第571回二木会講演会記録

第571回二木会講演会(平成23年1月13日)
『思いの先をよみ、期待の先をみたす』
講師:谷 哲二郎(昭和43年卒)

 

nimoku_201101-01.jpg nimoku_201101-02.jpg○紹介者(福寺氏) 谷くんは、修猷館から東大の文科1類に行ったのですが、もともとは東京生まれで、百道中学に3年から入り、その後、修猷館に3年間いて、福岡にはその4年間しかいなかったそうです。
 高校時代には面白いエピソードがいろいろあります。クラスに親が八百屋だったり、肉屋だったり、魚屋だったり、それからどういうわけか、冬の間、百道の海の家を借りられる立場の人がいて、中間試験や期末試験が終わった後に材料を持ち寄って、そこですき焼きパーティーをやりました。もう時効だと思いますので正直にお話ししますと、お酒屋さんもいましたから、当然のことながらそういう種類の宴会になりました。こんなにスリリングなすき焼きパーティーはいまだかつて経験したことがありません。
 また卒業のときに、恩師が「修猷館卒を誇るのではなく、修猷館が誇るような人材になれ」と通信簿に書いてくれたそうです。これは先生が修猷魂をきちんとご理解された中で谷くんの将来に期待された言葉だなと思って、非常に印象に残っています。彼は東京の高校にそのまま行っていたとしても、恐らく東大からJRに入られて今の立場になられたのだと思います。ただ、表の業績とは別に、彼の魂の中に、この修猷館、あるいは福岡の4年間というのが脈々と生き続けていると信じています。

■谷哲二郎氏講演

○谷 私は東京生まれの東京育ちなのですが、中学2年のときに父親が福岡に転勤になり単身で赴任していました。ところが東京の自宅に帰ってきたとき、「福岡には修猷館という大変な伝統と誇りを持った素晴らしい高校がある。青春をそのような天下の名門校で過ごすのもいいのではないか」と言い、それもそうかと思い、福岡に行くことになりました。修猷館に入る為に福岡に引越す人も珍しいのではないかと思います。修猷館では大変充実した高校生活を送ることができましたが、私が大学に入ると、父親も東京勤務になり福岡に帰るということもなくなりました。就職するときに国鉄を選んだ動機が、給料は安いけれどもつぶれないだろうというのが一つありましたが、もう一つは、奥行きの深い文化が根付いた人情味のある福岡での4年間の生活が私の中に印象深くあり、全国組織に入ると、いろいろな都市や、場合によっては九州勤務もあるかもしれないという思いがありました。しかし実際に入りましたら、給料は安かったのはそのとおりだったのですが、会社はつぶれましたし、分割になりましたので福岡に出張する機会もなくなってしまいました。
 
■ルミネの企業理念

 今回の表題は私どもルミネの企業理念ですが、実際には前に「お客さまの」という言葉が付いて、「お客さまの思いの先をよみ、期待の先をみたす」となります。この理念で一番肝心なのは、「思いの先、期待の先」の「先」というところで、われわれはものを売っているのではなく、自分自身も気付かなかったような新しい自分を発見していただくとか、予想以上の感動や喜びを御提供することでお客様の充実した人生を送るための人生の貴重なパートナーになっていきたいということをこの理念に込めています。
 お客様は急速に進化されていますし、時代も激変しています。そうした勢いに負けないようにわれわれ自身が常に変わり続けチャレンジしていき、そしてお客様の「先」を行くことによってお客様に本当の心の満足をお示ししようというのがこの理念です。

