第579回二木会講演会記録

『強風災害低減と健全な都市・建物づくりのために』

講師:田村 幸雄 氏 (昭和40年卒)

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579_1.JPG ○山本 田村くんとは、小中高とずっと一緒でした。彼は昔から絵や数学や物理の力学系が得意でしたので、大学で建築を選んだのだと思います。早稲田を卒業するときには内藤賞というのをもらっています。彼は、まだ大学で研究体制が整ってないころから風に興味を持っていて、台風が来たり高層ビルができたりすると、行って風力計を仕掛けたりいろいろなことをやって自分で研究をしていました。そして、煙突に対する渦励振の計量モデルについての論文が世界で受けて、それ以来彼は風一筋で研究を続けてきています。
 その後、東京工芸大学の教授を務めながら、最近では日本の風工学界の会長や、また、国際風工学会の会長も務めています。まさに彼は風工学の世界では世界的な権威と言っても間違いないと思います。
 彼の話によると、今年は大きな地震がありましたが、災害としては地震より風のほうが本当は大きいということです。風の被害をどう防いでいくかが彼の研究の一貫したテーマだと思います。

■田村幸雄氏講演
○田村 今日のようなテーマだと、あまりお越しいただけないのではないかと心配していましたが、たくさんの方においでいただき、ありがとうございます。

■はじめに
 私の研究している風工学の大きなテーマの一つは「風に耐える建築物の設計」です。新宿の高層ビルができ始めたころから風の需要が増えてきました。もう一つは「強風災害の低減」です。世界的に見ると、地震よりも強風に関連する災害のほうが、経済的ロスは甚大です。

■風工学
 風工学というのは日本ではあまりなじみがないと思いますが、1975年にコロラドのCermakという先生が「地球表面における人間および人間の諸活動と大気境界層内における風との相互作用を取り扱う学問」と定義しています。これには、大きく分けて、構造的な風の問題と環境的なの風の問題があります。日本の場合は、最初に超高層のビル風によって風環境の問題が出てきて、そこから風工学は発展しました。
 国際風工学会IAWEというのがあり、これは意外と大きな組織で、98カ国が参加していて理事会のメンバーが19人います。太平洋の沿岸地帯等では地震が優先課題ですが、それ以外の殆どの地域では風が優先課題になっています。

■過去「The past is history」
 1901年1月の報知新聞に載った「20世紀の予言」という記事があります。今後100年間に何ができるかを予想したものです。電灯がやっとついたぐらいの時期なのに、この記事は今の時代をかなり言い当てています。その最後の項目に「暴風を防ぐ」とあり、その説明には「1カ月以前に予測するを得べく」となっています。これは、今、気象衛星とかがありますからかなり当たっています。そして続いての説明には「天災中の最も恐れる暴風」という言葉があります。当時は「地震よりも風のほうが怖かった」というのがこの言葉から推定できます。「地震に対しては大丈夫なようにできる」とも言っています。
 今年3月の地震では、津波によって未曾有の大被害がもたらされましたが、昔は地震よりも風が恐れられていました。一般的には地震は局所的で、特定の都市や地域に限定すると、大被害の発生する頻度は数百年に1回です。一方、台風は1,000?ぐらいの幅のものが、ほぼ毎年やってきます。今でこそ予測ができますが、昔は台風も予測はできませんでした。情報伝達の手段も殆どなく、突然やってきて大きな被害が出ました。
 高層建築物や大スパン構造物の建設は、強風との戦いでした。エッフェルはエッフェル塔を建てた後も風が心配で、一番上に風速計を付けたり、振り子みたいなもので揺れを測ったりして、建築の構造分野の先駆けになるいろいろな実証的研究をやっています。
 日本の五重の塔は、構造的には非常にルーズな建物でがたがあり、減衰も大きくて地震や風に強く、だから千年も持っているという説明があります。しかし、あるレベル以上のものが来るともちろん壊れてしまいます。大阪の四天王寺の五重塔は、1934年に瞬間風速60m/sぐらいの室戸台風で壊れました。
 1940年には、世界第3位のつり橋だった「タコマ橋の風による崩壊」がありました。このときの風速は19m/sぐらいです。最初は上下方向のギャロッピングという振動現象が見られ、ねじれフラッターに移行して、最後は落橋しました。近代風工学研究の端緒になった出来事でした。
 過去の日本での公式の最大瞬間風速記録は85.3m/sです。ちなみに、日本における自然災害での死者数は、1959年の前は千人を超える場合がかなりの頻度で起きていて、その大半は台風によるものです。その中でも、95年の神戸地震と今回の東日本の大震災は、今までにない未曾有の被害でした。

