第590回二木会講演会記録

『カフェのある風景を創る』

講師:楠本 修二郎 氏 (昭和58年卒)

■講師紹介

○伊藤 我々は昭和58年卒で、来月で卒業後ちょうど丸30年になります。楠本くんはバンカラな修猷館の中ではおしゃれな雰囲気を持った高校生でしたが、学業成績についてはいまひとつだったと記憶しています。彼は一浪して早稲田大学の政経学部に入学しましたが、私とは大学が違いましたので大学時代は彼との交流はあまりなかったのですが、当時の早稲田の花形のサークルで幹部として活躍していることは人づてに聞いていました。そんな彼と私は、最初に就職したリクルートコスモスという不動産会社の内定式で思わぬ再会を果たしました。この会社は若くて元気のある会社で我々の同期からも多くの起業家を輩出しています。

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 私はその後アメリカに4年間留学したのですが、97年に帰国して、あるとき東横線の高架下に飲み屋さんのようなカフェのようなところがあって入ってみたらそこに彼がいて、また偶然の再会をしました。そこは彼の店でした。あの渋谷交差点のスターバックスがお店を構えたのが20世紀の末ですので、彼は1997年の時点で既に自らのカフェを開いていたことになり、私は彼の先見性に驚いた記憶があります。私がすばらしいと思うのは、彼は修猷館のころから自分自身のスタイルをきちんと持っていてそれを大事にしていることです。彼は自分のスタイルを貫いて30年間走り続けてきた男なのだと思います。

■楠本修二郎氏講演

○楠本 (伊藤)盛明くんに過分な紹介をいただき話しにくくなりました。当時の成績はおっしゃるとおりでかなりの低空飛行をしていました。高校時代はサッカーをやったりバンドをやったりもしていました。それから赤ブロックで副ブロック長もやりました。運動会で6-7-6ピラミッドが成功したのはとてもいい思い出です。

■はじめに

 私が大学生だった85年から88年ころは景気が良く、大学生がマーケットリーダーみたいになってきている時代でした。私は昔から企画好きで何か面白いことをやってみようといつも思っていて、その気持ちは今でも当時と変わりません。遊び心を持って大人のいたずらをやってやろうと考えています。

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 私は学生のときから何か場をつくってその場が持つエネルギーを活かすことを自分の一生の仕事にしたいと思っていました。それで就職先として不動産会社を選びリクルートコスモスに入りましたが、入社した年の6月にリクルート事件が始まりました。そしてその年の9月に私は社長秘書に任命され、その後3年間は、社長のかばん持ちをしながら、対応に追われる日々でした。

 その後、子会社の内装会社に転籍しましたが、私のボスがリクルート事件の引責辞任をするに至り、私自身は大前研一さんのところに行くことにしました。そして平成維新の会という市民運動団体の事務局長として47都道府県を回遊し、そこで日本の地方の多様性を実感しました。そして地元のお偉い方と学生とが喧々諤々と同じ目線で熱く語り合っている姿を見て、とても面白いと思いました。それは企業ではなく、市民運動団体だからこその姿だったのです。しかしその議論の場は公民館や居酒屋系のお店が多く、みんなの考えとか在り方をポジティブにより前向きに元気にさせてくれるような場の必要性を感じました。このとき、フラットな環境の中で地域全員のコミュニティを考えていくという概念ができあがり、それが後の創業のきっかけにもなりました。

■カフェ・カンパニー

 創業したのは2001年の6月です。東急電鉄東横線の高架下の地域の活性化ということで1号店を開き、現在は73店舗です。社員が240?250人で、飲食店の直営と都市・商業企画プロデュース、設計・業態開発プロデュース、地域の活性化、プロモーション、それからメディア事業もやっています。年商が来期予定で95億円ぐらいです。

 私は別にコーヒーショップという業種・業態的なカフェをやってきたのではありません。「風景を創る」という方向性の中で、地域に根差した活き活きとしたコミュニティ型社会を実現することを目的としてきています。

 「成熟化した都市には3rd Place(サードプレース)が必要になる。3rd Placeというのは、家でもない職場でもない第三の場所だ」という1980年代にレイ・オールデンバーグという社会学者が提唱した言葉があります。これはスターバックスの創業者のシュルツさんも使っている言葉です。私たちもこの「3rd Place」という考え方を取っていますが、そこから発想を転換して、「家でもあり職場でもある第三の場所」をつくろうと考えました。

 私は「食(Tabe)/旅(Tabi)」という言葉が好きでブランドにもしています。「食」は命で、「旅」は人生だと思っています。私たちがやりたいのは、食べることと人生のチャレンジをしていく中でその地域に根差したコミュニティをつくっていくことです。

 これまでに、カフェと「文化」、カフェと「暮らし」、そしてカフェと「健康」を繋いできました。そして最後にカフェと「農業」を繋ぐことをしています。このように繋げていくことがカフェの役割だと思っています。そんなことでお店がいつの間にか73店舗になりました。

