第669回二木会講演会記録

「自立して歩き旅をしたい人の実践講座~国境なき Senior Wanderer 10年の足跡」

講師:坪内俊之さん(昭和45年卒)
開催日時:令和4年11月10日(木)19:00-20:00

〇渋田(司会) 本日の二木会は、昭和45年卒の坪内俊之(つぼうちとしゆき)さんに「自立して歩き旅をしたい人の実践講座~国境なき Senior Wanderer 10年の足跡」をテーマにご講演いただきます。
 坪内さんは、昭和50年、九州大学工学部合成化学科をご卒業後、出光興産株式会社に入社され、中央研究所に所属し合成潤滑油の開発等に従事されました。平成24年3月、「自由」を求めて、満60歳を迎えたのを機に定年退職され、その後は4,176㎞を完走するトランスヨーロッパ・フットレースへの参加、5回に及ぶサンティアゴ巡礼(合計約6,000㎞)、四国遍路通し打ち108カ所霊場完踏など、国内外の様々な場所で精力的に「歩き旅」・「走り旅」を実践されてきました。
 講師と同期でいらっしゃいます昭和45年卒の城戸賢嗣さんより講師紹介をしていただきます。(拍手)

■講師紹介

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〇城戸 彼は九州大学在学中に探検部に所属していて、高校時代もそうであったように、探求心と行動力で充実した大学生活を送っていました。その後、学部卒で出光興産に入り、わずかな現場の期間を経て研究職に就き、合成潤滑油の開発を手掛けていました。そうした中、仕事をしながら博士号を取得しています。真面目で粘り強く目標に取り組む努力家という側面もあります。
 在職中は、特許を取るなど研究に打ち込みながら、合間にウルトラマラソンに出たり、また、マラニックと称して、走り仲間と長距離を走った後においしいものを食べたりしていましたが、定年とともに研究職をきっぱり辞めて、「国境なき徘徊老人」と称して、安価に楽しむ国内外の歩き走り活動に注力してきました。それが今日の講演内容です。
 彼は以前から100歳まで生きると公言していますので、将来はお孫さんたちとアウトドアを楽しんでいくのだろうと思います。

■坪内氏講演

〇坪内 ご紹介いただきました坪内です。好きで遊んでいたことが、このようなかたちでお話しすることになってしまい恐縮に思っています。名刺にも書いていますが、「国境なき徘徊老人」と自嘲的に言っています。名刺に主な足跡を書いていったら毎年増え続けて古いものは裏側に行き、今後また増えていったら裏側にも書く場所がなくなりそうです。

