第570回二木会講演会記録

第570回二木会講演会(平成22年11月11日)

『総理官邸に勤務して』

講 師:小川 洋氏(昭和43年)

nimoku570_01.jpg nimoku570_02.jpg  ○紹介者 福寺氏(同期) 小川くんとは同期なのですが、高校時代よりは、卒業して同期会や二木会に参加する中で親しくなりました。こういうのが修猷館のすばらしさだと思います。彼は色が黒く、声も大きく、骨太の官僚という印象です。政治の話になると、彼の仕事に対する思いや、本当に国や社会を発展させようという思いを感じていました。これからは、過去の貴重な経験を生かしてますますご活躍されて、まだまだ頑張っていただきたいと思っています。

 

■小川洋氏講演

 広報官として、平成1911月から今年の8月まで、福田内閣、麻生内閣、鳩山内閣、それから3カ月ほどでしたが菅内閣に仕えてきました。政権交代も経験し、2年10カ月の間に31回の外遊に同行、60回を超える総理の記者会見の仕切役も務めました。

 

■総理大臣官邸とは

(1)概要

 総理大臣官邸は、「総理大臣官邸」、「首相官邸」、「内閣総理大臣官邸」とか、いろいろな言い方があります。建物として呼ぶときには「総理大臣官邸」というのがよく使われ、官邸のホームページは「首相官邸ホームページ」という言い方を使っています。

 官邸の前の庭は、緊急事態のときにはヘリポートになるように設計されています。また隣接している高層ビルが問題になり、ビルの工事の際、窓の位置とかの調整が行われたと聞いています。

(2)建物

 住所は永田町の2丁目3番地1号です。ちなみに、永田町1丁目1番地1号は憲政記念館です。住居である公邸が本館に隣接しています。もともとここには旧鍋島邸があったのですが、関東大震災で被害を受け、国に売却されて、その後、震災後の復興計画の一環として旧官邸の建設が行われたということです。

 今の官邸は、地上5階、地下1階の建物ですが、傾斜地につくられているために、東側の正面玄関は3階になり、西側は1階となります。5階は執務関係の部屋があり、プレスは入れません。プレスは4階から1階までの間の決められたところで取材をすることになっています。4階は、閣議室とか私どもスタッフがいる部屋があります。閣議室の横にあるのが閣僚応接室で、閣議の前に閣僚が並んで座り、これがよくニュースで流れます。また、その並びには大会議室があり、口蹄疫対策本部などいろいろな会議が開かれています。

 そして3階が正面玄関になっています。季節には正面玄関の国旗の横に鯉のぼりを立てたりしています。その3階には会議室があり、外国要人との署名式や共同記者発表をします。3階から2階に下りる階段のところは、組閣や内閣改造が行われたときに赤いじゅうたんが敷かれて記念撮影をする場所です。このときの並ぶ順番は、総理を真ん中にして、連立内閣の党首だとか、閣僚の議員経験年数や閣僚の回数とか、女性とか、の総合的に判断して決めています。

 2階には、中庭と大ホールがあります。鳩山総理とオバマ大統領の共同記者会見のときは、私が司会をしましたが、お二人が並んでこのお庭を抜けて大ホールに入るという演出で使われたりもしました。中庭には竹が植えてあり、また新官邸には天然の石がたくさん配置されています。石は安定性、竹は未来への挑戦を表しています。この大ホールはその他、国民栄誉賞の授賞式とか、オリンピック後のメダリストを招待したり、いろいろなイベントにも使われます。

 1階には私の仕事場の一つでした記者会見室があります。官房長官が会見するときにはバックに薄い青い色のカーテンが使われますが、総理会見のときには、濃いエンジの赤と濃い青のカーテンの二つがあり、洋服や記者会見のテーマに合わせて色を選んでいます。演台のエンブレムの色も赤と青と2色あり、選んで使います。会見場の構造は、前方から記者さん、後方の高いところは、下の段にスチールカメラマンの、その上にテレビカメラの席があり、またその上に同時通訳のブースなどが並んでいます。記者席は130ぐらいあり、多いときは立席も入れ200名くらいになります。

 最後に、官邸屋上にはソーラー太陽光発電のシステムが入っていて、発電量は300キロワットちょっとです。また、庭の散水には雨水を利用したりして、環境に優しい官邸であろうとしています。

(3)機能と組織

 総理大臣官邸には「執務」と「迎賓」と「住居」の3機能があります。ここでは当然閣議が行われ、政策の中心としての「執務」の場所ですので、その機能を捉えて、「官邸主導」と言ったりします。そのときは総理大臣のリーダーシップなんかを意味して使われます。

