第495回二木会

望ましい官僚とは?

〜霞ヶ関の実態を踏まえて〜

 

講 師:久保田 勇夫 氏 (昭和 36年卒)
    ローンスター日本法人会長

         

 

    日 時:2002年7月11日(木) 午後6時から 食事
                    7時から 講演

 

     場 所:学士会館

 

 只今ご紹介いただきました久保田でございます。

 私は、都市基盤整備公団での2年を含め、合計36年3ヶ月役人を務めました。そのうち大蔵省が少なくとも30年ちょっとになります。

 そういうことで本日は、役人とは何かといったことを、メリハリを付けながらお話ししたいと思います。

 役人にもいろいろと種類がありますが、私が辿って来た道でもあり、主として霞ヶ関で政策を担当する上級職の人達を頭において、今日は話をさせていただきます。

 また、政治との絡みについても話をしますが、政治と役人との関係は色々言われるわりには、本当のことはあまり報告されていません。役人の実態について書いている人達が実はその専門家ではないということもあります。そういうことを踏まえ、お話したいと思います。

 

1.役人の仕事は激務

 私は37年に東京大学に入りましたが、教養学部での私のクラス53人のうち、その後役人になったのが13人、それ以外が40人でした。役人になった者13人の内3人が亡くなり、民間に行った者40人の内2人が亡くなりました。

 これだけ見ても役人は相当の死亡率ですが、大蔵省に昭和41年に入省した者についてみても、22名中3名が亡くなりました。割合としてはかなりの高さかと思います。こうしたことは、いろんな意味で役所の仕事が大変きついことの証拠であるかと思います。しかしながら、我々の時代よりも今の時代の方がもっと大変になっています。今は入省間もない係員でさえも、いきなり我々が課長補佐の頃の様な非常に厳しい勤務を行っています。

 私は1986年の東京サミットの時に担当課長である機構課長を務めましたが、その時は特に大変忙しかったのですが、部下である入省1年目の係員の結婚式で、彼の友人から彼が「せめてまだ暗いうちに家に帰りたい」と言っていると聞かされ、面目を失したことがありました。

 課長補佐時代はどの省でも大変忙しく、毎日2時ごろまで仕事をしますが、それでもまだ昔は季節労働者の様で、主税局でも主計局でも予算ができあがるとそこで一応休憩ができたものです。しかし今では予算期だけではなく、恒常的に忙しくなって参りました。

 

2.激務の要因/政治との関係

 恒常的に忙しくなった理由には、国際化と、政治・国会対応があります。

 国際化という点では、昔も国際会議の前などは大変でしたが、国際電話やテレックスも総務課の承認が必要でしたので、局長・課長が羽田から飛び立てば、その後は暫く楽だという時代でした。ところが今ではサミットや蔵相会議等があれば海外での状況が即テレビ中継されるわけで、すぐにコメントを求められることになります。刻々とどこでどうだ、実はどうだったといった事を、時差に関係なく国内の関係者に報告しなくてはなりません。

 海外に出張する方も、昔は飛行機の中ではパタッと眠るのが普通でしたが、今では飛行機の中でも例えば対処方針などのメモを、パソコンに打ち続けなければなりません。飛行機の中ですから当然時差を超えながら、しかも気圧も低い中でシートベルトを付けてやるわけですから、健康に良いはずはありません。

 次に政治との関係ですが、まず国会質問の手順について説明します。国会答弁は、本来は3日前位には質問内容を提出することになっていますが、実際にはだいたい前の日の夕方5時か6時にしか取れません。それから答弁作成者の割り振りをします。難しい案件では各省庁間で揉めることもあり、また各省庁の中でもどの局が書くべきかで押し付け合いが起きます。局長まで目を通した後、文書課に提出し大臣用に冊子を作成して、次の日の朝に大臣にレクチャーするわけです。因みに例えばイギリスでは3週間前までに質問が出ていなければ、国会での口頭での答弁は行われません。日本ではとにかく前日にならないと質問が取れず、答弁を中心になって書く課長補佐は、次の日の朝には課長・局長と同席して大臣に説明しなければなりませんし、また国会答弁で論戦が始まると、大臣の傍で備えなければなりません。それほど課長補佐の仕事は大変なのです。

