東京修猷会・会報 第10号 1998年(平成10年)1月1日発行

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目次 (中項目の下線がある部分をクリックするとその文面に飛びます)  

大項目 中項目 筆者 卒年
巻頭言 21世紀へ新たなる未来のために -暁への挨拶- 野上三男 S20
21世紀へ新たなる未来のために -父権の復活- 有吉新吾 S4
東京で活躍する若者たち 剣道部出身(慶応・宮崎誠治君)ラグビー部(慶応・阿久根潤君他) 事務局   ---
クラブOB会 水泳部「星泳会」70年 西村正美 S43
バレー部70周年 栗山英俊 S46
東京修猷会総会案内 '98東京修猷会総会広告 S47幹事団 S47
’97二木会 講演抜粋  情報通信技術の現状と将来 (’97.2月) 三井信雄 S25
21世紀への進路 (’97.7月) 山崎 拓 S30
歌三昧、30年 シャンソンを歌う 世古潤一 S37
自著を語る ヒトラー暗殺計画と抵抗運動 山下公子 S45
同窓生の店 東京・成城 フランス菓子の店「シェソア」 富田幸敬 S45
二木ゴルフ大会 大会報告 鹿児島正信 S46
考えること 精神科臨床の中で考えること 西園マーハ文 S54
学年だより 卒業40周年記念同窓会(東京三二会) 国分英臣 S32
東京修猷55会 柴田幸一郎 S55
’97総会 ’97東京修猷会総会報告 河野 浩 S46
修猷新聞50周年 修猷新聞50周年記念祝賀会 和田洋一 S45
事務局 事務局便り 東京修猷会事務局 ---
別刷り(画像) 二木会の歴史 東京修猷会事務局 ---

21世紀へ 新たなる未来のために

NOGAMI-s.jpg (3011 バイト) 東京修猷会新会長 野上三男(昭和20年卒)

 明けまして、おめでとうございます。
 昨年六月、有吉前会長から東京修猷会会長をお引継ぎして、初めての新年を迎えました。
 本年も、よろしくお願いいたします。
 希望をもって迎えたこの年は、どうやら極めて多難な年になりそうです。
 政治も経済も混沌として、明確な構図を描くことが出来ず、その混沌の中で、人の心も落着きを失いがちです。
 私たちが修猷館で培った自由闊達で、しかも毅然とした精神が、今こそ必要とされているように思います。
 そんな思いを込めて、新年にあたり「暁への挨拶」と題する古い時代のインドの劇詩人カリダーサの詩を皆さんにお贈りします。

今日の日を心して見よ。
これぞ生、生のうちなるまことの生。
このたまゆらの時に
なんじが存在の真理と
現実のすべては含まれたり。
生成のよるこび
行為の栄光 美の荘厳。
昨日ははや一つの夢にすぎず
明日はまたはかるなき幻ならん。
さあれ、今日の日をまたく生きなば。
昨日はなべて幸福の夢となり
明日はみな希望の幻となるべし。
されば、今日の日を心して見よ!
これぞわが暁への挨拶なり。

 この詩は、太平洋戦争直接の混乱と荒廃の時期に、竹山道雄さんがその著「手帖」の中で、深い感銘とともに紹介されたものです。
 ご記憶の方もおられるでしょう。
 いつの時代にも、どんな状況の中でも、人はこうして自分をはげまし、明日に向かって生きて来ました。
 今年も、東京修猷会が、「何の利害関係もなく、人生の一時期を同じ校舎で学んだということで結ばれた安心感」を土台に、更に発展して行くことを切に願っております。


ARIYOSI-s.jpg (3163 バイト) 東京修猷会前会長 有吉新吾(昭和4年卒)

