「東京の景観」

東京大学都市工学科教授 西村幸夫氏(昭和46年卒)
2006年5月11日(木)学士会館にて

日本橋上の首都高を撤去して一つの景観のシンボルにする。地上波デジタル化に伴い、東京タワーに代わる電波塔として600mの新タワーをつくる。銀座に高層のビルができる。下北沢が道路で壊されていく…東京の景観についてはいろいろな問題が起きている。

果たして東京の景観はどう考えられてきたのか。12年前に都がつくった景観マスタープランのユニークなところはいくつかの景観の軸を考えること。例えば多摩川や丘陵、臨海、隅田川、都心の軸、蒲田や西日暮里あたりの東京湾側の大きな段差のところあると考えられる軸…。これらの軸を大事にしながら計画が動いている。しかし、都心開発については配慮すべき点が種々あるにもかかわらず、法的規制力がなく単に夢物語の図でしかなかった。

講師:西村幸夫さん

■街のできた歴史を振り返る

千代田区では10年ほど前から戦災の影響、道路の歴史など、実際に街が持っている構造を細かく調査している。江戸時代の絵図を見ると、遥か富士山、筑波山を臨むなど、眺望を意図して道ができているのがわかる。東京駅にぶつかる軸、国会議事堂に向かう軸など、建造物が目印になるように道をつくってきたという歴史もあり、どんなランドマークや高い建物があるかなどを調査して景観方針のガイドラインとなった。

それをもとにマスタープランがつくられ、調査結果が具体的なプランの中に反映されている。例えば、歴史、自然、多様な界隈など50のキーワードからなる「街の魅力」や地歴を尊重して土地を活用し建物を設計する。その際に留意すべきマニュアルも用意され、事業者にその姿勢を区に対して報告する義務を課すという仕組みが成立している。美観を損なえない場所での建築物は制約され、特に皇居の周辺は美観地区ということで法定のガイドラインとして非常に詳細に決められている。道づくりの変遷の歴史を知れば、当時の作り手の思いをくんで次へ伝えられる。

このように、単なる美観だけではなくいろいろな理屈を駆使して、その重要さを設計者や事業者に理解してもらう努力されてきたものの、かつては財産権の侵害となるため法的な強制力はなかった。しかし2年前に景観法という全国一律の法律ができ、財産権を制約することが可能になった。

■地域との合意形成

まちづくりをする上では、その経過も含めた地域とのしっかりした合意形成が重要である。丸の内では、事業者側が「大手町丸の内有楽町地区街づくり懇談会」を立ち上げた。地権者、都、区、そしてJRも加えて官民協力合意の下でガイドランを作成するので誰からも文句は出ないわけである。平成10年に「緩やかなまちづくりガイドライン」ができ、改訂を重ね、現在の「まちづくりガイドライン2005」となった。内容は、東京、有楽町、大手町、八重洲などの拠点をつくり、それを基点にして建造物の高さなどを規定していくなどといったものである。これは約100社のすべての地権者がはんを押す全くの紳士協定である。

一つひとつの通りについても、それぞれのガイドラインができている。馬場先通りなどはその歴史を生かす。丸の内仲通りは本社ビルが多く、本来なら重厚でセキュリティー重視が望ましいが、協議会が中心になって合意の上、1階には店舗も入れて賑わいをつくる。大手町のほうは街区が大きいのでもう少し広場的なものをつくる。東京駅の駅前広場も八重洲側も、タクシー乗降の流れなどが悪いので再構築する。東京駅から皇居に向かう幅員約73mの行幸通りは、皇居行事や外国大使の馬車列が走るシンボリックな通りだが、地下駐車場があるため大きな並木は植えられない。地下駐車場の一部を、広場を含んだ大規模な地下通路へと再整備し、上下一体の新しい歩行者空間とする計画が動き出した。景気がよくなり、東京では都市再生特別措置法の緊急整備地域を設け、その中に都市再生特区をつくり、これらの仕組みを使ってこのところ大変な勢いで港区、中央区、臨海あたりを中心に開発が動いている。東京都が景観条例を変えて景観計画を変えようということで、今ちょうど100メートルを越えるビルが千代田区から港区にかけて大変集中しているのが分かる。