■現在に至る背景

 小さいころは、父親が私をよく散歩に連れて行ってくれました。それで歩くのが好きになったのかもしれません。そして高校1年の時の佐賀西高との交歓会で、ワンゲル同好会の背振山を越えて佐賀西高まで行く40㎞夜間行軍に参加したのをきっかけに、ワンゲル同好会に入りました。その後は、背振の金山の山頂でアセチレンランプをつけて、酒を飲みながら蛾の夜間採集をするということで、それをやりたくて生物部に入りました。生物部では、祖母山の9合目小屋に泊まってチョウチョの採集にも行っていました。
大学では探検部に入り、藪漕ぎ縦走や鍾乳洞探検、雪上訓練などをやりました。台湾にも行きましたが、結局部員とばらばらになり、1人で散策しました。
 入社後は普通の人間だったのですが、34歳の時に交通事故に遭い、1カ月間何もできませんでした。やはり健康が大事で、1日、1週間、1カ月、1年を有意義に過ごさないともったいないと思うようになり、1年に1回、サムシングニューとして仕事以外で何か一つ取り組もうと思いました。そしてその何か一つが、どんどんエスカレートしていきました。
 35歳の時に初めて10マイルの大会に出た際に体調を壊し、「これは練習して出ないといけない」と思い練習に励みました。その後ハーフマラソン、フルマラソン、100㎞マラソン、そして第2回のハセツネカップという24時間山岳耐久レースに出ました。その後、モンブランに登頂し、3時間半という制限時間がある富士登山競走にも参加しました。また仲間と6人で24時間リレーマラソンに参加した際に、1人で24時間走る人がいて、ばかだなと思っていましたが、翌年は私が1人で24時間走って、私がばかになっていました。
 他にも田子の浦から富士山頂まで個人的に走って登ったり、270㎞/48時間のマラソンにも参加しました。また、トランスエゾという大会で北海道の襟裳岬から宗谷岬までを7日間で走り、その翌々年にはその往復、宗谷岬・襟裳岬・襟裳岬・宗谷岬1100㎞を14日間で走りました。また宮古島で100㎞の大会を土・日でやっていましたので、2日連続でその100㎞の大会に出ました。それから、5日半の制限内に荒川の河口から源流に行って分水嶺を越して信濃川の源流から河口に行く、本州横断の川の道フットレースという大会に出ました。59歳の時には本州を縦断し、青森から下関まで走りました。その後、退職前に山道で無理をして、右の足首骨折と反対側の靭帯断裂を経験し、会社時代の走りはそこで終わりました。
 私は、英語が全然できずTOEIC355点という状態でしたが、日本精工(NSK)とトロイダルCVT用のトラクションオイルの開発に関する研究期間中に、イギリスの学会での発表をNSKさんから提案されました。学会発表の経験もなく英語は全然できないし、困ってしまい、会社の英語の達人に相談しました。そのころヒアリングマラソン1000時間という1日3時間を1年間続けたら耳が聞こえるようになるというのがありました。だまされたと思ってそれをやってみると、400時間ほど過ぎたら、ぱっと聞こえるようになりました。大抵の人は2カ月ほどであきらめるのだと思いますが、半年ほど続ければ誰でもできます。その後は趣味になって、英検準1級とTOEIC850点を取りました。
 そのころ農薬医薬で当たり前のQSAR(定量的構造活性相関)の手法を合成潤滑油の世界で応用した論文を発表し、学会の論文賞を頂きました。合成潤滑油の世界では初めてということで、恩師が「学位を取る気があるのなら面倒を見る」と言ってくれたため、2年間で、英文で書いたものも含めて論文を5本出し、博士号を取得しました。
 その後も、学会発表やドイツの大学との委託研究などで海外に行きました。出張先では現地のアテンドを断り、自分で走ったりしていました。

