「To eat or not to eat. That is the question.
―摂食障害とは何だろうか―」
東京都精神医学総合研究所 西園マーハ文 氏(昭和54年卒)
2005年9月8日 学士会館
表題は、皆さんご存じハムレットの「To live or not to live. That is the question.」のもじりです。「食べるか食べないか、それが問題である」。健康な人にとっては人間の本能である「食べる」ということがなぜ問題になるのだろうかと思われるでしょうが、なかなかそこが簡単ではないのです。
◆ダイエットブームが摂食障害を作る?
摂食障害とは何かと考えるときに、一番に言われるのが「ダイエットブーム」です。メディアには常にこの情報が溢れています。一つには数字的な情報。
「まず、3kgやせる!」(編集者によると、具体的
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講師: マーハ 西園 文さん
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な数字を出すと雑誌が非常によく売れるらしい)。雑誌はダイエットやウォーキングといった健康情報であるかのような偏った情報とともに、「ダイエットがうまくいけばあなたの人生は確実に変わります!」とうたいます。そしてもう一つには視覚的情報。雑誌を飾る細身の素敵なファッションモデル(編集者によると写真はいくらでも加工ができるので実物とは違う場合も多いらしい)。「私もなりたい!」と。
またBMI(Body Mass Index)という肥満度を示す指標があります。BMI=体重(kg)÷身長(m)2。私が修猷館生のときには耳にもしなかったこのBMIを、今の女子中学生はよく知っています。女子中学生が読む雑誌をちょっとのぞいてみると、標準値が約22といわれるこの数値、17、18・・・そして21までしかありません。22などこの世に存在しないというわけです。「体重があと1kg」、「BMIがあと1」。こうしたメディアの情報が特に若い女性に影響を及ぼしているのは確かであり、摂食障害をつくるのではないかと言われています。
◆重症例は時代を超えて同じ症状
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Gull W.W.Anorexia Nervosa
Lancet 1,516,1889
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では、本当に摂食障害というのは現代病なのかというと決してそうではありません。
ダイエットブームも雑誌もなく、体重測定も容易ではなかった時代、英国の医学雑誌『ランセット』(1889年)に拒食症(神経性食欲不振症)の14歳の女性の症例が掲載されています(右図)。この症例を扱ったのはウィリアム・ガル先生(1816〜1890年)。拒食症(神経性食欲不振症)の命名者でもあります。この少女は162.6cm・28kgなので現代の指数で計算するとBMIは10.5。非常にやせています。やせているが疲労もなく元気であり、そしてよく動き回り、食事に拒否があるというのが特徴でした。これは現代の拒食症と同じ病態だと専門家は考えています。拒食症は昔からあったということです。看護婦がつきっきりで食事を食べさせ、体を温め、薬を飲ませだんだんよくなったという記録があります。
このちょうど100年前、日本にも「不食病」と称した拒食症の記録があります。1788年江戸時代。京都で開業していた医師香川修徳(1683〜1755年)はその著書『一本堂行余医言(巻の五)』の中で、「不食の症」は女性に多く、常食の米飯を食べず、餓えることなく数年にわたって経過する。無理して食べさせると吐く。雪花菜(おから)のみを食べる16歳の少女、無理に食べさせると全部吐き出す20代の家臣の妻・・・いずれもしっかり見守っていき、数年でだんだん治癒。「強いて治せざるを以って、真の治法と為す」と記しています。現在の症例ととても似たような経過をたどっています。
◆最近の症例とダイエット
重症例については必ずしもダイエットが契機とはいえません。食べると気持ちが悪いとか、おなかが痛いというような、昔の症例と同じような症状があって発症する場合が今でも少なくありません。最近の症例は、一旦やせると、それ以上は体重を増やしたくないという心理状態になってしまうことが多いのです。摂食障害の人が増えているといわれますが、一番増えているのは、健康と病的状態の間の「グレーゾーン」の人で、グレーゾーンこそダイエットブームの強い影響を受けています。グレーゾーンだから病気ではないというわけではなく、長い間危なっかしい状態でいることにももちろん弊害があります。摂食障害の患者さんやグレーゾーンの方が増加したのは、体重計が家庭への普及したのとだいたい同じ時期です。体重計が摂食障害の原因ではありませんが、いつでも自宅で体重を計ることができるようになってから、体重の数字で気分が左右されるタイプが増えたといえるでしょう。ちなみに、健康な体重の定義にはまだ議論がありますが、BMI約17が健康と不健康の間かと思われます。それを下回るとあまりにも脂肪が減ってしまい女性ホルモンの働きが低下し、生理が止まり、骨粗鬆症になり、骨折しがちになります。20代で骨年齢は80歳というケースもあります。閉経後のおばあさんの状態と同じなのです。
◆「やせたい」の背後の心理
摂食障害と言う範疇に入る方は、単なるダイエットを超えて、空腹感・満腹感の感覚が薄い、自分の喜怒哀楽の認識ができない、無力感が強いなどの特徴を持った方が多いです。そこが、摂食障害が精神的な病気であるところなのです。
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聞き入る聴衆たち
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症例@:自己評価による摂食障害。小さいときからそれだけにかけてきたスポーツマン。あるとき自分には才能がないのではないかと思いだす。さらに努力しても結果が出せず、他と比較してどんどん自信を失っていく。そんなときにたまたまダイエットや体調不良でちょっとやせたら「きれいになったね」とほめられた。努力しても大会での入賞はなかなか達成できないけれど、ダイエットはすぐ数字に出るのでのめり込んでいく。体力低下は全然感じられない。ダイエット願望はないけれど今ではちょっとでも増えると憂鬱になる。単純なダイエット病ではないわけです。
症例A:過食症。大食症とも言います。慢性になると「だらだら食い」といって一日中食べていますが、病気始めは人が変わったように短時間に大量に食べ、その間中食べることを自分ではコントロールできない。これがとても重要な症状の一つです。食べた後はとても落ち込んでしまい、体重増加を防ぐために自分で吐いたり下剤を使ったりする。これらはかなり体に害を及ぼします。胃酸をいつも出していると電解質のバランスも崩れ、歯がボロボロになり、20代の方で総入れ歯という人もいます。体の治療も必要です。
症例B:過食症。小さいころから家の中に緊張関係があり、言いたいことを言う代わりに大量に食べて吐いてしまうことが続き、いつのまにか吐くために食べているような感じになる。空腹感と満腹感がよくわからないのと同じように、自分の感情があまりわからない。表情はすごく怒っているのに自分ではそう感じられない。その後のカウンセリングや入院中の看護婦さんの助けで自分の感情に少しずつ気づくようになりました。