 つなぎのりもリで会長を引受けましたが,いつの間にか6年も勤めてしまいました。在任中は何のお役にも立ちませんでしたが、皆さんのご協力により東京修猷会が大変活性化し、経営も順調になって参りましたことを心から嬉しく思っております。 また在任中は各界、各層に亘る館友の方々と接触を持つことが出来、啓発されることの多かったことを感謝いたしております。 この度立派な新会長を迎えまして、東京修猷会が益々隆昌に向かいますことを折って已みません。
 ところで戦後50数年にして最近漸く『父権の復活』が唱えられはじめておりますことは人変結構なことだと思っております。『父権』とは『家族を統合し、理念を掲げ、文化を伝え、社会のルールを教える父の役割』と或る人は定義しておりますが、要するに『父権の復活』とは、父親、母親のいずれを問わず、家族の中心に権威として立つものがいて、家族、社会、国家という共同体に於ける倫理規範や、民族の自覚につながる伝統文化の評価を幼い子供達に教え込むことの必要を訴えているわけであります。
 わが修猷館は明治18年、玄洋社の前身である向陽社の学塾向陽義塾と黒田家によって温存された藩校修猷館の後身藤雲館とが合併して英語専修修猷館として出発したのに始まるのであります。この英語専修修猷館は、理科系科目は凡て英語の原書を用いたという極めて開明的な学校でありましたが同時に多分にナショナルな伝統を温存したで学校でありました。 この学風は今もわが修猷館に温存されていると思います。私は日本の幼い子供達が背骨のある、気概をもった立派な日本国民に育っていくよう、『父権の復活』について館友の皆さん方の理解と協力を期待して已みません。
 館友の皆さん方の益々のご健勝を祈ります。


東京で活躍する若者たち
 東京に長くいると、地元での運動部関係の情報はなかなか入りにくい。しかしテレビなどで、スポーツ中継の中に、修猷館出身の選手が出ると、とても嬉しいものだ。今回は、一部インタビューを交じえて、東京で活躍している若者達を紹介する。

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 11月半ば、慶應義塾大学日吉校舎を訪れた。いちょう並木も、葉を落としはじめ、雨にぬれた舗道をおおっていた。
 慶大の剣道場に入ると、久しぶりに運動部の臭いを感じることができた。宮崎誠治君(24)、理工学部機械工学の専攻・剣道四段。慶大剣道部では、四年生として大将をつとめる『猛者(もさ)』 である。しかし、がっちりとした体格ではあるが、はっきりいって目もとすずしい美男子である。平成8年度の東京修猷会総会にも、千田力君とともに型をみせてくれたことを覚えておられる方もいるだろう。以下、宮崎君へのインタビューである。
---今年度の慶大剣道部の成績は?
 関東学生選手権で優勝。全国学生選手権でもべスト4に勝ち残り、また東西学生対抗戦にも出場するなど、個人的にも、大将として充実した一年でした。
---剣道を始めたきっかけは?
 室見小のとき、カッコよさにひかれて始めました。高取中・修猷とつづけ、慶応は重松先輩がおられるということで入りました。目標をもってやってきたことが、大学四年になって、ごの好結果を生んだと思います。慶大は試験が難しいので、無名校だが素質のある選手に受験をすすめることなどにも力を入れています。
---就職は?
 東京海上に決めました。機械工学ですので、コンピュータ関係の仕事をしたいと思って、決めました。
 以上、短い時間であったが、さわやかに答えていただいた。修猷館剣道部は、過日、一〇〇周年を迎えた。東京でも、平成8年度の総会を機に、集まりが行われたという。
 宮崎君のような若者が、「文武両道」の新しい型を示し、スポーツの面で、活躍してくれていることは、後輩達の大きな励ましになるだろう。
 この日も、インタビュー後、機械工学の研究室へ直行した。今後も「文武」両面での宮崎君の活躍を祈りたい。

ラグビー部 AKUTSU-s.jpg (3623 バイト) 慶明戦(96.11.4)左が阿久根君

 修猷で伝統ある球技のひとつは、ラグビー部であることに誰しも異存がないだろう。東京にいる同窓生も、ラグビー早慶戦のメンバーの中に、修猷館出身を目にすることがあったと思う。県代表になれないまでも、素質のある選手達が、大学で、その力を充分に発揮しているのだろう。従来早稲田大学では、森田君、前田君など、バックスを中心に活躍していた。(早大は、福岡の高校出身者が実に多い。)
 いま、慶応義塾大学にも逸材がいる。現在慶大環境情報学部二年の阿久根潤君である。フォワードで身長192p、体重100sの阿久根君は、小学校五年から、ラグビーをはじめ高校三年の時には、高校日本代表に選ばれイングランドに遠征している。このところ、慶大ラグビー部は、低迷していたようだが、昨年あたりから、勉学にも優れ、ラグビーに力のある高校生が独自の推薦制によって入学してきているようだ。その一人が、阿久根君だ。これは、自己推薦制度といわれ、高校三年までの成績が五点満点の四以上、論文、面接等をへて、合格となる制度だ。慶大はまさに、「文武両道」の好素材の選手を集めているようだ。
 昨年は、早大に勝ち、今年は、明治に善戦(33対31)。そして、早大には、42対12、しかも、トライを許さず快勝した。残念ながら、全体の成績は、早大、東大の二勝のみで、大学選手権には、出場できなかった。阿久根君は、チームの強化とチームに不可欠なメンバーになることが今の目標だと話してくれた。
 この他、慶大には、坂本宗之祐君(四年)、川尻圭介君(一年)がおり、またレギュラー選手としては同じ関東大学対抗戦グループの東大に、フォワードの中心選手として、片桐巌君(三年)がおり、日体大戦には、善戦した(75対31)。
 来年も、ぜひ、慶応、東大戦あるいは、早慶戦で、同窓生同士の戦いを見たいものである。