■業界の状況

 よく「失われた10年」とか「失われた20年」とか言われますが、そのような停滞が続いている間に日本人自身が日本をあきらめ始めています。最近は海外に次々に出ていき、いろいろなかたちで空洞化が進んでいっています。空洞化の恐ろしいところは、本来の雇用や利益が外に行くということです。この今の情況が将来のかたちをつくり始めていて、この構図はもう元には戻らないところまで来ているということを前提にこれからの経営を考える必要があります。どうせ頼りにならないものは頼りにできませんので、自力でどう生き抜くかということしかないのだろうと思います。
 そのような中でこの20年間の状況は、小売りの王者と言われるデパートの売り上げは、ピークの1991年が9.7兆円ありました。それが2009年には6.6兆円にまで落ちて、およそ3分の2になっています。その中でも、主要な分野であるファッションの市場規模も、やはり1991年がピークで、13兆円あったのが去年は8.8兆円に落ちて、これも3分の2ぐらいになっています。
 このように経済が低迷してきている間にお客様もどんどん変わってきていて、今は三つの種類のお客様に分けられると感じています。
 一つは、買いたくても買えないお客様です。1997年から日本人の給与所得者の平均年収はずっと下がり続けていて、昨年は年収200万円以下が34%というところにまで来ています。中間層が大変な勢いで貧しい層になっています。「一億総中流」と言われていた時代が夢のような時代になっていて、買いたくても買えない層が非常に増えてきています。
 もう一つは、ファッションにも何も興味のない人たちです。これは別にファッションに限らず、車にも旅行にも女の子にも、また出世にも興味がないというように、あらゆることに興味がないという層です。ただただ安穏に暮らしていければいい、食べ物もお腹がいっぱいになればいいという層が着実に増えています。
 それからもう一つ増えているのが、買えても買わない層です。特にファッションの分野においては、毎年流行が変わってもらわないと商売が成り立ちませんから、昔は供給側がかなりイニシアチブを取って、メーカーも業界紙も一緒になって流行をつくり上げ、商売を成り立たせていました。ところがこのごろは、イニシアチブが供給側から消費者側に移る状況が生まれてきています。本当に自分にとって価値があるものかどうかを見極める、慎重で賢明な消費者が育ってきています。

■ルミネの活力の原動力 

(1)立ち位置の明確化

 このような中で、ルミネは、おかげさまで何とか順調に伸びています。それにはそれなりの訳があります。三つほど大きなものを紹介したいと思います。
 一つは、会社の使命を明確に規定してそれを社員に徹底しています。私どもは、「駅ビル」と「テナント」という二つの言葉を禁句にしています。「駅ビル」については、確かに大変な地の利を持つJRの駅での商売ですから、そこそこな商売は当然できますが、これから競争が激しくなる中で、それで本当に残っていけるのだろうかということです。駅に寄生するのではなくて自分たち自身が目的地となるような、それだけの魅力を自分たちの力でつくり上げていこうということです。だから「駅ビル」ではないのです。絶対に「駅」という言葉を使うのはよそうと、「脱駅ビル」というのも一つのコンセプトにしています。
 「テナント」については、デパートは基本的には小売業ですが、私どもは業種としては不動産賃貸業です。しかし、われわれはその大家業に甘んじることなく、ご出店者様と一緒になって商売をしていこうと考えています。出店いただいた皆様のサポーター業に徹し、そのための努力をしていこうと考えています。「テナント」という言葉は一切使わずに「ショップの方」とか「パートナーの皆さん」という言い方を徹底しています。
 そういう中で、自分たちの立ち位置をどこに求めるかということになります。店は東京を中心に14カ所ありますが、その中でも特に新宿、横浜、大宮、池袋という巨大デパートがひしめいているところはデパートの縮小コピーでは戦えるはずはありません。そうなると、どのお客様にご支持をいただき、自らの存在意義を見出すかということになります。今、日本人の中で一番元気な存在は若い女性です。その方たちに支持していただくために、徹底した資源の選択集中をやって、その方たちにとっての夢のような空間をつくり上げるよう取り組んでいます。

nimoku_201101-03.jpg(2)販売スタッフのサポート

 二番目には、販売の最前線にいる販売スタッフを徹底的にサポートすることをやってきています。作る側のいろいろな人の思いが込められた商品が店頭に並ぶのですが、それを最後に消費者にお渡しするのは販売スタッフです。この人たちが売ることによって商売が完結して、初めてそこに価値を生み出すのです。私たちはそういう人たちの待遇改善にも努め、意見を聞き取り、出店者の幹部に掛け合うということも徹底してやってきています。
 それから、毎日お客様の対応という大変辛い仕事をやっていただいていますので、誇りと喜びを持てるようにと、その励みになるよう、「ルミネスト」という制度をつくって接客のロール・プレイング・コンテストに力を入れています。今、全部で3万2千人ぐらいの販売スタッフの方がいらっしゃいますが、各ショップから代表を選んでいただき、フロアでの予選会をやり、次に館全体の予選会をやり、それを勝ち抜いた上位の50名が本社大会に来ます。そして最後の上位10名ぐらいの方を毎年ロンドン、パリへの研修旅行にご招待しています。
 そういう中で一番上の人たちは「ルミネストゴールド」という名称を付けて、名札も金色の印の付いた名刺札に変えます。次は「シルバー」、その次は「ブロンズ」という名称が与えられ、販売員の中で尊敬される存在になります。お客様もそれがわかってきています。
 そして、普通のお店ではありえない現象も起きています。最初はショップ同士で競い合うのですが、予選で落ちたら勝ち残ったライバルの応援に回り、みんな一緒になって大応援を繰り広げ、いい成績を取るとライバル同士が涙を流して抱き合って喜ぶのです。更に、お互いに他の店の品揃えを勉強し合って、お客様がお見えになって自分のところに合うものがないときには、他の店の紹介をするという、ショップの垣根を越えた深い絆が生まれてきています。館として一つの生命体のようなものが出来上がっているという現象があり、それが大きな強みになっているのだろうと思います。

