「ベルリンオリンピック金メダル秘話」

  2005年1月13日 於:学士会館
講演・葉室鐵夫氏 昭和10年卒
元毎日新聞社記者
ベルリンオリンピック200m平泳ぎ金メダリスト


1.水泳との出会い〜修猷館時代
 中学1年の夏休み、プールは休みと思い毎日蟹釣りを楽しんでいた私を呼びに来たのが、本日紹介をしてくれた金子豊君です。「県の中部中学校大会の練習があるから来やい」と言われ、大濠プールの練習に加わった。当時、クロールも平泳ぎも出来なかった私は横泳ぎに出場させられたのですが、私の得点3点がものをいって福岡師範を2点差で負かして優勝しました。その後、水泳部に最後まで残ったのが、金子君と私でした。
 2年の時、平泳ぎでキャプテンの池田さんを破り、九州で一位になりました。そして3年の時池田さんは浪人中で、夏中マンツーマンで私のコーチをしてくれました。耳が水から出るたびに注意がとび、その時の練習で私の泳ぎは最高になったと思います。3年の時、全日本中学東西対抗戦(今のインターハイ)で優勝し、4年の時には全日本で2位となりました。その時の1位は前年のロス五輪の銀メダル、実力世界一の慶応の小池礼三選手でした。

2.ドイツへの関心
 四修で日大に入学、2年の時、日米対抗戦に出場、平泳ぎで日本の勝利に貢献しました(平泳ぎの得点は日本10、米国2)。秋のインカレにおいて世界タイで小池さんにも勝ち、ベルリンオリンピックに出場することになります。
 ドイツへの関心はそれまでにもありました。小学校1、2年の頃見た、ドイツの失業者の大群やインフレの写真。親が精巧なドイツ製のおもちゃを買ってくれて友達が見に来たこと。ドイツのものは世界で一番、というイメージがありました。
 日大水泳部のまかないのおじさんが第一次大戦中の外国航路の船のコックで、大戦後初めてドイツに足入った日本人の一人でした。その時のインフレ、ドイツ人の親切の話なども心に残っています。また、当時の日大にはドイツでヒトラーの演説会に行ったというナチ党員の教授もいました。貨幣価値が下がったため留学した日本人も多く、みなドイツに心酔して帰って来ました。
 1933年にナチスが政権を握り、その3年後の‘36年にベルリンオリンピックが開かれたのです。

3.ベルリンオリンピック
 オリンピックで私はヒトラーを3回見ました。開会式でヒトラーはゲーリングやゲッペルス、ナチスの高官やIOCの委員らを従えて入場し、スタンドの前を通って貴賓席に着きました。
 ベルリンオリンピックといえばレニ・リーフェンシュタールの記録映画が有名ですが、あれは競技記録そのものではなく、レニの作品といえるものです。例えば、日米の棒高跳びでは夜になって高感度フィルムが足りなくなり、翌日撮り直したり、マラソンに練習中に撮影した場面が入っていました。
 ヒトラーは陸上競技を毎日見に来ましたが、黒人や有色人種を嫌いました。ドイツ人が優勝すると握手しましたが、その他にはしません。
 ヒトラーは水泳場には二回来ました。その一回は、前畑とゲネンゲルの戦いでした。前畑といえば、日本では負けたことがありませんでした。しかしロサンジェルスオリンピックで10cmの差で2位となり、それからの4年間の期待と重圧は凄まじいものでした。室内プールがなかった時代に、3月から水温12〜3度の水の中で2000mも泳いでいたのです。
 競技会場は「マルタ、マルタ」というゲネンゲルへの声援が渦巻き、準決勝ではゲネンゲルのタイムが上でした。そのような中で、決勝では1秒差で前畑が勝ったのです。

 私は、試合当日決していい調子ではありませんでした。ドイツのジータスに追い込まれましたが、ラストスパートでどうやら50cmのタッチの差で勝ちました。ラジオ放送でも「日本あぶないあぶない…勝った勝った!!」というアナウンスが残っています。私に注目して前の年から「優勝するぞ」と言ってくれていた米国のキュッバスの予想タイムより4秒遅かったものの、男子200m平泳ぎで金メダルをとることができました。アムステルダム、ロサンジェルスで日本の鶴田さんが優勝した平泳ぎの伝統を守れて、本当によかった。まさに私の人生最大の事件でした。

 ベルリンオリンピックはいつも満員で盛り上がりました。戦後、ミュンヘンオリンピックにも行きましたが、西ドイツが好景気で贅沢な施設だったにも関わらず、ベルリンほど盛り上がらなかったように思います
 このオリンピックで始まった聖火リレーは、古代オリンピックの精神を近代オリンピックに伝えるための行事です。また、当時は競技の翌日、メインスタジアムで表彰式を行っていましたが、ヒトラーはプールサイドで優勝儀礼式を見ました。
 水泳最終日、日本が2つの金メダルをとり、3〜400人の日本人が応援に来てくれました。当時ベルリンにいた日本人が200人ということですから、旅行者や選手も入っていたと思います。そのとき君が代が歌われ、ヒトラーも立って右手を前方にあげるナチスの敬礼をした時は、実にいい気分でした。
 
