第584回二木会講演会記録

『欧州危機の現状と展望』
講師:田中 素香(たなか そこう)氏 (昭和38年卒)


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○渕上 修猷館時代の彼はエネルギッシュな頑張り屋さんで、九州大学の工学部電子工学科に進学しました。当時は電子工学というと時代の最先端の分野でしたが、卒業と同時に経済学部に学士入学しました。その後大学院から助手になり、下関市立大学の助教授になりました。そのときドイツに行ってヨーロッパ経済の研究を重ね、帰国後、東北大学の経済学部の教授になりました。そして我が国におけるヨーロッパ経済の第一人者として現在に至っています。
 素香という名前は珍しいのですが、この名前は山本有三の『真実一路』という小説の中に主人公のおじさんの名前で出てきます。私は彼と50年以上のお付き合いがありますが、彼の生き方は真実一路そのものだと思っています。
 2年前のギリシャの問題から、EUの信用不安が始まったわけですが、そのときにNHKの「クローズアップ現代」という番組に出て解説をしています。フランスの大統領が変わるなど、EUで再び信用不安が起こるのではないかという気配もあり、彼の出番がまた近づいた気もします。皆様方が次に彼に会われるのはテレビの画面かもしれません。

■田中素香氏講演
 去年の秋に二木会の方からユーロ問題でお話をしてくれという依頼がありました。年が明けて5月になれば少しはしずまるだろうからと5月にお願いしたのですが、なかなかしずまりそうにありません。今は中間総括みたいなことしかお話ができませんが、その点をどうぞご了承ください。

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■欧州(ユーロ)危機とは?
 通常は1国1通貨で、国があって通貨があるわけです。しかしヨーロッパは多数国1通貨という資本主義の歴史にはない独特の通貨制度を採用したので、そこに新しい問題が生じています。ユーロは17カ国が加盟していて、共通の中央銀行制度がつくられています。統一通貨は中央銀行をつくらないと流通できませんので中央銀行をつくったのですが、国はつくっていません。ユーロ圏の財務省もありません。
 ドイツもフランスもできるだけ自分の国の権限は維持しておきたいと、ユーロはつくってもユーロの制度には最低限の権限しか与えていませんので、例えば危機管理の対処は全部各国に委ねられています。ユーロは平時の通貨としてつくられましたので、うまくいっているときはいいのですが、いったん世界金融危機が起きてしまうと大変な対応を余議なくされています。
 もともとユーロは先進国だけでつくるつもりだったのですが、南欧諸国がどっと入ってきて途上国と先進国が混合してしまい、その弱いところにひずみがでてしまったのです。このように、危機の要因として設計図と現実の食い違いがあります。

■危機前、ユーロの評価は高かった
 「規模の経済」と言って、工場でも大規模生産するとコストが下がって経済的利益が出ます。通貨の場合も同じで、使用する範囲が広ければ広いだけメリットがあります。しかし逆に多数の国を組み合わせるのは無理というところもあり、プラス面とマイナス面を両方持っています。それでも世界初の統一通貨として1999年にスタートし、リーマンショック前の2008年まではヨーロッパの基軸通貨になり、中・東欧を含めてヨーロッパに為替相場の安定を確保し、ユーロ圏の物価は安定しました。世界の外貨準備に占めるユーロのシェアも26%まで上昇してドルに次ぐ国際通貨になり、ヨーロッパの通貨秩序を維持する点では大きな効果がありました。為替レートも一時は1.6ドル、170円まで上昇しました。今でも、ユーロの対ドル相場だけを見ると、そんなに大危機かという感じもします。
 欧州統合は1950年代の石炭鉄鋼共同体から始まりました。そして次の1960年代はEECで、アメリカ・ソ連の超大国に対抗して西ヨーロッパの復興を遂げるのが主たる目的でした。1970年から1984年ぐらいまでは統合は停滞するのですが、85年から単一市場統合が始まります。単一市場は商品・サービス、資本、人の域内自由移動を保証するという大きな1国経済みたいなものです。そしてこの単一市場が成功して経済統合の力が見直されて、通貨統合に進もうということになるわけです。このようにして50年かけてユーロが実現しました。
 ユーロ圏の人口や経済規模をアメリカと比べると、ほとんど匹敵していて、日本よりもずっと大きくなっています。EUは現在27カ国、このうちユーロ圏は17カ国です。
 世界的に見ると、2007年ぐらいまではイギリスと北米(アメリカ)が世界の金融の中心でした。その中でサブプライム危機が発展していきますが、そのときEUはもうユーロでした。ユーロ圏には為替リスクがなく、そのとき南欧には少しリスクプレミアムがあり金利が高いので、西ヨーロッパの銀行は一斉に南欧に進出して大量の資金を南欧に供給しました。また北欧諸国はバルト3国に進出して、ヨーロッパの中でのユーロを使った先進国の一種の経済的支配が進んでいきました。