(3)ショップのリニューアル

 もう一つは、ショップのリニューアルを頻繁にやっていて、毎年、15%から20%の店が入れ替わっています。レストランや巨大フロアを持っているところを除くと、実質的には毎年3割ぐらいが入れ替わっていることになります。ということは、3年たったら一番古い店になるということで、それぐらいのスピードを持って変わり続けているわけです。そうして常に時代の最先端を行っている元気のいい旬のショップに入っていただくようにしています。
 
■「競」と「争」

nimoku_201101-05.jpg お配りしている資料ですが、これは象形文字で、上が「競」、下が「争」という字です。「競争」という言葉はひとつの熟語としてよく使われますが、「競う」ことと「争う」ことは、違うところもあります。この象形文字はその違いを実によく表しています。「競」というのは、ゴールに向かって人が2人走っています。「争」という字は、上と下から手が伸びていて真ん中のお金を表わす1本の棒を奪い合おうとしています。
 「競」と「争」の違いがはっきりしているのがスポーツです。「競う」スポーツというのは、陸上競技や水泳が大体そうですが、それぞれの競技者がベストを尽くして出た記録で優劣を決めます。この戦いは、相手にもベストを尽くしてもらわないと意味がありません。一方、「争う」スポーツは、ぶつかり合ってどちらが相手をねじ伏せるかという競技で、野球やテニスとかの球技や格闘技が大体そうですが、相手にどうベストを出させないかの勝負です。野球では相手の一番苦手なところに投げるというように、相手の嫌なことをどれだけやるか、いかに相手の力を出させないかということです。
 同じ氷上スポーツでも、フィギュアスケートでは、ライバル選手が転んでも拍手する観客はいません。ところがアイスホッケーだと、ゴールキーパーが転んで得点が入れば、大喜びする人はたくさんいます。相手のミスを平気で喜べるのが「争う」スポーツです。
 ゴルフは典型的な「競う」スポーツです。最終ホールの超ロングパットが決まって優勝を決めたときには、ガッツポーズで飛び上がって喜び、観客も大拍手をします。しかし相手のミスで決まったときは、申し訳なさそうな複雑な顔をします。ガッツポーズなんかしません。
 これから若い方はいろいろな場面に遭遇されると思いますが、これは「競っている」ことなのか「争っている」ことなのかをよく考えてみられると面白いと思います。日本人というのは、全体を大事にし、平和を愛する国民ですから、人との争いごとはなんとか避けようとします。しかし、争いは避けてもいいのですが、競い合いも避け過ぎているのではないでしょうか。かつて、幼稚園や小学校の運動会で、ゴールの前でみんな揃って一緒にゴールしましょうなんていうのがありましたが、そういうことが今の日本の何ともいえない閉塞感にもつながっているようにも思います。
 今の日本は、いろいろな経済政策を打っても効果が上がっていません。先進国に追い付け追い越せという成長している過程では、余計な競い合いをやめて、ともかく政官業一体になって突進していくことが必要だったのだろうと思います。しかし、成長を遂げて次なるステージへ向かおうとしているときに、また世界が劇的に変化している中で、その優しさが災いになり、本当は淘汰されるべきものが整理されないまま、補助金や税制の措置といったような延命措置が講じられてきて、健全な新陳代謝が損なわれ旧秩序が相変わらず保護されて残ってきています。それがどうにもならない身動きのつかないところまできているような感じがしています。本当は、競い合い切磋琢磨する中で、自然発生的に淘汰されるべきものは淘汰されてまた新たな産業構造が生まれ、新たな活力を生み出すという仕組みが必要なのだと思います。今までとは別の、次のステージへ進むための次なる競い合いをどういうかたちでつくり上げていくかというのが大事なことではないでしょうか。
 韓国は国がつぶれるほどの金融危機を乗り越え、競い合いながらグローバルな競争を勝ち抜くための足腰を鍛えて、今、世界に元気よく登場しています。日本は本当の意味での厳しい競い合いを避けてきた中で、国家全体としての活力が失われてきているような気がしてなりません。
 自慢話で申し訳ございませんが、この10年間のルミネの活力の源泉は、この「競い合い」なのです。スタッフも各ショップも、本当に切磋琢磨し合いながら毎日接客に励んでいます。 そして私たち自身もお客様との競い合いに負けないように、「競う」という字のように、お客様と走りながら一歩でも前に行きたいという思いが「お客さまの思いの先をみたす」ことにつながります。これからそのような活力をどうつくり上げていくのかが大事なことだろうと考えています。
nimoku_201101-04.jpg 
■質疑応答

