「戦艦大和出撃!」
東映株式会社取締役会長の高岩淡先輩(昭和23年卒)
2005年11月10日(木)学士会館にて
(講演に先立ち、「男たちの大和YAMATO」のプロモーションビデオを上映)
私は昭和29年に東映に入社しました。以来ずっと現場育ちです。東映の京都の撮影所にちょうど25年おりまして、そのあと本社と兼務になっても月に2回は京都の撮影所に帰っています。私のふるさとのようなものです。映画作りの現場が一番楽しくてしようがありません。私は会長になって3年目です。映画作りは全部若い人に譲ったのですが、肝心の京都撮影所がどうも調子が悪く、この4、5年、1本も映画が当たりませんでした。
たまたま4年前に京都の撮影所長に新しいプロデューサーが赴任しまして、若いプロデューサーを全部集めて、「お前らのやりたいものを出せ」と言ったとき、1番に挙がったのがこの「男たちの大和 YAMATO」でした。それが戦後60年目とうまく合致して、では“やろう”と。
これを20年前に書いたのは、辺見じゅんさんという角川春樹のお姉さんです。彼女がすごい。3,333名大和に乗り込んだうち、生き残った2百何十名、一人ひとりを訪ねて、それを手記にしました。そのドキュメントを基にした小説が、この「男たちのYAMATO」なんです。
それをたまたま京都の若いプロデューサー連中が読んで大感激した。いつかやりたいと。やっと20年目にして映画ができたのでございます。
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講師:岩淡さん
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テレビは今や、時代劇の大半を東映の京都が作っております。ただ映画の方はなかなか当たらなくなり、京都はつぶそうという空気が本社にも充満していました。そこでたまたま『大和』を京都の企画でやろうということになって、ちょうど3年前の忘年会に突然僕が呼ばれました。
京都の部課長全員集まっている前で、「この映画でお前らは生き返るか死ぬかだ。大和によって轟沈するか浮上するかしかない。轟沈した場合にはこの撮影所は閉める。そして俺も辞める。お前らも会社を辞めろ」と宣言しました。「そのかわり浮上したらそれを発火点にして京都の撮影所だけではなく、東映自身をもう一度映画で巻き返そう。東宝や松竹に負けてたまるか、アメリカ映画に負けてたまるかという大転機にしようではないか」と。全員が賛成してくれました。
本気でやろうということで取り組んで、3年経ち、ようやく完成しました。試写会をやって明日から私も広島に役者とともに行きます。まず地元の広島と呉で完成披露試写会を2日間ほどやって、次は京都でやります。そして地元の九州のほうも福岡県主催の試写会をやろうと。鹿児島の枕崎が出てきますので、枕崎の方も協力してくれます。4、5年前、『ホタル』を作ったきに鹿児島県が非常に協力してくれまして、今回もとても熱心です。
広島というのは、うちの岡田茂(元東映社長)の故郷であります。彼は広島の高等学校から東大の経済を出たのですが、非常にガラの悪い東大生で、誰が見ても東大生とは思えません。鶴田浩二さんが晩年まで「俺はお前のところの岡田にはかなわん、あれはけんかが強い」というので「とんでもない、彼は東大の経済です」と言うと「高岩、そんなのうそや。あんなガラの悪い東大生がおるか」と言われるくらいの男です。彼のお陰でうちはヤクザ映画もできたわけで、はっきり言って山口組の田岡一雄さんとは兄弟分でした。これは裏の兄弟分ですが。変な意味の癒着はありません。お陰でうちはヤクザ映画で一度もよその組から文句が入ったことはございません(笑)。
『仁義なき戦い』はそういう流れの中でできたのです。いずれにせよ、映画は1本1本がばくちです。はっきり言って、10億で作っても1億しか当たらない映画もあれば、5,000万でも10億に化けるものもあります。これは神もわかりません。コンピューターをいくらはじいても答えは出ません。たぶん不思議なのは、みんながガーッと燃えてその映画が燎原(りょうげん)の火のように広がると必ず当たっている。特に東映はケチな会社ですから安物を作っては全部こけていますが、今回のように会社が生きるかつぶれるかという大金をかけて勝負して負けたことはありません。全部成功しています。今回も必ず当たると確信しています。
日本人の歴史観では明治維新から終戦までがパカッと抜けている。別に民族主義ではないですが、本当のことを知ってほしいわけです。それが大和なんです。特攻隊が一機で突っ込むのはわかります。これはみんな死を覚悟しているわけですが、大和の場合は死を覚悟していないわけです。
この映画の主人公は水兵さんと下士官です。年からいうと17歳から20歳までの青年です。3,300人の大半がその連中です。士官というのはホントに一握りしかいなかった。その人たちの真実の話を描いたわけで、この人たちは純粋な気持ちで船に乗って、乗った上で「お前ら今から死んで来い」と言われて覚悟して行ったわけです。