 また、永い目で見て少しずつ答弁者の格が上がってきています。昔は自分の省の直接関係する委員会では局長が答弁するものの、他の委員会では課長答弁が原則でした。しかし4〜5年前からは、全ての委員会答弁を局長が行うことになってしまいました。局長が国会答弁に取られれば、本来のその局の仕事が止まるということになり、行政に支障が出ることにもなります。国会答弁というのも、時とともに負担が大きくなってきた様に思われます。

 党と政府の関係では、政府の手続きと党の手続きを、どう噛み合わせるかということがポイントになります。通常は総務会を通るか、それと同時かの段階で次官会議にかけられます。閣議にかかる前には総務会の了承を取っていることが大原則です。ところが最近では、たまに総理が法案を先に閣議に諮るということもあり、色々と現在議論が生じているところにもなっています。

 こうした事前審査といわれる手続きに手を取られることが問題です。部会をリードする部会長が、当選回数の面で出席のベテランの方々よりも若く、ベテラン議員から異論が出されてしまうと、中々決まらなくなることもあります。

なぜあの特定の国会議員が、特定の省庁に対してあれ程の影響力があるのか、役人はそこまで言うことを聞かなくてもいいではないかと思われるでしょうが、こうした人達が部会で反対するとなるとそれは役人としては非常につらいものです。

 政治家との関係では具体的に3つほど大きな問題があります。1つは役人の人事を専ら大臣に決めさせてはどうかという問題、2番目は行政と政治の分断をもっとはっきりさせるべきかという問題、これは具体的には国家公務員が政治家と直接接触しないイギリススタイルにしてはどうかという意見で、今盛んに議論がなされています。さらに3番目として業界と行政との分断の問題があります。このうち、3番目の業界と行政の分断の問題についてとりあげます。

 役人の倫理規定は現在非常に厳しくなっています。財務省では指定官職である審議官以上は、財務省の全権限を持っているものとみなされ、例えば直接には予算の権限がない主計局以外の審議官(これは局長の下のポストです)であっても、地方公共団体の職員・各省庁の職員とは割り勘での食事さえもできないことになっています。

 こうした規定はよくアメリカを例に出されますが、アメリカの制度は形の上と実際の運用とでかなりの違いがあります。具体的にはアメリカの財務省次官は、ほとんどが辞めたら直ぐに金融界に行きます。それは次官としては、金融界と直接の規制関係には無かったと、業務との関係が非常に限定的に解釈されているからです。そうやって民間と政府の意思疎通が非常によくできているのです。具体的に鉄鋼交渉などの政府間交渉では、こちらは鉄鋼業界の相手方とは、割り勘での食事もできないことになりますし、これでは国際競争力・交渉の質から言って劣勢は明らかです。この様に倫理規定というのは、ただ役人と業界が密着するかということだけでなく、国益という観点から、どういうことが一番いいのか早急に見直さなければいけないと思います。

 1984年の日米円ドル委員会の財務長官であったドン・リーガンは、その時の竹下大蔵大臣との会談を私が通訳しましたが、メリルリンチの社長から財務長官になり、終わったらまたメリルリンチに帰り会長になりました。財務長官時代の間に全てを知って民間に帰ったのです。要するに問題はそういった国を相手に交渉を行っているということです。今のシステムは相当考え直す必要があると思います。

 

3.なぜ「役人道入門」を書いたか

 役人はある意味技術集団であり、軍隊に似ています。能力という点においては、常に強くなくてはいけないと考えます。役所はけしからんという話をすることによって、役人の能力を落とすことになってはいないかと、役人OBとしては心配しています。役人は上手に使うべきで、その使い方が問題なのであって、その能力があるという点は、常に保たなければならないと思います。

