第537回二木会 

<日時>        H19412日(木) 

<場所>学士会館

<参加人数>   133

<テーマ>      『ニッポンの指導力〜指導者達の言葉〜』

<講師>        ジャーナリスト 松瀬 学氏(S54年卒)

<運営/進行>  S.55年卒(GOGO会)間中紳介

<内容>


   
講師紹介(司会及びS54年卒/下村光氏)

○ 昭和53年にラグビー部が全国大会出場した際の主力選手で、早稲田大学でもレギュラーとしてご活躍。

   大学卒業後、()共同通信社へ入社。一貫してスポーツの取材活動に携わられ、平成8年から4年間のニューヨーク駐在を始め、ソウル以降の五輪など、海外取材も多数。

   平成14年に同社を退職、東京大学教育学部の研究生となり、スポーツを通した指導体系の研究に

携わられる一方、現在はスポーツ界を題材にした著作・記事を多数。

 (以下 下村氏からのご紹介)

    30年前、花園(全国高校ラグビー大会)に出場。福岡での県大会決勝相手は福岡工業戦。4-3で勝利した際のトライゲッターが松瀬氏。ポジションはロック(フォワード第2列)。スクラムでは「お休み」状態だったが、よく走り、決勝のトライをとった。

   早稲田大学に進学後プロップ(フォワード第1列)に転向し、2年生からレギュラーに。

   本人は素朴な人柄なので、「ジャーナリスト」「NY駐在」という経歴とのイメージギャップあり。

   処女作「汚れた金メダル」の「著者経歴」の欄には、「修猷館卒」と書いてあった。

   高校時代は、「無骨、武闘派」のイメージで、コミュニケーション能力が高いとは、とても思えなかったが、ジャーナリストという職業を通じて、成長されたと感じる。

 

 

 

○講演




 (はじめに)

     先月の二木会でご挨拶したときと、ひとつ変わった点がある。なにか?正解は、髭を剃ったこと(20数年ぶり)。先日取材で福岡に行き、修猷の同窓生と飲んだときに、同期から、「先輩のまえで話すのに、髭はまずかっちゃなかとや」との指摘あり。心機一転。日ハムから巨人に移籍した小笠原選手の心境。

     野球/大リーグが盛り上がっている。松坂対イチローの対決など大きくメディアも取り上げている。以前、共同通信にいたころ、1996年から4年間に、ニュヨークに駐在した。その頃大リーグには、日本から野茂や伊良部が来ていた。伊良部は当時156kmのスピードボールを投げていたが、調子が良いときは、機嫌が良いが、調子が悪いと、ムスッとしている。伊良部の取材を担当したとき、1回でノックアウトされたときがあった。試合後、ロッカールームを訪れ、「どげんしたとか?」と問うと、顔を真っ赤にして怒った。殴られるかと思ったが(怖かったが)その後も、「修猷魂」で、しつこく話を聞きつづけた。

     伊良部はもともとチャレンジ精神が旺盛で、向かってくるものには、好感を持つタイプ。そのうちすっかり仲良くなった。今はロスアンゼルスでうどん屋を経営している。

     こんな伊良部に対し、もう一人「向かってゆく」タイプの記者がいた。報知新聞の記者で、あるとき気に障る質問をして、(伊良部に)テープレコーダーを壊された。その記者は、「弁償しろ」と伊良部に迫った。「すごい気骨のある記者だ」と思った。その記者の名前は、林直樹さん。同じ福岡出身で、修猷館s55年卒の出川さんのご主人だった。(林さんは今年227日に病気で亡くなられた。享年47歳。自分よりも1歳年上。どこかにいる林さんにも、自分の話を聞いていてほしいと思う。) 

     スポーツライターは「良い仕事」ですばらしい監督や選手と話をすることができる。

     ママとなったヤワラちゃん、マイケル・ジョーダン、タイガーウッズといった超一流選手、星野仙一や王貞治監督など。「情熱、目の力、言葉の力」が一流選手や名指導者の共通のキーワード。

     「ニッポンの指導力」という演題だが、好きな指導者の言葉を紹介してゆこうとおもう。

 

    [淵本武陽氏:元修猷館ラグビー部顧問]

     修猷館は人格形成の場であった。自分は、3年間ラグビーに熱中した。その頃の目標は全国大会出場。「いくぞ花園」というスローガンがプール下の部室に書いてあった。(ちなみに水泳部は「打倒!尾道」)