 「執務」の仕事は、「内閣官房」が中心に担当します。総理の下に官房長官と3人の副長官がいて、その下に、内閣危機管理監‐修猷館42年卒の先輩の伊藤哲朗さん、3人の副長官補、そして広報官と情報官、総務官が事務方としています。それから総理に助言、お手伝いするための総理補佐官もいます。そういう人たちが官邸を支えるスタッフです。

 内閣官房では、副長官補の下に個別のテーマを扱う専任の事務局があり、私が広報官の前にいた知的財産戦略推進室、国家戦略室、行政改革推進室、拉致対策本部事務局などがこれにあたります。

 この内閣官房の仕事を助けるために「内閣府」という役所があります。それぞれ特命事項をお持ちの8人の大臣に、これを支える3人の副大臣、5名の政務官が任命されているところです。内閣府には、叙勲をやる賞勲局のように、内閣総理大臣が直接担当するのがふさわしい部局もあります。

 官邸にいるわれわれスタッフは200人ぐらいで、SPさんや警備の方などを入れると、数百人が働いているのではないかと思います。この他、記者会の加盟登録者が600人ぐらいいて、常駐しているのが200人ぐらいいます

 

■内閣広報官とは

 私がやっていた広報官の仕事の一つに総理の記者会見の仕切役、司会があります。記者の人が手を挙げ、私が当てるのですが、特に総理会見のオープン化後は、プレッシャーを感じながらやっていました。また、各種記者会見の仕切りや裏方もやります。外国の要人と共同で記者会見をやる場合は、日本でやるときは私が全体の仕切りをして、相手の国の広報官なり報道官と調整をして役割分担をします。逆にこちらが海外に行ったときは、向こうの広報官がイニシアチブを取って、私が横でサポートしたりします。

 官邸の外、国内での記者会見もありました。麻生内閣のときの一昨年の暮れ、福岡の大宰府にある九州国立博物館で日中韓のサミットが開かれ、麻生総理、温家宝首相、李明博大統領、3人による共同会見の司会もしました。また、福田総理のときに「洞爺湖サミット」が北海道のウインザーホテルで開かれましたが、議長会見のほかサミット前の7月7日にブッシュ大統領との日米首脳会談が行われ、後日イラクで靴を投げられ負傷したペリーノ報道官と一緒に記者会見の司会をしたこともあります。それから裏方という意味では、毎日、新聞やTVの論調をまとめ、官邸内での共有に努めてました。

 もう一つ、総理がいろいろな発信をされるときにお手伝いをします。鳩山総理は、「鳩カフェ」というブログを始められ、ツイッターにも取り組まれました。そして5月24日に鳩山総理のフォローワーがガチャピンを抜いて日本で一番になりました。今は抜き返されましたが。

 歴代内閣は、国民との直接対話を企画実行してきましたが、鳩山総理はその思いが強く、退陣するまでに「リアル鳩カフェ」という会合が2回開かれました。1回目は「子育て」、2回目は「食と農」というテーマでやりました。この2回目のときには参加者がいろいろな食材を持ってこられたので、会議の前に官邸の庭でバーベキューをやりました。焼きそばを焼く総理のお姿は洋服とともにご記憶の方も多いでしょう。

 広報では官邸のホームページもやっています。写真、1週間の動きという動画のサイトもあります。成長戦略など目玉政策や、今やっているAPECのいろいろな基礎知識も載っています。それから行政刷新については、蓮舫大臣らしいメッセージが入っていて面白いです。また、「新型インフルエンザの予防」とか「津波を甘く見るな」とかの役立つ情報もいっぱいありますので、一度ご覧ください。

 広報のスタッフは、内閣官房に60人ぐらいいて、内閣府の政府広報室には40人ぐらいいますので、大体100人のスタッフで動いています。

 

■世論調査

 私は広報官として、ずっと世論調査をフォローしていました。政権を担当していれば支持率は当然高いほうがいいわけです。中選挙区制度から小選挙区制度に変わり、選挙が内閣や総理、政策を選択するものとなったため、国民の世論、思いというものが大事になってきて、みんなの目が世論調査に集まってきています。

(1)手法

 世論調査は、直接面接と電話の二つがあります。電話については、殆どがRandom Digit Dialing(RDD)という、コンピューターで無作為に電話番号をつくってそれを対象にする方式です。非RDDというのは電話番号簿(最近載せない人が多い)とか選挙人名簿の中から選んでやる方式です。携帯電話は、市外局番による地域の特定ができず、性別、年齢などもわからず、対象の偏りなどなかなか難しい問題があり、今後の課題だと言われています。