水泳部「星泳会」70年

「星泳会」事務局 西村正美(昭和43年卒)

 修猷館に水泳部らしき形が誕生しましたのは、大正時代の終り頃、数名の水泳愛好家が、まだプールも無い頃、今川橋下の潮溜りにて泳ぎ始めた頃に由来するとされ、昭和3年に初のプールが完成し、名実共に水泳部として活動した時をもって「星泳会」の創部と現在は認識している。初代星泳会会長高木順夫先輩他の熱心な練習、指導の下、数年のうちに「水泳修猷」が全国に響き渡る事となる。
 昭和6年〜8年頃は当館の先輩曰く「全九州連合軍より強い修猷」とまで言わしめる程の活躍があった。
 そして昭和11年の、現役当時より全国各大会に於いて優勝、新記録を樹立していた葉室鐵夫先輩がベルリンオリンピック200m平泳ぎにて2分42秒5のタイムでみごと優勝、金メダルを勝ち得た事は、我が水泳部のみならず修猷館の歴史の中でも特筆すべき栄光として今も語り継がれている。昭和10年〜18年頃には現星泳会長で元衆議院議員、楢崎弥之助先輩を始め、「正木、栗原、岸本、橋口、水町他」諸先輩が活躍されている。楢崎先輩が地元大濠プールで開催された日米対抗試合の日本代表の一員であった事は意外に知られていない事実である。
 戦後昭和30年代になるとプールも荒廃したが、現在の新プールが完成し、プール開きには先の「葉室大先輩」を始め多数の星泳会OBが集う中、修猷水泳部の新しい時代を迎える事となる。
 そして昭和55当時に活躍した国代君がみごと全国大会100m自由形で優勝するに至ったのである。スイミングクラブに所属する選手が名を連ねる中に於いて、仲間と共に現プールにて練習を重ねた末に得た記録は見事なものであった。今夏も「現役合宿見舞い」の名の下に多数のOBがプールに集り、現役約20名の練習をながめつつ、自らの現役時代の想い出に姿を重ね、その夜は遅くまで「我が青春時代」を深く語りあったのは言うまでもない。来年70周年のふしめを迎えるにあたり、記念総会等の計画も予定されている。
SEIEI-KAI-s.jpg (6982 バイト) 前列左から2人目葉室氏、3人目楢崎会長


バレー部 70周年  (昭46卒、栗山英俊)

 まだまだ、夏も真っ盛りという8月16日に、修猷バレー部創設70周年の記念式典が福岡で開催された。参加者は、地元福岡のほか、東京、大阪、鹿児島など全国から駆けつけ、参加総数も、現役・OB合わせて、200名近い盛況となった。東京からは高村健次郎(昭13卒)氏を筆頭に、ジャニー岩橋(昭20卒)氏、吉見健三(昭28卒)氏など十数名が参加しました。
 第一部は、午後0時半から、母校の体育館を会場にOB戦が行われ、若手からシルバー世代まで和気あいあいとした中に、往年の名プレーヤーの素晴らしいプレーなど、真夏の暑さに負けないプレーが随所に見られました。東京から参加のメンバーは東京修猷のマークの入った揃いのユニフォームで大いに場を盛り上げました。
 現在、現役メンバーは男子部、女子部あわせて50名を超えるということです。
 第二部は、百道のシーホークホテルに会場を移し、午後6時から総会と懇親会が開催され、総会では、船津館長の挨拶に続き、修猷とライバル校だった「広島二中」の先輩方から、戦前の修猷バレー部の活躍ぶりについての紹介があり、また、「東筑高校」、「福岡高校」のOBからは祝辞が寄せられた。最後に滝本会長(昭20卒)から現役メンバーへの激励と来賓へのお礼の挨拶で総会を締められました。
 場を移しての立食での懇親会では、テーブルを囲んでバレー部時代の楽しかった話や久方振りの再会に世代を超えて話がはずみ、三百ページを超える70周年記念誌「星の光」に、若さあふれる表紙絵を描いたジャニー岩橋氏から制作に当たっての苦労話などを聞いているうちに中締めの時間になってしまいました。
 名残惜しいメンバーは、ホテル内のカラオケで、厳しかった先輩方と歌合戦に興じ、また、最後は学年ごとに中洲に繰り出すなど、盛り沢山の行事で博多の夜を満喫しました。
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’97二木会から 講演抜粋


