「都市鉄道の役割と課題」

小田急電鉄株式会社 取締役社長 大須賀ョ彦先輩(昭和37年卒)
2006年2月9日(木)学士会館にて

◆鉄道の歴史

「鉄道の歴史はイギリスの歴史」と一時は言われ、ヨーロッパの田舎だったイギリスを世界の覇者にしたのは鉄道だった。かつてイギリスは道路事情の悪く物資の輸送はもっぱら運河だったが、産業革命後、当時鉱山で使っていたトロッコ、馬車、人力車が利用されるようになった。その後発明された蒸気機関車も当初は非常に柔らかいレールを使っていたので長時間の利用に耐えず、安く軽量な馬の時代が続いたが、1819年、馬と蒸気機関車の競争は蒸気機関が勝利を収める。そのころ石炭が開発され、どんどん開発が進み、1847年には126km/時、1900年には163km/時と非常に速い蒸気機関車となる。ただ、一方で貨物輸送が中心だったとはいえ、最小限の手ブレーキしかなかったため、鉄橋から落ちる、脱線衝突するという事故が多く、死亡率も極めて高かった。そういう中で、イギリスで鉄道の発達は19世紀末から20世紀の初めが最盛期となる。しかし第一次世界大戦と不況により鉄道は不振になり、1923年に多数あった鉄道会社が4つの会社に再編され、1948年に労働党の政権下で国有化される。この国鉄も、1993年のサッチャー政権の「小さな政府」のもと民営化され、機能別あるいは地域別に約100の会社に分割されたせいで全く機能しなくなり、嫌気がさした技術陣や高齢者が退職して人員が不足し、維持が厳しくなり段々と衰退していった。今でもイギリスの鉄道は国民から非常に信頼が薄い。

講師:大須賀ョ彦さん

鉄道の基である車輪。B.C.3500年ごろにはシュメール(現在のイラク南部)で車輪が発明、B.C.2000年ごろにはスポーク構造の車輪が出現。A.D.元年頃にギリシャやローマで馬車等に切石軌道を使用し、1530年には鉱山荷車で木製のレールを使用したという記述がある。その後18世紀中期に鋳物レール、1820年に錬鉄レール、1857年に鋼鉄レールを開発。段々炭素の含有量が減って硬いレールになってきた。そして18世紀の終わりごろにワットが蒸気機関を発明し、これを使った1825年のストックトン・ダーリントン鉄道が恐らく最初の鉄道ではないかと思われる。そして1829年の「ロケット号」が44km/時で走行し、1930年の公共鉄道マンチェスター・リバプール鉄道が営業を開始する。それ以降はヨーロッパでは瞬く間に鉄道が走る。フランスでは1832年に仏初の商用鉄道(パリ=ルーアン)が開通。アメリカでは1869年に大陸横断鉄道が東西を結び、このころには植民地の中近東、アフリカ、中南米関係でも物資輸送の鉄道が必要になる。その後、1917年にアメリカの鉄道は総延長が40万kmを超えてピークを迎え、あとは急激に自動車に押され、鉄道時代は終わる。

一方日本では、1872年(明治5年10月14日)の新橋=横浜。この10月14日が今でも鉄道記念日となっているが、実際には1865年(慶応元年)には長崎に出島の付近においてデモンストレーションで蒸気機関車を走らせたという記録があるようだ。その後、特筆するものとしては、明治7年に往復乗車券発売。明治15年に急行列車運行開始。明治16年には最初の私鉄日本鉄道創業。これは実際には半官半民で、純私鉄としては明治18年に阪堺電鉄道(現南海の前身)が開業。明治20年には定期乗車券(グリーン車の定期券のようなもの)販売。明治22年には列車便所の導入。明治28年に初めて電気鉄道が開業し、同時に通学定期制度開始。明治30年に入場券。明治32年に食堂車。明治33年に寝台車・・・と明治時代は鉄道が非常に発達した時代であった。明治36年に路面電車。明治40年に職工定期制度開始(現在の通勤定期)。明治44年に九州電気鉄道(現、西鉄)開業。あとは、戦前の昭和2年に最初の地下鉄(現銀座線)ができ、それ以外の地下鉄は昭和29年の丸の内線以降、浅草線、日比谷線、三田線、千代田線、有楽町線、半蔵門線、新宿線と全部戦後。昭和39年に東海道新幹線が新大阪まで開通し、さらに博多まで開通したのは昭和50年。最近では平成16年横浜高速鉄道みなとみらい21号線、また昨年平成17年には、つくばエクスプレス線が開業。将来的には平成19年に池袋=新宿=渋谷の地下鉄13号線が、池袋では東武東上線や西武池袋線、渋谷では東横線とつながるべく現在建設中。