 インターネットは、モニターのように、性別、地域、年齢などからあらかじめ決めた人を対象に意見を聞くというやり方ができるかもしれません。それから、「この指止まれ」で、だれが来るかわからない中で、聞いた後に属性を調べるというやり方もあるかもしれませんが、ずっと追いかけていくのは難しいと言われていて、まだいろいろな課題が残っています。また、新聞なんかご覧になりますと、回答者数が出ていますが、調査として有意なのは、大体、千数百人。そして、千数百でプラス・マイナス3%ぐらいの誤差だと言われています。

(2)最近の動向

 数字だけだとわかりにくいので、複数のものをプロットして見ると傾向がわかりやすいと思います。福田内閣から麻生内閣、鳩山内閣、菅内閣と見ると、いくつかの傾向があります。1点目は、内閣が変わると支持率は上がります。政権交代でも上がりました。鳩山総理が小沢さんと一緒に辞められて、菅さんの支持率も上がりました。2点目は、高支持の部分と低い部分に各々罫線を引くと、途中で戻したものも大体平行になります。ところが民主党になり、鳩山内閣は一本調子で落ちました。広報官としては辛いものがあります。菅内閣も戻った後、選挙で落ちて、代表選で小沢さんと戦ってまた戻り、それがまたずっと下がってきています。福田内閣でも戻ったのは内閣改造をやられたときです。麻生内閣で戻ったのは、小沢さんとか鳩山さんの問題がいろいろ起こったときでした。

 時事通信社は、質問項目をあまり変えない唯一の面接方式なので経年変化を見るのに適しています。細川内閣以降の歴代内閣の支持率の調査を見ると、いくつか特徴があります。一つは、小泉さんは非常に長かったということです。それから、小泉さんと細川さんと鳩山さんの三つの内閣は、スタートはものすごく高い支持率でした。最近の内閣は、数カ月から1年で退陣、短くなっています。それからもう一つ、小渕総理は、最初は低かったのですが、景気がよくなっていったこともあり、後から上がっています。ブッチホンなんていうのもありました。

 支持率というのは、出来事の報じられ方によって大きく変わります。福田内閣では、安倍内閣から引き継いだ年金の記録問題や後期高齢者医療制度の問題のような、身の回りの問題が出てくると支持率は落ちてきました。ただ、肝炎の一律救済の決断、肝炎の患者さんたちとの面談で、ぐっと盛り返したのですが、イージス艦「あたご」が漁船と衝突する事件とかがあり、また下がってきました。その後、洞爺湖サミット、日中のガス田協議の合意とか、オリンピックの開会式に出席するとか、外交で盛り返して、それから内閣改造がありました。このように支持率は、出来事や報じられ方と相関しているということで、逆に、支持率を見ながらどうしたらいいかを考えることにもなります。

 そこで、最近の国民の関心事です。政府は、国民の意識調査を毎年同じようにやってきていますが、最近、関心事項として社会福祉の問題、高齢者対策、景気・雇用というものが出てきます。マスコミの世論調査も同じで、景気・雇用と社会福祉は大体トップ2です。それに続くのが、無駄撲滅や行財政改革ということです。その次に外交・安保となります。最近の傾向として、景気が悪いということもありますが、財政再建が重要だと思う人がだんだん減ってきています。このように国民が重大関心を持っている政策を着実にやっていくことが政府として大事なことだと思います。

 今日はマスコミの方もいらっしゃっていますが、よく新聞とかに、経験則で、世論調査で支持率が40%だと青だけれども、30だと赤だとかいう説が出ています。その辺は民主党の内閣になってからわかりにくくなったように思います。それから、政党支持率が高くて内閣支持率が低いというときや、その逆の場合もあります。前者は支持者の取りこぼしで、この点はきちんと把握することが大事です。自民党時代には、内閣支持率と政党支持率を足して50%行っているかが政権維持できるかの経験則だと言う方もいらっしゃいました。

(3)話題の提供?政権交代と支持者の年齢構成ほか

 政権交代前の麻生内閣を支持している人の年代は、半分以上が60歳以上でした。ところが、政権交代後の民主党の内閣支持をする人たちの年齢構成は、20代はあまり変わりませんが、30代、40代、50代で半分以上を占め、60代、70代が少ないという特色があります。これを時系列で調べてみました。昨年8月30日に選挙がありましたが、30代は1月ぐらいから民主党支持が増えてきていて、40代は5月ぐらいから自民党支持を上回ってきていて、50代、60代も選挙前までに民主党支持の方が多くなってきています。オセロゲームのように、各年代が次々に民主党支持に変わっていったという感じです。70代の方も、政権交代した後、民主党支持者が多くなり、逆転しました。