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 もう一つの方向性は「土地の記憶をリスペクトする」ということです。渋谷と原宿の間にキャットストリートという通りがあり、97年からここの開発を始めたところがカフェ・カンパニーの始まりです。ここは裏原宿と言われているところで、当時そこには若者たちのベンチャー気質があふれてきていたので、そのキャラクターをつくっていこうと開発を始めたのです。そしてその功績が認められ東急電鉄の東横線の高架下に「SUS」というカフェを創りました。この店がうちのカフェ・カンパニーの創業店舗です。

■事業例

 現在は主力ブランドの「WIRED CAFE」とを始めとして、「COOK COOP CAFE」や居酒屋・バル業態の「どいちゃん」、こだわりのコーヒーを提供する「CAFE SALVADOR」などを展開しています。。それからららぽーと豊洲という海の近く商業施設の地域性を活かして「OCEANS BURGER INN」というお店もやっています。

 また地域性重視の「立地創造型」のカフェもあります。国道246号線の起点である青山1丁目エリアはHONDAさんや日産グループの本社ビルだったところもあり、日本のモータリゼーションの夜明けを象徴する場所です。ここに旅とドライブをテーマにした「CAFE246」というカフェとその隣に10坪ほどの小さなスペースで「BOOK246」という本屋さんをつくりました。また本屋さんは、食をテーマとした「COOK COOP」というお店もやっています。これは更に小さくて6坪しかありません。これらの本屋さんやカフェから人のネットワークが繋がっていっています。

 また同じ趣味やライフスタイルの方が集うコミュニティの場として「WIRED CAFE<>FIT」というフィットネスや、音楽イベントなどを行う「SECO BAR」というお店もあります。

 また手がけているのは飲食店だけではなく大人向け写真館の設計や、ホテルの内装やマンションの共用部の設計デザインも手掛けています。

 それから、他企業様とのコラボレーション店舗もございます。渋谷や大阪に店舗を構える東急ハンズとのコラボ店舗「HANDS CAFE」京都ではサントリー食品インターナショナルと「伊右衛門サロン京都」という日本のお茶の文化を世界に発信するお店でご一緒しています。また銀座三越ではJA全農と「みのる食堂」と「みのりカフェ」を展開しています。それから、吉祥寺では、漫画雑誌をつくっているコアミックスと共に漫画の世界をカフェを通じて発信する「CAFE ZENON」をつくりました。これも人気店になっています。

 「商業開発事業」では、大阪の商業施設「Chaska茶屋町」のコンセプトメイキングに携わりました。また越谷の「イオンレイクタウン」のコミュニケーション・デザインもやらせていただいています。それから表参道の交差点近くに屋外型の商業施設「246COMMON Food Carts&Farmer's Market」もつくりました。場所には場所の特性があって、それをうまく引き出してライフスタイルとつなげば街はもっと元気になると考えてこのような事業もやっています。

 「地域活性化事業」においては、千葉の市原サービスエリア(上り)の一括受注して、千葉の名産を味わうことのできるマーケットプレイス「TABE TABI MARKET BOSO FOOD CENTER」を運営しているほか、清水のPAや海老名のSA、岐阜の恵那峡SAも手掛けています。

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■日本をもっと元気に

 今、日本は恐ろしい勢いで人口減少型社会を迎えています。このことは悲観的に語られることが多いのですが、逆の発想で「ラッキー」と思うことから始めてみてはいかがでしょうか。人口が半分になるということは1人当たりの国土が倍になるということです。昔、「所得倍増計画」というのがありましたが、ここでは「国土倍増計画」と言いたいところです。ライフスタイル大国に向けての発想の転換をしたらどうかと思います。10年前から「モノからコトへ」と言われていますが、今は「コトからヒト。ヒトからストーリーへ」という流れではないかと思います。共に楽しむ活動の場づくりをして繋がりをつくっていきそこから元気にしていくということだと思います。日本人のいろんな生き様やライフスタイルや感性でもっとチャンスをつくっていくべきだと思います。まだまだ日本はチャンスを活かせていないと思っています。発想を切り替えるだけで物事の景色は大きく切り替わります。

 マーケティングの大家のフィリップ・コトラ―は「もういまやマスマーケティングの手法は通用しない。これからは人の時代になる。コンテキストの時代になる。人と人の繋がり方が新しい消費を生む時代になってくる」と言っています。アブラハム・マズローは自己実現欲求の上があり、それはコミュニティ発展の欲求と言われているようです。つまり自己実現の先には横の繋がりをつくっていきたいという欲求になるのだそうです。成熟化した社会の中で3rd Placeが必要であるといったレイ・オールデンバーグの言葉と相通じるものがあるような気がします。

 世界に目を向けると、いまや都市間レベルでクリエイティブ競争の時代に入っています。パリ農業祭や、ロンドンで開催されたオリンピック、ニューヨークのハイラインという再活性化プロジェクト、ミラノサローネというアートイベント等は世界に向けての大きな発信力を持っています。またシンガポールのリー・クアンユーは、SARSというピンチを経てシンガポールを世界中の細菌学者が集まるバイオタウンに変貌させました。

