第537回二木会

<日時>        H1938日(木) <場所>学士会館

<参加人数>  84

<テーマ>      『ニッポンの海外ボランティア活動〜バリ島での日本語教育への取り組み』

<講師>        インドネシア/バリ島 日本学校主宰

城戸 秀夫 氏(S26年卒)

<運営/進行>  S.55年卒(GOGO会)間中 紳介

<内容>

     講師紹介(司会及びS26年卒 大平氏)

      九大地質学部卒。資源開発の会社に就職。国内では、北海道での探鉱、海外ではマレーシア、カンボジアなどに滞在し、業務に従事。インドネシアもs42-45(北スマトラ油田)、H4-7(ジャカルタ)に2度滞在。

      H9年に修猷館の先輩である真武先輩(S9)の紹介で、バリ島を訪問。その後準備期間を経て、H16年に図書館及び日本語学校を開設。(この間に奥様ご逝去)

現在、たった一人で、図書館及び学校の運営費、教材費など、全て自費で賄っている状態。



    木 戸 講 師   会 場 風 景

○講演

(はじめに〜バリ島に学校、図書館を開設するに至る経緯〜)

     10年前は、東京におり、二木会にも、よく参加していた。

     船橋駅で怪我をしたことが、きっかけで、故郷である福岡に戻る決心をした

     帰福した後、外国人にボランチィアで日本語を教える団体主催の「外国料理の講習会」に出席する機会を得たことがきっかけで、ボランチィア活動に参加するようになった。

     これはアジア各国からの留学生の(日本語)補修授業を行うボランチィア活動で、これに参加するため、日本語を外国人に教える教師養成の為の講義を受け、「日本語の教え方」を習得した。

     その後、旧友(林氏)とであった際に、「インドネシアで日本語を教えている真武先輩がご高齢で、後任を探しているが、興味ないか?」と持ちかけられた。

     真武氏へもコンタクトを図ったが、奥様の発病(その後、ご逝去)、真武氏ご自身が体調を崩されたことなどの問題等があり、なかなか話を進めることができなかったが、1年以上経ってから、やっと(真武氏と)話をすることができた。

     真武氏からは、「子供の役に立つことならば、何でもいいからやってくれ」と言われ、様々なアイディアを出された*が、資金の問題などもあり、どれも実現可能性が低いと感じられたが、「まずは行って、見て見よう」と現地視察に赴いた。

*真武氏のアイディア例)

  ・日本語、英語、コンピューターを教える、うどん屋を経営する、果樹園を作る、湖畔にキャンプ場を開設する等

 

     現地に着いてみると、ガイド組合の委員長、レストランのオーナー、郷土芸能の主催者などの名士が、真武氏の「マタケン学校」の卒業生としてグループを作り、出迎えてくれた。

     (日本の事業家が、真武氏の事業に共感し提供した)かなり広い土地が観光地の傍にあったが、20年契約で、華僑に貸し出しており、賃料も全て前金で受け取っていた。このお金で、「マタケン学校」の土地、建物を作ったため、お金は残っていない。使えるのはこの建物だけで、これも既に一年契約で、他の人に貸し出しており、家の補修費もでない状況であり、すぐにできる仕事はなにもない状態であることが判明。

     できるとすれば、建物の借用期限が過ぎた後に、建屋を補修し、活用することとぐらい。この建屋はユースホステル風の造りで、寝室が45部屋程度はある大きさ。「子供に本を読む習慣をつけさせたい」との思いから、これを活用し、図書館を開くことにして、改装を行った。

 

(日本語学校の開設〜今)

     20033月に図書館をオープン。70名程の来訪者があって、じっと座っている。

「先生、いつから日本語を教えてくれるのか?」といわれ、(当初は教えるつもりは無かったが)日本語学校に切り替えた。

     このため新に机、いす、家具も増やし、インドネシア語の本(薄い本ばかりだが、200冊程度)やLife-Time社の百科事典(インドネシア語版)も用意をした。

     最初は70人くらい集まったが、1週間ほどたつと、はじめから来ていたメンバーは約半分になり、また新しい人が集まってきた。現在生徒として登録されているのは、子供=350人、大人=300人だが、実際受講しているのは、50人程度。

     現在は、授業は週5.5日。もともと週5日で、一日は、自分がインドネシア語を勉強する日、もう一日は休みの日(日曜日)としていたが、「もっとやってほしい」との要請があり、日曜日の午前中だけやることにした。インドネシアの学校も午前・午後の2部制なので、日本語学校もこれに倣っている。

