「全校の熱い夏」 部活
2008 番外編 野球部
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昨春の高校選抜大会「21世紀枠」に福岡県高野連より推挙されたものの、夢に終わって迎えた夏。今度こそ甲子園の土を踏めるのでは、と期待させる快進撃に、全校集会をもうけ、応援団・野球部・吹奏楽部による応援指導も行われた。 7月21日、勝利の麦わら帽子をかぶった館長先生と大応援団は、バス22台を連ね、北九州市民球場へと向かった。遠隔地の卒業生も馳せ参じ、球場へ行けない者も心は応援団と共にあった。 前回の優勝校東福岡に0対4で破れ、ベスト8入りは成らなかったが、全校が熱く燃え、修猷館の絆がさらに強まった一日だった。 応援バスで帰校後、それぞれの部活に駆けつける者、運動会準備にとりくむ者、各自本来の持ち場に戻っていった。試合翌日、野球部員が手分けして全クラスに応援の御礼にまわっていたという。 |
そして修猷、さらに修猷、もっと修猷! 修猷館館長 中嶋 利昭
毎朝、西の空高くはためく館旗、国旗、県旗、そして朝日に輝く「六光星」を仰ぎ見ながら新しい正門をくぐる。校舎改築を終え、穏やかな落ち着きを見せる新校舎を見るにつけ、解体された旧校舎に対する卒業生の想いや、伐採された樹木に流れる歴史を思う。
一昨年の秋、旧校舎最後の建物である第二体育館が運動会の終了とともに解体された。恐竜にも似た大きな作業用機械に壁や屋根を食いちぎられ、建物が断末魔の叫び声をあげた。旧プール横のヒマラヤスギ、管理棟玄関前の赤松や楠、そして年数を刻んだ槇の木の伐採とともに東門横の赤煉瓦を30mにわたって切り開いた。卒業生や地域の方から「どこまで切れば気が済むのか。」とのお叱りも受けた。チェーンソーが木に食い込む音と、ブルドーザーが地の底を掘り起こす唸り声が今も耳に残る。古き良き時代への感傷的な気持ちに心が痛む。
「体内の分子は絶えず破壊され新たに作られている。『死』というエントロピーの最大化に抗うために、生命は、自らを破壊し再生するという形で、自らを維持している。秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。」(福岡伸一著『生物と無生物の間』より)
この改築にかかった10年という期間は、「修猷」という生命体の脱皮、飛翔準備期間であったのであろう。
220余年の歴史と、独特の学校文化を持ち、「巨艦」にも例えられる修猷は、何もしなくても慣性や惰性で、ある一定の方向や到達点に達するだけのものがある。しかし、一方その長さ、高さ、重さ、深さがゆえに方向変換の困難性も併せ持つ。
講堂竣工、正門の新設を含め、修猷の教育環境は一新された。修猷は今、新しい環境に見合う学校文化の創造を図るべく「修猷暦」を見直し、新しいリズムで時を刻み始めた。修猷は今、変革の時を迎え「明治維新」にも似た大きな高揚感に包まれている。
修猷館高校ホームページ http://shuyu.fku.ed.jp/
修猷館高校のホームページには、事務連絡や学校紹介の他に、美しい花の写真に彩られた「修猷の四季」という中嶋館長のコーナーがあり、修猷の現在の姿を鮮明に伺うことができます。4面の「修猷のいま」の写真は、ほとんど館長先生のコーナーからいただいたものです。
また、幾つかの部活のホームページや修猷新聞OB会のホームページにもリンクしています。
修猷新聞OB会のホームページは、創刊60周年を記念してOB会が過去の修猷新聞を全て電子化し、公開しようとしているホームページです。現在は試験公開中ですが、今後追加公開して行く予定だそうです。
修猷の現在と過去とを思う存分堪能できるこれらのホームページ、おすすめです。
各地の同窓会総会に出席して 執行部 副幹事長 安東 泰隆(昭和51年卒)
![]() 平成18年近畿修猷会総会にて 同期の大山邦彦さん(右)と筆者 |
東京修猷会の総会は毎年6月だが、福岡では5月、大阪では11月に行われている。先輩方も経験済みであろうが、卒業して30年前後に、「総会学年幹事」という大役が立て続けに回ってくる。私の卒業学年(昭和51年)は平成14年に東京、17年に福岡、19年に大阪の総会幹事を体験した。 東京の総会は近年500名を超える参加者があるが、福岡はさすが地元だけあってその倍以上、1000名を超える。また運営もおおらかで、殆どいきなり飲み会モードとなり、出し物もスケールが大きく、圧倒される雰囲気がある。 大阪は参加者200名くらいだが、アットホームで着席式のコースメニューである。釣り、絵画、コーラスなどの「クラブ活動」が盛んな近畿修猷会であるが、その成果発表が食事の間に行われる。どれも見事なものばかりで同窓生同士の親睦感がよく伝わってくる。 場所も変われば総会の雰囲気もそれぞれ違うが、六光星の下に集う気持ちは何ら変わるところがない。それは母校への感謝と同窓生同士の親睦を図ろうとする参加者の純粋な気持ちと、総会に集まっていただく先輩、後輩のために私利私欲なく総会運営に携わる幹事学年の心意気であろう。 |