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■10年の主な足跡

 退職した年に、デンマークのユトランド半島の一番上からドイツ、フランスを通って、スペインのジブラルタルまで4,176㎞のトランスヨーロッパフットレースに参加し、64日間休みなしで、一日平均で65㎞走りました。1年前の足首骨折と靭帯断裂で練習不足でしたので最初のうちは歩きも交えて体づくりをしていましたが、2,000㎞ぐらい行くと調子が上がり、日本人では3位という予想外の成績でゴールできました。このことは以前に『菁莪』に書いたことがあります。
 その後、トランスヨーロッパフットレースに出ていたパトリックというフランス人に誘われて、サンティアゴ巡礼の、フランスのル・ピュイ・アン・ヴレ(Le Puy En Velay)からサン・ジャン・ピエ・ド・ポー(Saint Jean Pied De Port)までの「ルピュイの道」を走るウルトラトレイルマラソン(UltraTrail of Saint Jacques)に参加して走り、その後1人で「フランス人の道」を歩きました。その際、オーストラリア人の女性に「北の道」は、アップダウンはあるけども人が少ないと勧められたため、次の年はこの「北の道」を歩いた後、「ポルトガルの道」を逆にポルトまで歩きました。
 このように歩いて、巡礼の道がよくわかってきたので、今度は巡礼の道を色々繋いで、地中海沿いのアルメリアから「モサラベの道」を通って、メリダで「銀の道」に合流して北上し、「サナブレスの道」を歩いてサンティアゴに行って、それから「イギリス人の道」を逆にア・コルーニャまで行って、地中海から大西洋までの1,700㎞を61日で歩きました。
 2018年はマドリードから、もっと人が少ない「マドリードの道」をレオンまで行って、「サルバドーレの道」を経由して「プリミティボの道」を歩いてサンティアゴに行きました。
 2013年は、ヒマラヤ通のランの先輩に連れられてエベレスト街道に行きました。高度順化も兼ねてルクラからナムチェバザールに行きました。チュクンリとカラパタール、ゴウキョリはいずれも5,500mほどあるのですが、それぞれからエベレストが見え、チュクンリからマカルーやローツェ、アマダブラムが見えました。神が宿るとよく言われますが、本当に神々しくて素晴らしかったです。ポーターも何も雇わずに行きましたので、1カ月の滞在費が6万円で済みました。
 その後、タスマニア島のオーバーランド・トラックに行き、そしてフレシネ半島とマリア島に行きました。タスマニアではかわいいウォンバットやワラビーに出会い、また氷河湖がきれいでした。その年の「銀の道」を歩いた時に知り合ったスペイン系オーストラリア人とメルボルンで再会して、彼にメルボルンを案内してもらいました。ただオーストラリアは物価が高く、公園でビールを飲むのは禁止されていることもあって、旅をしにくい街でした。
 2016年には、愛用しているガイドブックにあったGR11というルートを行きました。ピレネー山脈のスペイン側のロングトレイルです。日本と違い国立公園でも自由にテントを張れます。たくさん氷河湖がありましたのでその横に張り、水はそこで調達しました。54日のテント泊で、大西洋から地中海まで935㎞を移動しました。最初は緩やかですが、2,800mぐらいの峠を1,500m登って1,500m降りるという行程も何日かあり、地中海に到達した時には感激しました。
 五島列島にも行きました。教会を回ると巡礼証明書をもらえます。その巡礼証明書をもらいに事務局に行った時に、これを一気通貫で全部歩いた人はあなたが初めてですと言われました。大抵の人は車で回るそうです。
 また、ガイドブックに英国ナショナルトレイルというのがあり、そのうちのサウスウェストコーストパス、ローマ皇帝ハドリアヌスが作った石垣の道に沿ったヘイドリアンズ・ウォールパス、湖沿いのウエストハイランドウェイ、ネス湖を歩くグレイトグレンウェイ、ウイスキーの蒸留所があるスぺイサイドウェイの5カ所に行きました。
 ドイツのライン川渓谷とモーゼル川渓谷のトレイルトレッキングにも行きました。ライン川の中流域は世界遺産で、クルーズで行く人が多い中、トレッキングコースを行き、渓谷の上からの景色は本当にきれいでした。ブドウ畑がたくさんあってお城もあります。モーゼル川はライン川の支流で、蛇行して湾曲がたくさんあります。10月に行きましたのでワインもおいしかったです。谷が狭いので、朝は水面から上がる霧で川が見えず雲海になっていました。ここのトレッキングは、ランの仲間を連れて3回ほど行きました。
 また愛用のガイドブックにあった、ミュンヘンからベネチアに北から南へアルプスの東側の峠を登り下りするコースを歩きました。これはドイツ人に人気のコースのようです。山小屋は林道の終点にあり、食事は非常においしいものでしたが、毎日の峠越えは大変でした。その後、バスでクロアチアに行き、(アドリア海沿いにある)ヴェレビト山脈を、アドリア海を見ながら縦走しました。ここを歩いた日本人は初めてだと、泊まった全ての山小屋で言われました。観光地でもありませんし、日本人はほとんど来ないところでした。
 そして、コロナ前の最後の2019年は、ブルガリアの三つの山岳国立公園、中央バルカン国立公園、リラ国立公園、ピリン国立公園をガイドブックの通りに行きました。中央バルカン国立公園は山がなだらかで、稜線で馬の放牧をやっていました。リラ国立公園にはバルカン半島最高峰のムサラ山というのがあり、ピリン国立公園は世界遺産で、大理石でできているヴィフレンというきれいな山があります。
 この後はコロナ禍の影響で海外に行けなくなったのですが、その2年間でみちのく潮風トレイルという、八戸から相馬までを海岸沿いにずっと行く約1,000㎞のロングトレイルが全線開通していましたので、そこをテント泊主体で39日間歩きました。北山崎という所では、上から下まで断崖のところを登るようなアップダウンがたくさんありました。
 2022年も、やはり海外には行けなくて、四国遍路にでも行くかとなり、88カ所だけでは面白くないから別格の20も併せて、通し打ちで、テント泊を主体にして1,417㎞を40日で行きました。