■欧州(ユーロ)危機の発展
 このように巨額な資金がギリシャやポルトガルやスペインに流れて、経常収支の赤字がGDP比で2桁になりました。銀行も調子に乗り過ぎていました。そこにリーマンショックが襲い、民間資本がリスクに敏感になって入らなくなり、次々に危機が起きてきました。
 最初は、2010年の4月から5月にかけてのギリシャのデフォルト危機でした。大量の資金を貸している民間の銀行はパニックになりユーロも暴落しました。このときはEUとユーロ圏とIMFが協力してギリシャに1,100億ユーロを融通してデフォルトを回避しました。
 同じような状況はアイルランド、ポルトガルにもありました。2010年の秋から2011年の春に掛けて、やはり悪くするとデフォルトかとなりましたが、しかしこのときにはもうユーロ圏とEUとIMFの対策ができていましたのであまり大きな騒動にはならず、お金を貸して順調に鎮静化しました。
 しかし、去年の夏にギリシャがまたデフォルト危機になりました。今回はスペイン、イタリアにも波及しました。一時は、ベルギー、オーストリア、フランスにも危機が波及して総力戦の様相を呈しましたが、最後は去年の12月21日と今年の2月29日の2回、欧州中央銀行が計1兆ユーロの資金を銀行に供給し鎮静化しました。中央銀行というのは本気で動くとすごいです。ただ今年の春からは、スペインの財政赤字の縮小が進まず焦点になっています。それから総選挙の後のギリシャがまた問題です。ギリシャは3回目です。「仏の顔も三度まで」と言いますが、そんな感じになってきています。
 しかしユーロ危機と言ってもドイツは全然危機ではありません。悪いのはギリシャ、アイルランド、スペイン、ポルトガルとかの南欧系の国です。ギリシャとドイツの賃金上昇率格差を見てみると、ギリシャは2000年から2009年まで物価上昇を大幅に上回る賃金上昇です。ドイツは生産性と見合ったかたちで賃金が上がっています。ドイツは全然違う国なのです。労使協調ですし、勤勉ですし、ルールをよく守り、アテネとは対照的です。危機のときは一緒に落ち込むのですが、回復はドイツが圧倒的に勢いがあります。
 調子がいいときは南欧がいいのですが、危機のときはドイツも入れた北欧諸国と南欧諸国との経済力の格差がはっきりと出ています。