◆産後のうつと過食症
摂食障害というと、思春期やせ症という言葉があり、思春期の病気だと思われがちですが、必ずしもそうではありません。保健所で産前産後のお母さんたちを診ていると、過食症とうつとを同時に持っている人がいます。過食症は周囲に気づかれることが少ないため、治療につながらない人が圧倒的に多く、未治療の方も多いのです。子どもが泣いているのに自分は過食がやめられないとか、空腹感と満腹感がわからず子どもの空腹感もキャッチできないので、栄養補給のタイミングがわからないという方がいます。こういう場合、子どもの体重が増えていかないので小児科の先生に怒られてますます落ち込んでいくというような悪循環に陥りがちです。若い女性のダイエットだけではなく、うつうつとした気分が過食で発散されているということがいろいろな年代で起きているということです。こういうケースが今から増えてくるだろうと思われます。
◆「文化」以外の原因
メディアの影響、女性が容姿で判断されるような社会、家族の中での緊張感とか虐待・・・といった社会背景はわりと見えやすいところですが、医者から見るとプラスαの問題があります。摂食障害そのものに遺伝性、とりわけ食欲コントロールの脆弱性の遺伝が関係するかもしれないということです。前述のガル先生の症例のような重症の拒食症は、ある程度遺伝性があると考えられています。遺伝とはいっても、親が病気だから子も発症するというような強いものではありませんが、食事が極端に制限したとき、普通は亢進するはずの食欲が、むしろますます低下するというような食欲中枢の特徴は、ある程度身体の素因のようなものです。このような特徴を持っているような人は、今のようなダイエットブームにおいて発症しやすい状況にあるということがいえるわけです。
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会長も聞き入る
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そして、摂食障害の背景として、最近の子どもたちの身体感覚の弱さも指摘されています。体には「モノ」としての側面と「その人自身」としての側面があります。「モノ」としての身体は、体重や体脂肪率など数字で計測でき、それを操作したりコントロールしたりできるものです。一方で自分にしかわからない身体感覚というのがあります。今自分が疲れているか、暑いか、調子がいいか、それらは本人にしかわからないことです。ガル先生の症例にも疲れを知らなかったことが記されていますが、摂食障害では、特にこのような感覚が弱く、数字でのコントロールにはまってしまうのではないかとも言われています。治療の中でもこのような感覚をとりもどすことに力をそそぎます。
◆数字で体をコントロールするリスク
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身長cm
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体重kg
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BMI
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チャフラフスカ
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160.0
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54.9
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21.4
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コルブト
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149.9
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38.6
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17.2
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コマネチ
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152.4
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38.6
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16.7
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女子の体操やフィギュアスケートのトップレベルの選手の中には拒食症、過食症や骨粗鬆症の人が多いと言われています。このようなスポーツでは、毎日練習の前にコーチの前で体重計に乗らなくてはいけません。あるアメリカのスポーツジャーナリストの著書(下記文献)の中には右のような数字も挙げられています。またアメリカのオリンピック体操選手の平均身長は、70年代後半から16年間の間に16.5cm減ってしまったそうです。アメリカの17歳の高校生が144cmというのはかなり小さいでしょう。これは子供のころから栄養を絞っていたため、成長曲線が止まってしまったということです。実際に、競技から引退しないと生理が始まらなかったり20歳で初潮を迎えたりするケースもありました。数字だけでコントロールするということの極端な例です。
◆グレーゾーンにとどまり続けないために何か気をつけられることは?
* 体重や体脂肪や体型などを表す数字とは上手に付き合っていく。数字だけであまり一喜一憂しないようにするということです。特に児童思春期に数字でコントロールし過ぎると体重をコントロールしているつもりが背も伸びないということになり、知らないうちに骨の密度がどんどん減っているということがあります。児童思春期にはたっぷりと大きくなるところまで大きくなってもいいのです。
* 空腹感、満腹感がしっかりわかる生活をしている人は健康です。最近お腹が空かない子供が結構います。空腹感、満腹感がわかる生活をしましょう。
*やけ食いもするけれど、友達と話をしたり、スポーツをしたり・・・いやな気分を解消するのが「食べることだけ」ということのないようにしましょう。
摂食障害は心の病気といわれていますが体にいろいろな影響を及ぼすので、非常にやせてしまった場合には点滴や栄養剤が必要です。入院が必要になることもあります。もちろん、栄養カウンセリングや精神療法などを組み合わせて心の面も治療していきます。
以上
ご清聴ありがとうございました。
参考文献:Little girls in pretty boxes: the making and breaking of elite gymnasts and figure skaters(Joan Ryan, The Women’s Press, 1996) 魂まで奪われた少女たち:女子体操とフィギュアスケートの真実(川合あさ子訳 時事通信社, 1997.日本語版は絶版)
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