二月 三井信雄(昭和25年卒) セガソフト会長

◆情報通信技術の現在と将来 --ソフト産業への期待--

 コンピューターの仕事を長くやっていますと、現在のようにコンピューターが社会的に広く使われるようになったのは夢のような気がします。
 70年代の後半にパソコンが出現し、80年代になってコンピューターの使い方に革命的な時代を迎えました。インターネットで瞬時に世界中とつながることができるようになり、対話できることになったのもその一例でしょう。
 ソフトもいろいろあって、ビジネスの世界から、発音もしてくれる英々辞書、「たまごっち」の原形のようなDNAの組み替えをシュミレートするゲームソフトまで出て来ました。そのソフトでは映像と音声が同時に処理できるマルチメディアの技術が常識になっています。しかし、このように発達したソフト産業の中で、残念なことに日本は大変な遅れをとっているのが現状です。
 一つには日本人はものごとや、自分の立場をはっきりさせない性格で、その上、明確性を欠く表現が多く使われる日本語の構造が、ソフト作成上のハンデーになっているのかもしれません。しかし私は、ビル・ゲイツが世界経済のフォーラムで日本のベンチャービジネスの遅れを指摘したように、産業を育てる仕組みに問題があると思います。
 知恵のある人が、お金をもらって、これを元にベンチャー・ビジネスを成功するというのは、素晴らしいことですが、現実は容易なことではありません。アメリカでは、これを支援するため、お金を出すが、口も出すというベンチャー・キャピタリストが先輩役として存在しています。しかも事業を育てて成功すれば、アイデアを事業化した人も、これを支援したキャビタリストもミリオネアになる仕組みが出来ているのです。
 日本でもこのような新しい仕組みを産業界に定着させ、大企業の外で若い人達にもっと自由にやらせることが、ソフト産業を大きく伸ばすこと、業界に活力を入れることになるのではないでしょうか。
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七月 山崎 拓(昭和30年卒) 衆議院議員

◆21世紀への進路

 私達は、21世紀においても我が国が元気な活力国家であることを願っています。そのためには今から手を打ってなければ取り返しのつかないことになり、政治の責任で難局を打開したいと思っています。その難局の要因として、少子高齢化・産業の空洞化・財政の危機の三点が考えられています。これから21世紀の間に何か手を打とうと橋本政権は六大構造改革を掲げて局面打開をはかっています。特に財政の危機の克服は政府の直接的な課題ですので「財政構造改革」を一つの柱として、「行政改革」「社会保障構造改革」「経済構造改革」「金融システム構造改革」「教育改革」の六大構造改革を断行して我が国の国家社会・経済社会が活力を失わないように全力をあげているのです。これらは全部リンクしており、一つとしてやらなければ成り立たないのです。「財政構造改革」を先行として残りの五つがそれに続いて一体となって行われようとしているのです。
 また外交安保のことを少し申し上げますと、ガイドラインという言葉がよく聞かれますが、冷戦構造の崩壊後、地域紛争が多発する傾向が出てきており、それに対応して日米防衛協力のあり方や新しい協力関係を今決めようとしているのです。
 そんな国の内外の情勢下にありまして、私連は戦後50年、これだけの素晴しい経済的国力を築き上げるのに至ったのですが、人間の生命体にも耐用年数があるように、国家社会にも耐用年数50年と言えるようなところがあります。再生日本、ここまで戦後52年経て、赤ちゃんのような状態から成熟、老熟しつつある国家になってきたのですが、まもなく日没となる午後3時の太陽に例えられたりします。神業ではありますが、午後3時の太陽を真上に戻そうと、今それをやろうとしています。それをやらなければ、遺憾ながら日本の将来はないと考えております。


歌三昧、30年 --シャンソンを歌う-- 世古潤一(昭和37年卒)