4 旅の思い出
 以前「水泳おもしろばなし」を書いた時、ベルリンで何が面白かったかと聞かれ、汽車でベルリンまで行ったこと、と答えました。東京から汽車に乗り下関まで行き、船で釜山へ渡り、そこからまた汽車です。奉天や長春の日本宿に泊まって練習しました。当地の日本人が練習を見に来てくれたものです。
 ハルピンから、汽車の車体はロシア製、乗組員も全部ロシア人になりました。それから満州里でシベリア鉄道に乗り換え、モスクワまで一週間でベルリンへ。
 1週間で時差7時間、一日が25時間になりました。いくら寝ても時間がたちません。1つのコンパートメントに4人です。徹夜でマージャンをしているベテラン選手もいました。ベルリンまで15日かかってやっと到着しました。
 ベルリン到着後、1週間でほとんどの人がベストタイムになりました。その時本番だったら、全種目に近く優勝できたのではないかと思うくらいです。ところが7月に入ると雨で寒くなり、皆調子が落ちてきてしまいました。結局、女子の前畑の金と男子は6種目で金3個。個人種目は出場した3人がすべて6位以内入賞、獲得したメダルは9個でした。

 ヒトラーの他、ベルリンで見たもう一つの珍しいものに飛行船ヒンデンブルク号があります。長さ247m、直径50m。サッカーのグラウンド2つより長く、幅はグラウンドと同じくらいです。ツェッペリン伯号が後に続きました。高度4〜500mで飛んで来ますが、真上に来ると空が塞がります。皆上を向いてしまうので、セレモニーも中断になったほどでした。

5 今、そしてこれから 
 大学卒業後、新聞社では楽しく記者生活を送らせていただきました。現在88才になりましたが、子供は3人、娘は近所に住み、大好きなビ−ルの相手をしてくれています。妻は世界マスターズ水泳選手権でたびたびメダルを獲得しています(‘04年は。全3個)。
 私が死ぬ程頑張って出した記録も今では女子小学生、中学生のタイムです。泳法やトレーニング法の進歩で記録は無限にのびていくもの。選手たちには「練習のタイムを出せ」と言ってきました。「試合だけのための特別なもの」では勝てません。これはいつでも一緒です。
 ベルリンオリンピック後、ヒトラーに心酔した時期もありましたが、研究書を読み、最後には悪魔の総統になった経緯がよくわかりました。ベルリンで自分が見てきたものを伝える、というのが自分の使命だと思っています。
 現在オリンピックに出た人たちでやろうとしていることに、「オリンピック不戦の運動」があります。ギリシアでの故事にならって、オリンピック開催中は戦争をやめよう、という運動です。この運動の成功を心から祈っています。

 本日は東京修猷会二木会にお招きいただき、どうもありがとうございました。

「ベルリンオリンピック金メダル秘話」

  12月入って夏日になった地方があったりと、今年の気象は最後まで驚かされますが、館友の皆さんはいかがお過ごしですか。
 さて、年明け1月の二木会は、ベルリンオリンピック(1936年開催)で200m平泳ぎの金メダリスト 葉室鐵夫さん(昭和10年卒業)を講師にお迎えし、「ベルリンオリンピック金メダル秘話」をテーマにお話いただきます。
 本当は水泳よりも球技が得意で、修猷館中学に入学したら球技のクラブに入るつもりだったのが、入部希望の友人の付き添いで水泳部に行ったのが運の尽き(?)。一緒に水泳部に入部する羽目に。人生、何がきっかけになるかわかりません。修猷が輩出した唯一のオリンピック金メダリストになりました。
 2004年のアテネオリンピック平泳ぎで北島康介選手が金メダリストになったのは記憶に新しいところですが、葉室先輩の泳法は北島選手と遜色なく、今でも十分通用するそうです。当時はまさに戦時色が色濃くなってきており、太平洋戦争前の最後のオリンピックでもあります。このオリンピックの様子を興味深くお話いただけるものと思います。
 たくさんの館友の皆様にご列席いただけますよう、心よりお待ちしております。

 尚、出席のご返事は1月7日(金)必着でお願いします。
東京修猷会 会 長 藤吉敏生(S26年卒)
幹事長 渡辺俊介(S38年卒)

1.テーマ 元毎日新聞社記者
ベルリンオリンピック200m平泳ぎ金メダリスト
2.講師 葉室 鐵夫 氏 (昭和10年卒)
ベルリンオリンピック200m平泳ぎ金メダリスト
3.日時 2005年1月13日(木)
午後6時 〜 食事、午後7時 〜 講演
※食事を申し込まれた方は、遅くとも6時30分までにお越しください。
4.場所 学士会館
 千代田区神田錦町 3-28
電話 03-3292-5931
地下鉄東西線
 「竹橋」下車5分
半蔵門線・新宿線・三田線
 「神保町」下車3分
5.会費 3,500円(講演のみの方は1,500円)
70歳以上および学生の方は、2,000円
(講演のみの方は無料)