第479回二木会
日時 平成12年10月12日
「テレビの政治報道」
山本 周さん
私の場合、基本的には政治を扱う部署が長いので、テレビの報道と政治の関係が
どう変化してきたか。どのような問題があるかをお話したい。ちなみにフジテレビ
の公式見解ではなく、あくまで私の主観を交えたお話だと断る。
(1)自己紹介
1974年(昭和49年)に修猷館卒業。早稲田大学を経て、フジテレビに入社。
報道局に配属され、以来今日まで一貫して報道担当。
現在報道局政経部。
最初は内勤を1年。基本的には政治部。記者クラブは官邸、自民党、野党(社会
、公明、民社、共産、新自ク、社民連)、役所は外務省と防衛庁を少し担当した。
私が入社した当時(80年前後)は、テレビ、とくに民放でニュースに割かれる時
間はそんなに長くはなかった。フジテレビで言うと、朝は15分間、昼前が10分
間、夕方が1時間、そして夜15分だった。もちろんコマーシャルと番組によって
は天気予報も含んでこれだけだった。
現在は朝が「目覚ましテレビ」というニュースと情報番組をごちゃ混ぜにした番
組なので厳密に何分とは言いづらいが、大体15分くらい。昼が30分、夕方が2
時間、夜が正味20分くらいで、この20年間で格段にテレビにおけるニュースの
時間が増えた。これはフジテレビだけでなく全民放に共通した傾向だ。
(2) 歴代総理とテレビ
<鈴木善幸氏>
政治を担当するようになって最初にやったのはいわゆる「総理番」。よく総理の
後ろに金魚の糞みたいにくっついて、質問を浴びせ掛ける仕事だ。私が最初に担当
したのが鈴木善幸さんだった。
(以下、現職の森喜朗首相までの話は省略)
(3) テレビ政治報道の歴史
政治報道の中でテレビが注目されるようになったのは、今から40年前の1960年、
有名なケネディとニクソンのテレビ討論会だ。ケネディは広告会社のアドバイスを
入れてテレビ映りに細心の注意を払ったのに対し、ニクソンは討論で話す内容にば
かり力を入れたそうだ。ラジオで討論を聞いた聴取者はニクソンが勝ったと思った
が、テレビ視聴者はケネディの勝ちと感じたと伝えられている。
以降、アメリカ大統領選ではテレビ視聴者に如何に格好よく映り、短くかつ印象
に残る言葉を話せるかに腐心している。先日もブッシュ氏とゴア氏のテレビ討論が
行われたが、両候補ともスーツは紺色、ネクタイは赤だった。そして模擬スタジオ
で実践さながらの予行演習を繰り返したそうだ。こうなってくると、新人タレント
のオーディションのようでもある。
日本では、1972年、佐藤栄作総理が引退会見で「新聞は嘘をつくから嫌いだ。テ
レビはどこにいる」と叫び、記者団が退席した後ひとりでテレビカメラに向かって
喋ったという事件があった。テレビの側からすると、画期的なことでもあった。た
だし佐藤さんの側には「テレビはこちらの言いたいことを“そのまま”伝えるもの
だ」という誤解もあったと思う。
そして、ここ数年、俄然注目されるようになったのが、討論番組だ。日曜日はま
ず午前7時半から私どもの「報道2001」があり、続いて9時からNHKの「日曜
討論」、テレビ朝日の「サンデープロジェクト」と続く。ちなみに政治討論番組を
持っていなかった日本テレビとTBSも衛星放送で討論番組をはじめた。
討論番組自体は以前からあったが、注目されるようになったきっかけは1993年細
川政権誕生のあたりからだ。フジテレビで言うと報道2001はもともと「各界の
最高の人物をスタジオに呼んでじっくり話を聞こう」というコンセプトでスタート
して、最初の頃は政治家だけでなく、相撲の春日野理事長とか、映画監督の伊丹十
三氏とか、日本画家の平山郁夫氏とかをゲストに呼んでいた。
しかし、竹下派の分裂から自民党の分裂、総選挙、非自民政権の発足という画期
的な出来事が相次いで、番組としても「当事者から直接話を聞きたい」となった。
羽田さん、武村さん、細川さんらがほとんど毎週のようにスタジオに来たりあるい
は中継で出演し、うちの後NHK,その後テレビ朝日と各局をはしごした。そして