 歌を仕事として何年経つだろうか。学生時代 ”銀巴里”の前歌をやっていた。スケジュール表に名前は出ないし勿論ギャラもなかった。そんな時代もいれると約30年になる。そして殆ど毎日歌ってきた。歌う事も仕事となれば厭な事も沢山ある。でもそれを乗り越えれば歌があった。歌う場所が路上でもカーネギー・ホールでも、聴衆がひとりでも1万人でも、1曲歌うのも30曲歌うのも別に変りはない。聞いてくれる人の心に仄かな灯りが点るように歌うだけだ。お前のあの歌が聞きたいとの声に励まされ、仲間がいて、家族があって曲りなりにも好きな事で生きてこられた。息子も大学を卒業し4月から社会人となる。今年は節目の年となりそうだ。
 現在、月曜〜金曜日は銀座のシャンソニエ鳩ぽっぽ(3574-1810) 土曜日は新宿の「シャンソニエQui(き=誰)」(3341-1814)で歌っています。共に日・祭日は休みです。鳩ぽっぽのメンバー10人で吹込んだCDが銀座山野楽器で発売中です。どうぞよろしくお願いします。
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自著を語る

『ヒトラー暗殺計画と抵抗運動』
山下公子 (昭45年卒・富山国際大助教授)

 とりたててドイツ史に興味がなくとも、ナチズムとかヒトラーという言葉を聞いたことのない人は、まずいまい。第二次世界大戦を描いた映画や小説に親しんだ人なら、フランスのレジスタンスやイタリアのパルチザンなどの、対独、あるいは反ファシズム抵抗運動の地下組織の存在も知っているだろう。
 しかし、ナチの本拠地ドイツが必ずしもナチ一色ではなかったこと。ヒトラーを排除しよう、ナチを抑えようとする人たちはヒトラーの政権掌握時から存在し、幾度かヒトラの暗殺やクーデターの計画が立てられたこと。それらの計画実行に命を賭したドイツ人がいたこと。それは、一般には殆ど知られていない。
 日独は第二次世界大線を同じ側で戦ったと、何となく親しみを持ち、ナチズムに熱狂し、多くのユダヤ人を殺した過去を持つ国だと何となく胡散臭く思う。日本人が一般にドイツに抱くイメージの裏には、こんな思いがあるような気がする。しかし、もしそうだとすれば、それは片手落ちの歪んだイメージである。
 そもそも1930年までのドイツと日本は、政治体制も国民の主権意識も大きく異なる。従って、そこから生じたドイツのナチズムと日本のいわゆる天皇制ファシズムも異質なものだった。その差を最も明確に示す例の一つが「抵抗」の有無である。
 そんな思いが本書を書かせた。異なっているが故に、ドイツは今でも日本人にとって良い鏡(鑑ではないので、念のため)であり得ると思うのだ。(講談社新書メチエ1997年4月刊)
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同窓生の店  東京・成城 フランス菓子の店「シェソア」
シェソア主人 富田幸敬(昭45年卒)

★食べ物の「いのち」を活かす 「菓子工房シェソア」も併設

 食べ物が与える本物の歓びを知りたい、そんな人々が集まって来れる場を作りたいと願つて、シェソアは16年前に東京・成城に誕生しました。以来、フランス料理・菓子をベースとして、教室・講習会の実施、店や企業の商品開発、メニュー開発、技術指導を行ってきました。それらの経験を生かして、5年前に「菓子工房シェソア」を併設しました。成城の住宅街の奥にある、小さな洋菓子店です。 シェソアは「おいしさ」を最優先します。私達の身体はまぎれもなく、食べることによって作られていますが、効率優先の為にともすれば食物のいのちを殺すあやまちをおかしてしまいます。シェソアは食物のいのちを活かすことで初めて、それを口にする私達のいのちも生かすことができるのだと考えます。効率を求めることがおいしさをそこなうなら、シェソアは効率の方をあきらめます。例えばパイ生地のお菓子など、多くは冷蔵ケースに並べて売っていますが、パイは冷蔵すれば固くなり、白く戻ってぱさつき、口溶けも消化も悪く、香ばしさも感じられなくなります。シェソアでは少しずつ何度も焼いて、冷蔵保存の必要がないようにしています。
 シェソアは私達の身体と心にいい影響を与え、優しさや温かさや活力を与える物を作り続けることを心がけています。そうして限りない喜びを与えるおいしい物を通じて、皆様とつながっていけることを願っています。(月・火曜日・定休)
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二木ゴルフ大会報告   (昭46年卒・鹿児島正信)
 二木会の運動部活動として老若男女だれでも参加できる同窓会ゴルフの企画が持ち上がったのが昨年末のことでした。総会・二木会の担当学年として私たち四六年卒が初代幹事を務めることになり春の第一回開催に向け準備をすすめてきました。
 はたして人数が集るかどうか心配していましたが春・秋の大会とも40名を越す館友のご参加を頂き大盛況でした。毎回大活躍の有吉前会長や秋の大会で優勝された野上会長はじめ二十年代卒業の大先輩方の活躍が目立っていました。女性や若い館友の参加者が増えるとより一層楽しい会になると思います。
 同窓会ゴルフの醍醐味は日頃話す機会の少ない先輩・後輩が一緒にプレーをしながら交流を深めることにあります。またゴルフは長く続けることが出来るスポーツであり健康を維持できれば有吉前会長のように80才を越えられても元気でプレーを楽しんでおられます。プレー後の懇親会は賞品もたくさん用意され和気あいあいの雰囲気で大変楽しい会になっています。
 現在、既に会員登録されている方は、115名で(ハンディ取得者68名)今後の大会の案内は登録者に発送します。ゴルフに興味がある方は同窓会事務局まで是非ご連絡ください。逐一名簿に登録致します。
 東京の修猷関係のゴルフ会としては他に安川大五郎先輩以来の歴史を誇る東京修猷ゴルフ会や究極のゴルフ道を追及する修猷どんたくゴルフ会などがありますのでゴルフのお好きな方はどしどしご参加の上、グリーン上で館友との友好を深めてください。
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精神科臨床の中で考えること

