い話があります。そのくらいビールというのは日本人に浸透している飲み物だと思います。今日は初めて聞く話がたくさんあり、聞き応え、飲み応えのあるお話でした。
s_DSC4876.jpg  ビールの消費が落ちてきているというお話がありました。消費が落ちてきたから発泡酒とか第3のビールが出てきたと思われているかもしれません。また税金が高いからだと言う人もいるようですが、私は本物のおいしいビールをもっと正面に出していけば売れると勝手に思っています。

(終了)