「世界の名ホールに挑戦!」
日本指揮者協会の第4代会長 荒谷俊治先輩(昭和23年修猷館卒業)
2005年10月13日 学士会館
映画『カーネギーホール』の中でルービーンシュタインが「How do you get to Carnegie Hall?」と問われて「Practice,practice.」と言った。そのそれがロゴになったというカーネギーホールのTシャツを、私はコーラスをやっている西南学院時代の友人に贈られ、大変気に入っている。そのときに、冗談めかして「じゃあ、いつかカーネギーホールでやろうじゃないか」と言った。これは未だ実現しないが、私は勉強中にいろいろな素晴らしいホールを訪れた。アメリカではカーネギーホール、ニューヨークフィルハーモニック、そしてボストンフィルハーモニー。そしてウィーンではやはりムジックフェライン(楽友協会)の黄金の間(ゴルデナーザール)。ウィーン滞在中にはオペラハウスと交替で毎日のように聴きに行き、「1回あそこで棒を振ってみたい」と夢を描いた。これが去年の暮れにふとしたことから実現した。そこで、これを皮切りに少しずつ世界の名ホールに挑戦していきたいと思っている。
勉強中に巡り、ここで振りたいと思ったホールをご紹介したい。まだそのうちの3つぐらいしか実現していないのだが・・・。
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講師:荒谷 俊治さん
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◆クリーブランドのセバランスホール(アメリカ)
アメリカに多い普通の講堂式のホール。そのころのセバランスホールはセルが就任し、率いるクリーブランドオーケストラが大変優秀で、ここに初めて入ったときは、本当に耳が遠くなるようなスーッとする音がして驚いた。たまたま初来日したセルに誘われて、青少年コンサートで2回振る機会を得た。本当にぶっつけ本番だったが、こちらの気持ちを全部くみ取ってくれるオーケストラだった。
◆アムステルダムのコンセルトへバウ(オランダ)
ウィーンのムジックフェラインよりも木部が多く、ウィーンのは金箔が塗布してあるが、これはむしろ木のニスのようなもの。長い階段に敷かれたじゅうたんはマイナスかもしれない。階段の昇降が大変なので指揮者は下か横に出入りしているようだが、私は一度上から登場してくるのを経験してみたい。そして後ろにオランダと日本から行ったコーラスと並べて200〜300人、やはりあちらですぐに集めて歌えるものは第九。このホールは本当に確保するのが難しく、何とか2006年の2月7日に実現する運びとなった。
◆カーネギーホール(アメリカ)
1891年の大改装以降は知らないが、私は天井桟敷でよく聴いていた。レストランのにおいがぷんとするのと、よく耳を澄ますと地下鉄の音が少し聞こえるようで、ホールとしてはあまりよくないのだろうが、品のよい音がして、伝統があり、やはりアメリカを代表するホールというイメージがある。
◆ニューヨークフィルハーモニックホール(アメリカ)
ニューフィルは練習も本番もあのステージでやるので、指揮者は練習と同じ状態で聴くことができるのだが、本番は音響的には今ひとつ。しかし、ニューヨークフィルの面子にかけてベルリンフィルと同様、上に下げたり、いろいろなもの付けて手を加えているようだ。この次に行ったときにはまたゆっくり聴いてみたい。
◆ボストンシンフォニー(アメリカ)
留学中に日本の雑誌社から頼まれて、アーサー・フィードラーのボストンポップスを聴き、彼と対談をするためにここを訪れた。アメリカではここが一番のお気に入りである。1900年のものなので古いが、広いし、やはりシューボックススタイルなのでいい音がする。外側はウィーンのムジックフェラインにも似ている。
◆ロンドンのロイヤルアルバートホール(イギリス)
音響的にはたいしたことはないが、中心部やステージがいろいろ組み替えられ、多目的ホールとしてはよくできていて、まあまあの音がしているようだ。
◆オペラハウス(オーストラリア)
皆さんご存じのあの白い貝殻を3つほど合わせたような建造物である。多額の建設費がかかったようだが、世界的にシドニーのシンボルになっているところには価値がある。ホール自体がとても広く、コーラスが使えるようなものまで入れると2,800名程入り、その割には音もよい。
何といっても港にあって海が美しく環境がいい。特に私が皆さんにお伝えしたいのは広い指揮者室。窓外に川とあの大きな橋を見ながら、リハーサルのときも一日中その部屋を使う。疲れたときに、入港してくる船がふと目に入ると船長になったような気分にさせてくれる。オーストラリアはヨーロッパに比べると、あるいは日本のプロのオケに比べると多少落ちる気がするが、私はその環境に惚れ込んでいる。特に合同演奏など大きなものが生かせるホールである。
◆文化会館(日本)
私のデビューは日本青年館で、これはまだ文化会館もないもっともっと古い時代のホールだったので、これができたときには本当にうれしかった。東フィルの定期はほとんど、またバレエやオペラもここで振っていたから大好きなホールで、今でも文化会館で仕事というとうれしく懐かしい。今は新しいホールがいろいろとできてきたけれど、私は文化会館はいい音だと思っている。
◆サントリーホール(日本)
ベルリンフィルなどと同じアリーナ型。サントリーの人たちはこれを“ワイヤード”と呼んでいる。いいホールだと思うが、ベルリンのフィルのように指揮者の位置から音が全部聞こえてこない。また、日本のホールの弱点で、ステージが高い。ベルリンフィルのステージは高さが20〜30cmで、フロアが客席と同じぐらいの高さなのでとても音が聴きやすい。しかしやはり日本の代表的なホールである。
◆池袋の芸術劇場(日本)