西園マーハ文 (昭和54年卒) (慶応大学医学部精神科助手)

 精神科医です、と自己紹介すると、さまざまな質問を受ける。「鉄格子の中で働くんですか。」「自分もおかしくなりませんか」等と聞かれると、精神科がまだ一般には怖い所と思われていることを実感する。
 また一方で、テレビドラマ等では、個性、若さ、女性性等を自在に駆使してどのような悩みも解決してくれるかっこいい精神科医が最近はよく登場するらしい。(忙しすぎて私自身は余りテレビが見られないのが残念だ。)しかし実際の私たちの仕事はというと、それほど怖くもかっこよくもなく、きわめて地道なものである。
 精神科とはいっても医学の一分野である以上、診察して、診断して、治療をして、という医療の基本的な姿勢は、他の科と何ら変わることはない。
 しかし、私たちの治療の対象は、目に見える腫瘍や機械で測れる血圧などではなく、患者さんの主観的体験なので、そこにはやはり他の科とは違う部分がある。患者さんが医師を信頼して話をして下さらない限り、診断もつかない。患者さんが、どういう医師を信頼に値すると判断なさるかには種々の要素があるだろうが、専門技術に加えて、やはり年齢、性別、人間性といったファクターが入ってくるのがおもしろい。
 私が女性であるせいか、私には女性の患者さんが多い。多過ぎてほとんパンク寸前である。精神分裂病、躁鬱病、神経症、摂食障害(拒食、過食)と病気は多岐にわたる。「こんなこと男の先生に話しても通じないし……」と、結婚できるかどうかの心配(分裂病の患者さん)や、食事の支度が嫌になってしまったこと(鬱病の患者さん)や、体重が1キロ増えたから死にたくなったこと(摂食障害の患者さん)等についてお話しされる患者さんを前にすると、いろいろ考えさせられる。
 このような訴えに対応するのが、性別にかかわらず精神科医の役割なので、「男の先生はだめ」ということはないのだが、確かに、患者さんが、男の先生には話しにくい話題があるのも否定はできない。
 料理をしたこともなさそうな男の先生に「億劫で献立が思い浮かばない」と言ってもばかにされるだけのような気がする、というのは納得できることである。女性が男性を信頼でき(もちろんこの逆も)、男性も生活感を持てることは、医者に限らず、患者さんに限らず、この忙しい日本で生きている皆の課題ではなかろうか。
 私が修猷館にいた頃は、女子が2割くらいで、十里行軍といい、成績貼り出しの習慣といい、いささかマッチョすぎる気がしたものであるが、今家庭生活と共に職業生活を何とか続けていられるのは、あの頃少し男性原理を身につけたことも役立っているように思われる。
 一方で、少数者としての女性の立場も十分経験した。今私が精神科医として働いているのは、あのころの絶妙な男女比も一つの遠因だった気がしてならないのである。
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学年だより

