「アートで蘇る街/ロンドン・立川・新潟(515回、二木会講演)」


坂口寛敏(さかぐち ひろとし) 東京芸術大学美術学部絵画科教授
【坂口先生・ご講演】


1. 美術との出会い、修猷美術展:想像力を育む地形、博多湾
私が育った福岡の地形は、「光・色彩・形」の感覚を育ててくれた。実家の鳥飼(現在、今川)は、わずかに小高くなっており、子供の頃、太陽を背に浴びながら、緩やかに下りて地行浜へ歩いて泳ぎに行った。背後の振山系・油山も、朝焼けや夕焼けが実に美しく映え、色彩の器の中で遊ぶようだった。小中学校は、西公園の裏にあり、帰りは、海岸線を石伝いに歩き、道なき道を探検できた。こういう原体験が重要だった。
 そして修猷館時代。美術部を通じ、いろいろな出会いを経験できた。とくに修猷美術展では、資金稼ぎのため、貸し絵(現役生の絵を先輩の事業所に毎月レンタル)や広告取りで、先輩を訪ね回ったし、県文化会館の会場では、和田三造、児島善三郎、中村研一他、日本近代美術史に名を残した先輩画伯の絵の横に自分達の絵を展示でき、大きな刺激となった。
 当時は、デッサンを河原大輔先生が厳しく鍛えてくれた。当時の作品を見ていただこう。石膏像の木炭デッサンである。倍率40倍の難関を突破するには高校時代に100枚はデッサンしろと言われて、部室で一心に描いた。芸大一年次に石膏室でギリシャ彫刻像を熱心にデッサンした。これが明治以降の美術界の、主流の方法であった。
しかし同時に、アカデミックな方法では「自分の身体が、感覚が不自由になる」ことも分かってきた。
しかも当時(70年頃)は、美術界も転換期で、既存の価値観を解体する試みが多かった。私も、牛と女性を解体して合体させたような油絵の卒業作品を残している。
さらに8年居た留学先のドイツでは、美術家もかなり過激で、ヨゼフ ボイスが、緑の党を作ったりしていた。
こうして私の作風も大きく変わった。この種のインスタレーション(仮設展示)では、それが置かれた場所や時間や来場者と、作品は、密接かつ、時に相互的な関係を成立させる。
-山梨県立美術館の中の池を「螺旋水田」にした作品。ワークショップの方法で田植え・稲刈り行い、収穫した餅米で餅つきしてもらう。これら農耕のサイクルに自分たちをリンクさせたかった。農耕は、高度な水の調整を伴う点でも、一種の芸術であり、また地元出身の学芸員も実家は農家だったりする。
- 台東区の廃校の教室を活用した作品。砂浜に傘で絵を描いては波に消される映像をくり返しスクリーンに映し、黒板には落書きを。来場者にも落書きしてもらう。作る側と見る側の間の境界を低くし、「作品を作っているのは、作る側と見る側の双方から成る場であること」を示したかった。


2. アートで蘇る街/ロンドン・立川・新潟
 
(ア) ロンドン・テムズ川右岸のテート・モダン(ニューヨーク MoMA 相当の現代美術館)
 旧・発電所跡を改造したユニークな美術館は、大人気となった。
何故ならここは、入場無料で美術「以外」の楽しみも多いからだ。来訪者は、中心地より直結された歩道橋を通って散歩し、カフェで対岸の風景を楽しむ。また美しい河岸のプロムナードはロンドンアイの大観覧車へと続く。
美術館としても、学童たちが館内で画帳を開き勉強している。一方的に見るだけではない。
以前は廃業した工場や倉庫が多くあった一帯が一変した。若手の美術家や演劇家が増えると、街は明るくなり、次にファッション業界が出店して経済も良くなる。
 ベルリンにおいても現在、中心の美術館島(インゼル)を、首都の顔とするため、鋭意改造中である。