翌日月曜日の新聞の朝刊には「だれだれがテレビでこう言った」という記事が出る
ようになった。「政治は日曜日の討論番組で作られる」という流れになった。
番組スタッフの方も、ゲストから政治的インパクトのある話を引き出せば「特ダ
ネ」になるので、おだてたり、わざと議論をふっかけたりして、翌日の朝刊にどう
報道されるか楽しみにしていた。
報道2001の場合、かなり前から出演スケジュールが決まっている人もあるが
、普通はその週の月曜日くらいからテーマを考え、人選をする。テーマが先に決ま
ることもあれば、「人」先行の場合もある。ちなみに、ことしに入って一番視聴率
が高かったのは、3月12日で田中真紀子さんがゲストの時。9.3%だったが、瞬間
的には12.8%あった。次が5月7日、ゲストは橋本龍太郎さんで、8.5%だった。こ
のほか小泉純一郎さん、石原慎太郎さん、亀井静香さん、野中広務さんらが出演し
た日は比較的数字がいい。ちなみに今年の最低は2.4%で9月24日つまりオリンピッ
クの女子マラソンの日。
一番苦労するのは、「スケジュールが合わない」「テーマそのものが気にくわな
い」あるいは「いまはテレビに出たくない」などの理由で次々に断られること。一
番困るのは、いったん出演が決まっていたのに、放送の前々日あるいは前日になっ
てキャンセル、いわゆるドタキャンされることだ。常習犯もいる。
(4) 選挙報道について
討論番組は毎週やっているが、何年かに一度必ずあるのが総選挙や参議院選挙など
の国政選挙。コンピュータのシステム作りなどに時間がかかるため、準備作業は半
年くらい前から始める。選挙特番にかかる費用は3億円前後。このうちかなりの部
分が世論調査と出口調査に使われる。
テレビ各局の当確競争が激しくなったきっかけは、昭和58年暮れに行われた総選
挙。田中角栄に判決が出てすぐの選挙で、ロッキード判決選挙などと呼ばれたが、
日本テレビが開票が始まってすぐの午後8時頃当確を打った。それまでは、「当確
を打つにはそれなりの裏付けが必要」との考えから、開票率が10%とか15%くらい
にならないと、当確は打っていなかったので、我々もびっくりした。演出的には大
変なインパクトがあって、私はたしか社民党の本部でテレビを見ていたが、呆然と
した。
それ以来、徐々に当確のスピードが速くなり、週刊誌やスポーツ新聞で「午後何
時の時点で日本テレビは何人に当確を打った、テレビ朝日は何人、フジテレビは何
人で、テレビ朝日がダントツに早かった」などとやられるようになった。それまで
は、投票の1週間前の世論調査と、記者の選挙区取材をもとに、投票率は何%位で
、A候補は何市で何票、B候補は何市で何票と予想を立てておき、実際の票と予想
とを比較して当確を打つというやり方だった。
これでは限界があるというので導入されたのが出口調査だ。投票を終えた人から
「誰に投票したか」を訪ねるこの方法は、世論調査に比べ、答える人も答えやすい
のか、世論調査では実際よりも低い数字が出る傾向がある公明党や共産党、タレン
ト議員の支持率が結果に近い形でつかめるという利点がある。他方、世論調査のよ
うにサンプリング方式をとっていないし、夕方6時つまり投票終了の2時間前に調査
を終えるので、「代表性」という点での問題も指摘されれている。ただ、経験則で
いえば世論調査より確度が高いのは事実で、各社とも「出口調査」をベースにした
議席予測を夜8時の選挙特番冒頭で出すようになった。
なぜ、各局が当確早打ち競争をするのか。翌日のスポーツ紙や週刊誌で比較され
るという理由もさることながら、各党の獲得議席を早く集計することで、番組を、
話題の候補者の当確から、マクロ的な話すなわち、有権者は今度の選挙で何を選択
したのか、そして新しい政権の枠組みはどうなるかなどの政局の話に話題を転換で
きるからだ。
世論調査は、たくさんの質問ができるため、選挙の争点、ここのテーマと政党支
持の関係などを分析できるというメリットがある。他方、選挙予測をする上で、世
論調査が以前より当たらなくなった。有権者の政党支持の強さが以前よりも弱くな
