「警察人生34年を振り返って」
警視総監 伊藤 哲朗氏(昭和42年卒)
2006年7月13日(木)学士会館にて
警察庁への歩み
両親、友人、先生、先輩、また福岡の山河に育てられ、私の自我は少年時代に形成された。高校卒業以来約40年間、自分自身のアイデンティティはそこにあると感じながら生きてきた。修猷館ではさまざまな気概を学んだ。中でも小柳陽太郎先生の影響は大きい。先生にお願いして始めた読書会では大勢の学友と、『古事記』、内村鑑三の『代表的日本人』、吉田松陰の書簡などを輪読し、わが国の歴史、文化、伝統、人のあるべき姿、わが国の心を学んだ。大学進学後に起こった大学紛争の際、数百名の有志の会を立ち上げてストを阻止しようとするも難航した。一時帰郷した私は、「このようなときこそ千載一遇の機会であり、まさに君の力が試されるときではないか。一人の力では不可能だと思うかもしれないが、一人の力から始めていくのだ」と小柳先生に強く叱咤激励され、再び奮闘する力を頂いた。このとき小柳先生には、一人一人のできることの大切さを学んだ。やがて国家公務員になって国全体の仕事をしたいという志を抱く。「御国の為に世の為に、尽くす館友幾そばく」の精神が、自然と私の中にしみ込んでいたのだろう。大学紛争のときに暴力に毅然と対峙し、大学の正常化を実現させる警察の姿を目の当たりにし、地方など現場の第一線で仕事ができることに面白みを感じ、先輩のアドバイスも頂き、警察庁を選択した。
|
|
|
講師:伊藤 哲朗さん
|
警察の仕事
警察の仕事は言うまでもなく国民の生命と財産を、そして国の治安を守るということであるが、他の役所とは異なる特徴を持つ。
◆日々突然に発生するさまざまな事案に対して即座に判断し、対処していくことが常に求められるということ。特に指揮官としては、的確な判断で初動(最初の対応)の方向を決定していくことが極めて重要な仕事となる。
◆国民の身近なところで活動する役所だということ。泥棒、詐欺、交通事故…と人々の日々の生活の中で生じる事案を取り扱うところであり、人々の様々な要望、願い、痛みを感じつつ仕事をする役所である。
◆国民のため、国のためには何が大事なのかを見極めなくてはいけないということ。正義に対する価値観が多様化している中で、国民が警察に期待するものをしっかり受け止め、正義を実現していかなければならない。
この34年の中で私が経験し、感じてきたことをいくつかお話しよう。
警察は、危険を伴う業務を行う必要があり、幹部として常に考えるべきことは、部下を死傷させないこと。
◆千葉県警警備部長時代。着任までに成田空港闘争で5人の警察官が殉職していた。大勢の極左暴力集団が火炎瓶や爆弾や火炎放射器等を使って警察官や警察車両等を襲う中、成田空港の周辺の警戒をする。指揮官としては可能な限り危険を回避する配慮をする。危険が予想される場合には、部下に銃を持たせて警備することも必要である。また、成田空港周辺の団結小屋撤去の際の警備では、当時の運輸省や公団の協力を得て、周辺を完全に整地し、巨大な鉄の檻を設置して団結小屋の櫓をすっぽり覆い、相手の攻撃を無力化して双方とも負傷者もなく撤去した。
◆石川県警本部長時代。カンボジアに文民警察官として赴任した部下の1人の警察官が重傷を負う。外務省は安全地域だとの説明であったが、状況は非常に危険だと感じられた。懸念したとうり半年ほどでカンボジアが危険な状態に陥り、結果的に他県警の警察官一人が殉職するとともに、石川県警からの警察官にも重傷を負わせることになった(実はカンボジアのほうからは一時死亡の情報まで入ったのだ)。仮に本人の希望があったとしても、現地派遣は、最終的には本部長の命令であり、全ての責任は私にある。危険を承知で危険な所に人を派遣するということが往々にしてあるのである。
◆皇宮警察本部長時代。天皇陛下の車列に車両が突っ込んでくるという事案があった。陛下の両脇を固める皇宮の白バイの護衛官の1人が、突入車両に自らのバイクをぶつけて陛下の車への衝突を阻止した。身を呈してお守りしたのである。
日常の仕事の中でも同じく、警察官というのは常にそういう気合で危険を承知で職務に臨んでいる。上司は部下に対して責任と愛情を持って命令を発しなくてはならない。
危機管理事案(想定外の事案)への対処
