第568回二木会講演会記録

第568回二木会講演会(平成22年9月9日)

『雇用システムの変化と労働法政策の課題 』
?非正規雇用問題を中心に?

講 師:荒木 尚志氏(昭和53年卒) nimoku568_01.JPG○紹介者 田代氏(同期) 彼とは化学の伊勢田先生が担任の3年3組で一緒でした。卒業後は彼も私もきちんと修猷学館に進学して1年間の浪人生活を送りました。nimoku568_02.JPG夏休みに東京の予備校で数週間の夏期講座を2人で受け、そのときはホテルのツインの部屋で寝食を共にして不慣れな東京生活を一緒に体験したのは懐かしい思い出です。翌年には2人共無事に大学に合格し、彼は東大法学部でますます勉学に励み、大学時代はお互いに少し疎遠になりました。その後、私が企業に入り、人事・労務の仕事でその関係の書物や雑誌を読むと、彼の名前があり労働法学会の若手ホープということで絶賛されていて、その活躍を知りました。今や労働法学界の第一人者で、私も企業でそのような仕事をする片割れとして、彼のことは非常に誇らしく思っています。

■荒木尚志氏講演

○荒木 毎年夏に修猷館の生徒が「東京研修」にやってきます。ここ10年ほど、私は50人ぐらいの修猷生を受け入れて大学の模擬授業をやっています。目をきらきら輝かせて必死に聞いてくれるので毎年修猷生に話しをするのは楽しみなのですが、今日は大先輩の前でお話をさせていただくというので
緊張しています。

■はじめに

 2008年のリーマンショックの後、日比谷公園に「年越し派遣村」ができて多くの人が集まりました。これによって、非正規雇用とか派遣労働という労働問題がお茶の間にまで届けられるようになりました。もう一つ、派遣問題で注目を浴びたのが、2008年6月の秋葉原の通り魔事件でした。この加害者の青年も派遣労働者だったのです。これらのニュースによって、派遣労働者が人間らしく扱われていないのではないかということで、政治家の間でも派遣労働問題について関心が高まりました。

■非正規雇用の社会問題化

 正規と非正規の比率の変化を見ると、1990年当時は正規雇用が80%で非正規雇用は20%程度でしたが、現在では非正規雇用労働者は34%で、労働者の3分の1が非正規雇用となっています。
 非正規雇用には三つの形態があります。一つは、フルタイムではないパートタイマーです。パート労働者については2006年にパート労働法ができて一定の対応をすることになりました。もう一つは、期間を定めて働く有期契約労働です。これについては2009年に有期労働契約研究会が設置されています。そしてもう一つは、会社の直接雇用ではなく、間に派遣業者のような第三者が入る派遣などの間接雇用という働き方です。派遣労働については自公政権のときに派遣労働法を改正しようという動きがありましたが、政権交代で廃案となりました。現在は民主、社民、国民新党によって新しい法案が国会に提出されています。
 派遣は、非正規雇用非正規全体の中では8%ぐらい、労働者全体から見ると2?3%程度の比率で、全体からすると限られた労働者の問題です。ただし、派遣には非正規雇用の一番マイナスの面が集約されて出てくるという点で、社会的に大きな問題として注目されたわけです。
 非正規雇用が量的に増えたという変化だけではなく、もう一つ質的な変化として、非正規雇用の内訳も変化しました。1990年当時の非正規雇用は、主婦のパートや学生アルバイト、あるいは定年後に嘱託で雇われている有期契約の人のように家計補助的な非正規雇用が多かったのですが、現在は生計依存型の非正規雇用が増えており、雇用の不安定さ、処遇の低さが大きな問題になっています。
 少し長いスパンで日本の雇用状況を振り返ってみると、日本は雇用を大事にする国ということで世界でも通ってきました。というのは、1970年代に2度のオイルショックがあり、とりわけ79年の第二次オイルショックの後、ヨーロッパは10%近い失業率になり、雇用問題に苦慮しましたが、日本はそれを見事に乗り切って80年代は一人勝ちの状態でした。90年代初頭にバブルがはじけて、それ以降もしばらくはなるべく失業させないようにという従来型の対応をしてきたのですが、97年に典型的な終身雇用と思われていた山一や長銀などの破綻があって失業率が一気に5%を超えました。
 労働を取り巻く環境変化の一つに労働組合があります。現在の組合組織率は18.5%で、労働組合に加入している人は5人に1人以下です。75年にスト権ストという大変な争議がありましたが、それ以降は集団的な労使紛争はほとんどなくなっています。他方、個別的な労働紛争は非常に増え、その対応のために2006年から労働審判がスタートしました。この労働審判の一番の売りは、迅速な紛争処理で、3カ月以内に事件を処理します。労働審判は非常に活用され、倍々ゲームのように事件数が増えています。その結果、全体の個別労働紛争訴訟は20年前の7倍にもなっています。その背後には訴訟になっていない個別的な労働紛争があり、都道府県労働局に寄せられる相談件数は、今や25万件近くに達しています。労働訴訟になるような紛争は潜在的に相当数あるということです。

