第542回二木会開催報告

40cmから4kmまでのデザイン

日時
平成19年10月11日(木)
場所
学士会館
参加人数
53名
テーマ
「40cmから4kmまでのデザイン」
講師
松岡恭子氏(昭和58年卒)
建築家
(株)スピングラス・アーキテクツ 代表取締役
東京電機大学 准教授
略歴: 1987年 九州大学工学部建築学科卒業

1990年 東京都立大学大学院修士課程修了

1991年 コロンビア大学大学院修士課程修了

2007年 東京電機大学未来科学部建築学科准教授

運営/進行 S56年卒(スゴロク会)田中昭人

講師紹介(S56年卒 本山浩司氏)

食事風景
講師を囲んでの食事
 修猷時代は合唱部に所属。ニックネームはドラミちゃん。
 紹介者とは高校、大学の先輩・後輩で仕事でも時々一緒に。
 建築家としてこれほど活躍している女性は、修猷の中でもあまりいないのでは?
 人もうらやむ才色兼備。

講演内容

デザインとは……

 形のデザインのみならず、人間同士のつながりを結ぶ枠組み、人が社会とどんなふうにかかわりを持って生きていくかを導くプロセスなど、形にならないものも取り込まざるを得ないような仕事。

4キロメートルの橋――新北九州空港連絡橋

 陸地から空港のある人工島に渡る橋。取付道路を除く橋だけの長さで言うと2.1キロ。福岡県では初めての大プロジェクトだったため、様々な分野の専門家が集められ、委員会を設置。
 大半が土木関係の技術者である中、景観分科会のみ建築家が参加。
 プロジェクトが立ち上げられた1993年から橋が完成するまでに13年かかり、ほとんど30代を捧げたプロジェクトとなった。

アーチへの思い

講演の様子
 陸地から海を越えて島に渡りそこから空に飛び立つという、劇的でドラマチックな体験をする方々にとって、ゲートのような役割を果たすような、スレンダーで印象的なアーチを目指す。
 当初は2本のアーチを組み合わせて様々な案をつくり、模型も山のように作ったが、お金がかかりすぎるということで断念。
 結果、できたものは、断面変形するアーチ。根元では四角形の断面が、次第に変形し、トップでは6角形になる。橋の上からアーチを見上げると、上にいくほどどんどん細くなっていくように見え、しかも陰影がついて、立体的にみえる。
 提案した時は、技術者から「できません」と言われたが、次第にやってみようという機運が高まる。
 ただでさえむずかしい形であるのに、公共工事だったため3社が分割して作らねばならずさらに困難を極めたが、むしろこの困難が幸いし、3社が知恵を出し合いエンジニアが力をふりしぼって実現させてくれた。

橋脚について

 普通は90度を使ったほうが、作りやすく作業も通常の方法でできるが、ここでは「空港」または「飛行機」を連想させる現代的な橋にしたかったため、どこ にも90度はつかっていない。そうすることによって、太陽の角度が変わるにつれて刻々と陰影が変わって見え、表情豊かになった。また、本当は厚みが6メー トルもある大きな柱だが、その厚みを感じにくくなり、スレンダーな印象を与えることが出来る。
 これも、最初は難しすぎるとエンジニアは受け入れ難かったようだが、最後には非常にがんばって設計し、また工事関係者も作ってくれた。

歩道について

 この橋が計画された頃はバブル期で、景気も良く、当初から歩道を付けることは決まっていた。しかし、歩道部分の設計をする頃にはとっくにバブルもはじけて財政難の時代に突入しており、「では、一体誰のための、何のための歩道なのか?」ということを考えざるを得なかった。
 ニューヨークを象徴するブルックリン橋のような、歩くだけで楽しい橋にしたいと考え、橋と地盤との13メートルの高低差をまっすぐ歩いて橋へ到達すると いう当初の案を変更し、公園を作ってその周囲を歩きながらのぼっていくように設計。たくさんの人に訪れてもらうため、駐車場も作り、釣りをしたり、自由に バンドの練習をしたり、トランペットを吹いたり、中高生が部活の運動をすることを想定している。ランプの上から見下ろすと演奏しているところが見えるよう な、ちょっとしたステージとして使えるスペースもある。
 ただ渡るだけの橋ではなく、訪れる橋を目指した。
 開通前のイベントでは、これらのスペースを利用してたくさんの店が並び、多くの人が訪れて大盛況となった。