     3年程度経つと、能力に差が出てきて、クラスを分ける必要が出てきて、現在子供は3クラス、大人を4クラスに分けている。(子供の日を4日、大人を2日と割り当てている)

     開設当初、小学校の古い教科書の寄付を受けたが、中には、4年生の教科書をすらすら読めるレベルの子供もいる。大人のレベルはバラツキが大きい。

     教材を作るのが大変だったが、2年たって、一通りの教材が整い、余裕ができてきた。

     子供は、親が同伴して連れて来る。最近は塾通いが盛んになってきている。

     教師は、以前もう1名いたが、一昨年から自分ひとりとなった。

     バリ州には、国立大学が3つあり、このうちひとつに日本語学科があり、50名程度の生徒がいる。先生はJAICAからの派遣。

     就職面でも、収入面でも外国語習得は有利であり、日本語のほかにも、英語、ドイツ語、フランス語、オランダ語などが教えられている。

     バリ州の高校約200校のうち、約半数で、日本語の授業があるが、日本人の教師はおらず、日本語ができるインドネシア語の教師が、ローマ字を使って教えている。

     教え方は、「文字」から入るのではなく、「耳」から入るのが殆どで、文章を読める人は稀なのが、実情。

     ニーズからすれば、まず話すこと(=ガイドとして話せば、すぐお金になる)だが、自分は文字から教えることにこだわっている。

     生徒には「日本語検定試験」を受験させ、実力の目安とさせている。

     「日本語検定試験」には、4つのレベルがあるが、現在4級合格者は、4名(受験者は30名)、3級は2名(〃4名)、2級は1名(〃1名)、1級はゼロ(〃1名)。2級合格者は、大学を卒業して、補習に来ている人。

     問題点は、「自分の代わりがいない」ということ。現在(講師が日本に来ている間)は、学校は休校している。なんとか、修猷館ゆかりの人に、後任を託したいと思っている。

     インドネシアには、複数のvisaがあるが、55歳以上なら(Retire visa)というものもあり、銀行に200万円の預金があるもしくは、一定以上の収入があれば、受給できる。(その他は、Multi-Business VISASocial VISAWorking VISAなど。Working VISAJAICA職員ならば良いが、とりにくい)

 

(写真紹介)

@     マタケン学校風景(その1)

A     マタケン学校風景(その2)

B     バリ礼服姿(講師)

C     マタケン学校改装完了直後風景

D     授業風景

E     開校当時の風景

F     バリ結婚式風景  など

 

 

○質疑応答

Q:インドネシアでの生活費はどの程度?

A:宿泊費は朝食つきで、3万円/月程度。これに運営費が4-5万円掛かっている。

 

Q:家一軒買うとどのくらいか?

A:法律的に、外国人は不動産を取得できない。借りたほうが割安。女中さんも1万円/月(食事込み)で雇える。

 

Q:バリ市内の識字率はどうか?

A:アルファベットの識字率は高い。インドネシアには250の民族と、200の言葉があるとされるが、共通語(インドネシア語)はほぼ通じる。


Q:昔、インドネシア人に金を貸したが、返さない。理由は、「貴君を天国に行かせるため」との弁明を受けたが、いまもこんな風か?

A:イスラムには、「持たない人に与えて、施しをする」ことを推奨する風潮はあるが、いまがどうかよくわからない。(金は貸さないに越したことはない)

 

Q:奥さんも3人までOKとされるが、いまでもそうか?

A:イスラム教では、4人まで認められるが、社会的に、そのような人は、「うとんぜられる」傾向があるようだ。


Q:日本人が、インドネシア語を学ぶのと、インドネシア人が日本語を学ぶのと、どちらが速いか?

A:一般的にどちらとはいえないが、お金に直接結びつくほうが、インセンチィブになるのではないか?言語的にいえば、インドネシア語には、「助詞」が殆ど無いし、漢字などを覚える必要性からすれば、日本語は難しい。

 

Q:食べ物はどうか?(魚などの種類は豊富か?)

A:太刀魚や鯛の仲間は手に入る。マグロもあり、カルパッチョなどは、わりとおいしい。

 

Q:公務員、軍人などの「公私混同」は?