■雇用システムの変化

 まず労働市場ですが、昔は若年者が多く高齢者が少ないピラミッド型の労働力構成でした。それが少子高齢化で逆ピラミッド型になってきました。このことがあちこちに影響を及ぼしています。
 昔は労働者階級という言葉があったように均一な男性正社員をモデルに労働問題を議論できたのですが、今は労働者像が非常に多様化してきています。労働力が減少する中で国の経済を維持するため労働力を確保する一つの方策として外国人労働者の導入もありますが、日本は非常に慎重でした。日本では、それ以外の方策として、女性や高齢者に働き続けてもらう施策が採られ、育児介護休業法や高年齢者雇用安定法が制定されました。女性や高齢者は、パートタイマーや嘱託という非正規労働者として働くことが多く、この点からも、労働力が多様化してくることになります。また正社員の中でも個人主義が台頭するなど価値観も変化し個別的な人事管理に変わってきます。年功序列はかえって不公平だということで、90年代は盛んに成果主義が導入され、その人の働きに応じて差を付けるという個別化も進みました。このように労働者像の個別化、多様化が進んできました。
 企業(使用者)については、高度成長期には右肩上がりの成長が続きました。日本企業のコーポレート・ガバナンスについて従業員主権企業ということがいわれたことがありますが、株式持合い、安定株主の存在、そして終身雇用の終着点として内部昇進していった人たちが経営者となるなど、株主より企業内部を向いて、従業員の雇用を最優先に対応しました。
 しかし、企業の競争環境が大きく変化しました。今の日本は付加価値で先進国と競争しなければならず、同時にアジアとは価格競争をしなければならない非常に厳しい立場にあります。そして従業員主権企業がよいと言われた時代が終わり、株主主権主義を志向した法整備が進みました。
 そういう中で、かつては安定的・協力的だった労使関係は、組合組織率が低下し、個別的な労働紛争が急増しています。

■雇用システムの変化に対する労働法の対応

 この20年間の労働法は三つの動きが同時進行したと思っています。一つは「規制緩和」です。90年代のバブル崩壊以降、日本企業がなかなかうまく再浮上しなかったので、労働市場規制を緩和する動きが顕著に表れてきました。二つ目の動きは「再規制」です。現代の働き方に合わせて、フレックスタイム制や裁量労働制など、従来からあった労働時間規制などが再規制・現代化されました。三つ目の対応は新たな価値に対応した「新規制」です。昔はとにかく雇用を維持することが最優先でその他の価値、例えば、差別規制などは緩やかでした。しかし、雇用保障以外の男女差別やパート差別、年齢差別も問題になってきました。それから、ワーク・ライフ・バランスも新たな価値で、育児介護休業法が制定されました。また、紛争処理が増えてきて、新たな紛争処理システムも整備されてきました。