 本の中で、文章の書き方・交渉の仕方・人事などいろいろと書きました。役所というところへは誰も金儲けの為に入るものではありません。また新聞等で役人は省益の為には命がけで戦うとよく書かれますが、そうしたこともあり得ないわけです。最終的にはそれが国益であると思うと同時に、自分としてしっかりしたことをやろうという使命感で、皆やっていると思います。役人にとり自分のやりたいことは、上のポストに就かないとやれないということもあって、人事は役人にとり大変興味のあるところです。しかし、人事は本人の思ったとおりにもならないもので、広田弘毅氏がある時期に詠んだ「風車 風が吹くまで 昼寝かな」という句は、役人として拳拳服膺すべきものと思います。私は、とんでもない人事に出くわしたときは、「いずれ又 咲く日もあろう 梅の花」の気持ちで対応することとしていました。

 

.修猷館と役人について

 修猷館出身の役人は決して多くありません。それはなぜかと考えました。1つには在野の精神に反するということかも知れませんが、歴史的なものも踏まえているのではという気もします。薩長土肥ということとの関係があるのかもしれません。また1つには、伝統的な儒教思想である「巧言令色鮮し仁」「至誠天に通ず」「無言実行」などということでは、中央の省庁ではうまく生きていけないという面があるのかもしれません。ただこれは役所次第であるのかもしれません。

 私も修猷館を出て非常によかったなと思うわけですが、それは先輩後輩という関係で、客観的に自分を見ていただけるということです。先日、宮川先輩がおいでになりまして、私もそろそろ60ですから、この辺でということを申しましたら、君はまだ還暦になるかならんかだし、俺ならもっとやりたいことをどんどんやるぞと、非常に気合を入れられまして、なる程そうかと心を入れ替えた次第です。

 私自身も、1966年に大蔵省に入って67年にイギリスに留学しましたが、その時に修猷館に寄り、担任の石田先生に後輩諸君を集めていただき、2つのことを申し上げました。1つは、大学を選ぶ時は何を将来やりたいか、何に自分は向いているかをよく考えて、大学や学部を選ぶべきであるということ。2つ目には修猷館から役人になる人は少ないが、自分に適正があってやってみたいと思う人は、是非来て欲しいといった話をしました。

この時の話を聞いて役人になった人が実は2人おりまして、現在はいずれも大幹部です。

そうことでも多少の責任もありますし、有り難いなという気もします。

 

 長くなりましたがこれで終わりとさせていただきます。

 本日はどうもありがとうございました。 

 

 

   

 

 

 

<第495回二木会のお知らせ>

望ましい官僚とは?

〜霞ヶ関の実態を踏まえて〜

 

初夏の頃、蒸し暑さも日に日に増してきておりますが、館友の皆様におかれましてはお元気にお過ごしのことと存じます。

行政改革や公務員制度改革が続く中、行政のあり方、公務員のあり方が引き続き問われ続けています。国家、国民への義務を果たすために、公務員は何を心がけ、何をなすべきなのか。今こそ原点に返って考えるべき時ではないでしょうか

7月の二木会の講師には、都市基盤整備公団 副総裁の久保田勇夫様をお迎えします。久保田さんは、大蔵省(現財務省)でご活躍され、国際金融局次長、関税局長を経て、国土庁事務次官を御歴任された後に、現在のお仕事に携わっておられます。このたび、自らのご経験を踏まえ、プロフェッショナルとしての公務員に求められる技術の集大成として「役人道入門」という本を出版されています。理想のプロの官僚のあり方や霞ヶ関の公務員の実態についてお話を頂く予定です。

多くの館友の皆様のご参加をお待ちしています。
 尚、出席のご返事は7月8日(月)必着でお願いします。

ホームページで受け付けています。

                        
東京修猷会 会 長 藤吉 敏生(S26
                                幹事長 渡辺 俊介(S38

1.テーマ: 望ましい官僚とは? 〜霞ヶ関の実態を踏まえて〜

2.講 師:久保田 勇夫 氏 (昭和 36年卒)
      都市基盤整備公団 副総裁

3.日 時:2002年7月11日(木) 午後6時から 食事
                    7時から 講演

4.場 所:学士会館 千代田区神田錦町3-28
           電話 03-3292-5931
      地下鉄東西線      「竹 橋」下車5分
      半蔵門線・新宿線・三田線「神保町」下車3分
5.会 費:3,000円(講演のみの方は1,500円)
   学生及び70歳以上の方は1,500円(講演のみの方は無料)