     あるとき部室にいったら、いたずら書きがしてあり、「いくぞ花園」が、「いくぞ『香椎』花園(かしいかえん)」になっていた。この修猷のユーモアのセンスが好きだ。

     2年生の時、念願の全国大会への出場を果たした。3年のときは、準決勝にて敗退。卒業のときに顧問であった淵本武陽先生から記念のマスコットボールをもらった。

「直実に前進せよ」との言葉が記してあった。

 

[結城昭康氏:修猷館/早稲田大学 ラグビー部OB

     修猷館S.30年卒の先輩、結城昭康氏。修猷時代、最初野球部に入ったが、上級生を殴り、ラグビー部へ。その後早稲田に進学され、ラグビー部でもレギュラーを張り、監督も務められた。逸話・武勇伝には数知れず。(大学卒業後、コーチ時代にラグビーの試合で、タッチジャッジ(審判)としていたが、自分のチームがあまりにタックルしないのに怒って、自分が相手チームの選手にタックルした 等)

     結城先輩から「おまえは早稲田向き」といわれ、早稲田進学を決意。「素質はなくても、頑張れば、評価され、活躍できる」という意味だったか。

     その人の言葉「目で勝負しろ!」。実に名言。殆どの指導者が同じ意味の言葉を言う。この言葉を忠実に守り、練習中・試合中も同じポジションの選手、監督、コーチをずっとにらみつけていた。にらみつけるのは、結構シンドイこと。一生懸命練習していないとにらめない。集中力も必要。その成果あって、自分も2年の終わりからレギュラーの座を取った。

 

[大西鉄之祐氏:元ラグビー日本代表監督/元早稲田大学監督]

     早大3年生の時のラグビー部監督、大西鉄之祐さん。日本ラグビー伝説の監督。1968年ニュージーランドの(ナショナルチーム)オールブラックスJr.に日本が勝った時の代表監督。「接近、展開、連続」の理論。1971年に強豪イングランド代表相手に3-6で惜敗したとき、試合前に水杯を交わし、「死んで来い!歴史の創造者たれ!」と選手達を送り出した。

     自分の修猷ラグビー部時代のポジションは「ロック(フォワード第2列目)」だったが、大学に入り「プロップ(フォワード第1列目)」に転向した。このポジションは痛いし、きつい。スクラム組み時は「下半身で組む」ことが必要で、膝や足首は強靭さと柔軟性が必要。大西先生から「トイレは和式以外使うな!」と厳命された。自分はこれを忠実に守り通して、自信がついた。

     その大西先生の言葉「信は力なり」

     その年の早明戦、試合前の下馬評は圧倒的に「明治有利」。フォワードの平均体重は、明治=92kgに対し、早稲田はたった80kg。それでも大西先生は、「信は力なり。自分とチームメートを信じれば、勝つ!」と断言。結果は2116で早稲田勝利。

     新聞は「大西マジック」と書いた。大西先生の「言葉の力」が勝利を導いた。

 

[藤島勇一氏:修猷館/早稲田大学 ラグビー部OB

     早稲田のラグビー部の先輩で藤島勇一氏。(修猷館S27年卒)。おとこまえで、大の酒好き。「よか晩じゃ」と後輩(自分)もよく飲みに連れて行ってもらい、酒の飲み方を教わった。はじめての銀座も藤島先輩に連れて行ってもらった。

     5年前に他界されたが、先輩の勧めで、共同通信社に入社した。

 

[長嶋茂雄氏:元読売巨人軍監督]

     共同通信に入り、大阪で南海の担当となった。キャンプ地の広島/呉で取材していたとき、九州のキャンプ視察を終えた長嶋茂雄氏がきた。当時長嶋氏はフリーとなって、各球団のキャンプを見て回っていた。さすがに光り輝く、オーラがある。

     「九州(の各球団のキャンプの様子)は、どうでしたか?」と聞いたら、

「福岡のヌードルは美味しかった」との答え。「福岡のヌードル」=「博多ラーメン」のこと。カルチャーショックを感じた。

  

[山田重雄氏:元全日本女子バレーボール監督]

     1976年モントリオール五輪で金メダル獲得。世界選手権、ワールドカップも制した、日本唯一の「世界三冠監督」。紳士でダンディ。

情熱家で「狂気」を併せ持つ。反面選手に対し、深い愛情を持っている。

     1988年ソウル五輪前の合宿。男子相手の練習試合のとき、選手達に「オリンピックのつもりでやれ」と指示。試合に負けたとき、はさみでボールを突き刺し、ネットも切り刻んで「おまえ達にオリンピックはない。」「命をかけてやるから、メダルにチャレンジできるのだ」