◆東京圏の鉄道

東京圏の発達については、江戸時代は日本橋を中心に約6km、徒歩2時間圏の千住、新宿、品川、板橋あたりの宿場町が都会とされ、明治5年以後、横浜、熊谷、市川、千葉と整備が進む。また、明治18年の山手線完成後に常磐線、中央線、総武線と明治30年くらいから各地に敷設。私鉄はというと、明治27年に西武鉄道、川越鉄道(現、西武新宿線)ができているが、実際には大正2年に武蔵野鉄道(現、西武池袋線)が最初。それから明治32年に京浜急行。明治32年に東武鉄道で、これは佐野線、桐生線、東上線とまい進し、現在関東で一番長い。その次にできたのが京成であるが、2010年に完成予定の成田新高速鉄道は160km/時のスカイライナーが上野と成田空港間を36分で結ぶことになる。次にできたのが京王で昭和55年には都営新宿線と相直運転をすることになった。その次に相鉄。その後東急。大正11年に池上線、同12年に目蒲線、さらに同15年に東横線、それから大井町線を合併し、昭和14年に東京横浜電鉄となったのがスタート。戦後は田園都市線あるいは新玉川線とつくっていく。そして実は最後にできたのが小田急で、昭和2年、もともと水力発電をやっていた人が、なかなか売れない電気を消化するために電車に目をつけた。最初丸の内線の所を計画したのだが、関東大震災で断念し、改めて見るとほとんどの地域に鉄道ができていて、唯一残されていた神奈川の方に鉄道を走らせたのが小田急線のスタート。着工から1年半で小田原まで複線でつくるというとんでもない大突貫工事をやり、また2年後には江ノ島線を複線で完成している。ロマンスカーで有名だが、今は複々線工事で頑張っている。

戦後の混乱の中から朝鮮戦争から急激に回復すると同時に都市に人口が集中してくる。東京では、当時の国鉄が5方面作戦(東海道、中央、高崎、常磐、総武)、民鉄が東武からぐるっと時計の反対周りに京浜急行まで約11方向の計16方向に関東平野という広い所に見事に放射状に鉄道が走る。首都圏で真ん中に地下鉄を置いてこれだけの線が相互乗り入れしているというのは世界的にも例を見ない。日本の発達の中でこれが実現したのは、阪急商法で有名な阪急の小林一三、東京では東急の五島慶太、西武の堤康次郎などが沿線に人を集めるために、住宅開発、動物園、学校、百貨店等を積極的に誘致していったことにある。

◆欧米と日本の輸送人口事情

日・米・英・仏の輸送人口を比較すると、鉄道の割合が米1%、英6%、仏10%という中で、日本はJRと民鉄合わせて32%と、非常に鉄道のウエイトが高い。中でも東京圏での輸送人口は鉄道のウエイトが一番大きく、昭和50年と平成14年とでは鉄道の占める割合は衰えていないのである。それは一つには東京は都心部近くまで私鉄国鉄が全部伸び、なおかつ相互直通をしているため。欧州では城壁にさえぎられるなどあり、ロンドンやパリなどは周辺に分散したままで乗り換えを必要とし非常に使い勝手が悪い。もう一つ、石の文化である欧米では都心部が高層で非常に人口が集中していたが、木の文化である東京では基本的に低層の家が平面的に広がる。ただ、最近、親世代が都心から40km、50kmの所に居住したのに対して、子世代は再開発した都心のマンションに住むという都心回帰現象も始まっている。そういう中でも鉄道がよく利用されるのには日本人とヨーロッパ人の国民性の違いもある。同じ言葉、文化のため敵対心がなく、すれ違いざまに肌が触れても、電車の中でぐっすり眠っても平気である日本人に対して、欧米ではいつ何が起こるかわからないと緊張し、そんな状態で欧米人は恐らく日本人のように長時間乗ってはいられない。日本は非常に安全な国であることも鉄道が発達した原因のひとつではないかと思っている。