阪神淡路大震災のとき、警察庁で交通規制課長をしていた。現場では一瞬にしてすべてのインフラが麻痺し、警察本部においても状況の把握ができない。想定外のことが次々と起きている中で初動の判断をし、手持ちの部隊をいかに動かすかということが求められる。家族の安否を確認に一般車両が入り乱れ、道もふさがれ、大渋滞が生じる中、とにかく車が通れる道路を発見し、有効に応急対策車両や被災者への緊急援助車両のみを誘導するため道路を確保し、警察官を配備する。国道43号線の倒れた高速道路の排除を建設省に依頼したときには、沿線住民の苦情を気にして昼間しか作業しないなどという信じ難い返答をうけたが、被災の現状を突きつけて24時間突貫工事を要求し1週間で除去した。普通のお役所感覚では間に合わないのである。また鉄道網が崩壊する中、有効な大量輸送手段はバスである。バスレーンを作り、バス会社と折衝し、各地からバスを集めて運行した。復旧した43号線を緊急復興車両のみが通れるよう特別通行証を発行することとしたが、優先通行権を求めて多くの要望が殺到した。そのとき優先すべきとしたのは、@被災者の食料。A瓦礫の排出。B道路、鉄道の復旧。Cインフラの復旧。D仮設住宅の運搬。これ以外はすべて例外的にしか認めない。何が大事かを見極め判断するのには苦労した。警察の仕事は、お役所仕事と違って瞬時の判断力と実行力が必要とされる。
天皇陛下のお側で
皇宮警察本部長時代には特別な経験をさせてもらった。皇宮警察の任務は皇室の警護、皇室の御用地、御用邸の警備だが、本部長には他の護衛官とは違う職務が2つある。
◆地方への随従
陛下が地方に行かれる際、随従し身辺のお守りをする護衛官の責任者となる。地方では、陛下のお顔が拝見できるのはわずか5、6秒にもかかわらず、何時間も前から大勢の国民が沿道で陛下をお待ちしている。私には、陛下が通られた後のこの沿道の人たちの顔が本当に皆さん幸せそうに見受けられてならなかった。天皇陛下の御外出のことを「御幸(みゆき)」と言い、これは「天子の赴く先々に幸いが生ずる」という意味である。なるほど。まさに陛下が行かれる所、幸いが生じているのである。そしてその一瞬に「君民無言の語らい」を感じる。天皇・皇后両陛下も、沿道などでの国民との触れ合いを大切にしておられ、また心から望んでおられる。列車のときはたとえ外からはお姿は見えないと思われても、遠くの沿道から、山から、野良から手を振る人々に対して、ご乗車中ずっと休みなく手を振ってお応えになっておられる。そのお姿を拝見し、心から感動した次第である。
◆宮中の祭事への参列
宮中では元旦の歳旦祭から始まり年数十回は陛下がお祭りをされる祭事がある。私どもは陛下の脇に控える形で参列する。その折、陛下は国民の幸せ、国の平安を祈った告げ文(神に対して申し上げること・願いごとなどを記した文書)を上げられる。陛下は、国民の幸せを願ってきた歴代天皇のことを思い、日本国の象徴である憲法の規定を念頭に置き、そしてとりわけ国と国民に尽くすことを常に考えておられるのが記者会見などで語られる陛下のお言葉からうかがえると侍従の方からお聞きしたものだ。外にいては伺い知れない、いつも国民のことを考えておられる陛下のお姿を拝見する機会を得ることができた。
“世界一安全な首都東京”の実現
警視総監という立場でこれから成すべき仕事は、首都東京の治安維持ということである。しかし、たとえば福井、新潟での北朝鮮による拉致事件。北朝鮮から鳥取への覚せい剤密輸入の捜査。また、全国にまたがる耐震偽装事件など、東京と関連があれば警視庁が中心となって警視庁しかできない仕事をやっていくという気持ちでいる。平成14年の全国の年間犯罪件数は戦後最悪の数字を示し、昭和の時代の2倍である。これを削減すべく平成15年から警察庁、全国の警察共々色々な活動をし、関係省庁と連携し、あるいは民間ボランティアの育成も進めてきたおかげで、15年〜17年と犯罪件数は減少傾向にあり、検挙率も少しずつ上がり、数字の上では少しずつ治安は回復しつつあると言える。しかし、子供が被害にあう犯罪、外国人による組織犯罪、そして少年による犯罪は未だ多い。数は減っているものの人口比でみると依然として非常に多く発生し、凶悪化している少年犯罪は、今後の治安の課題、あるいは社会問題、教育問題としてとらえなくてはいけない。また、外国人の流入につれて増加する外国人組織犯罪についても、安易な外国人労働力導入の危険性の問題とあわせて考える必要があり、入境管理、外国人管理も重要になってくる。とは言え、ニューヨークやロンドンなどに比べれば東京は安全と言える。これからも“世界一安全な首都東京”を実現すべく精進する所存であり、皆様のご協力をお願いしたい。
|