     口癖は「常に世界を意識せよ」。日本リーグ(現vリーグ)の試合でも「相手はソ連のつもりでやれ」「おまえ達がソ連を倒すのだ。」と選手達を鼓舞。

     情報収集についても真摯で、大学ノートに一杯記録をつけている。元々自分は柔道の選手。バレーボール以外でも、強いチームの監督や新聞記者などとの話をテープにとり、常に何かをつかもうとしていた。

     ソウル五輪で4位。再生の道は「プロ化しかない」と、実感。新宿のホテルのスウイートルームに呼ばれ、意見を聞かれた。「世の中の雰囲気は違うのでは?」と答えたら、その必要性を切々と説かれた。プロ化推進のために、メディアも活用しようとしたが、急ぎすぎて頓挫。

     現在、世界の強いチームは全てプロ。日本はプロ化に失敗し、世界の部隊では、苦戦を強いられている。高い先見性も併せ持った人。

     晩年はセクハラ疑惑、外為法違反などで、7年前にひっそりと他界。選手からもらったお守り、選手の写真を大事に持っていた。選手のことが好きでたまらない人。その中から信頼関係を作っていった。中田久美などは、いまだに山田氏の話をすると泣く。

 

[柳本晶一氏:現全日本女子バレー監督]

     選手からは気楽に「晶ちゃん」と呼ばれている。情熱家で実利主義者。

     東京は「おいしい店がない」と。東京の美味しい店は高い。安くて美味しいものを出す店が本当の「おいしい店」。大阪人気質が見える。

     勝負哲学「人生 負け勝ち」。負けの中に、勝ちの芽がある。

     苦労人で、監督をしていた東洋紡を優勝に導いたが、会社事由で廃部に追い込まれる。選手の行き先などを気遣い、ノイローゼ状態に。閉所恐怖症などにも苦しんだが、お寺回りをして、「自分のできることをやろう」と、克服。

     「一業に徹し、一隅を照らす」「目がポイント」「夢は自分でつかめ」

     「どんな選手が伸びますか?」の問いに、「素直な目、まっすぐな目をもつ子」「食いつきの悪い目」は使えない。レギュラーからはずす。いじめて闘志に火をつける。それでもダメなら「さようなら」。大山加奈選手はアテネ五輪前に1ケ月干した。「すき焼き」のたとえ。(=いつも牛肉が入ったすき焼きを食べていると、ありがたみが感じられない。牛肉のないすき焼きを食べさせて、本当のすき焼きの美味しさを感じさせる。)練習は厳しく、監督と選手の間でも、怒鳴りあいもある。

 

[宇津木妙子氏:ソフトボール元全日本監督]

     ソフトボール元全日本監督の宇津木妙子監督。(シドニー、アテネオリンピックオリンピック時の監督)こわい。速射砲ノックで「ノック肘」になっている。本人も30年間腹筋500回と1時間のランニングを欠かさない。合宿所には、30足の靴がビシッと整列している

(「強いチームの玄関はきれい」といわれる)。何事も「礼に始まり、礼に終わる」。

ソフトボール=生活、生活=規律、規律を守れないものは土壇場で良いプレーができ

ない。選手に3つのことを約束させる。@挨拶、A全力疾走、Bチームワーク

     シドニー五輪の決勝で「サヨナラ(負け)落球」をした小関選手は、今でも獲得した()メダルもみれない。宇津木監督は「あれは、チームのエラーだよ」と励まし、チームを辞めさせず、「もう一度元気にさせる」とずっと傍で見守っている。

     信念は「逃げないこと」「人生に夢があるのではない、夢が人生を作るのだ」「信念と聞く耳を持つこと」。そして「努力は裏切らない」

 

[清宮克幸氏:元早稲田大学ラグビー部監督/サントリーラグビー部監督]

     早稲田ラグビー部前監督、清宮克幸氏。早稲田ラグビーを低迷から脱出させ、5年間で3度優勝に導く。現サントリーラグビー部監督。

     東芝との3番(トップリーグ、マイクロソフトカップ、日本選手権)勝負。トップリーグで東芝優勝のとき、「3タテ(3連続負け)はない。あと2つ勝たせてもらいます。」とコメント。マイクロソフトカップでも惜敗。「これで熱くなれる。一緒にベストセラーになるストーリーを作りたい。最後に1つ勝たせてもらいます。」と熱い涙での発言。