■派遣労働の規制緩和

nimoku568_03.JPG 規制緩和が最も顕著に表れたのが派遣労働の規制でした。労働者派遣は職業安定法で禁止されていましたが、85年に労働者派遣法が制定され解禁されました。このときはポジティブリスト方式と言って、法が指定した業務だけは解禁するというものでした。
 それが大転換したのが99年の労働者派遣法改正でした。このときから労働者派遣事業が原則自由化され、港湾労働などの禁止業務だけをリストアップするネガティブリスト方式になりました。
 2003年に更に労働者派遣法が改正されて、製造業についても派遣が解禁になりました。製造業派遣の派遣期間の上限は当初1年でしたが2006年からは3年間となります。こうした中で派遣村で話題になったような「派遣切り」といった状況が生じてくることになったわけです。

■「派遣切り」問題 労働者派遣の仕組みというのは、派遣労働者は派遣業者に登録をして、派遣先から依頼が来ると、派遣会社と派遣先が労働者派遣契約を結び、派遣労働者と派遣会社は派遣期間の間だけ労働契約を結びます。実際には派遣労働者が派遣先で働くのですが、この派遣労働者と派遣先の間に労働契約関係は生じません。「派遣切り」の問題点は、業者間の派遣契約を途中で切ってしまっても業者間の取引だから別に構わない、そして、派遣契約が切れれば労働契約も切れると考えられてきたことです。実は当初、厚労省も業者間の派遣契約が切られたら労働契約も切られても仕方がないと漠然と考えていたようです。それがいろいろ問題になり、現在では厚労省も労働者派遣契約と労働契約は別だ、派遣契約が切れても労働契約も解除できるとは限らないということをはっきりさせています。

■2010年派遣法改正案

 2010年に派遣法改正案が国会に提出されました。この改正案のポイントの1番目は、登録型派遣の原則禁止、例外的に85年から認めた高い技能を必要とするものだけは認めるというものです。2番目は、2003年に解禁された製造業派遣も原則禁止となります。例外的に雇用の安定した常用型派遣の場合は認めるとなっています。3番目が、派遣村で問題になった日雇い派遣も原則禁止になります。4番目は、グループ企業内の「もっぱら派遣」も80%以下に規制する。5番目は派遣先の直接雇用見なし規定で、違法派遣の場合の派遣先の責任を法律で明確に規定しようというものです。6番目に、派遣業者が高いマージンを取っていたというのがわかりましたので、マージン率を公開せよということも入っています。これらが現在派遣について議論されていることです。

■有期労働契約の問題

 派遣は問題が多いのですが、全体の中ではかなり限られた人たちの問題です。より大きな問題は有期雇用で、これには二つの問題があります。一つは雇用が不安定であること、もう一つは正規雇用との処遇に大きな格差があることです。
 雇用の不安定さについてもまた二つの問題があります。まず一つが、リーマンショックの後、派遣切りと同じように有期契約も有期切りで、もう一つが、有期労働契約の契約満了による雇用終了、すなわち更新拒絶による雇止めの問題です。

■有期契約の中途解約(有期切り)

 民法には「やむを得ない事由」があれば有期契約の中途解約ができるとありますが、やむを得ない事由がなければ解雇ができないのかが問題となりました。「やむを得ない事由がなければだめだ」という強行規定説と、「やむを得ない事由がなくても、いつでも解雇していいと契約に書いておけば、その契約によって変更できる」という任意規定説がありましたが、2007年に労働契約法をつくり、「やむを得ない事由がある場合でなければ中途解雇(有期切り)はできない」という強行規定説をはっきりと書きました。有期契約の中途解約の問題は、そういうことで一応立法的には解決されています。

■有期契約の更新拒絶(雇い止め)

 有期契約が、「反復更新によって無期契約と実質的に異ならない場合には、正当な事由がなければ解雇は無効になるという解雇権濫用法理を類推適用する」というのが判例法理です。しかし、問題はいったいどういう場合に実質的に無期契約と異ならないのか、どういう場合に合理的期待が生じたと言えるのかはだれにもわからないということです。そこで、実務では雇用調整できなくなるリスクを回避するために、有期契約を2年11カ月で更新しないという扱いが多くなされています。しかし、3年以上更新しないという取扱いは何ら法律に根拠があってなされているものではありません。労働基準法14条の「労働契約は3年を超える期間については締結してはならない」という規定は、1回の期間の長さに関する規制で、反復更新して有期契約を利用してよい期間の規制とは関係ない規定です。そこで、こうした有期契約の利用ルールについてきちんと議論して立法してはどうかということで有期労働契約研究会が設置されました。