 カンヌと言えば国際映画祭、サンセバスチャンは美食の街です。またポートランドという街はオルタナティブカルチャーで、人口60万人に過ぎないのにMONOCLEが選ぶベスト7の街に選ばれています。このように地方都市の発信力を高めてメッカ化していくこともやっていきたいことの一つです。

 日本の過去を振り返ってみると、岡倉天心は『The Book of Tea』の中で、「西洋文明には東洋の文化が必要だ」と説きました。そして1900年のパリ万博で日本のモダニズムが開花しました。戦後には丹下健三さんが都市の新しい代謝を図っていこうとメタボリズム運動というのを展開します。当時の建築家は50年後100年後の東京はこうあるべきという未来構想を掲げて都市論を展開しました。その結果の一つが1960年の東京オリンピックでした。オリンピックというと当然スポーツの祭典ですが、実はそれによって武道館ができて、武道館はいまや名だたるミュージシャンが世界中から集まる音楽のメッカになっています。つまりオリンピックはスポーツだけではなくて50年後100年後の都市のライフスタイルや生き様を構想する場でありチャンスでもあると思います。私はやはり東京は面白い街だと思いますし、福岡もとても面白いと思います。日本のそれぞれの地域や都市が都市構想や自分たちのライフスタイルの構想を、きちんとというより、わくわくしながら遊び心を持ってつくっていく中で新しいものができていくと思います。

■COOL JAPAN 構想

 私は「食」を中心としたいろいろなライフスタイルを繋いでいくことが自分の仕事だと思っています。そして今、経済産業省が進めるクール・ジャパンというプロジェクトの有識者委員とクリエイティブ・プロデューサーという肩書を拝名していますが、カフェをやる発想とクール・ジャパンで地域連携を図っていこうという発想は私の中では全く同じものです。

 海外から見てどのように地域を連携して一つの繋がりを持たせるかということが大事だと思います。食を中心にして「文化」、「暮らし」、「健康」、「農業」を繋いでいきたいと思っています。

■東の食の会

 東北を経済から元気にしようという「東の食の会」という会の代表をやっています。いろんな繋がりの中で東北の支援も含めて日本を元気にしたいという修猷の諸先輩がいらっしゃいましたら、ぜひ一緒に頑張らせていただきたいと思います。

■質疑応答

○タナカ 58年卒のタナカです。楠本くんがやっていることは人を巻き込むことだと思いますが、そうすると当然抵抗勢力もあると思うのですが、そのときにどのようにしてプロジェクトを進めていくのか、そのコツとかヒントを教えてください。

○楠本 全く能天気で抵抗勢力というのは考えたことがありません。ただ、私はコンセプトに不動なぶれないことがあれば、そんなに抵抗勢力というのはないのではないかと信じています。これまであまり抵抗勢力に遭ったことがありません。

○ミツバタ 昭和20年卒のミツバタと申します。60年間、町の不動産屋として生涯現役で頑張っています。「東の食の会」についてお話がありましたが、この会に入会するのにはどうしたらいいのでしょうか。(笑い)

○楠本 一般会員を募集しています。ウェブサイトもありますが、今日は私の秘書も来ていますので、この後、ぜひご案内したいと思います。

○?? 私は26年卒です。例えばアメリカに行ったマクロビオティックの久司さんという人がいますが、あのようにもっと日本から世界に発信して日本の本来の食を採り上げるような企画をやってください。「東の食の会」やあなたの会社でそのようなことはどうお考えになっているのでしょうか。

○楠本 例えば「東の食の会」の理事に入っている立花貴という男は、伊藤忠に勤めていたのですが、震災後に宮城に入って漁師になりました。漁師さんや農家さんの活動というのは、日本の中でも見えていないし、ましてや世界に向けての発信が全くなされていません。彼は地域活性化や日本の食文化の世界への発信をやろうとしています。

 「東の食の会」は農家さんと大企業の経営者をマッチングして食べ物から支援をしようということから始まったのですが、一番大事なことは、その地域のために頑張っている農家さんをヒーローにすることだと思っています。ですからメディアの人やクリエイターを一緒に連れていって、その人たちを世界に向けて発信しようと、まさにクール・ジャパンと掛け合わせながらやっています。やりたいことは世界に向けての日本の食文化の発信です。

 それからマクロビオティックに関連した話ですが、今は日本食レストランが世界で5万軒を超しているのではないかと言われています。しかし、いわゆるちゃんとした日本食が世界に発信されているかというと、そこには少し問題があると思います。日本食のうまみとか出しのような世界に誇れるものをしっかり発信していく活動がカフェ・カンパニーとしては重要なことで、このことは引き続きやっていきたいと思っています。

 もう一つは食育の話があります。今、天然だしの違いが分からない小学生が60%もいます。日本人は工業的なだしに慣れてしまって、天然だしを分かるDNAを放棄しようとしているように思えます。味覚がないと料理人にはなれませんから、そうなると20年後、30年後には「吉兆」の徳岡邦夫や「菊乃井」の村田吉弘はもう生まれなくなります。その危機感も一方ではあります。世界に発信するということと、日本の中で食育をどうするかという、この両方が大きな問題ではないかなと思っています。

(終了)