     日本選手権では、準決勝で敗退し、東芝と試合できず。「日本ラグビーのレベルは高い。来年はもっと面白くなります」とコメント。(東芝は決勝に勝ち優勝)

     「アルティメット クラッシュ(徹底的な破壊)」「アライブ(生きる)」「ネセサリー ロス(必要な敗戦)」発言もズバズバと過激。マスコミ露出も意識している。一方で超プラス思考。

     「人生はギャンブルである」

     彼(清宮氏)は、右手に結婚指輪をしている。昔ラグビーで左手の薬指を脱臼し、右手にはめた。そのときにマージャンで大勝。以来右手薬指。

    

(終わりに)

     色々な優れた指導者・選手の共通点を挙げれば、

@情熱、A信念、B目力3つを備え、意識していること。

 

<新人歓迎会>

         今年度の修猷館卒業者を迎え、新人歓迎会を実施。(新人の参加=19)

         特別企画として、シンガーソングライターの宇佐元 恭一氏(昭和53年卒)に

よるミニコンサート「少年の僕に手紙を書いた」を実施。

         オリジナル曲「少年の僕に手紙を書いた」「晴れたり曇ったり」「海の中道」「鏡の

ドレス」「雨ニモ負ケズ」等、新人への励ましの歌を披露。絶妙なトークと、美しい歌

声に、会場は大いに沸いた。

アンコールの声にこたえ、宇佐元氏のピアノ伴奏で、全員で「館歌斉唱」。

〇 最後は岡部高志氏(s55卒)の「フレ!フレ!修猷」のエールでお開きに。

 

以  上

 



第537回二木会

ニッポンの指導力〜「私が出会った名指導者たち」

春暖の候、館友の皆様におかれましては、益々ご健勝のこととお慶び申しあげま す。

 さて、4月はノンフィクション・ライターとしてご活躍の松瀬 学さん(昭和54年卒)を講師にお迎えし、スポーツ界の事例をもとに「指導力」についてお話を伺います。

松瀬さんは、昭和53年にラグビー部が全国大会出場した際の主力選手で、早稲田大学でもレギュラーとしてご活躍になられました。大学卒業後、(社)共同通信社へ入社、一貫してスポーツの取材活動に携わられておりました。平成8年から4年間のニューヨーク駐在を始め、ソウル以降の五輪など、海外取材も多数行われております。

平成14年に同社を退職、東京大学教育学部の研究生となり、スポーツを通した指導体系の研究に携わられる一方、現在はスポーツ界を題材にした多数の著作・記事を出されております。

歓迎会特別企画 : 「少年の僕に手紙を書いた」

また、4月は今年度の修猷館卒業者を迎える新人歓迎会を行います。歓迎会の特別企画として、シンガーソングライターの宇佐元 恭一さん(昭和53年卒)によるミニコンサートを予定しております。宇佐元さんはピアノ弾き語りの先駆者であり、ソロ活動の他に多数の有名歌手へ自作の楽曲を提供されておられます。

多数の館友のご列席を、心よりお待ちしております。また、身近に新卒者がおられましたら、お声がけ下さい。尚、出欠連絡は4月5日(金)必着でお願い致します。 
東京修猷会 会 長 藤吉 敏生 (S26年卒)
幹事長 甲畑 眞知子 (S44年卒)
1.テーマ ニッポンの指導力〜「私が出会った名指導者たち」
2.講師 松瀬 学 氏(昭和54年卒)
ノンフィクションライター
3.特別企画 「少年の僕に手紙を書いた」〜ピアノによる弾き語り

宇佐元 恭一 氏(昭和53年卒)

シンガーソングライター
4.日時 2007年4月12日(木)
午後6時 〜 講演、 午後7時 〜 新人歓迎会

*例月と時間が異なります。講演開始10分前にはお集まり下さるようお願いします。

5.場所 学士会館
 (千代田区神田錦町 3-28)
電話 03-3292-5931
地下鉄東西線
 「竹橋」下車5分
半蔵門線・都営新宿線・三田線
 「神保町」下車3分
6.会費 3,500円(今回は「講演のみ」の会費設定はございません)
70歳以上および学生の方は2,000円新人
(平成18年度修猷館卒業生)は招待(無料)