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■歩き旅の経費実績

 限られた予算の中で、安く済むようにテント泊をしています。往復交通費抜きの1日当たりの単価をまとめたところ、みちのく潮風トレイルと四国遍路はテント泊主体ですから、1日4千円ほどでした。ブルガリアでは物価が安くて、宿に泊まりバスで移動したのに4千円ほどで済んでいます。
 エベレスト街道も、全部ガイド・ポーターなしですから1日単価が4千円ほどでした。ベトナムも物価が安く、列車と徒歩(走り)で同じく1日単価が4千円ほどでした。スペインの巡礼は全部巡礼宿に泊まって5千円弱、GR11はテント泊ですが宿にも泊まりましたので、巡礼と同じ5千円ほどです。イギリスは物価が高いのですが、テント泊が主体でしたので6千円ほどでした。
 オーストラリアも物価が高いです。タスマニアはテント泊が主体なのですが、7千円ほどかかっています。ドイツは宿に泊まったので日単価が8千円ほどになります。ミュンヘンからベネチアまでも全部山小屋に泊まり8千円程度でした。それでも日本に比べたらそんなに高くはないのかもしれません。
 文献の旅費比較によれば、欧州のバックパッカースタイルで一番費用が高いのはスイス、アイスランド、ノルウェーです。その次が、デンマーク、スウェーデン、フィンランドの北欧とイギリスです。それに続くのがフランスとドイツです。それより安いのがイタリア、ギリシャ、スペイン、クロアチアで、さらに安いのはブルガリアやルーマニアの東欧です。そして一番安いのがウクライナとアルバニアです。

■2013年サンティアゴ巡礼

 「ルピュイの道」に行った時は大会でしたから、1日約60㎞、4月の中旬でも残っている雪の中を走りました。これはロングトレイルのGR65に並行しています。トランスヨーロッパと同様にみんなで体育館みたいなところに泊まりました。サン・ジャン・ピエ・ド・ポー(Saint Jean Pied De Port)に着いてからは「フランス人の道」を1日約30㎞から35㎞歩き、ピレネー越えは雪道でした。アルベルゲ(巡礼宿)は、私営でも10ユーロ、公営ですと6ユーロで安く泊まれます。夕食もワインをボトル1本飲んで12ユーロほどで、とても安いです。
 巡礼宿に泊まると、その近くにはピルグリルメニューを12ユーロで提供する巡礼者用の食堂があります。参加者みんなが共通の話題を話しながら同じテーブルで食べるので、すぐに仲良くなれます。私がル・ピュイからサン・ジャン・ピエ・ド・ポーまで走ったことを話したら、変な日本人だと言われ話題の提供には事欠きませんでした。あるところではウサギの煮込みがあり、それを私だけが頼んで頭までばりばり食べていたら、シェフが喜んでもう一皿くれました。すると隣にいたカナダの女性から私のポークも1枚あげると言われてまたもらい、お腹一杯でワインをボトル1本飲みました。
 日本人には全部で6人会いました。私は人一倍歩くのが早いので、前を歩いていた日本人6人を追い越したのです。現地で友達になったスペイン人のジュリーとブラジル人のエディの話では、「やたら歩くのが速くて、朝から生ビールの大ジョッキを飲んでいる日本人を見たか」と話題になっていると笑われました。次の日も、途中にバルがあったので、そこで飲んでいたらまたジュリーとエディに会って、「またやっている」と大笑いになりました。また、私と同じぐらい速早く歩くスウェーデンの若者が1人いて、彼は途中で会ったスペイン人の女性と意気投合して次の日からは2人でゆっくり歩いていたのですが、ゴールのサンティアゴで偶然再会しました。そして到着して巡礼証明書をもらった後は、大西洋岸のフェニステレ(Finisterre)まで行きました。