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■現在「This moment is a gift. That's why it's called the present.」
 「This moment is a gift」とありますが、そうでしょうか? 2008年のミャンマーのサイクロンNargisでは14万人の方が亡くなっています。これは風と水による複合災害でした。このサイクロンの10日後には四川の地震があり、8万5千人が亡くなりました。その1年前にはサイクロンSidrがバングラデシュを襲っています。このときは最大瞬間風速が70m/sぐらいで、強風でやられましたし、水でもやられています。2005年のアメリカのハリケーンKatrinaでは2,541人の方が亡くなっています。自然災害の記録で一番大きいだろうと思われるのが1970年のバングラデシュでのサイクロンで、50万人以上の方が亡くなっています。
 風災害は範囲が広いので膨大な数の死者が出ることがあります。特に発展途上国、特に南アジアの地域で人的被害が大きいですが、先進国でもけっこう起きています。また、日本も含めて先進国では経済的なロスが非常に大きく、ハリケーンKatrinaでは10兆円以上の経済的損失がありました。過去の自然災害に対して支払われた損害保険の金額を2009年の統計で見ると、トップ10のうちの9つがハリケーンや台風によるものです。また「全自然災害による経済的損失」の統計を見てみると、金銭的な被害は先進国で大きく、米国が1位、日本が2位、中国が3位で、これは当時のGDPに比例しています。
 次に、強風の種類と特徴についてご紹介します。まず台風ですが、これは1,000?くらいの直径で高さは10?ぐらいしかありませんので、直径と厚さの比が100対1の、コンパクトディスクやレコード盤のような薄い渦です。怖いのは飛散物です。強風被害の半分以上が飛散物によるものです。今は住宅であまり雨戸をつくらないケースも多いようですが、これは非常に危険です。飛散物を防ぐという意味で雨戸は大切です。ガラスは飛散物ですぐにやられてしまいます。
 竜巻とダウンバーストは、ともに積乱雲に起因しており、竜巻とダウンバーストは兄弟です。メカニズムはまだ必ずしも全てが分かってはおりません。通常の積乱雲というのは、成長とともに自滅する構造になっていますが、特殊な積乱雲がスーパーセルと呼ばれるものになることがあります。そこでは、上昇気流の部分と下降気流の部分が別々に存在し、後者が前者を壊さず、成長が永続きして、竜巻やダウンバーストが発生することがあるのです。竜巻の風速は100m/sを超えることがあります。規模が小さいので、ニュースで騒がれる割には、実質的な社会的インパクトはそんなに強くありませんが、突然発生するため心理的なインパクトは大きいです。日本の場合、竜巻のほとんどが海岸線付近で発生するのですが、海岸線に沿って線路がありますので、実は年間8個ぐらいの竜巻が線路を横切っています。それがたまたま電車とぶつかると脱線事故が発生します。3、4年に1回ぐらいの割で、このような脱線事故が発生しています。今年はアメリカの原子力発電所が、竜巻によって2回も緊急停止しました。もちろん補助電源が作動して、安全なシャットダウンだったのですが、日本では、原子力発電所が竜巻の発生しやすい海岸線に存在していますので、竜巻対策は考えなくてはいけません。
 ダストデビルは、塵旋風とも呼ばれ、運動場等でよく発生します。これは晴天時にグランド上の空気が暖められ、上昇気流が発生し、もともと地表付近に存在する風のシアーが種となって、上昇気流によって竜巻ような縦渦になる現象です。これでもテント構造などへの被害は起きます。
 「おろし」とか「だし」とか言われている地形性の重力風でも被害が起きることがあります。例えば、南アフリカのケープタウンは背後に千m級の山があり、海に面した都市です。陸側から海側に向かって風が吹くと、山上の冷たくて重たい空気が、斜面をころがり落ちて加速され、強い風になって市街地を襲うことがあります。

 ところで、風工学の分野で解析された強風記録には、我々のグループが解析した瞬間風速90m/s以上の記録があります。風速30m/sぐらいから、人は立って居られませんが、3倍の風速90m/sになると、風力は風速の2乗に比例しますので、ほぼ10倍の風力が作用することになります。もし人が立てたとして、このような強風を受けると、風力は200kgを超えます。つまり、体重が65kgだとすると、その3倍ぐらいの力が横から掛かり、吹き飛んでしまいます。