卒業四十周年記念同窓会     東京三二会幹事 国分英臣

 昭和32年卒業の三二会40周年記念同窓会は、第一部で平成9年5月31日、記念式典、祝賀会を行い、第二部で同年7月5日から4泊6日のハワイ旅行という企画でした。
 第一部は恩師尾嶋、小柳、永島、北島、釜瀬各先生、三二会同期の船津館長他120名の参加のもと母校青莪堂記念館で、母校への記念品贈呈を始めとする記念式典・講演・写真撮影が行われた。終了後取り壊しが始まる懐かしい学び舎を見学し別れを惜しんだ。
 その後会場を博多全日空ホテルに移し祝宴に入った。卒業以来の顔触れもあり、時間が経つのも忘れ、思い出話に話が弾み、余興も楽しんだ。
 館歌、彼の群小の斉唱のあと万才三唱でお開きとなり、二次会、三次会のためネオン灯る中洲へ繰り出した。
 翌6月1日は希望者による福岡近郊マイカーツアーで一日を楽しんだ。
 第二部は福岡、大阪、東京を出発した総員75名(内夫人が25名)はホノルル空港で合流し、ローカル便でハワイ島へ移動しヒルトンハワイアンビレッジホテルに落ち着いた。夕刻は太平洋に面したプールサイドでサンセットを眺めながらパーティーを行った。
 遠いハワイの地で博多弁をしゃべりまくり館歌で縦め括った。
 2日目はゴルフ(第百回三二会ゴルフ大会)とハワイ島観光に分れて過ごした。3日目にホノルルのロイヤルハワイアンホテルに宿を移した。4日目の夕刻はワイキキの海辺に続くホテルの中庭で、ハワイアンバンドをバックに歌謡大会で盛り上がり、今日は止めようと云いながらいつもの様に館歌を歌い閉会となった。5日目は早朝ホテルのテラスで、45周年(東京で開催)での再会を約し解団式を行った。楽しい思い出とお土産を抱えてそれぞれの便で全員無事帰国しました。
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東京修猷55会   (柴田幸一郎)

 我が昭和55年卒業生関東在住の会(東京修猷55会)は、去る7月18日夜、東京銀座のホテル西洋において、久しぶりの学年同窓会を開催しました。急な企画だったにもかかわらず、約40名が集まり、楽しいひとときを過ごしました。関東地区には約130名の同学年生がいることも分かり、早速名簿も作成しました。会では、盛りあがる中、自薦による来年の幹事も決まり、今後毎年楽しく開催されることになりそうです。


'97総会報告 河野 浩

 平成9年6月13日(金)18時から大手町の経団連会館にて「平成9年度東京修猷会総会」が開催されました。
 私たち昭和46年卒 "よかろう会" のメンバーは今回の総会のテーマとして「21世紀への提言そしてアジアの中での福岡」を採り上げました。
 会の構成を三部に分け、
第1部:総会
第2部:講演「アジアの街のあり方について」 講師:東大工学部教授 西村 幸夫氏(昭和46卒)
第3部:懇親会
という形式にしました。
 私達といたしましては講演の時間が30分強と短かった為、私達の気持ちが伝わるかどうか不安でしたが、その後数多くの方から「よい企画だった。」というお褒めの言葉をいただき嬉しく存じ上げますとともに、引き続き世話役を務めていただきます「修猷二木会」でもこのテーマを中心にして運営していきたいと思っています。又、会が成功するか否かの一番のポイントは当日の参加者数。昨年が近来にない470名もの多数の方が参加され今年は相当のプレッシャーになりましたが、蓋をあげてみると昨年を更に上回る520名の方に参加していただき、神田紅(S46卒)さんが司会を務める第3部は凄い熱気!。永年の間東京修猷会を引っ張って来られ、本総会にて勇退された有吉前会長に少しでも恩返しができたのではないかと思っています。
 よかろう会の動員係を務めた森山幹夫君が当日配布された「21世紀への提言集」で述べている「人生のほんの一時期3年間を同じ校舎で学んだ。たったそれだけで素晴らしく安心出来る!」今後ともそういう修猷館同窓会であって欲しいと思います。
 なお総会では、21世紀の日本にとってアジアとの交流が重要になるとの観点から、元冠などで福岡とゆかりのあるモンゴル支援を呼びかけました。モンゴル大使館一等書記官をお招きし、モンゴル人力士・旭鷲山の手形を買っていただきました。参加者のなかには、手形はいいからと2、3千円を寄付していただく方もあり、収益に46年卒同期の寄付を合わせ20万円を支援金としてモンゴル大使館に託しました。
 この支援金はウランバートルにある「モンゴル若手設計者センター」に送られました。支援活動に対して、モンゴル大使館から東京修猷会に感謝状が贈られました。