◆鉄道の事故

鉄道の歴史は、一方では事故の歴史とも言える。鉄道技術は経験工学といわれ、再び事故を起こさないということのために鉄道技術がつくり上げられてきたと思われる。ある本には死亡率でいうと、鉄道を1として航空が67、自動車が450とある。要するに鉄道事故の死亡率は自動車事故のそれの約450分の1。鉄道は線路、電路、信号、車両、運転など全部あわせて一大システムをつくり、それが互いに連携し、すべてがきちんと機能すれば事故は起きない基本的には極めて安全なシステムだが、逆に一つ狂うと凶器になるというのも事実である。やはり一番大事なのはまず安全意識。昔は、鉄道は国を発展させる礎になったという鉄道マンの誇りと使命感と気概があったが、それも薄れつつある。そのため、指導・教育を通じ、鉄道マンとしてのプライドを維持するとともに、日々、心身とも健全で仕事に当たるよう意識づけている。それでもやはり事故は起きるというのが現実である。やはり安全というのはつくられるもの、また作り上げるものだと私は考える。

この10年の事故の記録では、平成7年の地下鉄サリンのテロ事件から始まって、平成12年地下鉄の中目黒の事故。平成13年新大久保のホームで転落事故(3人死亡)。また、平成17年東武竹ノ塚の踏切事故(2人死亡)。平成17年福知山線の事故(列車脱線、107名死亡、549名負傷)。同年JR羽越線の強風による列車脱線(5名死亡32名負傷)。天災に対してもしっかり対策を講じ事故を起こさない、あるいは被害を最小限にとどめる工夫がまだまだ必要である。

また、運転事故の件数、死亡者などは近年減少してきている。半分を占める踏切事故、それからホームからの誤った転落による事故、作業員の線路作業中の列車接触事故などの人身障害事故も含めて、死亡者が年間約300人。実はこれ以外に自殺が非常に多く、小田急線で年間30〜40人、他鉄道を合わせると相当な数になると思われる。自殺によってすぐに30分〜40分は止まり復旧に半日近くかかる。とは言うものの、先程申し上げたとおり、実のところ鉄道というのは基本的に安全なシステムであることを強調しておきたい。

◆高齢少子社会と鉄道

国立社会保障人口問題研究所の発表では、全国の年齢別人口を見ると、生産年齢人口(15歳〜64歳)は2000年で総人口1億2,700万人の68%を占める。東京圏1都3県では極めて生産年齢人口のウエイトが高いが、これからは高齢者が高くなると推測される。この東京圏が全国に占める割合は総人口で大正9年に13.7%、2000年には26.3%、さらに2030年には28.5%と首都圏に集中していく。生産年齢人口の首都圏に占める割合を見ると、同じく14.5%から27.9%さらに29.8%。なんと30%近くが首都圏に集中していくのが実態である。首都圏の中で見ると、総人口の伸び率は2000年に比べると1.00で人口全体は変動ないが、高齢者の伸びは92%増。一方で生産年齢人口は14%減少。さらに14歳以下は22%も減少すると予測される。東京もどんどん高齢化していくわけである。そんな社会に鉄道は優しい乗り物だと私は思うのである。

◆バリアフリー化とバリア化

バリアフリー化については、高齢者の方や障害者の方のために、現在、鉄道では5m以上段差があるものの段差解消が約50%、身障者トイレの整備が33%進んでいる。さらに推進すべきなのだが国や自治体の予算が非常に少ない。半分補助されるはずが、実際には小田急で言うと、鉄道側が7割から8割負担。バリアフリー化で言えば合わせてシームレス化として相互直通を進め、バス、タクシー乗り場と駅の直結型にすればもっと利用しやすくなるし、駐輪、駐車場もできるだけ近くに。一方ソフト面では、来春、民鉄のパスネットをIC化してSUICAと一緒にする予定である。すると関東全体で鉄道、バス合わせて約100社が1枚のICカードで乗車できる。これもまさにバリアフリー化の一つである。外国の方のために外国語の案内、これもバリアフリー化。

一方私は自分なりにバリア化と言っているが、その一つは開かずの踏み切りの立体化。東京圏では4,661踏切のうち411が開かずの踏切。昭和44年に当時の運輸省と建設省とでつくった運建協定では、立体化の費用は国・自治体の公的負担が93%、鉄道負担が7%だったが、平成4年から大都市に限っては公的負担を86%、鉄道の負担は倍の14%とした。しかし実際にはこの公的負担もなかなか実現できず立体化が進まない。立体化工事をするのに3q当たり500億かかる。小田急のように複々線化がからむと更に困難で、昭和62年からの工事では10.4qで4,500億。最終的にはこのうち小田急が約3,000億、国が1,500億負担するというのが実態。これには、平成17年の国の予算が全国で1,700億円しかなく、東京都では373億円しかないというのがある。東京では現在全部で9箇所ほど立体化をやっていて、全部で373億円。この年小田急には15億円。これでは下北沢の工事も何年かかるかわからないので、立体化の予算をもっと増やしてもらいたい。

