第472回二木会


昭和52年福岡県立九州歯科大学大学院博士課程修了、歯学博士。dai472_s.jpg (7962 バイト)
最近は歯科医も専門医制度ができ、入れ歯を専門とする。
福岡以外にも大分佐伯でも歯科医院を開業。

1999年9月25日土曜日午後8時43分、ダイエーホークスのパリーグ優勝が決定し
た。そして10月28日には、ついに日本一の栄冠に輝き、西鉄ライオンズの三連覇以来実に41年ぶり、ダイエーホークスとして創設11年目にして、九州にチャンピオンフラッグが渡った。
福岡では10年間の地元球団不在という苦難もあり、遠い道のりだった。元々は西鉄ライオンズのファンで、子供の頃から平和台に見に行っていた。中西の逆転優勝も見に行き、嬉し涙を流した。
しかしライオンズが何回か身売りされ、最終的に西武に行ってしまった。
今の西武ライオンズは昔の西鉄ライオンズではないと思っていた。
福岡に地元球団がなくなり、ジャイアンツが負けるのだけを楽しみするという時
代を過ごしていた。
西鉄ライオンズ時代は学校での子供達の会話も、家庭での親子の会話も野球のこ
とから1日が始まっていた。
青年会議所に入り、子供の親子関係が疎遠になり何とかしたいと考えていたし、
また福岡に何か
ランドマークを作りたいと考えていた。
そんな時に、1986年正月に青年会議所の例会をOBの稲尾さんが訪れ、「ロッテを
福岡に持って来ても良い
ということで監督を引受けたのに、なかなか受け皿ができない。」と話されてい
た。
RKBの同級生も誘致推進に協力してくれ、ニュースで取り上げたり、球団誘致の1
時間の特集番組を作ってくれた。
九州7社会(九電、西鉄、福銀、西銀、シティー銀行、西部ガス、九電工)にも
お願いに回ったが、
なかなか賛同が得られなかった。
しかし現福岡市長の山崎広太郎さん(S35卒、当時市議会議長)が賛同してくだ
さり、ロッテとの調整を進めた。
市民が支える球団にしたかったので、山崎氏を会長に市民球団誘致市民会議を発
足し、事務局長を務めた。
百道浜の大型進出企業の競争で、ダイエーの福岡強化の関係もあり、ダイエーに
よる球団誘致が進んだ。
当時ロッテと共に南海ホークスも誘致対象となり、福岡市民の親しみ感もあった
ため、ホークスが誘致された。
そして1989年からホークスが福岡を本拠地として、再び福岡の地元球団が誕生した。
初代のダイエーホークスの監督の杉浦さんは、いまだに歯の治療のために日帰り
で来てくれる。
杉浦監督は選手の基礎作りに努力された。
二代目の田淵監督は野球好きの憎めない人だった。
三代目の根本監督は昨年亡くなられた。鋭い目つきだが寛大な方で、選手に対す
る面倒見の良さは全国に有名だった。
四代目の王監督は人柄の本当に良い方だが、世界の王であり神様みたいな人のた
め選手達が堅くなっていた。
王監督の最初の三年間は残念な成績に終わった。
1999年の前半は選手の脱税事件やスパイ疑惑で大変だったし、一時は最下位まで
落ちた。
しかし夏以降は良い成績が続いた。その理由はコーチや選手の王監督に対する緊
張感が取れたことがある。
またピッチャーが意外なほど大活躍したし、若い選手も育って打撃も良くなり、
粘り強いチームになった。
優勝パレードの人出は、かつての西鉄ライオンズの優勝のように多くのファンや
福岡県民が祝福に集まった。
博多どんたくの時にでるゴミの倍が、たった一時間程のパレードででた。
プロ野球と相撲と交響楽団と地下鉄があるのが大都市で、これは東京と大阪と名
古屋と福岡だけ。
優勝祝賀の福岡は野球ファンのみならず、主婦にも喜びを与えた。
ダイエーの優勝祝賀バーゲンは勿論、岩田屋や大丸の店員までもがダイエーの
ハッピを着てバーゲンをやっていた。
今回だけは、巨人を応援していた。王と長島の対戦を実現したかった。

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