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■危機対策
 ユーロ圏はギリシャ以外の南欧諸国向けに7,500億ユーロの基金を準備しました。ECB(欧州中央銀行)は危機の国の銀行破綻が起きないように気を配っていて、去年はアイルランドの銀行に融資をしています。
 去年の夏から冬に掛けて非常に厳しい世界金融危機になるのではないかと言われました。その発端はギリシャです。東大の山内昌之さんは「事実上あの国は破綻している」と言い、サルコジ大統領は「ギリシャは危機をまん延させたウイルスだ」と言っています。そしてギリシャから他の国へも波及しました。
 ギリシャというのはいわゆるヨーロッパではありません。社会の基礎をなす価値観はオスマントルコ支配の時代にできたと言われています。それは「賄賂とコネ。国会議員はパトロン」の世界で、国営部門に就職するのが最高という社会です。そしてオスマントルコの支配ですので、ルネッサンス、宗教改革、科学革命、啓蒙主義、仏革命、産業革命などの西欧史の大変革からは隔絶されていて関与していません。独立しても、イギリス、フランスに借金すると高い金利を取られ、デフォルトすると痛めつけられ、またギリシャ正教会もカトリック教会からはいじめられていて、反西欧という意識が強くあります。そして「自分たちはビザンチン帝国の栄光を支えたのだ」と思っています。これはある意味では事実で、ギリシャ人の知識階級がビザンチン帝国を支えたのです。そのような威光を追求してギリシャの独立後1世紀ぐらいは、バルカンでギリシャがリーダーになるのだという夢が支配していました。今はさすがにそれはないと思いますが、とにかく西ヨーロッパから見てもちょっとやりにくい相手です。
 ギリシャは選挙の度に年金制度などで大サービスをします。それが国力と合わないと、以前でしたら無理がたたって財政赤字からインフレになり、ドラクマを切り下げて経済が混乱するのでしょうが、しかしユーロですので物価が安定して金利が安いのでギリシャ人はちょっと調子が狂ったのです。
 そしてEUやIMFはローンをギリシャに供与する代わりに、構造改革、労働市場改革、競争力強化、市場開放、教育改革を求め、ギリシャの国営・公営依存の閉鎖的国民経済を近代化し、開放経済にしようとしました。それもかなり急激にやろうとしたので国民は猛烈に反発して放火したり暴動を起こしました。
 ヨーロッパの銀行がPIIGS諸国(ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペイン)に貸し込んでいる債権の額は、危機以後は下がってはきていますがゼロにはできていません。ユーロのお陰で金融統合が進んでしまっていてなかなか元には戻れないのです。
 今回の危機は、金融・銀行危機、ソブリン危機が共振し合っていて、そのバックには構造問題があります。金融危機対策としては基金の資金量を引き上げ、ソブリン危機に対しては各国の財政緊縮を要求しましたが、これが少し行き過ぎました。そして結局、「ドラギ・マジック」です。先に述べたように欧州中央銀行が合計1兆ユーロの資金を銀行に供与して一段落しました。

■危機の中間的評価
 今一番心配なのはスペインです。スペインはマイナス成長の中で財政緊縮を強いられています。ラホイ首相はEUに「それは無理」と言うのですが、何しろメルコジ体制ですので大変です。マイナス成長の中での財政緊縮は大変なことです。公共工事はほとんど中断、教育や病院や研究開発も次々にカットになっています。これはいくら何でもやり過ぎではないのかと思いました。
 そこにフランス新大統領にオランドさんが選ばれて「経済成長と雇用の促進」をスローガンに掲げました。彼はメルコジのドイツとフランスが財政緊縮を押し付け過ぎたと批判し、フランスの財政赤字カットを緩め、成長と雇用のために公共投資を増やし、その金は富裕層、大企業、大銀行に増税するというのです。私は彼に期待しています。
584_04.jpg  ただ、ギリシャの総選挙が同じ5月6日にあり連立政権与党が惨敗しました。ギリシャは財政緊縮を受け入れて第2次支援を受けましたが、それは第1次支援で足りなくなったギリシャのGDPの約8割の資金を、安い金利で提供するという破格の支援でした。ところがそれを批判した野党が過半数になりました。第1党の新民主主義党が連立工作をしましたが破綻しました。そうするとギリシャの選挙法で30日以内に再選挙です。どうなるかわかりませんが、EUの言うことを聞かずEU側が支援を止めればもちろんギリシャは即、デフォルトです。そうなれば出ていくしかないと思います。
 EUはオランドさんの当選を受けてもう動いています。今まではメルとコジが一緒のメルコジでしたから、他の国の首脳も言いたいことが言えずにいましたが、オランドさんの当選で一気に自由発言になっています。これから随分いい方向に変わっていくと思います。
 しかし、そこにギリシャがくっ付いている状況です。今は民間資本が預金を含めて南から流出を続けていて元に戻っていません。元に戻れば安定するのですがそれは期待できないでしょう。そうすると、国家間で財政同盟をつくって大規模支援をして、南を落ち着かせて全体をどう構築できるかになります。国をつくるかユーロ圏に財務省をつくるかという提案もあります。いずれにしてもまだまだ2010年代いっぱいかかるような話だろうと思います。
 ユーロの崩壊はあり得ません。ドイツが一番得をしていますので、ドイツが崩すはずはありません。ただギリシャが事あるごとに水を差していますので、この国のユーロ圏離脱の可能性はあります。ただ、その他の国の離脱はないと思います。ヨーロッパは本気でやればできます。ただ本体も大きいので大変です。今後はメルコジに代わってメルコランドと言うらしいのですが、独仏の連携がこれからどのような進展を見せるか、皆さんも関心を持ってご覧いただければと思います。