■有期契約の締結事由・濫用規制

 EU加盟国は三つの対応をしています。一つは入口規制というもので、有期契約が締結できるのは臨時的必要等の客観的な理由がある場合だけというもので、南欧の国々はそうしています。それに対して、労働市場が硬直化して高失業問題が生じたので、中北欧の国は入口規制をやめて出口規制にシフトしました。
 出口規制とは、理由は要せず有期契約を使ってよいが、それが一定回数以上更新された場合、あるいは一定年数以上継続した場合は無期契約に変えてくださいという規制です。出口規制をやると、その決められた一定年数直前の雇い止めを誘発する恐れがあるのではないかが問題になります。最近出口規制を導入した韓国でも同じような問題がありましたが、実際に雇い止めをされたのは3分の1にとどまったということでした。

nimoku568_04.jpg

■正規雇用と非正規雇用の処遇格差

 格差問題は、有期にとどまらずパートや派遣に共通する課題です。よく同一労働・同一賃金と言われますが、年功的賃金の日本では、新入社員と勤続30年の人が同じ仕事をしていることがあります。そのときに賃金が違うのは違法となるのでしょうか。また、家族手当や扶養手当を支払うのはおかしいということになります。日本は仕事で賃金を決めていませんので、その中で同一労働・同一賃金原則をどこまで議論できるのかという問題になります。
 もう一つ、法規制する場合に、「均等処遇(差別禁止)」なのか「均衡待遇」を要求するのかという問題があります。均等処遇というのは同じ仕事をしているのに賃金が違うのは差別だということです。これに対して正社員の働きが100に対して、例えば有期労働者の働きが80というときに、賃金は100対50というように大きな差があるのはおかしいのではないかというのが均衡処遇の問題です。これはどうやって客観的に働きの違いを認識するのかが難しい問題です。そこで現在の日本のパート法は、当事者に説明義務を課すという規制にとどめています。 ■「有期労働契約研究会最終報告書(案)」の報道

 もうすぐ公表される有期契約研究会の最終報告書について、「大幅な規制強化を求める内容になっている」との報道もありましたが、私どもの今回の研究会報告は、むしろいろいろな選択肢があって、それぞれの選択肢にはメリットとデメリットの両面があるから、それをよく考えて政策選択してほしいという内容です。
 非正規雇用からなるべく安定した雇用に移動させるステップとしての有期雇用の機能を踏まえて、壁をなくす雇用に組み替えていくことを提案している内容だと私自身は思っています。

■雇用システム全体における柔軟性と安定性のバランス:Flexicurity

 雇用システムは、柔軟性と安定性のバランスがとれていないとうまく機能しません。今ヨーロッパでは、FlexibilityとSecurityが合体したFlexicurityを目指さなければならないと考えられています。日本の正社員は雇用保障の形でSecurityを保障される代わりに、労働条件調整は柔軟に認めるという形でFlexibilityを導入し、日本型Flexicurityを実現してきたといえます。問題は非正規雇用の人たちで、雇用量の柔軟な調整ができるだけの存在としてこれまであまり正面から取り組まれてきませんでした。かつての非正規雇用の人たちは主婦パートや学生アルバイトなど、それほど深刻な社会問題とならない人たちが中心だったのですが、現在の非正規雇用はそれで生計を維持している人たちの問題になってきたわけです。この人たちのSecurityとFlexibilityについてきちんと考えないといけない時代なのだと思います。

■新時代の労働法の任務

 多様な雇用モデルを個人が選択する時代になってきていますが、いずれのモデルを選択してもdecent work(働きがいのある人間らしい仕事、公正さの確保された働き方)を保障できる仕組みをつくることが新時代の労働法の任務だと思います。そして、個人が違法な状態に置かれているとすれば法に訴えて紛争解決をする。そのための基盤としての労働法の教育にも目を向けなければならないと思っています。ご清聴ありがとうございました。
(終了)