第475回二木会

日時 平成12年4月13日

講師 藤田 義雄(昭和27年卒)日本ラグビーフットボール協会 参与dai475_s.jpg (8886 バイト)
関東ラグビーフットボール協会 評議員
慶應義塾体育会蹴球部黒黄会 理事長
昭和32年 慶應義塾大学文学部社会学科卒業
昭和32年 日野自動車工業入社
昭和41年 東商インクワィアリー入社 専務
昭和58年 横河商事入社 社長、会長
平成12年 藤田通商起業 代表
             写真は 右 藤田氏 左 阿久根氏
テーマ 「慶應義塾体育会蹴球部100周年」

内容要約
今年、慶應義塾大学ラグビー部は、1月2日に準決勝で同志社大学を破り、
15日の決勝戦で大学選手権の優勝を果たしました。その中に、本日同席
している阿久根潤君(平成8年卒、今年4月東京ガス入社)と、ここに同席で
きなかった川尻圭介君(平成9年卒)、山本英児君(平成10年卒)が大活躍した
ので感無量であった。

慶應義塾大学ラグビー部の創部当時は、まだ大学でラグビーをやっている
ところがなく、専らYCAC(横浜外人クラブ)などが対戦相手だった。100周年
を迎えるに当たって、OB会の取りまとめ役を担当しており、日本のラグビー
のパイオニアとしての責任を感じた。
東大ラグビー部の75周年は学士会館で、また早稲田のラグビー部80周年は
ホテルで、それぞれ祝賀パーティーだけの催しだった。
100周年を迎える慶應では、記念行事は学校で行うこと、恥じることがない
模範となるような祝賀行事をやること、OB会の全員が協調してやることを
方針とした。
それからは、前塾長や現塾長に相談し、先輩・後輩のネットワークを駆使し
て、計画を形作っていった。
最終的に、100周年記念事業は、1999年9月の三田キャンパス518番ホールで
の記念式典、同じく9月のケンブリッジ大学招聘試合、ラグビー部合宿所の
建替えとグランドの整備、慶應ラグビー百年史の発行ということで大学や
関係者の承認を得ることができた。

慶應のラグビーは、当時の英語講師E.B.クラーク氏が、ケンブリッジ大学
留学から戻った田中銀之助と共に、慶應の学生達を集めて自らが教えて創立
した。そこで商社にいる後輩にケンブリッジ大学に招聘試合の話を着けても
らったところ、先方から快諾してもらった上に、他の大学とも親善試合を要
望してきたので、日本ラグビーフットボール協会から招待状を出すことに
なった。
百年史は慶應出版社から出版し販売できることとなり、大変うまく進められ
ることとなった。
また同じ頃、YCACの130周年記念試合の後のパァーティー会場で、駐日英国
大使の出席をお願いすることもできた。
慶應ラグビー100周年は日本のラグビー100周年という意味で、読売新聞が広
報面で強力してくれることとなった。
宮内庁からの紹介で、寛仁親王妃信子殿下の出席要請に赤坂御寮にも出向き、
快諾頂いた。
これらの記念事業の資金として、寄付のお願いをして回り、2億3千万円を集
めた。寄付のお願いに回る中で色々と教えてもらうことができて勉強になった。

ケンブリッジ大学の来日が実現し、9月5日に関東学院と、また9月7日に同志社
との試合を行った。
9月8日には、黒黄会主催でウェルカムパーティーを催し、ディズニーランド
に招待した。
9月11日ケンブリッジと慶應の試合では、前述の修猷出身の3人の選手を含む
慶應が42対21で勝った。
9月12日には、三田キャンパスで盛大に記念式典を執り行った。
東大、早稲田、明治のOB達が、パーティーの終わりにお礼と感謝を述べてく
れたことが印象的であった。
日本のラグビーの100周年を記念できたことは大変満足であった。


(今回は今年修猷館を卒業した新しいメンバーが20名集まって頂き、講演後
に立食パーティーを催し、講師を中心とした懇談とともに新卒者の紹介もで
きました。)


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