(イ) ファーレ立川アートプロジェクト(立川基地返還後の再開発プロジェクト)
 ここでは、総工費3000億円のうち10億円をアートに投じた。歩道橋の車止めや防火壁など、一般の実用設備を、世界の芸術家たちに面白くデザインしてもらい、アート作品とした。たとえば
- ベンチのような車止め
- バーコード模様をデッキ面に描いた橋。上空から見ると分かる。(坂口先生作品)
市民の参画も促した。毎年、作者を招いた講演会を開き、それに参加した市民に、作品をメンテしてもらうことにした。同市の文化推進委員としても、文化政策は今後、市民を主役とし、市を支援役にできないかと論じている。

(ウ) 越後妻有(えちごつまり)アートトリエンナーレ2000.2003
 当地では越後妻有地域の河岸段丘や里山の広大な自然の中に点在する現代アートの作品通じて、地域活性化を押し進めている。これらの作品とともに、村の名前も世界に知られることになり、地域の人たちの励みとなっている。
  - 雪国農耕文化会館。付近に、ロシアのイリヤ・カバコフによる野外作品(レリーフ)。棚田の中に農作業をしている人たちを描いた。   - 米国のジェームス・タレルによる「光の館」(宿泊施設を兼ねた作品)。屋根が開閉式になっていて、屋内から空を見る。室内の光量を変えると、空の色も変化する。お風呂の喫水線にもネオンを照らす。
- 女性作家アブラモヴィッチによる「夢の家」(同上)。寝るときは寝袋。お風呂は棺桶。寝袋や部屋のカラーも数通りあり、そこに泊まってどんな夢を見たかを、鑑賞者は自ら、ノートに記す。
  - 日比野克彦による「明後日新聞」を発行する廃校を再生した新聞社文化事業部)。教室には同氏の作品も置いてあるが、同時にそこでは、村人たちと恊働で情報を発信している。http://www.asatte.jp
  - 坂口氏による「地の広場」(ミオンの森/信濃川河川敷公園全長2Km)。一か所から見ると同じ大きさに見える皿を数個設置したアースワーク。その皿の中を、来訪者が自ら登り降りすることで、山や川の見え方が変わる。なお工事を担当した地元の棟梁から、すぐ上流のJR専用ダムで発電している電力は専ら東京向けであるということを教わるなど、作者(坂口氏)自身も見聞が広くなった。



第515回二木会 「アートで蘇る街/ロンドン・立川・新潟」
修猶館は美術の分野に於いても和田三造、児島善三郎、中村研一他、日本近代美術史に名を連ねる先輩諸氏を多く輩出している。美術に携わる私の現在は、この文化を育む郷土に育ったこと、美術の河原大輔先生のデッサン指導、県文化会館全館での修美展の開催等、美術部活動を受け継いだことが大きかった。
今日は新しい美術と地域復興の事例として、視察したロンドンやベルリン、私も関わったファーレ立川アートプロジェクト、及び越後妻有アートトリエンナーレのスライドとお話です。ロンドンの活発な文化状況は、経済活動の好調さに支えられているようだ。テムズ川両岸の再開発は、モニュメンタルな新旧建築物の良い混合形態を生みだし、21世紀へのイギリスの誇りと自信に満ちた展望を現している。特に新しく開館したテイトギャラリー・モダンは、旧火力発電所を見事に改築したもので、パリのポンピドーセンターと同様に現代美術のコレクション展と企画展を行い、大変な人気で集客力を誇っている。テムズ川を挟んで中心地と徒歩15分で渡れる歩行者専用のブリッジが完成し、大勢の人の流れができている。以前のこの一帯は、使われなくなった工場や倉庫が多く、さびれた地域だったのだが、不況下においても切り売りされずに取り残されていた。そこでロンドンの再開発の重点地区として、テイトモダン(通称)が、この地域の浮上の起爆剤になった。まず若いアーテイスト達が住着き、次に画廊やファッション関係の店も入って、今までの暗い雰囲気を一掃した。川岸のプロムナードに沿ってフィルムセンーターやコンサートホール、ロンドンアイ(観覧車)にも人の流れが続いている。ロンドンは、大英博物館をはじめとして、美術館、博物館の常設展は無料であることもロンドン観光の魅力になっている。東京都現代美術館等が、様々な要因で集客力を発揮できていないし、地域の活性化を含む東京の活力となり得ていない現状とは対照的だ。
首都移転を行ったドイツ、ベルリンに於いても、都市の巨大開発が長期に渡って進行中だ。ベルリンは21世紀のユーロ圏の中心的文化都市を目指していることが伺える。それは背後に位置する旧東側各国が、ドイツの技術、教育支援を受けて低迷の経済を浮上させえれば、今世紀の内にそれが実現するという確信からなのだ。連邦国議会(旧帝国議会)を中心として、各美術館の新築、改築が進んでいる。ハンブルグ駅美術館は、旧駅舎を現代美術館に改築したユニークな空間だし、美術館が集まるインゼル(中之島)のリニューアルも進んでいる。