579_2.JPG  風による建築物の被害を見てみると、人為的なミスが関連していることが多いです。例えば、台風が来る前に、金属屋根を下地構造材に緊結するためのボルトが、日射による毎日の熱伸縮で疲労破断をしていて、そこに台風が来て被害が出たことがあります。今は、現場でいくらでも長い金属屋根がシームレスで作れるようになりました。そのお陰だと思いますが、体育館などの大規模な金属屋根で、多くの被害が出ています。また、日本のお役所仕事の最悪なのは、学校などの公共施設の場合、自然災害と認定されると、復旧の資金が出ますが、これは「旧に復する」ためのもので、被害の原因が設計や構法がまずさにあることがよく分かっているのに、全く同じものを再び造らなければならないことです。だから、また同じ被害を何回も繰り返してしまいます。
 先ほども申し上げましたが、被害の原因は、風圧もさることながら、被害の大半は飛散物によるものです。強風時は、瓦、角材、板等の物が水平に飛び交っている状態になります。飛散物は被害の連鎖を起こします。地震の場合は、基本的に自分で倒れたらそれで終わりですが、風の場合は風下側にどんどん被害が連鎖していきます。人的、物的被害に対する飛散物の怖さは、強く認識すべきです。
 人は、膜とかマットのように、比較的軽いものは、自分たちの体重で抑えられると勘違いしてしまいます。勘違いによって、大凧揚げなどでも事故が起きることがあります。強い風が吹いても、これらを自分たちの手で止められると思うのです。しかし、ある程度の大きさのテントやグランド競技用のマットなどは、風速が20m/s位になると、これらを持ち上げる上向きの風力は、1トン、2トンのオーダーになり、60kg、70kgの体重ではとても抑えられないことは明らかです。子どもたちがイベント会場などで遊ぶエア遊具も、大きな事故になることがあります。風速10m/s程度でも簡単に浮かび上がり、大人の不注意な管理のため、年間数人の子どもが大けがをしています。

■未来「The future is a mystery」
 温暖化とか気候変動とかが叫ばれています。確かに温暖化は進んでいますが、その原因が本当にCO2なのかどうかなど、よく分かってはおりません。
 1970年以降の自然災害の発生数のタイプ別年変化を見ると、火山の爆発や地震の数はあまり大きく変化していませんが、強風、洪水、干ばつなど気象関連の災害は増えています。さらに、激甚災害の数を見ると、地震はほぼ一定ですが、激甚な強風災害の数は明らかに増えています。
 近年の自然災害に対する支払い保険額は大幅に増加しております。経済的損失の総額も明らかに増えており、強風災害の増加と非常に高く関連しております。私が風工学を専門とすることから、風のことを強調し過ぎていると言われそうですが、多少はそういう面もありますが・・・世界的に見ると地震災害よりも風災害の方が大きく、自然災害による経済的ロスの80%以上が風関連災害であると言われています。風災害の場合は、予報技術等の発達で死者数が減っていますので、あまり心理的な恐怖感がなく、それが社会の反応に影響しているように思います。2004年10月20日に台風23号で98人の方が亡くなりました。その3日後に中越地震が起きて51名の方が亡くなりました。すると、マスコミも政府等の救援の手も、一斉に山古志村に向かいました。台風で亡くなった98名の被害者や被災地のことは、完全に忘れ去られてしまいました。中越地震に関する報道は、翌年も翌々年も続きましたが、台風23号のことは僅か3日間で忘れ去られてしまいました。
 台風は予報できますが、地震は予報できません。このため心理的なインパクトが全く違います。心理的インパクトの大きさと社会的インパクトの甚大さは決して比例しないのですが、社会の反応は、心理的インパクトに比例して決まります。皮肉なことに、地震と風では研究費も圧倒的に違い、社会的重要性と研究費の多寡がマッチしておりません。風被害が95%を占めるアメリカでさえ、地震と風の研究費は400対1だと言われており、大変問題だと思います。
 今回の地震を経験して災害への関心が高まっていると思います。今は台風やハリケーンやサイクロンの早期予報が可能になりました。もちろん各地の風速など精度の高い予測はできませんし、竜巻とかの局所的な事象については予測がまだまだ難しいです。2005年、2006年に連続して発生した竜巻被害をきっかけとして、私たち風工学の分野から強く働き掛けたというのも大きいのですが、2008年から気象庁が「竜巻注意情報」というのを出すようになりました。「竜巻ナウキャストサービス」というのもあります。大量輸送機関、電力会社、自治体、建設会社などはこれを使って、運行管理、作業管理などを行う体制が整いつつあります。