2008年度寄付金 | 福岡同窓会本部、中嶋利昭(館長)、波多野聖雄(福岡同窓会名誉会長)、石丸鐡太郎(近畿修猷会会長)、(昭9)冨田明徳、(昭11)橋本胖、(昭12)宮川一二、鎌田正行、(昭15)高川正通、明石隆次、(昭18)不破敬一郎、(昭19)川口悟、田尻重彦、早野俊一、毛利昂志、(昭20(4))野上三男、田中庸夫、山名裕、(昭20(5))尾島成美、ジャニイ岩橋、(昭21)稗田孝道、(昭22)南雲進、増崎昭夫、杉島千秋、小池啓雄、伊藤輝夫、濱田理、増崎昭夫、木下洋一、(昭23)井上洋一、中村邦也、白木彬雄、荒谷俊治、柳泰行、大西勇、(昭24)安藏復也、(昭25)山本義治、松岡肇、(昭26)大森康平、太田進、藤吉敏生、小西正利、中村道生、常岡宏、大平修、廣瀬貞雄、(昭27)久家英子、福田純也、甲木千枝、飯田英子、榊喜美子、金田久仁彦、(昭28)真武保博、児玉黎子、(昭29)村越登、長尾淑實、永井充子、高木道子、長野倬士、山下一彦、(昭30)城川明、久保久、喜多村寿信、原田雅弘、遠山壽一、岩田至道、田中栄次郎、(昭31)澄川俊二、高崎洋一、石橋明、小原淑、柴田悟、原田忠和、阿部公明、中村保夫、石井英明、倉員正子、箱島信一、藤川豊、近藤徹、宮川靖彦、岩佐寿夫、岸川浩一郎、伊達直哉、村田和夫、城戸弘、溝部信介、杉山弘實、淺田恭夫、原田宗親、中山悠、牛尾淳、中川庄司、小木曽絢子、(昭32)平野煕幸、鳥居健太、林克己、國分英臣、井上智晴、山本貞昭、野間正己、(昭33)大西正俊、松永貴子、米倉實、寺澤美和子、河野理、伊藤純江、武石忠彦、(昭34)讃井邦夫、服部富美子、行武賢一、川辺猷治、岩田龍一郎、伴拓郎、(昭35)中村清次、月本一郎、可児晋、松尾俊一、江川清、今村宏明、伊藤洋子、(昭36)倉成洋三、安藤誠四郎、土井高夫、横倉稔明、高村修一、吉次晃二、中島成之、田中直樹、(昭37)牧文一郎、大須賀頼彦、(昭38)上田茂、渡辺紀大、玉井龍二、(昭39)貝島資邦、清田瞭、久保田康史、(昭40)豊福敏信、棚町精子、泉和雄、長谷川閑史、森秀則、(昭41)林田健、三上博民、淀川和也、(昭43)伊藤裕介、伊豆安生、広瀬豊、(昭44)伊佐裕、甲畑眞知子、横田勝介、(昭45)本田由紀子、(昭46)土肥研一、鹿児島正信、栗山英俊、(昭47)塚本幸一、(昭49)井手富士雄、橋村秀喜、古森光一郎、(昭50)乙藤光男、野中哲昌、(昭51)油田哲、安東泰隆、(昭52)寺岡隆宏、古賀敏文、(昭53)上薗勉、(昭54)中原誠也、松尾隆広、(昭55)柴田幸一郎、吉田聡、(昭56)北岡千晶、金岡恒治、(昭57)外薗かおり、瀬戸毅、西岡修、豊福昌之、(昭62)田尻公一、(平1)稲垣淳子、(平13)秋本泰行 |
2007年11月1日から2008年10月31日までに179名の皆様から寄付金が納入されています。 また、年会費の納入をまだ済まされていない方は、同封の郵便振替用紙にて早速ご送金くださるようお願い申し上げます。(一口3000円)。3000円を超えた額は寄付扱いとします。 |
編集後記
3年前の19号から、会報の編集を二木会幹事学年が担当することになりました。私たち剛質会(昭和57年卒)は新聞記者が一人もいない初めての年。二木会の広報部門と勘違いして参加してしまったメンバーもいます。そんな不慣れな7人が、メールで熱い議論をかわしながら、編集作業に取り組みました。
トンガの藤瀬さんからの原稿が届かなかったときには担当者は不安で一杯。
じつは近所の子供が藤瀬さん宅のインターネット受信ボード用のポールに木登りのように登って遊んでいるうちに、ポールの向きが変わって、メールを送受信出来なくなっていたとのこと。そんなことでネットが不通になるとは…。終ってみれば、笑い話のようなエピソードです。
修猷を巣立った後、たくさんの方々が様々な分野で活躍していらっしゃいます。今回は、そうした同窓生の活躍と並んで、原点である修猷の今の様子も伝えたいと考えました。
母校で教鞭をとる同期の渡邊康宏君の力を借り、中嶋館長のホームページからヒントを得ながら、紙面をつくりました。
原稿執筆を快諾いただいた皆様をはじめ、各方面での暖かいご協力に、深く感謝いたします。