■四国遍路108カ所

 カミーノ・デ・サンティアゴと熊野古道の二つの巡礼を達成したら、二つの道の巡礼者(Dual Pilgrim)というバッジと証明書をもらえます。それに四国遍路を加えて三つの完歩を目指す「To be a Tri-Pilgrim」ということで、そのゼッケンを着けて歩きました。キリスト教と神道と仏教で支離滅裂ですが、歩きたいから歩いているということです。1日30㎞ほど歩きました。全部がテント泊でしたので、全部の費用は16万円ほどでした。食費は自宅にいてもかかるので、出費7万6千円で41日間遊んだということになり、安価で健全な遊びだと思っています。
 「別格」という霊場は不便な場所で、そこに行くのにわざわざ遠回りしないと行けませんでした。道中は遍路小屋の軒下や無料のキャンプ場や道の駅の屋根の下に泊まって歩きました。遍路のための立派な休憩所もあります。町の公園でテントを張っていたら、警官から職務質問されたこともありました。

■自立徘徊の手引き

 サンティアゴ巡礼については、日本の「日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会」というサイトを見るとその様子がよく分かります。主なサンティアゴ巡礼の道には宿などのインフラが整っていますが、マイナーなところは巡礼宿がほとんどなくて、一般の宿に泊まることになるので割高になります。
 今はコロナで減っていますが、巡礼者数はそれまでは急増していました。そしてカトリックの聖年(ホーリーイヤー)に当たる年は、特に巡礼者数が増えていました。
 巡礼の道はいくつかありますが、「フランス人の道」を歩く人が一番多く、次が「ポルトガルの道」、「北の道」といった感じです。時期は6月から9月が一番多いです。最低100㎞歩くと巡礼証明書をもらえます。「フランス人の道」のサリア、「ポルトガルの道」のトゥイ、「イギリス人の道」のフェロル、「プリミティボの道」のルーゴ、「サナブレスの道」のオウレンセをそれぞれタート地点として、最低100㎞を歩いて証明書をもらおうという人がやはり多いです。
 国別ではスペイン人が一番多く、次にイタリア、ドイツ、アメリカ、ポルトガルの順になっています。その次はフランス、アイルランド、イギリス、ブラジル、韓国、ポーランドです。韓国は巡礼をテーマとした小説がベストセラーになったことで人気になっているようです。更に、オーストラリア、カナダ、オランダ、メキシコ、アルゼンチン、デンマーク、ベルギーと続きます。ベルギー人は年間約2千人なので、日本人はせいぜい数百人程度で少ないと思います。
 日本語のガイドブックは友の会が出していますが、あまり実用的ではありません。Amazonで英語版を買うのが一番おすすめです。最新情報はFacebookのグループ参加が便利で、日本語のグループであれば「スペイン巡礼フレンド」などがあります。しかし「フランス人の道」に関する情報がメインなので、海外の巡礼グループを探してそれを見るのがいいです。他にも「Camino Adventures」というメールマガジンが、Camino(巡礼路)についていろいろ教えてくれます。
 宿情報については「Gronze」というwebサイトがあり、道やアルベルゲについても詳しく出ています。「EROSKI」というスーパーがやっているサイトも詳しいです。
 巡礼以外については、欧州を中心に多数のトレッキングの紹介をしているイギリスのシサロウニ(CICERONE)社のガイドブックを愛用しています。このメルマガから最新の情報を得られます。2017年7月のニュースレターで、クロアチアのspine稜線をVelebit Trailと呼んでアドリア海を見ながら歩けるという記事を読んで、翌年にここを歩きました。
 それから、「KE Adventure Travel」のメルマガもとても参考になります。物価が分かりますし、適する時期とかルートの紹介や宿や列車の情報もあって、とても参考になります。
 旅全般の情報については、「TRAICY」が飛行機のセール情報とかを毎日配信しています。LCCのメルマガにも、例えば沖縄まで999円といった割引の情報が載っています。高速バスもたまにセールをしていますし、旅行社のサイトも参考になります。
 スマホ地図では、GPSアプリのジオグラフィカ(Geographica)を使っています。ルートのgpxファイルをwebからダウンロードしてこの地図に入れると、絶対に道には迷いません。オフラインでも使用可で、事前に宿などのマーク登録ができますのでとても便利です。
 ただし、GPS地図には落とし穴があります。以前に、美ヶ原で道を外れて獣道に入ってしまったことがありました。GPSの地図では進む先に道路がありましたので、強行突破してその道路に出ようと思って行ったところ道路の前に高い壁があり、そこを飛び降りようとして骨折してしまいました。翌年に現場検証に行きましたが、高い壁がずっと続いていて全然道路に出られなくなっていました。壁の高さが3mなので、ぶら下がって1m程度飛べば大丈夫と思ったのですが、足場が悪くて着地した時に足が真横になっていました。自戒のために、その時のチタンプレートをキーホルダーに付けて持ち歩いています。
 このジオグラフィカはトラックデータの色を変えて遊べますので、コロナで出掛けられなかった時に、家の近所でお絵描きランをしました。
 資料は他にもたくさんありますが、時間になりましたので終わります。ありがとうございました。(拍手)