■2011年3月11日の東日本大震災からの教訓
 私は地震の専門ではありませんが、国連関連の防災活動とも関連して、震災の現場にも行きました。見ると想像するのとはやはり全然違います。住民のとった避難行動に関する興味深いアンケート結果があります。これによると、大津波警報が地震直後に発令され、最低でも25分から30分の時間的余裕があったにも拘わらず、3分の1の人が避難をしていません。過去に津波警報が出たことは何回かあった筈ですが、あまり大きな津波は来なかったという経験から、今回も大したことはなかろうと考えた人も多くいたようです。今回の震災では、警報の出し方や伝達方法に関して、いろいろな問題点が明らかになりました。警報の精度を上げることは、我々のような学術的グループの社会的責任だということを痛感しています。今回は地震でしたが、風についても同じことだと思います。
 「科学技術が大きく進歩しているのに、なぜ自然災害は増加しているのか」とよく聞かれます。急激な都市化など、いろいろな理由がありますが、どのように安心、安全な社会を実現していくかは大きなテーマです。・・・しかしここに大きなごまかしがあります。詳しく述べる時間がなくなりましたが、私は「安全」という言葉を、この世の中から廃止したいぐらいの気持ちでいます。現実には、建築などの世界では、これを使わないとみんなが信用してくれず、仕事ができないということがあるようですが。
 いずれにせよ、実大実験のために巨大な風洞をつくって施工法や設計法を改良する試みや、国連防災戦略事務局の「強風関連災害リスク低減国際グループ」での国際的な取り組みなど、強風防災に向けた研究や活動が活発に行われていて、私も積極的に参画しています。事故で1人が亡くなるとどれだけの人を悲しませるかというのを体験することが多いので、1人でも救われるようにと思いからです。
 国連の事務総長のBan Ki-Moonさんは、防災活動に非常に熱心で、「台風や地震と同じくらい危険なのは、自然災害による破壊や死者は避けられないものとする思い込みである。もちろん、台風や地震は避けられない。しかし、それによる災害を甚大なものとするか軽微なものとするかは、我々の対応次第なのである」と言っています。自然災害の被害を甚大なものにするか軽微なものにするかは我々の対応の仕方で全く違ってきます。未来をmysteryではなく、子どもたちに対するgiftにしなければならない、というのを最後の言葉にして終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

■ 質疑応答
○小柳 まだ被害が出ていない高層建築の風被害はどのくらい予想されるのでしょうか。
○田村 2000年に建築基準法が改正されたときに風荷重の計算の仕方が随分変わり、風荷重は半減しています。私はかなりの被害が出る可能性があると思っています。前の基準法は1950年にできたもので、まだ焼け野原に近いような状態の時につくられた法令による荷重に較べて、今使われている法令の荷重は半分ぐらいなのです。現在の都市の建物郡が収容している富の価値は、終戦直後に比べたら何百倍にもなっているはずなのに、それを収容する器は逆に弱い荷重で設計されているのです。本当に大きな台風が来たら、甚大な被害が出るのではないかと懸念しています。2000年の基準法改正のときに国土交通省の人に随分言ったのですが、だめでした。気候変動は確かに起きていますので、台風や竜巻は強くなる可能性があります。今の皆さんの関心の的は地震でしょうが、こういう変化も考えると、風災害についても真剣に考えなくてはいけません。火災保険に入っていると自動的に風被害が賄われますので、大きな台風がやってくると数千億円の支払いになることがあり、保険会社が気にしているのは、むしろ風のほうです。

○中川 「安全」という言葉は使いたくないとおっしゃいましたが、どういう意味でしょうか。
○田村 「安全」という言葉を辞書で調べると、「身や組織体に危険を、物に損傷・損害を受ける恐れが無い状態や様子」とあります。ですから、建築や土木の分野で「安全」という言葉はありません。「震度7の地震に耐える」と言っても、震度8の地震が来れば壊れます。確率は減っていきますが、壊れる可能性はどこまでも存在します。「安全」ということは有り得ません。起きる恐れがないのを「安全」というのですが、起きる恐れは常にあるわけですから、建築物等は常に「危険」なのです。法律やゲームのようにルールで成り立つ世界には、「安全」はありますが・・・。ところで、いくら法令や基準を守って建物を造っても、「安全な建物」はできません。そもそも「安全」そのものがあり得ないのですから。建築関係者も含めて、みんな「法令や基準を守ってつくられたものは安全で、そうでないものは危険だ」という風に勘違いしているように思います。皮肉な言い方をすると、法令や基準の遵守で保証されるのは、建物の安全ではなく、設計者や建設業者の「法的な安全性」なのです。
 必ず危険率はあるわけですから「安全」という言葉は、うそになります。「安全」という言葉は、何か全体主義的な陶酔感に近い雰囲気を持ち、意味もなく安心させられ、ごまかされてしまいます。「安全」という言葉を使っている限り、思考が停止し、もはや冷静なというか、冷酷に現実を見据えた議論はできなくなります。「安全」という言い方ではなく、正しくは、「危険率がいくつ」と言うべきだと思っています。原子力発電所も津波も、「これぐらいの確率で壊れます」という危険率のほうで見て、どこまでみんなでそのリスクを許容できるかをきちんと議論すべきなのです。「危険」とは、これも辞書で引くと、危害や災害が起こる恐れがあることを言うのですから。しかし、このことは諸外国でも同じです。昔は「リスク・アナリシス」という言葉がありましたが、今は「セイフティ・アナリシス」と言うようになっています。「臭いものに蓋」は、全人類共通の風潮のようです。

(終了)