アリーナというよりはむしろシューボックススタイルで、ちょっとデッドなところもあるが、このようなホールができたのはうれしいことである。ここもよく使った。
◆オペラシティ(日本)
大きなオーケストラはちょっと無理かもしれないが、ちょっと小編制なものだったらサントリーホールよりもずっと音がいい。中編成のオーケストラから合唱とか声楽のものもすごくいい響きで、やはり日本でもトップクラスである。
◆紀尾井ホール(日本)
とてもいい音がする。ここの室内楽団で日本の優秀なメンバーで作っている紀尾井アンサンブルはヨーロッパでとても評判がよかった。特に合唱の入ったメサイアやバッハのものなどが合う、とても素晴らしいホールである。
◆みなとみらいホール(日本)
町田にいいホールがないので、大編成でやるときにはここをホームグランドとして使わせてもらっている。ここも段々よくなってきていて、もっと乾いてきたらサントリーに近い音になるだろう。ただ、横の客席の壁などに音が反響するとちょっと強烈な音になりまだ問題点はあるが、これも東京ではいいホールである。
◆ミューザ(日本)
私はまだやっていないが、評判もよく、近いうちに一度ここでやりたいと思っている。
私の夢が叶ったホールの中で特に印象に残っている2つのホールをご紹介したい。
◆ベルリンフィルハーモニー(ドイツ)
私の留学当時はできてまだ日が浅く、天井の下げ物も全くなく音が散りあまり評判がよろしくなかったが、いろいろと手が加えられ、2000年に偶然チャンスがあってここで日米合同のアマチュアのオーケストラで棒を振ったときには、30年前の響きとは全く異なっていた。これは5角形が基盤になっていて並行した面をひとつもつくらないように考えて設計された大ホールで、バスクラリネット、コントラファゴットといった楽器の日本のホールでは響いてこない低い音が下の床を伝って指揮台にジーンと聞こえてくる。いいホールである。
このときの非常に感銘深い出来事があった。2つのオーケストラがジョイントするのでプログラムの持ち時間が10分と30分。修猷館200年周年の折に、私の弟分の肥後一郎君が作曲した『カンタータ修猷』を、「ベルリンで初演して日本に帰って披露するのだ」と言うと、ベルリンの人たちがえらく喜んでくれた。この曲を『神話への序章』と題して序曲にし、ではあとの30分を何にするかと考えたとき、オケの編成に合う曲として挙がったのがメンデルスゾーンの『宗教改革』であった。しかし、日本の評論家たちによるとこれは駄作で、この曲を持ち込んでも成功しないだろうと言われていた。するとこのとき、ベルリンフィルのコンマスが「マエストロ、メンデルスゾーン、それを持っていらっしゃい。今ベルリンフィルハーモニーのあのホールでメンデルスゾーンを振って納得のいく指揮者はドイツにいないよ」と言う。挑戦してみると本当にコンマスが予告した通りに成功したのだ。序曲がよかったのもあって、メンデルスゾーンのときにも、更にはアンコールでも観客が立ち上がってくれた。日本の評論や噂に惑わされず、そのコンマスの助言に従ったことがいい結果を生んだのだ。思い切って日本人がそういうものを出しても絶対に観客はわかってくれるのだということをそのコンマスは教えてくれたのだ。
◆ウィーンのムジックフェラインでの思い出
ここで公演をしたときは大変な過密スケジュールだった。その12月は八王子でのバレエ、町田で第九、九州での50周年の演奏会、そしてウィーンと、我ながら体力がよく続いたなという1ヶ月だった。ウィーンでは、アンバサードというオーケストラで、そのときのオケのコンマスがアルベン・スパヒューというアルバ二ア人だった。そのコンマスが素晴らしかった。この人はシンフォニカのコンマスもやっていたので、「何十回と聴いたホールだが、棒は振ったことはないから気がついたことがあったら言ってくれ」と投げかけると、「マエストロ、3楽章のアダージオをあのテンポで振るのですか?」と言う。「一昨日まで日本ではこのテンポで振ってたよ」と。この会場は上に下がってる飾り物があり、天井の絵も金箔を塗られたものが非常に多いので、その金箔の間から降ってくる音がやわらかくていい。「そうか、オーケストラはこれを聴きながら弾きたいのだな」と。私もそれを聴きながらオーケストラと一緒にブレスしながら振ると、アダージオの3楽章のゆったりしたテンポはうなずける。ゲネプロでやっとそれに気がつき、本番で振り出したらスパヒューが「マエストロ、そのテンポだと」私にウインクした。そのうち、本当に驚いたことに、私の後ろにいる観客も同じ呼吸で一緒にブレスしてくれる。スパヒューが言っていたのはこれだと。ホールによってテンポは変わってくると思うが、あのように観客までが同じ息遣いで、ゆっくり呼吸がうねりながらアダージオができたのは生まれて初めての経験だった。私はベートーベンのアダージオはそれ以降は1度しかやっていないが、あれは指揮をしていて本当に音楽の醍醐味だと感じた。本当に遠慮がちに言ってくれたコンマスのお陰で、私はいい勉強をさせてもらったと思っている。
いかなる名ホールであっても、結局はコンマスやマネージャーなどそのホールで出会う人間のいろいろな知恵や感覚などが非常に大事だとつくづく思うのだ。
再来年、私は喜寿を迎える。その景気づけに、ちょっと下火になりつつあるという墨田の第九を引き受けた。再来年の2月の第4日曜日。あそこは音は悪いが5000人が歌うのでエネルギーだけ満ち溢れている。
指揮者協会では『創立50周年記念誌』を出版した。私は会長という柄ではないので、今期この大役を果たしたら早めに後進に道を譲りたいと思っている。
以上
追記:マエストロ談「実は私、修猷館生のころ、恥ずかしながら楽譜が全然読めなかったのです」
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