司令長官を渡哲也さんがやっている。この役は福岡の伝習館出身の海兵で、素晴らしい男です。彼は「飛行機の援護なしでこんなことができるか」と断っている。それに対して「参謀総長の命令で、実は天皇陛下の御下問があった」と。「“海軍の船はないのか”というとき、“まだ大和があります”と答えた以上、やらざるを得ないのだ」と言い訳する。それで渡も納得する。「わかった。その代わり最後は俺の決断に任せてくれ。無駄死にさせるわけにはいかない。どうにもならないときに全員を退去させるのは俺の決断だ」ということで納得した。
その時点では、みんな、まさか沖縄に飛行機なしで行くとは夢にも思っていなかった。飛行機は本土決戦に備えて日本にはまだ山ほどあったわけです。大和は本当の犠牲です。飛行機なしで無理していった。その犠牲になりながらも命を投げ出した。「長男は親の後を継ぐために船を降りろ」と言われても誰も降りなかった。そんな中で270名生き残った。その間、母や女房や恋人とのかかわりとか、じつに丹念に描いてあります。
だから、題名が『男たちのYAMATO』ですごく男っぽく見えますが、最後は全部母や恋人のところに集結されている。そういう意味では本当に女性の方に一番観てほしい。それから若い人に観ていただきたい。たまたま高校生や大学生に出来上がっていない途中の映像を見せましたところ、みんな感動して、「こんな世の中が日本にあったということを知らなかった。」と。
いずれにしても僕は今回作って一番うれしかったのは、主役の松山ケンイチくんやみんなが船に乗って実際に撮影するときに感じたことです。本物の大きさの船のセットに乗ったとき、霊が乗り移ったように気分が高揚したと。これは命がけでやらなければいけないという気持ちになったそうです。中村獅童くんも反町くんも。渡哲也さんにいたっては「びっくりした。難しい役だと思ったけれど、船に乗ったとたん、すべての悩みがすっ飛んだ」「命をかけてやります」ということをはっきり記者会見でも言っていました。すごくみんなが燃えてくれたお陰で、素晴らしい映画ができております。ぜひ観ていただきたい。
先ほどの宮川大先輩、陸軍士官学校ですね。一番うるさい先輩がわざわざ尾道までうちのセットを見てきたという。このセットが大変なブームになっている。本物の大きさのセットを作るのに呉の造船所が大和で全部埋めてしまっている。すると尾道の日立造船所の廃工場で1つだけ残っていてそこで作ったのです。
ふつう、我々はニセモノをたくさん作ります。城なんかもだいたい木と紙で。5,000万ぐらいで何でもできる。ところが大砲とか全部乗せなくてはいけないので、土台がしっかりしていなくてはつぶれます。1,000人ぐらいの人間が上で暴れますので、全部鉄骨なのです。鉄板を使った本物です。
大砲でも世界一大きな大砲をつけなくてはいけない。はじめは予算が4億だったのが6億かかった。渡哲也さん以下すごいキャストの総キャスト費の3倍ぐらいかかっている。これは日本映画界ではじめての出来事だったものですから、例えば日本テレビとかTBSとか各テレビ局が、あるいはNHKも2度も現場を撮りました。勝手に取材してくれる。新聞社もそうです。
また、一番おかしいのは撮影が終わった後、尾道市が残してくれと。これを今、入場料をとって観光用に使っている。これはもう3ヶ月で30万人突破したという。呉では10分の1の模型を前から作って、4月にオープンしました。大和ミュージアム。これは素晴らしいです。本物の機材を使って全部を10分の1に縮めた木船。他には戦艦大和の設計図から遺品とか遺書とか全部置いてあります。ゼロ戦もおいてあります。これが(2005年)4月にオープンして年間40万人の予定がすでには半年で100万人突破している。向こうでは大和ブームが広がって、うち6割が広島県以外からの人だという。
まだまだどこまで行くかわからないということで非常に前景気はいいのですが、僕が一番心配しているのはそっちにばかり人が来て、映画を観ないのではないかということです。いずれにしてもばくちです。ここでお願いしたいのは、ぜひ皆さん方もぜひこの映画を観ていただいて、他の方も勧誘してほしい。
制作費が18億、宣伝費が7億。この宣伝費は東映では初めてです。5億以上かけたことはないですから。全部で25億。そしていろいろなほかの経費を入れたら50億稼がなくてはいけない。50億ということは500万人から1,000万人動員しなくてはいけない。頼みますわ、本当に。だから本当に浮沈にかかわるぐらいの冒険です。それがあるから映画っておもろい。
僕の同級生に大指揮者の荒谷俊治さんがおられます。変な因縁で、「バルトの楽園」という第1次世界大戦のドイツ人の捕虜の収容所の話を徳島にセットを組んで撮影しています。これでベートーベンの第九を捕虜全員で日本人に教えるという話なのです。東映としてはおかしいぐらい上品な映画を(笑)。これは来年の夏には上映します。よろしくお願いします。
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