■質疑応答
○?? 今日は、通貨・金融という側面から詳しくお話しいただきましたが、この根源には、やはり政府体制というか社会民主主義的な問題を持った国々が引っ掛かりそうで、その代表がギリシャだと思います。その辺のところを少しお話し願います。
○田中 十分に産業が発展を見せていない後進資本主義の段階で、雇用をどうするかということです。その場合はやはり国が出てこないと雇用問題もなかなかいい方向に向きません。国が出て国営ということで外国の競争を遮断するわけです。すると国としての競争力がなくても、とりあえず就職はできるし賃金も上がります。賃金は国債を発行して借金で賄うということになります。そして、一応民主主義で労働者も1票を持っていますから、労働組合も強くなります。
 ポルトガルやイタリアにもその辺りの問題があって、労働市場の弾力化が難しくなっています。そして今はグローバリゼーションで昔のように国が守ってやるという流儀が通用しなくなっていて、そこに基本的なジレンマがあります。昔はそれでよかったのでしょうが、競争力から見ると労働組合の保護が過剰になってきています。EUでもっと産業政策を実行してスペインとかポルトガルの産業力を付けていく方向に行けばいいのですが、そうはなっていません。
 そうするとどうするかですが、ヨーロッパを大きなイタリアと考えるといいと思います。イタリアは、北イタリアの勤勉な工業・サービス業から税金で取り上げたお金を南イタリアにつぎ込んでいます。ですから、ドイツなどの北の部分が腹をくくってお金をある程度出すようにすれば、ギリシャ人もむくれなくなるでしょうし、そういう制度が必要なのだと思います。
 フランスがオランドさんに代わり、今、ドイツの新聞には「メルケルの孤立が心配だ」という記事がたくさん出てきています。これからドイツとフランスの新しい関係ができてくると様子が変わってくるかもしれません。

○?? あらゆる危機もいずれは何らかのかたちで解決されるのでしょうが、ヨーロッパ危機を長期的に見ると、結局はインフレ的な手段でしか解決できないのではないかと思われます。その辺はどうお考えでしょうか。
○田中 欧州中央銀行の唯一の使命は物価安定なのです。ですからインフレは許可しません。ただEUレベルでは、欧州投資銀行が100兆円ぐらいのお金を集めて、今止まっている公共土木事業を再開していくとか公共投資をやっていくという方法もあります。また欧州投資銀行は債権を発行することもできますので相当の金額は動かせます。ユーロ圏の人たちはお金は持っているので、問題はその使い方だと思います。
 私自身は今回の危機が結局インフレで終わるとは思いません。インフレを起こさないで、財政緊縮路線はやりながらも、基本的にはやや緩めながら成長もということです。その辺がヨーロッパ人の頭の使いどころだと思います。そこの狭い道を追求していくしかないと思います。オランドさんが入ってそれが動き出したのは明るい面ではないかなと思います。

○土肥 為替を切り下げる浮揚政策がこの1年、2年で展望できるのでしょうか。同志社大学の浜先生は、所得再配分の制度もないのだからユーロは存続が不可能という話をされていて、やはりカレンシーとしては過大に評価され過ぎているのではないかなと思っています。いかがでしょうか。
○田中 ユーロ圏の中では為替は動きませんので、ドイツにとってはありがたいことです。例えば、日本だとちょっと良くなると円高になってドルだけでなくウォンとか人民元も気にしないといけないのですが、ドイツは気にしなくていいのでユーロ圏の内部でのドイツの競争力は高まるわけです。ただ、外に対しては為替の問題が出てきます。しかしこの危機のお陰でというのも変なのですが、1.6ドルだったのが1.2ドルとかに下がっていて、そのお陰でドイツは世界中に輸出を伸ばしています。ドイツにとっては今回の危機は為替の面では非常にありがたいことなのです。だからユーロが下がることについては賛成だと思います。
 ただ、現在の為替レートを決める中で金利は大きな要因です。問題はアメリカで、アメリカの金融政策のやり方は大胆です。日銀なんかとは比べ物になりません。アメリカが意図的に金利を下げてきたときにどうするかです。FRBと違って欧州中央銀行(ECB)は物価安定が生命で、雇用では動けません。そうするとどうしてもユーロの金利はそんなに下がらないのではないかと思います。
 ただ、1ユーロが1.5とか1.6ドルとかに上がってくるとこれは大変なことです。為替の面は楽観はできませんが、この1?2年、1.3とか1.4ドルぐらいで行けば、ドイツにとってはそんなに悪くないということです。

(終了)