 このプロジェクトに携わって気が付いたのは、土木と建築の間には大きな溝があるということだった。専門用語も違うしものの見方も全く違う。しかし、様々 な提案をし、困難を乗り越えていく間に、自分も土木について勉強し、土木の方々の中にも建築の人間と仕事をするのは面白いと思ってくれる人も出てきた。役 所の方々は2年おきに入れ替わるので、そのたびにリセットされて大変だったが、このプロジェクトで一緒に仕事をした方が異動先から連絡をくれるようになっ た。そのひとつが、次にお話する前原の道の仕事である。

400メートルの道――福岡 前原停車場線

 以前のJR筑前前原駅前の道路は、渋滞もひどく、とても歩けたものではなかった。この道を拡幅するにあたり、「これからの道路は住民と一緒に作っていくべきだ」と考えた土木事務所の方が住民懇談会を設置し、アドバイザーとしてそこに招かれた。
 懇談会は2年ほどかけて行われたが、意見が分かれるところが多く、非常に紛糾した。しかし、住民の意見、要望が方針としてまとまると、それ以降はプロの 仕事として、デザイナーである私とコンサルタントに詳細な設計を任された。この線引きがはっきりしていたことが、このプロジェクトがスムーズに進行できた 要因でもある。

デザインしたもの

講演の様子2
  • 背面もきれいな信号機
  • ひとつのものが何役もするかたち(例:フットライト+ベンチ+旗立て+コンセント)
  • 季節感を大事にする植樹
  • 木が育ちやすい舗装材  など……
 計画から完成までの4年の間に、住民の方々もどんどん声を出すことによって良いものに変わっていくということに気付き、バス停をふやす、信号をふやす、 点字ブロックの設置に当たってルールをつくるなど、知恵を出し合い実行に移す・・というように成長していった。また花を飾る活動も始まり、継続している。 物ができただけでなく、人が育っていった。
 このようなプロジェクトにかかわることで、パブリックな空間とはどうあるべきか、またつくるプロセスはどうあるべきか、というようなことを考えさせられた。

ヒューマンスケールな街――福岡 大名の商業ビル

戦災を受けていないため、戦前の建物や、江戸時代からの道が残っている。江戸時代の地図の上に明治・昭和など現代の建物が建っている。細い道の奥に建物があるなど、散策するのに楽しい街。その一角にいろいろなテナントが想定される商業ビルをつくってくれと依頼された。
 そこで、民地と公地の境界線を曖昧にし、隣人とのゆるやかな関係をつくり、公共性を建物の中にまでひっぱっていくような、誰でも入れて誰でも散策を楽しめる空間にしたいと考えた。
 ただ、これは決して斬新なデザインなのではなく、日本に昔からある「町屋」の空間を現代に、かつ立体的に置き換えたものである。
 そこここにテラスやオープンスペースがあり、公共性の高い空間となった。

アーケードの可能性――鹿児島 天文館

 かつては鹿児島の中心地として賑やかだったが、駅前にできた大型商業施設に押され沈んでゆく天文館の一角に、インテリアショップ(4層)+賃貸マンションをデザイン。
アーケード全体は3層構造なので、4階がアーケードに隠れてしまわないよう入り口を吹き抜けにし、天窓をつくって自然光を取り込む。アーケード内の他店が 2階、3階をほとんど利用していない中、4階まで利用したショップは、アーケードにもまだまだ可能性があるのではないかと大変注目をあびる。

4メートルの小屋――堰操作室

 川から農地へ水を引き込むための堰を操作する機械室。この施設とはどうあるべきか、その役割を考えながら、全国に無数に存在する堰のプロトタイプとなるようデザイン。
  • 農作業者たちが休憩できる場にする。
  • 堰のしくみが見えるようにする。
  • 緊急時には陰の人の力によって成り立っているということを可視化する。
  • 地域の風景、風土にとってどうあるか、ということを考える。