 それから、それぞれの新聞の1面のトップ記事を政治、経済、外交、社会等に整理すると、9月の政権交代後、「政治」の記事が多いのですが、12月ぐらいから、鳩山総理の秘書や小沢さんの秘書だった石川議員の任意聴取に沿うように、「政治と金」の記事のウエイトが各社とも急増してきます。その中で、日経新聞は経済記事も多く、比較的バランスがとれている感じでした。このような新聞の紙面づくりや論調も、世論に相当影響していると思います。

 アメリカの中間選挙でも、いろんな事前予測がありましたが、オバマさんの民主党は、ギャラップ社(ほぼ毎日世論調査)の事前分析より大幅に議席を落としました。

 

nimoku570_03.jpg■政府広報

 広報官の仕事のもう一つの柱が政府広報。その昔、日本の広報費のベストテンに入っていたこともありますが、政府広報予算はずっと減ってきています。去年の仕分けで半減して、今は50億円弱です。

 媒体でみると、政府広報の特色は、民間に比べてテレビが少なく、突き出し、記事下、折込など新聞のウエイトが高くなっています。それから私はインターネットを増やしてきまして、民間よりウエイトが高くなっています。

 政府広報で使っている媒体はいろいろありますが、各々の特性を調べると、近年、インターネット以外の媒体は、どれも利用者が減ってきています。テレビは特に2030代を中心に減っています。新聞も各年代減っていますが、お年を召した方ほど落ち幅が小さいという特色があります。インターネットについては、30代から40代がぐっと増えていて、年配の方は、伸びていますが伸びは少ないです。ということで、国民各界・各層にお知らせするには、インターネットでというわけにはいきません。ただインターネットは、時間とともに使う人が増え、使える人たちが年を取っていくので、インターネットの役割はもっと大きくなると予想できます。

 国民に周知徹底を図る、より理解してもらうためには、いろいろな媒体の特性を踏まえて、訴求する相手をきちんと見て、媒体を選び、またそれをうまく組み合わせていくことが大事になります。 

 雑駁(ざっぱく)な話になりましたが、各々のお立場で政治をご覧になるとき、参考になればと思います。ありがとうございました。

 

■質疑応答

○逢坂 59年卒業で立教大学の逢坂と申します。政治コミュニケーションを研究しています。今のお話ですと、出来事と政策が、メディアで表現されることと差があると思うのですが、その辺はどうお考えでしょうか。

○小川 非常に難しく重要なことで、われわれの課題でもあります。二つあると思います。政策の企画立案の段階から国民の思いや願いや希望をうまく取り込んでいく公聴の部分とインターラクティブな関係の部分とがあります。一方で政策を立案する側に跳ね返して、国民に求められているものをできるだけうまくつくっていくという世界があり、それからつくられたものを正しく理解してもらうのは、われわれパブリシティの役割です。 

 おっしゃるとおり、広報あるいはパブリシティの世界では、まずい料理をおいしく見せることはできないと言われていて、まずもってできるだけおいしい料理をつくるために、政府を挙げて取り組み、われわれが一生懸命役割を果たしていくしかないような気がします。

 

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○山本 49年卒の山本です。自民党政権から民主党政権になって、官邸の内部にいて、何がどう変わったのでしょうか。広報官という仕事は別にして、実感として官邸のスタッフとして仕事はやりやすくなったのでしょうか、やりにくくなったのでしょうか。

 ○小川 皆さん、興味を持たれるところだと思います。私のささやかな経験で申しますと、われわれ事務方の仕事の仕方や官邸の中の政治家の方々との係わり方は当然変化しました。政権交代となり、民主党の方々のそれまでの思い、マニフェストがあり、そのうえで、われわれサイドとの作業があるわけですが、原点に立ち返った議論が多かったような気がします。ただ一方で、時間がたつにつれて、政策の企画立案、展開に慣れてこられたということもあると思いますし、われわれ行政官の持っている知識、経験、暗黙知とかも踏まえながら議論をしていただけるようになり始めたかなというところで私は辞めたのですが、ファインチューニングが始まっているような感じはしました。

 それから、各役所、政務三役の方々の行政官に任せる分野や量についても、いろいろ変えようとされているような気もします。そして行政官の方も、一時期、待ちの姿勢になったところがかなりありましたが、その辺、行政官の側も変わりつつあるような気がします。また変えていかなければならないと思います。(終了)