第558回二木会講演会記録

第558回二木会講演会(2009/7/9)
演題 "一度の人生を楽しむ"?南太平洋トンガ王国で国際ボランティアに挑戦?
講師 藤瀬多佳子氏(昭和57年卒

1.jpgのサムネール画像

○河原 藤瀬さんと水泳部で一緒だった河原です。本当に厳しい練習だったので彼女とは戦友のような感じです。福岡県の女子の水泳はレベルが高いのですが、その中で彼女は平泳ぎで県大会2位という大変な実力者でした。昼休みに着替える時間がもったいないと、彼女はよくセーラー服のまま部室でベンチプレスをやっていました。
2.jpg■藤瀬多佳子さん講演
○藤瀬 私は修猷館高校から九州大学に入学し、大学院では「噛むことと健康」というテーマで、よく噛むと肥満対策になる科学的エビデンスについて研究しました。
 九州大学は約20年間にわたり、JICAの歯学研修を担当していて、世界中から来た研修生との交流の中で、私も自分の目で世界を見てみたいなと思うようになり、JICAボランティアに応募しました。館歌の1番に「御国の為に世の為に尽くす館友幾多」とありますが、文字どおり、このフレーズに背中を押されて世界に行ってみたというのが実情です。
 私が参加したのは40歳から69歳を対象とした「シニア海外ボランティア」の「保健衛生」の分野でした。携えていったのは、日本国のパスポートと古今東西老若男女に共通な健康観。新規要請職種だったので本当に白紙の状態から始める活動でした。
3.jpg■トンガ王国
 トンガは南太平洋にある島国で、ポリネシアに属しています。日本から約8,000キロ離れています。日付変更線のすぐ西側に位置していて世界で一番早く日が昇るブロックにあります。イギリスの保護領になったことはあるのですが、他国に支配されたことはないので、本来の国民性と素朴な天然美を今なお維持しています。体格が大きな人が多く、ガリバー旅行記の巨人のモデルになった国とも言われています。経済的には海外からの援助に依存している開発途上国です。
 ■トンガの「衣食住」
 「衣」については、女性は肌を出さない格好が好まれています。下は男性も女性も巻きスカートのようなものを着ます。清潔好きな人たちで、朝の女の子の日課は家族中のアイロン掛けです。電気がないところでもココナッツのシェルの部分を熱してそれをアイロンの代わりにしているようです。
 「食」は、日曜日などはルーシピという、タロイモの葉を使っていぶす料理で中に羊の肉や鶏などが詰めてあるものをよく食べます。ヤムイモやお魚なども食べます。パーティーなどではロブスターとかカニが出ます。豚の丸焼きもあります。日本の食事に比べると色が少なく、トンガで一番恋しかったのは日本食でした。野菜が多い時期もありますが、シーズンによっては玉ネギとピーマンしかないときもあり、ビタミンの摂取には気を使っていました。
 食の西洋化に伴い、ジャンクフードも入ってきていて、食生活の変化によって男女ともに肥満、糖尿病、高血圧、むし歯などの生活習慣病が大きな問題になってきています。子供のころはそうでもないのですが、トンガの女性は1人出産するごとに太ってきます。体重計も200キロまで計れるものを使用しています。
 「住」については、都会には水道はありますが田舎にはありません。生活用水は主として雨水を利用していますので、水をとても大切にします。離島の家にソーラーシステムが付いていたりするのですが、壊れたら、直す人も物資もないためそのまま放置されているものも多く、物質的な援助というのは与えたほうの自己満足で終わっていることもよくあります。
■その他
 保健医療に関してですが、トンガでは病院での治療費はただで、病院で働いている人は公務員です。国民の平均寿命は67歳で、女性1人が一生に産む子供は大体4人です。
 学校制度は、大きく分けると小学校と高校です。5歳から11歳までが小学校です。6年生のときに全国一斉テストがあってその成績によって高校が振り分けられます。大学はトンガにないので海外の大学に行くことになります。
 国民性はフレンドリーで、行き交う人にはあいさつを欠かしません。トンガ語で「Yes」は「イーヨ」。本音と建前があって「No」とは言いません「多分ね」が「No」の意味です。先の約束はよく忘れます。本当に約束したいときは何度も繰り返し確認する必要があります。集団行動するときは男女が別々であることが多いです。
 前国王ツポウ4世が日本びいきだったということもあり、トンガの高校生は日本文化や日本語を学んでいます。そろばんが小学校で必修になっています。日本の中古車がけっこう走っていて、時々「右に曲がります」という日本語の音声案内がトラックから聞こえてきます。これは私しかわからないなと思っていました。
4.jpg■仕事
 私のことは新聞にも採り上げられ、日本からババウに歯医者がやってくるという宣伝をしてくれました。福岡市は日本でも歯科医師が多い地域で人口120万人に対し約2,000人いますが、トンガでは全人口10万人に対し7人しかおらず、私がボランティアで入って8人になりました。ババウ諸島、人口1万6千人に対しては、島唯一の総合病院に、私を含め歯科医師が2名が常勤していました。
 私が依頼されたのは、「歯科治療」と「歯科医師の指導」と「学校巡回歯科保健指導」でした。ババウの病院は見掛けは立派ですが、寄贈された中古の歯科用のチェアが3台あるだけです。月平均の患者数は約500人ぐらいです。それまでは残せる歯もどんどん抜く治療だったのですが、残せる歯は保存する努力をしようという方針を指導しました。
 トンガ滞在中の2年間は、トンガの文化に慣れる期間、適応して現状把握する期間、計画を実行して邁進・発展させる期間に大別できます。
 「現状の把握」については、現地で知り合ったWHOの職員と一緒にババウ諸島の32の小学校を全部回って1年生の歯の検診をしました。400人あまりをチェックしたところ、95パーセントの子供たちに、1人平均8本の虫歯がありました。原因は、ジャンクフードが入ってきていること、歯磨き習慣が徹底していないこと、親のケアが行き届かないこと、天水利用なので水道水のフッ素化ができないなどがあります。さらには慢性的な医療スタッフの不足や予算不足があります。
 このような状況で一番重要なのは予防医学の実践です。そこで計画・立案、開始したのが、小学校を毎週巡回して歯磨き指導をする「マリマリプログラム」です。「マリマリ」とはトンガ語で「笑顔」の意味です。午前中は診療室で診療し、午後は平均1日6校を訪問して、700人の子供に歯磨きの指導やフッ素洗口を指導してきました。
 次の年には幼稚園でもプログラムを展開し、小学生全体の歯科検診も実施しました。2,500人ぐらいの検診をした結果、きれいな歯の子は3%だけであとの97%はみんな虫歯があるという結果を得ました。
 虫歯は治療をした形跡もあまりなく、その対策として、まず虫歯のない子の表彰を企画し、虫歯がある子には連絡表でお知らせしました。
5.jpg そうしていくうちに先生たちもだんだん協力的になってきて、上級生が下級生に教えるシーンを目にするようになりました。ワークショップなどを頻繁に開催して、健康教育の重要性を先生たちに力説し、協力を得るために、現状と問題点、将来の目標、目標達成のために実施すべきことを明確にした資料を配布し、話し合いをもちました。実際のエビデンスに基づいた目標設定は、地元の人によるプログラム継続のためのモチベーションを高めるのに非常に有効でした。プログラムの展開にはいろいろな人たちとの連携も大切で、NGOの南太平洋医療隊の人たちや、JICAの青年海外協力隊の体育・幼稚園隊員の人たち、他国からのボランティアとも一緒に活動しました。
■他の活動
  "きれいな村コンテスト"審査の手伝いをしたとき、現国王の妹プリンセス・ピロレブとお話しする機会があり、私の活動内容とトンガのこどもの歯の実態をお話ししました。するとその表彰式の講評で、プリンセスが国民に「もっと歯の手入れをするように」と5分間くらい歯の健康について語ってくださったのです。これには感銘を受けました。
 異文化を理解することから始めた活動ですが、活動を続けていくうえには「信頼関係の形成」が非常に重要で、信頼関係なしにこちらが先走っても意味がありません。まず地元に根付いて、地元の人と同じ目線に立って、協力してできることから始めることが必要だと実感しました。
 ボランティア期間は2年間と決まっています。一定の期間内に一定の成果を上げるということでは、修猷館の運動会の経験に近いものがあり、トンガで運動会をしているような気がしていました。そういう私の姿を見て、一緒に働いているトンガ人は「Takako has no money but is spiritually fulfilled(多佳子はお金はないけれども、精神的には満足しているね)」と言われていました。
 世界の人から見た日本人の特長は、「勤勉で協調性があり、きちんと仕事をする」という点のようです。これは、先人たちの積み重ねてきた努力の元に得られている評価であり、今までに技術支援の分野で国際協力に励んできた先人に感謝の気持ちでいっぱいです。
 私が住んでいたババウは、太平洋を横断してくる世界中のヨットマンの憧れの地でもありました。ババウ・ヨット・クラブには世界中から来た人たちが残したTシャツが掛けてあります。私も去年東京修猷会でわれわれの学年が作った「修猷魂」Tシャツを残してきました。オーナーから、「このTシャツは人が持っていかないから、きっとここにずっと残るよ。なぜならトンガ人にはサイズが小さいからね」と言われました。