デートの場所になりたい――アイランドシティ「織物のフォリー」

 博多湾に浮かぶ人工島、アイランドシティの公園にデザインしたあずま屋。
 雨風をしのぐことはできないが、公園に来たときに、「何か面白いものがあったな……」と記憶に残るもののほうが公園にとっては良いのではないかと考えた。
 公共空間はデートの場所にならなければ魅力的ではないと常々思っている。

松岡氏のイメージ

ある日、男の子が彼女に「今日はすごくおもしろい場所に連れていってあげる。」と言い、夜中彼女の手を引いて「織物のフォリー」へ連れて行く。彼女は「何これ?」と言ってベンチにすわり、「気持ちいいね。星が見えるし。」ここで男の子がプロポーズを……

40センチの家具――ワンストローク・テーブル

 ワンストロークとは「一筆書き」の意。枠のパイプが一筆で描ける構造になっている。
 家具はデザイナーの知らないところでユーザーに選ばれ、どのように使われているのかを知ることはできない。しかし、自分がデザインした家具を家に持ち 帰った人が「どんなふうに、どの向きで置こうかな?」と考えさせるようなデザインにすることが、自分と見えないユーザーとの対話。
また、非常に高い精度を要求するデザインであるため、日本だからつくれる家具となった。地域の産業を支えるデザインも大切。

自分の役割

 たとえば ひとつの住宅と道、まちと家具など、スケールの違うもの同士をつないでいくこと。それによって多くの人々が身の回りのハードウェアのあり方に関心を払い、自分の所有物にだけでなく公共空間に、また自分の所有物の公共性に気持ちを傾けていく仕組みをつくること。
 物理的につなぐだけでなく、現在教えている東京電機大学で、つくる人間を育て、次の世代への橋渡しをしていくこともそのひとつ。

社名――スピングラス アーキテクツ

講演の様子3
 スピングラスとは?磁性を発揮する電子スピンの向きがガラスのようにバラバラな状態で、フラストレーションを持ったまま固定された物質。
 自分にとっては、これがそのまま建築の状態である。
 自分が施主の要望を聞いて設計し図面を書いても、実際には釘一本打てないしコンクリートを流すこともできない。行政・住民・エンジニア・・・皆が同じ考え で同じ方向を向いているということはあり得ないが、「全体的にはこちらを向きましょう」と声をかけ、大きな意味での安定をつくり、バラバラな状態をまとめ あげていくのがアーキテクト――建築家の仕事。
 また、建築物は長い間人と一緒にいて、付け加えられたり部分的に除かれたりしても、しぶとく粘り強く社会に生き残っていくものであり、それはクリスタルのような超安定物質ではなく、むしろガラスのようなものなのではないか。
 このような意味をこめて、自分の事務所に「スピングラス アーキテクツ」という名前をつけている。

質疑応答

質問

もしも松岡さんにあと100年の寿命が与えられ、福岡の街を自由にデザインしなさいと言われたら、どのように考えますか?

松岡氏

 建築は、その地域地域を読み解いていくことが大切である。
 福岡は前に海、後ろに山があり、変化のある街。中でも九州の玄関であることをもっと意識し、ウォーターフロントの部分をしっかり魅力的に作るべきだと思う。
 危惧されるのは、マンション誘致に伴う街の画一化。福岡市の条例では、マンションを建てると必ず1階を駐車場にしなければならないが、都市部ではやはり 足元に店舗がはいって、歩くのが楽しくならなければ街は死んでしまうと思う。エリア毎のありかたを、デザイン的にも、仕組み的にもつくっていかないと、ど の街も個性が無い同じようなものになっていってしまう。
 福岡はとてもよいスケールの街なので、徒歩で歩いて散策できる楽しい街を、点ではなく線でつくり、それが面になっていくような都市のデザインを進めていかなければならない。