■質疑応答

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〇中島 昭和57年卒の中島です。どのような靴を使われているのでしょうか。

〇坪内 そのときの荷物によりますが、テント泊のときはよくあるくるぶしまでのトレッキングシューズです。底が滑りにくいビブラムや、モンベルの滑りにくい靴で行っています。

〇宮崎 昭和56年卒の宮崎です。サンティアゴ巡礼にずっと憧れていて、夫が定年になったら絶対に行きたいと思っています。
 サンティアゴ巡礼の場合テントは要らないようですが、荷物は大体どれぐらいの重量でしょうか。

〇坪内 私の場合は8kgほどです。小さな寝袋は持っていきましたが、ほとんどの宿には毛布とかがあります。ときどき南京虫がいますのでインナーシーツを持っていって、それを使います。寒ければ宿の毛布を掛けます。

〇等 昭和45年卒の等です。体調が悪くなったらどうされるのでしょうか。

〇坪内 体調が悪くならないのです(笑い)。胃腸も丈夫で、何を食べても腹は壊しません。食中毒が今までに3回ありましたが、私は少し調子悪いかなぐらいで済みました。本当に体調が悪くなったことはありません。親に感謝です。

〇古賀 昭和45年卒の古賀です。ご家族はブレーキにはならないのでしょうか。

〇坪内 諦めです(笑い)。とにかく自分の思うことを継続していれば、周りも諦めるのだと思います。

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■会長あいさつ

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〇伊藤 坪内さんは、現役時代はきちんとお仕事をされて、退職後は本当に自分の好きなことを極められていらっしゃいます。質問にありましたように、ご家族の思いはどうだろうとか、体調が悪いときはどうされるのだろうとか思いましたが、いろいろな困難をむしろ楽しみにしていらっしゃるという感じです。鉄人という言葉が一番ふさわしいと思いました。老いてますます盛んというのはこのような人を言うのだと、感心してお話をお聞きしました。
 退職したらこんなことをやってみたいと思っている修猷の卒業生にとっても、貴重な先達になっていらっしゃると思いました。坪内さんの活動に感動し心から敬服した次第です。本日はありがとうございました。(拍手)

(終了)