ったのではないか。また、アナウンス効果、つまり有権者が世論調査の結果を見て
、投票予定を変えるという傾向がより強くなったのではないかと見ている。
このようなこともあり、今後は事前の世論調査よりも出口調査に比重を置くよう
になるのではないかと思う。
(5) 最近の傾向
いずれにしても、政治に対するテレビの影響力は近年ますます大きくなってきた
とされているが、同時に学者、あるいは評論家から様々な問題が指摘されていまる
。
まず、新聞に比べ、感情的な判断を導きやすいという批判がある。ひとつの項目
そのものが短いこともさることながら、新聞のように何回も読み返すというわけに
はいかないので、我々の側もできるだけ感覚的に捉えられるような工夫をしている
。
スーパーテロップで説明を補足したり、あるときには図表を見せたり、模型を使
ったりする。理屈ではなく雰囲気で伝えようとする傾向がある。ただ、それは、た
とえば台所で晩御飯の用意をしながら見ている奥さんでも少しでも興味を持って欲
しいと思って作っているからでもある。基本的に一般大衆を対象としている以上、
ある程度宿命かもしれない。
また、最近のテレビの政治報道は、政策よりも「ヒト」に焦点を当てがちという
批判がある。政治の世界の出来事を何でもヒトとヒトとの葛藤、好き嫌い、権力抗
争にからめて捉える、つまり、日本の将来あるいは国益を揺るがすような重要な事
柄であっても、いわゆる政局報道的な視点から報道する傾向があるというわけだ。
実際、たとえば景気対策重視か、財政再建重視かという論点があるが、これがニ
ュースの上では亀井静香vs加藤紘一、山崎拓の話として報道されている。我々とし
ては忸怩たるものがあるが、他方、亀井さんと加藤さんがまた喧嘩しているという
風にしないと、そもそもニュース項目に乗せてもらえないわけで、やらないよりや
ったほうがましとも考えている。
そもそもいわゆるイデオロギー対決の時代は遠い過去のことになり、政策上の争
点が、正解か不正解か単純に割り切れる話ではなくなってきたという現実も背景に
あると思う。ただ、この辺の批判を克服しない限り、テレビの時代だと偉そうに言
えないと私は思う。
(6) 多チャンネル時代の報道
今年12月1日から各局が一斉にBSデジタル放送をスタートさせる。さらに郵
政省は、いまの地上波も2006年までに全国的にデジタル化するという方針だ。これ
には民放だけで1兆円くらいのお金がかかると言われていて、これを誰が負担する
のかという問題もあるが、ここではこれは置いておく。
いずれにせよチャンネルの数が膨大に増えるわけだが、問題は何を放送するかだ
。私の理想的な見方だが、近い将来に、まず記者一人ひとりが編集機能つきの小型
カメラを常に持って取材し、電話線あるいはモバイルで直ちに映像を報道局に送り
、放送する。あるいは携帯電話ならぬ携帯中継カメラが出来て、なんでも生中継で
放送される、そんな時代がひょっとしたら来るのかもしれない。
実は小説家の筒井康隆さんがいまから35年前に出した「48億の妄想」という本
がある。そこら中にテレビカメラが据付けられ、政治家も一般人も、交通事故に遭
った被害者も、テレビを意識して受けを狙う世界で、あげくのはてに外務省と手を
組んで韓国に戦争を仕掛けるという危ない話だ。
その中に登場人物の言葉として「政治なんて難しいものは、もっとわかりやすく
して、それからもっと面白くして見せなきゃいかん」と言わせ、またほかの個所で
は、「難解な政権を喋り捲る政治家は“難しいことばかり言って、もっとも面白く
ない人”とされ。無視される」「記者の仕事は前もって、如何にその出来事を劇的
に盛り上げるか、如何にセンセーショナルに演出するかを考えることにあった」
「成功した政治家はマスコミに利用されながら、巧みにマスコミを利用した人間た
ちのことだ」などという下りがある。繰り返すが35年前の小説だ。作家というの
はたいしたもんだと思うと同時に、われわれテレビ局の人間への戒めと受け止めた
いと思う。
以上