A:あまりないように感じる。

 

Q:中国人に対する感情は?(蔑視感情)

A:地域によって、差もあると思うし、経済的には華僑が押さえていることもあり、「特別な感情」は少なからずあるとおもう。

 

Q:バリ島は大きいのか?

A:東京都の2.5倍くらいの大きさ。大きな観光スポットが5つくらいあり、学校は、そのうち一つのスポットに隣接している。

 

Q:これだけの活動を手弁当でやられているのはすばらしい「民間外交」だ。

 この活動をたった一人で支えておられるようだが、なにか組織をつくって、フォーマルな形として、継続してゆく方法は無いのか?

A:NPO組織にするか、という話しもあったが、いろいろな意見や制約もあって、現段階では取りやめとなった。私自身、「老後の楽しみ」ではあるが、是非とも「後継者」がほしいと考えている。(できれば、修猷館ゆかりの人が引き継いでくれればありがたい)是非皆様、どなたか、心当たりがあれば、連絡ください。

 

 

<その他:交流会での意見交換/今月のお題=「心に残る名曲」>

         バッハ ゴールドベーグ協奏曲」

(戦後まもなく、文部省新人音楽賞受賞者コンサートで、山根ルリコ氏が演奏途中で立ち上

がり、一礼をして「間違えました」。再びはじめからひき直した。演奏が終えた

ときに、万来の拍手(+アンコール要請)が起こったエピソードをご紹介。)

         「海ゆかば」

(武人大伴氏の味わい深い歌詞。新保祐司氏の著作『「海ゆかば」の昭和』もあわ

せてご紹介)

         浜崎あゆみの歌

  (慶応ラグビー部に所属。試合前に気持ちを高めるために聞いている)

         「フォーレのレクイエム」

  (高校時代も合唱部。現在も地元の混声合唱団に所属。様々なレクイエムの中で、フォーレのレクイエムがベスト。映画「愛情物語(1956年米国)」の中でも印象的に使われていた。)

                                    など

 

<その他:石橋 顕君(H04卒)北京オリンピック(ヨット競技)に向けた活動についてのご紹介>

                     
石橋顕氏及び牧野幸雄氏(北京オリンピック ヨット競技)

                         以  上

第537回二木会

ニッポンの海外ボランティア活動
〜「バリ島での日本語教育への取り組み

 春寒の候、館友の皆様におかれましては、益々ご健勝のこととお慶び申しあげます。

 さて、3月の二木会は昭和26年卒の城戸 秀夫先輩を講師にお迎えし、インドネシアで取り組まれている日本語教育についてお話を伺います。
 城戸先輩は九州大学理学部地質学科をご卒業後、石油資源開発株式会社へ入社されました。同社ではインドネシア、マレーシア、ロシア(サハリン)など、主に海外での石油・天然ガスの探鉱に携わられておりました。
 平成7年に同社を退職後、一時は福岡へ転居されておりましたが、平成14年、以前からバリ島でボランティア活動をされていた真武 信幸先輩(昭和9年卒)の意思を継がれ、同地でボランティア活動を始められました。平成16年、現地に図書館を開設、同時に現地の方々へ日本語授業を開始されております。
 現在、小学校低学年生から50代の大人までの幅広い年代の約50名ほどの生徒達を相手に、お一人で日本語を教えておられます。現地での学校や生活の様子など、様々なご体験を含めてお話いただく予定です。
 また、講演前の交流会では「心に残る名曲(ジャンルを問いません)」について、皆さまからお話を頂きたいと思います。
 多数の館友のご列席を、心よりお待ちしております。
 尚、出欠のご返事は3月2日(金)必着でお願い致します。

                          東京修猷会  会 長  藤吉 敏生  (S26年卒)
                                    幹事長 甲畑 眞知子(S44年卒)
1.テーマ ニッポンの海外ボランティア活動〜「バリ島での日本語教育への取り組み」
2.講師 城戸 秀夫 氏(昭和26年卒)
バリ島 日本語学校主宰

3.日時 2007年3月8日(木)
午後6時 〜 食事、 午後7時 〜 講演
*食事を申し込まれた方は、遅くとも6時30分までにお越しください。
4.場所 学士会館
 (千代田区神田錦町 3-28)
電話 03-3292-5931
地下鉄東西線
 「竹橋」下車5分
半蔵門線・都営新宿線・三田線
 「神保町」下車3分
5.会費 3,500円(講演のみの方は1,500円)
70歳以上および学生の方は2,000円(講演のみの方は無料)