6.jpg
 私がババウで出会った世界を回っているヨットマンの一人が言いました。「冥土の土産に自分で持っていけるのは、思い出だけだ。」
 ヨットは、風上の目的地に向かって、90度ずつ方向を変えながら、進んでいくことができます。目的地への道のりはいろいろなコースを取りがあります。私のボランティア活動も、まさに人生のタッキングポイントでした。一気に90度方向転換すると、見える世界が大きく変わって、一瞬どこに向かっているのかわからなくなるのですが、タッキングを繰り返すことにより、最終的にはゴールに到達します。私はこれからも、風に向かって目的地を目指し、タッキングしながら人生を攻めてみようかと思っています。ご清聴ありがとうございました。

■質疑応答
○宮川 私も2年間南洋群島で雨水だけで生活をしてきました。そうすると魚の骨を焼いて食べたくなります。そういうカルシウムの根本的な問題はどうされていましたか。
○藤瀬 補助栄養食品は持っていっていました。健康管理にはかなり気を配っていて、しっかり食べるときには食べる、補強しなければならないものはサプリメントなどで補強するというかたちを取りました。

○司会 ありがとうございました。箱島会長、お願いいたします。
○箱島 今のお話に私は感銘を受けました。口の中から世界を見てたくさんの人から感謝され喜ばれたのだろうと思います。その気持ちのルーツがやはり館歌にあったということ、そして修猷魂を現地にTシャツとともに置いてこられたということは大変すばらしいことだと思います。藤瀬さんのような方が1人でもたくさん出ることが、日本と日本人が尊敬され一目置かれる道に通じる一番の早道だと思いました。本当にありがとうございました。
(終了)