「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2000/2003」はc「ニュー新潟里プラン」の一つとして行われている。十日町市、川西町、津南町、中里村、松代町、松之山町の越後妻有地域の河岸段丘や里山の広大な自然の中に点在する現代アートの作品通じて、地域活性化を試みである。
「面白かった」企画のユニークさもあって、日本や、世界にも注目されました。「現代アートは分かりにくい」 「あまりもうからなかった」という声の一方、「若い人が来てくれて楽しかった」住民と恊働で作る芸術祭、ワークショプの手法、「こへび隊」という都会の若者がサポートとして組織され大勢参加したことです。
 私が関わった中里村のミオンの森公園は、信濃川河川敷の全長約2Kmの中に配置されたランドスケープアートと散歩道である。川は自然の循環系の脈流であり、また天と地を往還する時間軸を内在している。流域の人々はこの自然の循環系に接続して営みを続け、地域特有の風景や心を形作ってきた。私は土地に入り、この循環系に接続して創造する。その時眼前の大河と天空の銀河が接合され、身体の中に流れ込むと実感する。第1回大地の芸術祭で発表した「星の広場」に続き、逆遠近の不思議な効果で地面の起伏や視覚移動を楽しめる「地の広場」、親水性をもった散策エリア「水の広場」をつくり、更に下流域の植生保存エリアを結ぶ散歩コースを配した。
この起稿中に新潟中越地震が起こりました。慎んで哀悼の意を表し、支援をいたいと思います。


「新しいアートの動き」

今年は記録的猛暑でしたが、台風の当たり年でもあります。強い台風がいくつも上陸し、大きな被害を被った地域もあります。館友の皆様も、今一度災害に対する備えを確認されてはいかがでしょうか。
さて、10月の二木会は、東京藝術大学美術学部(油絵)教授 坂口寛敏さん(昭和43年卒業)を講師にお迎えし、「新しいアートの動き」をテーマにお話しいただきます。
最近は、従来の美術館で鑑賞するということだけではなく、地域振興の一環として関わる例が増えてきました。地域の活性を呼び覚ますために、身近なものとして浸透させることに力を注いでいる自治体もあります。
ご講演では、ご自身も深く関わってきた新潟県の越後妻有や立川市など国内の例やロンドンなどの海外の例などをわかりやすく解説いただきます。最近のアートがどのような動きをしているのか、興味深くお聞き頂けるものと思います。
たくさんの館友の皆様にご参加いただけますよう、心よりお待ちしております。
尚、出席のご返事は10月9日(土)必着でお願いします。
東京修猷会 会 長 藤吉敏生(S26年卒)
幹事長 渡辺俊介(S38年卒)

1.テーマ 新しいアートの動き
2.講師 坂口寛敏 氏 (昭和43年卒)東京藝術大学美術学部(油絵)教授
3.日時 2004年10月14日(木)
午後6時 〜 食事、午後7時 〜 講演
※食事を申し込まれた方は、遅くとも6時30分までにお越しください。
4.場所 学士会館
 千代田区神田錦町 3-28
電話 03-3292-5931
地下鉄東西線
 「竹橋」下車5分
半蔵門線・新宿線・三田線
 「神保町」下車3分
5.会費 3,000円(講演のみの方は1,500円)
70歳以上および学生の方は、1,500円
(講演のみの方は無料)