ではどういうネゴシエーションがあって動いてきたのか、いくつかの事例を挙げてご報告したい。

◎ 明治生命館

重要文化財である明治生命館の維持には年間1,000万単位の維持費の負担が企業にのしかかる。行政も、重要文化財保全のため、なんとか補填をする仕組みが必要ではないかと「重要文化財特別型特定街区制度」の適用で当時1,500%の容積率を実現し、明治生命館には手がつけられないが、これを囲んでL字型に高層ビルを共存させることになった。明治生命館が低層である分、余剰な床の権利を500%まで売り貸しして補填することができる。もちろん新しい高層ビルは既存の建物を引き立てるものであるのは必須である。現在修復も完了し立派なものになっている。

◎ 日本工業倶楽部

これは社団法人が所有し、やはり維持管理が大変である。別にあるL字型のビルの建て替えに合わせて上手く修理費を出したい。この建物は外も立派だが中のほうがさらに立派である。日本工業倶楽部の貴重なところを残して取り込み、ワンブロックとして建て替える。どこまで残すかを議論した。外観については通りに面したおおむねの外観を残すこと、内部については玄関ポーチから広間、大階段を経由して談話室、大会堂、大食堂に至るシークエンスを重視した一連の空間を残すことが次第に合意されていく。ところがこれは関東大震災の直前に完成した建物であるため耐震性がない。事業者側の費用的な協力も得て、完全保存部分だけ横にずらし、地下に免震構造を入れて元に引き戻して現在の形となる。

◎ 三菱一号館

これは鹿鳴館をつくった建築家ジャサイヤ・コンドルの手による、丸の内最初の赤レンガビルである。これは明治の正倉院であるというくらい凄いものだといわれたが、1960年の初めに三菱地所が取り壊してしまった。三菱地所はそれを反省し、その再建プロジェクトが進んでいる。ただ再建するだけではなく、ほかのビルも壊してこの一画を再開発しようという議論が出ている。三菱一号館は壊されたが、いろいろな部材や建物の細かい写真、また、実測調査やオリジナルの図面も保存されていたので再建が可能である。今のままでは建築基準法に違反する部分も多々あるが、それも特例として認めてもらう道を探り、そのままやろうと計画していて、もうすぐスタートする。実はこのビルの赤レンガに合わせて東京駅も赤レンガになったのである。ところが現在は周りの建物がなくなったので、東京駅だけが赤レンガとして残されることになった。三菱一号館の赤レンガ建物の記憶は東京駅のデザインのうちに残されているのである。

◎ 議員会館

現在3棟ある議員会館は議員一人当たり40uで、これを100uに拡大する。しかし面積が2.5倍になれば超高層になる。それも衆議院の2棟を1棟にするとさらに高くなる。それが景観としてどうなのか。首相官邸が見下ろされることにもなり、国会議事堂の景観を壊さぬよう、議員会館は国会議事堂より低くする事が望まれる。

実は、現在の議員会館3棟はそれなりによくできているので、これと全く同じ面積のものを1本ずつ建てれば、それによって左右対称になって、今はズレている国会議事堂の軸線がきれいに通るという計画があった。ところが古くからある日枝神社に通じている参道を冒涜することになる。そこで地下になった。衆議院議員事務局と参議院議員事務局と国の役人が千代田区の審議会で、区の委員の前でデザインを説明し議論をし、さらに事前説明に何度も足を運んだ。本来ならば国のプロジェクトなので区に通知するだけでよかったのだが、条例を尊重したのである。少し前にはまず考えられない。これはある種象徴的なものである。

◎ 八重洲側の再開発

特に駅前広場が非常に狭くて不便なので、ビルを取り払って両側に建て、中央に十分な広さをとってオープンなスペースにしようという計画が地区計画で決定している。また、この4月から、戦火で消失して修復された現在2階建ての東京駅を約4年かけて元の3階建てに戻すという修復事業が進んでいる。あの昔の玉葱型の屋根が再生される。と同時に大丸のビルがなくなり、正面から見ると東京駅の背後に青空が広がり、少しずつ景観も改善される。