○ 59年卒の武田です。最近は、インターネットでの購買ルートが増えてきていますが、マーケットの考え方として、そういう面での危機感や対策についてどうお考えでしょうか。

○谷 それは今一番強く意識しているところです。ファッションというのは、ネットの世界にはなじまないのではないかという意識があったと思います。ところが、今、ZOZOTOWN(ゾゾタウン)というファッションの通販がものすごい勢いで伸びています。私どもルミネもチャレンジをして、ネット販売をやっていますが、ここのところ急速に勢いが出てきました。ただZOZOTOWNはリアルな店舗を持っていませんが、われわれはルミネというリアルな店舗を持っていて、これまでにつくり上げてきたルミネのイメージがあります。そのルミネがやっているネットだということで、ネットでのお客様とルミネのリアル店舗でのお客様のかなりの連動が見られます。ルミネで見た後にネットで買うとか、ネットで見たものを確認しにルミネに来るというように、ルミネという中でリアルとウエブの世界で相乗効果を持ったルミネをつくり上げていきたいと思っています。
 もう一つ、今度マリオンに出ることが全国ニュースで大きく取り上げられルミネの知名度が一気に上がりました。ただルミネは知っていても来られない人が大半なのです。ですから来たくても来られないお客様にはルミネのネットがあるのですということを訴求していきたいと思っています。そして上京してきたときには、リアルの店舗に来ていただくということで活路を見出していきたいと思っています。ネット自身はまだまだ伸びると思いますので、これからはネットとリアルの両輪を育てていきたいと思っています。

○ 57年卒の大下です。今日は広島から来ました。JRの話ですが、新大阪まではインターネットが使えるのですが、そこから突然切れてしまいます。多分JR西日本と東日本で違う仕組みなのだと思います。また、アメリカで新幹線を売っているという話は今後どうなるのでしょうか。その辺の展望を教えてください。

○谷 最初の、インターネットのお話ですが、分割された別の会社のJR東海とJR西日本の話で詳しい事情もよく分かりませんので、答えは控えさせていただきます。アメリカの新幹線については、実はアメリカというのは鉄道といえば貨物の大量輸送がメインで旅客鉄道の面では、技術が非常に劣っています。優秀な技術屋さんというのは、軍事産業か航空産業か宇宙産業に行っています。国鉄時代からアメリカへの技術協力はやっていますが、後のメンテナンスの力が全くありません。技術力がないのです。大変な鉄道後進国です。そこにいきなり新幹線を入れるというのは、小学生が急に大学生になるような話で、これを本当にやるなら、つくるだけではなくて、その後のメンテナンスも含めてしっかりとやっていく体制がないとなかなか成り立たないだろうと思います。
 また、車両の構造基準ひとつをとっても、踏切でトレーラーとぶつかっても平気な程の重装備を求められますが、踏切をなくして軽量化してスピードを求めてきた日本の新幹線の設計思想とは基本的に異なります。そうした事情や予算確保の事を含めて、アメリカがどこまで本気なのかという見極めが難しいです。政権が変わればどうなのかという問題もあります。明日にでも新幹線が走るようなイメージをお持ちかもしれませんが、乗り越えるべき大きなハードルがたくさんあると思います。(終了)