修猷新聞50周年  (昭和45年卒・和田洋一)
 平成9年5月修猷新聞は創刊50周年を迎え、同月21日(土)に福岡市中央区天神の福岡国際ホールにおいて、50周年の記念祝賀会を開催いたしました。当日は館長、歴代顧問の先生(館長も顧問をされていた)や現役部員を含め総勢80余名の出席をたまわり、地元テレビ局が取材に訪れるなど、大いに盛り上がりました。
 修猷新聞は昭和22年5月、戦後の混乱の中、西日本で第1号の学生新聞として発刊され、学生が自主編集する新聞として九州の高校新聞のリーダー的役割を果たしてきました。学生の目から見た鋭い世相批判や時代を反映した特集記事など、自主・独立の編集方針のもと、最新の267号(平成9年5月)まで号を重ねてまいりました。
 しかし若者の政治離れ、活字離れが進む中、他の高校新聞と同様に低迷している時期もありましたが、昨年、新しいスタイルの「修猷新聞NE0」として生まれ変わりました。高校生に読まれる新聞をモットーに、写真を多用したビジュアルな雑誌風、タウン誌風となり、斬新なスタイルへと変身しました。日本経済新開などにも紹介され、ご覧になられた方もいらっしゃると思います。
 学生が自ら創り出した新しいスタイルであり、さすがは「修猷」と思わせる出来栄えです。まさに新しい感覚の新聞であり、いろいろ批判もありますが、時代によって変化するその柔軟性、独創性は評価できると思います。
 最後になりましたが、記念事業として50年間の全ての新聞をCD-ROM(コンピューターで読む事が出来る)に収め発売いたします。「日本で初めての高校新聞のCD-ROM」として、その歴史を残し、今後につなげていくつもりです。平成10年度の東京修猷会、および同窓会総会にて販売予定ですので、是非購入していただきたいと思います。
(Win版、予定価格3,000円)
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事務局便り

 平成9年度の東京修猷会総会に於いて、次の執行部が野上新会長より任命されました。藤吉、長野両副会長他役員の方々の御指導の下、会の運営に当たっております。
  幹事長   田代 信吾(S35年卒)
  副幹事長 由良 範泰(S40 〃 )総務運営
    〃        棚町 精子(S40 〃 )会報
   〃     広瀬 豊  (S43 〃 )総会
   〃     伊佐 裕  (S44 〃 )行事
   〃     白井 信雄(S44 〃 )会計
   〃     等 健次     (S45 〃 )二木会
   〃     本田由紀子(S45 〃 )会計
   〃     出納 克彦(S45 〃 )会報
   〃     西沢 逡実(S46 〃 )二木会
   〃     野美山充博(S47 〃 )総会

 今年度から従来の総会の開催、二木会の運営、会報の発行の三大活動に加え、アートの会、ゴルフ大会の開催を始めましたが、会員の眥様の応援も頂きまして盛会となりましたので引続き計画して行く所存です。尚、会の開催のお知らせはタイミングもありまして、総会、二木会の会場に於て、又は年会費納入の方へのお知らせで行っておりますので御了承下さい。
 次に二木会の開催につきましては、昨年7月10日の二木会を以って、第450回を迎えた訳で、我々の東京修猷会が誇れる名物行事となりました。船津館長から現役の生徒諸君にお話しして頂いております。残念ですが記録が全部揃っておりませんので、自分達が担当された時の会合の場所、講師名等お持ちでしたら事務局までご連絡下さい。(本号別刷参照)
 御承知の通り、会の運営の一部を(株)フソウキャリアサービスに委託しておりますが、同社は単に事務を取って下さっているだけです。就きましては、会の運営に関する提言、助言、クレーム等は右に紹介の執行部の各担当が当っておりますので、二木会等の会場で直接頂き度く、フソウキャリアへの会員からの直接のコンタクトは御遠慮下さい。
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 求む! 東京修猷会の名簿管理の事務をして下さる方(2名程度)を求めています。応じていただける方は、幹事長田代又は副幹事長由良宛て2月10日までにご連絡下さい。
仕事:パソコン入力・出力、郵便の受領・発送その他(平成10年4月から開始)
資格:パソコン(ワープロ・表計算程度)ができる人。年齢性別不問、但し東京修猷会会員に限る。
勤務時間:月2回で1回4時間  報酬:交通費・昼食費及び若干の謝礼


東京修猷会会報 10号別刷 『二木会記録』

(HP編集子より:下記を含めた最近までの記録をhttp://www.shuyu.gr.jp/tokyo/nimoku/nimokurecord.htmlに掲載)
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