◎ 大手町合同庁舎跡地

空き地になっている国の合同庁舎跡を大きく再開発しようと。大手社屋が移転したりと連鎖型で建て替えの発生するとてつもない計画である。その第1弾として、日本橋の再生も兼ねて日本橋側に3棟建築し、日経新聞やJAや経団連等が移転する。

◎ 日本橋上の高速道路の撤去

技術的には可能である。3,000〜4,000億円かけて日本橋の側道の所に地下トンネルを通せば実現する。そこだけ切っても八重洲の地下を通っているバイパス線があるので全部のネットワークが切れるわけではない。神田のあたりから地下に潜っていけなくはない。渋滞するだろうが、ソウルの清渓川の例を見てもそれはそれなりに交通量はどこかにいくだろうという説もある。3,000億円は無駄だというマスコミの意見もあり、世論にかかっている。ここが完成したときの景観のシミュレーションも行った。

■ 景観を損なうものとの対峙

新宿西口の超高層街区の隣接商業地区で、東京モード学園がまゆ型で高さ230mのちょっと風変わりな建物を建築中である。これが本当にここの景観に合うのかという議論がなかなかできなかった。建築主は回りとの調和など全く考えず目立つ建物がよいと。商店街の人にとっては賑やかでよいと歓迎し、新宿区の景観まちづくり審議会も都も、高さや容積率などの数字はクリアしているのでデザインだけでNOという理屈がないわけである。これが欧米なら、マスコミが取り上げ、世論が沸き、それをもとに是非が決まるのだが、日本では個人情報保護なのか決定まで表に出ない。それは新宿の景観を決めてしまうものかもしれない。周辺に対する努力がないというのは困りものである。立派な建物は周りにも貢献するものである。

一方、国立のマンション問題。3月30日に、周辺住民が事業者に対して高さ20mを超える部分の撤去などを求めた上告審で、最高裁は建造物の撤去については棄却したが周辺住民の景観利益を認めた。これは画期的な判決であった。今までは門前払いだったが、住民が訴える利益はあるのだ。これからは行政訴訟だけではなく民事訴訟でも損害賠償で争うことができそうだ。そのためには千代田区がつくったような、法や条例に則ったルールづくりが必要であろう。

時代が流れ、景観法ができ、「景観利益は法的保護に値する」という最高裁の言葉でまた一歩前進できそうである。

「東京の景観」

 新緑の候、館友の皆様におかれましては、益々ご健勝のこととお慶び申しあげます。
 さて、5月の二木会は、東京大学都市工学教授の西村幸夫先輩(昭和46年卒)を講師にお迎えして、「東京の景観」をテーマにお話いただきます。西村先輩は、東京大学及び同大学院において、都市デザイン研究室を主宰され、都市デザインのあり方、その理論や手法に関する研究や、実際の街づくりにも参画されており、この分野で幅広くご活躍されていらっしゃいます。
 今回は、東京の景観にスポットを当て、日本橋の上にかかる首都高速を撤去できるか、東京駅の復元や八重洲の再開発、表参道の活性化と景観整備はどうからむか、国立の高層マンション裁判の今後など、最近の東京の景観を巡る動きを考え、2004年に成立した景観法の今後を展望していただきます。

 たくさんの館友の皆様にご列席いただけますよう心よりお待ちしております。
 尚、出欠のご返事は5月5日(金)必着でお願い致します。

東京修猷会 会 長 藤吉敏生(S26年卒)
幹事長 渡辺俊介(S38年卒)

1.テーマ 東京の景観
2.講師 西村 幸夫 氏(昭和46年卒)
東京大学都市工学 教授
3.日時 2006年5月11日(木)
午後6時 〜 食事、 午後7時 〜 講演
*食事を申し込まれた方は、遅くとも6時30分までにお越しください。
4.場所 学士会館
 (千代田区神田錦町 3-28)
電話 03-3292-5931
地下鉄東西線
 「竹橋」下車5分
半蔵門線・都営新宿線・三田線
 「神保町」下車3分
5.会費 3,500円(講演のみの方は1,500円)
70歳以上および学生の方は2,000円(講演のみの方は無料)