そしてもう一つのバリア化とはホーム柵。これはなかなか大変な工事で、まず全部不統一な車両のドアを合わせ、停車位置を合わせなくてはならない。そのためにダイヤ遅れになる、ホームが狭くて人が溢れる、非常に費用もかかると課題も多い。しかし、私は踏み切りの立体化とホーム柵等を実現によって、自殺や事故なく、鉄道が安全・安定的に走れるようになるので、ぜひ実現していきたいと思う。そのためには鉄道各社がそういう面で予算をもっとつけてもらいたい。さらにホーム柵ではなくてホームドアになれば、これはホームがまさに室内になり、晴雨寒暖に影響されず非常に使いやすくなる。将来の鉄道はそうなっていくのではないだろうか。

◆事業としての鉄道

JRさんは品川のように駅の街をつくった。もともと私鉄は、ゆりかごから墓場までといってもいいぐらい、様々なビジネスを手がけている。百貨店、スーパー、コンビニ、ホテル、レストラン、住宅、スポーツ、健康、遊園地、保育園、葬儀屋・・・。こういう総合生活産業的なものはこれからの高齢少子、あるいは都心回帰ではなかなか難しくなるだろうが、これからもっと鉄道を利用してもらうためには、駐車場や駐輪場を整備し、自治体の窓口、交番や派出所、また託児所、集会所、あるいは高齢者の方を対象にした習い事の教室などを駅に併設し、それが利益に直結しなくても人を集めやすく、使いやすいものにしていけば鉄道の利用がもっと増えていくだろう。昨今、阪神、京成などが投資ファンドに狙われているが、私はむしろこれからは鉄道の優待乗車証やグループの遊園地の割引券などのついたお得な株を、沿線の方々に持っていただきたい。そうすれば非常に安定的であり、共に繁栄しようという気持ちになり、一番いいと思う。これからの鉄道はそうあればいいのではないかと思う。私は、21世紀はまだまだ鉄道の時代だと思う。直接増収に結びつくものではないが、バリア化やバリアフリー化を進めていかなければいけない。非常に効率のいい鉄道に公的予算をもっと回わせるようになれば、それは有効な使い方と言えるのではないかと思う。そして私、鉄道担当の人間としては、安全こそ最大のサービス、最大の増収策と思ってこれからも事業を進めていきたいと思う。これからも皆さんに鉄道をご利用いただきたいと思う次第である。

「都市と鉄道」

 明けましておめでとうございます。館友の皆様におかれましては、清々しい新年を迎えられたこととお慶び申しあげます。
 さて、2月の二木会は、小田急電鉄株式会社 取締役社長 大須賀 ョ彦先輩(昭和37年卒)を講師にお迎えして、「都市と鉄道」をテーマにお話いただきます。大須賀先輩は、小田急電鉄の取締役人事部長、同運輸計画部長、専務取締役交通事業本部長等を歴任され、平成17年6月同社取締役社長にご就任されておられます。
 明治5年、新橋・横浜間に最初の鉄道が開業して以来、わが国社会・経済の発展、なかんずく都市の発展の礎となってきた鉄道の歴史を欧米との比較等も交えながらひもとき、さらには少子高齢化や環境保全などの今日的諸問題に 対して、これからの鉄道が果たすべき役割等についてお話いただきます。

 たくさんの館友の皆様にご列席いただけますよう心よりお待ちしております。
 尚、出欠のご返事は2月3日(金)必着でお願い致します。

東京修猷会 会 長 藤吉敏生(S26年卒)
幹事長 渡辺俊介(S38年卒)

1.テーマ 「都市と鉄道」
2.講師 大須賀 ョ彦 氏(昭和37年卒)
小田急電鉄株式会社 取締役社長
3.日時 2006年2月9日(木)
午後6時 〜 食事、 午後7時 〜 講演
※ 食事を申し込まれた方は、遅くとも6時30分までにお越しください。
4.場所 学士会館
 (千代田区神田錦町 3-28)
電話 03-3292-5931
地下鉄東西線
 「竹橋」下車5分
半蔵門線・都営新宿線・三田線
 「神保町」下車3分
5.会費 ・3,500円
  (講演のみの方は1,500円)
・70歳以上および学生の方は2,000円
  (講演のみの方は無料)